5 草薙鎖天は斯く真実を知る

文字数 3,657文字

「全ての始まりは五日前。君と環ちゃんが交わしたキスだ。あれが、全ての引鉄だった」

 霧々須の口調は、まるで朗読だ。すらすらと歌うように紡がれるその声は、聴く人を否応なく引きつける。
 キスが、全ての引鉄、だと?

「君が学校に行った後、環ちゃんは注意を受けたんだ。一緒に食事をしていた両親からね。兄妹でキスなんてするものじゃないと、こっ酷く否定された。それが、環ちゃんは許せなかったそうだ」
「許せなかった……?」
「環ちゃんはね、君のことが好きなんだよ。兄としてではなく、ひとりの異性として。人間として、ね。だから、彼女の親愛行動を邪魔する両親を、許すことができなかった。彼らを許すことは、自分の愛を否定することだ。そんなこと、到底できる筈がない」
「……それで」
「そう、それで殺した。だから殺した。自分の愛を否定されたから、殺した。当然さ、愛は人の中で最も強い感情だ。それを否定されるなんて、人格全てを否定されるのと同じだ。ご両親の行為は、到底許されるものではないさ」
「っ……でも、いくらなんでも殺すなんて――」
「親が子を殺す、子が親を殺す。そんなに珍しいことでもないさ。寧ろ互いに家族愛を抱いているからこそ、それは簡単に反転して憎悪になる。――――しかしまぁ、君の妹が異常なのは間違いないな」
「異常、だと……!」
「怒るなよ、本当のことを言われたくらいで。……っはは、思い出してもゾクゾクするよ。環ちゃんはね、両親を突発的に殺してしまった。当然、焦るよね。見つかったら警察に捕まってしまう。そうなれば、愛するおにいちゃんに会えなくなる。なにより、おにいちゃんに嫌われてしまう、とね。だから彼女は、死体を隠すことにした。隠匿し隠滅し隠蔽することにした。けど、その手段がなんとも滑稽でね。聞いた時には思わず笑ってしまったよ」
「死体を、隠す……」
「環ちゃんはね、死体を自分の腹の中に隠すことにしたんだ――――つまり、両親の死体を残らず食べてしまえばいいと、そう結論したのさ。どうだい? イカれているだろう?」
「…………!」

 両親の死体には、喰い千切られた痕が無数に残っていた。
 あれは、食人趣味とかそういうのではなく。
 死体を隠すため。
 死体をなくすためのものだったのか。
 でも、そんなの異常過ぎる。自分よりでかい大人ふたり分だぞ? 胃袋に収まる筈がない。いやそもそも、思いついたところで実行するなんてあり得ない。
 死体を、喰うなんて。
 そんなの、残酷過ぎる……!

「死体の処理は、半分程度で終わってたのかな。丁度そのタイミングで、環ちゃんは君を殺してしまったからね。パニックになった環ちゃんは家を飛び出した。最愛のおにいちゃんが、自分の不手際で死んだんだ。そりゃ気も動転するよね。狂ってもいいくらいだ。夜の街をひたすら駆けていた環ちゃんと、私は、たまたま偶然出会ったという訳さ」
「……あんたが、環になにか吹き込んだのか……⁉ だから、環はこんな行動に……!」
「誤解はしないでほしいな。私はただ、彼女の一途な愛を応援しただけだよ。多少アドバイスをしたくらいだ。例えば、兄を独り占めしたいなら、兄が自分以外の誰をも頼れない状況を作ればいい、とか」

 俺が、誰も頼れない状況を作る。
 だから、だからクラスメートの記憶を、喰ったのか。
 俺がクラスの誰かに頼れないように。
 だから、笑夢を殺したのか。
 頼れる友達を、潰すために。
 だから、クラスメートを皆殺しにしたのか。
 俺が頼る可能性を、万にひとつも潰すため。
 全部全部、俺を独占するための布石だったのか。

「あとは君の記憶を消して、都合のいい記憶を植えつければいい。それで目的は完遂される。尤も、ここまで派手に【蟲】を使って、環ちゃんの身体が持つかどうかまでは知らないけどね。ほら、見てご覧」

 霧々須が左手で指し示したのは、今まさに繰り広げられている舞沙と環の戦いだった。
 両者とも互角の勝負を繰り広げ、同様に消耗している。舞沙の身体は【蟲】を喰われ過ぎた所為でさらに小さくなっており、環は絶え間なく血反吐を撒き散らしていた。
 両者共に満身創痍。
 だが、ふたりとも戦いをやめはしない。寧ろ消耗すればするほどに、互いの感情は激しさを増していった。

