2 草薙鎖天は斯く藁をも掴まんとす

文字数 3,582文字

 俺と霧雨さんが向かったのは、奇遇にも、三日前に笑夢と訪れたのと同じ喫茶店だった。
 好きなものを頼め、と言われたので、俺は三日前と同じようにコーヒーを頼んだ。霧雨さんもなにか頼むかと思ったのだが、彼女は胃が弱いからと注文を固辞していた。代わりに、テーブルに置かれたお冷をゆっくりと飲み干していた。

「そうか。あの死体は君の友達だったか。氏村笑夢ちゃんね。可愛らしい女の子だったのに、殺されてしまうとは災難だったな」

 コーヒーに砂糖とミルクを入れ、掻き混ぜながら俺は、笑夢のことを霧雨さんに話していた。
 三日前。
 たった三日前には、目の前に座っていたのは笑夢だった。
 あの底抜けに明るい、無邪気な友達だった。
 けど、それはもう叶わない。
 笑夢は、殺されたから。
 死んだから――――もう、いないから。

「ならば先に話しておこう。君を襲った悲劇の犯人と、氏村笑夢ちゃんを殺した犯人は、同一人物の可能性が高い」
「え……?」

 俺の家族を殺した犯人と。
 笑夢を殺した犯人が、同じ?

「君の両親の死体には、喰い千切った噛み跡が残っていた。その歯型と、さっきの氏村笑夢ちゃんの首筋に残っていた歯型は、ほぼ同一だった」
「そんな……どうして」
「どうして、君の周りでばかり殺人が起きるのだろうか、ね。そこまでは分からない。そう、分からないんだ。苛立たしいことにね。この事件は動機が分からないんだよ。そこが分からないとしっくりこない。だからこそ、君の証言が必要なのさ。草薙鎖天くん」
「俺は……でも、なにも」
「いいや、君には心当たりがある筈だ。何故なら、君は生きているのだからね。死んだ筈なのに、何者かによって生かされている」
「…………」
「【蟲】を死体に注入して無理矢理に生かすなんて荒業、誰にでもできる訳じゃない。私も【蟲】を知覚できるが、彼らを意のままに操るなど到底不可能だ。それをこんなにも繊細に操れるものなど、数は限られてくる。そして、その術者こそが今回の事件の犯人だと、私は睨んでいる」
「……っ、俺を生き返らせた奴が、家族を、笑夢を殺したっていうんですか?」
「その通りだ。勿論、これも動機は不明だ。殺された五人……あぁ、妹ちゃんは姿を消しただけだが、殺されたと仮定しよう。この五人の中で、何故君だけが生き返らされたのか。それは分からない。だがそれも、犯人を捕まえれば分かる話だ。さぁ、だから核心だよ、鎖天くん。君は、誰によって生き返らされたんだい?」

 誰に。
 誰によって、生き返らされたか。
 その答えを、俺は持ってる。
 舞沙だ。
 狂々理舞沙だ。
 舞沙が、死んだ俺に【蟲】を注ぎ込み、生き返らせてくれた。
【蟲】を殺人の道具にされたのが、許せなかったが為に。

 けど……あいつが、犯人?
 両親を、妹を、そして笑夢を殺した、犯人だって?
 それは違うと、本人が言っていた。舞沙は死体が嫌いだし、人殺しが嫌いだから。だから、俺の家族を、笑夢を殺すなんて、あり得ないと。
 けど、どうだろう。
 疑い出すと止まらない。

 死体が嫌いだと言っていたが、舞沙は毎日、【蟲】を補給するために死体を探していたじゃないか。死体から、【蟲】を吸い出すとも言っていた。死体に口をつけるなど、死体を嫌いだと言い切る舞沙にしては違和感がないだろうか。
 それに、両親の死体を目にした時も、冷静に所見を述べていた。怯える様子も、嫌悪する素振りもまるでなく。
 笑夢に至っては、動機さえある。舞沙は、笑夢を嫌っていた。【蟲】の影響をほとんど受けない笑夢のことを、猛烈に嫌っていた。俺と会うことを、快く思っていなかった。殺す動機としては充分じゃないだろうか。
 俺に関する記憶を消したのだって、舞沙だと考えれば説明がつく。俺を生き返らせるほどに【蟲】を器用に扱える舞沙なら、記憶を喰う【蟲】を操るくらい造作もないだろう。
 それに、妹を、死んでいると仮定しているのは何故だ?
 自分が殺したから、もういないと分かっているからじゃないか?
 舞沙が犯人なら、全ての事象に得心がいく。
 舞沙が犯人なら、全ての悲劇に説明がつく。
 動機以外はパーフェクトだ。