「環……舞沙……!」
「あははっ、いい見世物だと思わないかい? ――――さて、真相語りを続けようか。鎖天くん、階段下で死んでいた筈の君がベッドに横たわっているのを見て、環ちゃんはとても驚いていたよ。そして、同時に喜んでいた」
「…………」
「どういう経緯であれ、君が生きていることが嬉しかったんだ。愛の成せる業だねぇ。無邪気に喜ぶ彼女の顔を見て、私まで思わず邪気を捨てそうになった。まぁ、計画は手筈通りに進めてもらったよ。君の周囲の人間から、君に関する記憶を消させ、君が孤立する状況を作った。誰も頼れない絶望的な状況の中、颯爽と環ちゃんが現れれば、君は彼女に夢中になる。環ちゃんなしでは生きられなくなる。文字通りの意味でね。――――けど、計算違いが起こった。君を生き返らせた存在、狂々理舞沙の登場だ」

 舞沙。
 俺を生き返らせてくれた、命の恩人。

「舞沙が君を匿ったおかげで、君の行方が杳として知れなくなってしまった。私たちが君を見つけたのは、つい昨日のことだ。環ちゃんが、クラスメートの氏村笑夢ちゃんと仲良く話している君を発見した。環ちゃんは勿論憤慨したさ。嫉妬もした。狂うほどにね。だから――――殺した。大好きなおにいちゃんを取ってしまう泥棒猫を、退治したのさ」
「……そんな……そんなこと、あいつが、できる訳がない……! あんたが、またなにか吹き込んだんだろ……!」
「想像するのは自由さ。しかし殺ったのは環ちゃんだ。そこは覆らない。氏村笑夢ちゃんを殺した環ちゃんは、次いでこう考えた。もしかしたら他にも、鎖天くんのことを覚えている奴がいるかもしれない。そいつに、おにいちゃんを取られてしまうかもしれない、とね。だから、みんな殺すことにした。自分のことを覚えている学友も、君のことを覚えているかもしれないクラスメートも、全部全部。……まぁさすがにひとりで全校生徒何百人を殺すのは手間だからね。ちょっとは手伝ってあげたけど」

 ちょっと? ちょっとだって?
 学校にいる人間、その悉くを殺すことの、どこがちょっとなんだ?
 狂ってる。壊れてる。
 異常と言うなら、この人が。
 霧々須心愛が、一番異常だ。

「なんで、あんたがそんなことを……⁉」
「私の方の動機かい? 環ちゃんを突き動かす強い愛に惹かれて……っていうのは半分かな。もう半分は、昨日話した通りさ。会いたい奴がいたんだ。君を生き返らせるなんて、そんな生優しいことを仕出かしそうな奴――――狂々理舞沙に、会いたかった」

 陶酔するような笑みを浮かべ、霧々須はねっとりとした声で言った。
 絡みつくような、絡め取られるような声音。
 ぞくっ、と背筋が震えた。俺を見ているのかも怪しい、胡乱な瞳。思い出の世界にトリップしているようなそれは、確実に狂気を孕んでいた。

「舞沙こそ、【蟲】の最終形態だ。喰われる側でしかない人間なんて遥かに超越した、唯一無二の存在だ。人殺しが嫌いなんて言っているが、そんなぬるいことを言う必要はない。人間のことを慮る必然もない。舞沙は【蟲】の王なんだ。【蟲】を統べ、【蟲】を喰らう【蟲】の王。あぁ、素晴らしい、実に素晴らしいじゃないか! 憧れるね! 私は、あの子のようになりたかった! いや、今でもだ! あの子と同じ存在に、私はなりたい! 弱くて脆い人間の殻など脱ぎ捨てて!【蟲】の王にこそ、私は恋焦がれる!」
「…………!」
「――――ところで、鎖天くん。ここでひとつ、思考ゲームをしてみないかい?」
「げ、えむ……?」

 人差し指をぴんと立てる霧々須が、急ににかりと笑いかけてきた。
 いや、表情ならずっと笑顔なのだ。ただこの人は、笑顔に種類があり過ぎる。無邪気から淫靡まで、明朗から狂気まで、全ての表情が笑い顔に詰まっているのだ。

「君の今の状況は、私から見れば大変羨ましいものだ。なにせふたりの少女が君を巡って争っているのだからね。環ちゃんは君を自分だけのものにするため。舞沙は君を独占されるのを阻止するためにだ。まったく、ご同慶の至りだよ。羨ましいし――――妬ましい」
「え……?」
「そこで、ゲームだ鎖天くん。考えてみるといい――――今ここで、君が死んだら、あのふたりはどう思うかなぁ?」

 歌うように霧々須が言った、その瞬間。
 彼女の右腕が、異常なまでに膨らんだ。
 まるで腕の中でなにかが暴れているように――――それに気づいた時には、もう手遅れで。
 ぱぁんっ、と風船みたいに腕が破裂して、中から大量の【蟲】が溢れ出してきた。
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