「君は知っている筈だ。誰が君を生き返らせたのか。でなければ、君が生き延びられていることに、説明がつかない。【蟲】を使った蘇生法は、大量の【蟲】を消費するという欠点があるからね。申し訳ないが、君が自力で【蟲】を調達できたとは到底思えない。君に定期的に【蟲】を提供している、協力者がいる筈だ。そして、そんな器用なことができるものが、複数人現れるなんて偶然は考えられない。なら、君を生かしているのは、君を生き返らせたものだと考えるのが妥当じゃないか? そいつこそが、君の仇だ。憎き犯人だ。復讐すべき相手なんだよ。だから、教えてくれないか? 君は誰によって生かされ、誰によって生き返らされたんだい?」
「…………わ」

 どうしよう。
 本当に舞沙が犯人なら、ここで告発するのが正解だろう。
 法で裁けない舞沙のことを、俺が殺してしまうのが常道だろう。
 だが、俺の心は迷っていた。
 揺れ動いていた。
 猜疑心と、縋るような気持ちの間で。
 どれくらい悩んだだろう。
 本当なら頭を抱えて呻き声を漏らしたいほど、懊悩していた。

 ふと、カップが目に入った。
 砂糖とミルクのたっぷり入った、甘ったるいコーヒー。
 導かれるようにそれを手に取ると、中身を一息に飲み干した。

「分かりません」

 と。
 カップを置くと同時に、俺はそう答えていた。

 考え悩み、論理的に導かれた回答ではない。
 ほとんど、直感だ。
 明確な理由はなかった。嘘を吐く必然性もなかった。
 それでも俺は霧雨さんに舞沙のことを隠した。
 案の定、霧雨さんは怪訝そうに眉を顰め、首を傾げてきた。

「分からない……? 分からないとはどういう意味だい? 私は探偵だ。分からないというのが一番嫌いなんだ。分からないとは、だからどういう意味だい? 分かるように説明してくれ」
「だから……分からないんですよ。俺が誰に生き返らされたのか」
「そんな筈はない。だったら、【蟲】の補給はどうしているんだい? 蘇生に使われた【蟲】だけじゃ、一日ともたない筈だが」
「今の俺は警察から追われる身です。だから人目につかない、裏路地の廃墟街を根城にしています。あそこは自殺の名所だ。【蟲】には困りません」
「……なら君は、生前から【蟲】の存在を知っていたのかい?」
「え、えぇ。たまたま」
「ふぅん……」

 じろじろと、切れ長の目が俺を睨んでくる。
 生きていたらきっと冷や汗を禁じ得なかっただろう。実際今も、死後硬直の如く身体が緊張して動かない。膝の上で固く握った拳が、痛いくらいだった。
 刑事も探偵も、人の嘘を暴くのが仕事だ。
 俺の拙い嘘など、即座にバレてしまうんじゃないか――――そんな思いで、俺はびくびくしながら言葉を待っていた。
 生唾を飲み込む音が、やけに大きく聞こえる静寂。
 やがて、霧雨さんは溜息と共に言葉を漏らした。

「…………なら、仕方ないな。捜査は最初からやり直しだ」

 がっくりと肩を落とす霧雨さんは、心底落胆しているように見えた。
 俺を油断させるための演技だとしたら、堂に入り過ぎているくらいだ。

「あーあ。せっかく真相に辿り着いたかと思ったが、私の勘も鈍ったものだ。無駄足を踏ませて悪かったね、鎖天くん。お代は支払っておくから、好きに帰るといい。私もお暇しよう。早急に次の手を考えなければね」

 言いながら、霧雨さんは胸元から一枚の紙を取り出し、俺に差し出してきた。
 名刺だ。
 肩書きが『探偵』。それに名前と連絡先が書いているだけの、シンプルな名刺。白と黒しか色彩のないそれを、俺は恐る恐る手に取った。

「なにか分かったら連絡をしてくれ。君を生き返らせた人物が判明した、とかね。そんなニュースを待っているよ。それじゃ――」
「あ、あの」

 席を立ちかけた霧雨さんを、俺は思わず呼び止めていた。
 どうしてもひとつだけ、確認したいことがあったのだ。

「あの、霧雨さんはなんで、うちで起きた事件について調べてるんですか? 誰かからの依頼ですか?」
「……探している奴がいてね。こういうことを仕出かしそうな奴なんだよ、そいつは。君に巻き起こった事件に私が首を突っ込んだのは、だから興味本位さ。すまないね、気持ちのいい回答を返せなくて」

 それだけ言い残すと、霧雨さんは颯爽と店から出ていった。
 がらんとした店内には、俺と。
 空っぽのコーヒーカップだけが、ぽつんと残されていた。
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