第11話 クリスマス明けの夜、突然、スマホが鳴った

文字数 2,240文字

 クリスマスの翌日、秋吉真由美は市内の映画館の中で、スクリーンに現れる他人の人生やラブロマンスに身を委ね、ヒロインに同化しながら、暇を潰していた。
 運命的な出会いにより真実の愛を知る、という内容の映画だった。
一九七五年のバンコクでヒロインは自由に独りの生活を楽しんでいたが、或る日、一人のビジネスマンと出逢って、二人は激しく惹かれ合った。いつの日にか日本に帰らなければならない彼には待って居る婚約者が居た。
「人は死ぬとき、愛されたことを思い出すのか、愛したことを思い出すのか」というセリフが印象的で真由美の心に痛く響いた。
 
 映画が終わった後、彼女はロビーで紙コップのコーヒーを啜り、徐に黄昏時の街へ足を踏み出した。暗闇がやって来る直前の、何もかもがシルバー色に変わる街並み。真由美はこの時間の京都の街が気に入っていた。
クリスマス明けで、それほど混んでいない四条通りを祇園石段下から西へ向かって歩いた。クリスマスの音楽はもう何処にも鳴っていなかったし、店の前に立っていたサンタクロースの等身大の看板も片付けられていた。彼女はアーケードの下の店々を覗き込むようにしてゆっくりと歩を進めた。だが、京都一の歓楽街である花見小路辺りに差し掛かると、急に夥しい数のタクシーが往来し、束の間の快楽を求めて繰り出して来た男女で通りは混み合っていた。真由美はぶつからないように人の間を縫うようにして鴨川畔にある川端通のマンションへと帰って行った。
 今年も又、クリスマスがやって来て、そして、去って行った。真由美の心にはやり切れないような寂寥感が拡がっていた。
マンションの小さな一室に帰ると真由美は白ワインを開封してグラスに注ぎ、テレビのスイッチを入れた。暫くテレビに見入りながらワインをもう一杯飲み干したが、どうにも味は美味くなかった。が、酔いは次第に全身に廻り出して、彼女はソファの上でうとうとと微睡んだ。
 
 どれくらいの時間が経ったのか、突然、電話が鳴った。
ハッと気が付いて起き上がった真由美は慌てて携帯を取り上げた。
「もしもし、僕だよ」
電話の声は同じ救急総合病院に勤務する医師の浅田哲也だった。
「あっ、あなた・・・」
真由美の声がぱっと明るみを帯びて応答した。
「どうしたの?」
「明日の土曜日は、君は休みの日だよな?」
「うん、そうだけど・・・」
「久し振りに晩飯でも一緒に食べようかと思って、さ」
「良いわね。でも、あなた、早く終われるの?」
「明日は病棟の担当だし、診察も手術もしないから、多分大丈夫だと思う」
「そう。じゃ、明日、六時半にいつもの場所で待って居るわ」
それから真由美は明るく弾んだ調子で訊ねた。
「この一週間、どうしていたの?」
「変わりないさ」
浅田が答えた。
「手術に当直、外来診療、入院患者の回診、それに民間病院での一日バイトだ。まあ、可も無く不可も無い一週間だったよ」
 真由美はまるで言葉の音符がメロディを奏でるような調子で早口に話し出した。
「今、マンションのベランダに水仙とライラックとチューリップを植えているの。来年、花が咲くのが楽しみだわ」
「いつだったか、君のベッドルームの花瓶に挿して在った水仙の花、あれ、綺麗だったね」
「あっ、憶えてくれていたの」
「そりゃ、ちゃんと覚えているよ、君の部屋のことだもの」
「伊勢湾から台風が上陸して京都や大阪を襲い、家屋の倒壊や土砂災害が多数発生したんだって、クリスマス・イブの日に」
「ああ、大変だったらしいね」
「今、サキ短編集を読んでいるの。ブラック・ユーモアって結構面白いわね」
「僕は読んだことが無いから、判らないよ」
 真由美は次々と話題を変え、彼女の声は次第に上ずって行った。
病棟の飲み会については驚くほど細部に亘って詳しい描写をしたし、次には、毎日、朝や夜にするジョギングがどんなに辛いかを真面目に語った。
 彼女は又、外科病棟の入院患者についても語った。
同じ本を何回も何回も読み続けている男性や禅に凝っていると言う大工、五回もの結婚を繰り返した会社の社長、六十歳を過ぎて漸く女性への真実の愛に目覚めたプレイオヤジ、などを面白おかしく話した。
 が、暫くすると、真由美の声の調子が次第に湿っぽく変わり、正月休みには徳島の実家へ帰る予定だと言った。
「一月二日に亡くなった母の三回忌なの」
そして、真由美が突然に話を変えた。
「わたし、お正月や黄金週間やお盆なんて言う大型連休は好きじゃないわ」
「然し、それらは今に始まったことじゃないだろう」
「私の仕事はそんな連休には関係無いし、あなただってそう。いつ何時、急患や急の手術で呼び出されるか知れたものじゃ無い」
「まあ、それはそうだが・・・」
「連休なんて全部無くなれば、私もあなたももっと手軽に逢えるようになるし、ずう~っと生き易くなるわ」
真由美は尚も大真面目に言った。
「お正月やお盆や黄金週間は沢山のことを二人で約束しながら、実際には余りにも僅かのことしか実現出来ないし、その結果、心にそれが大きな負担や圧力となって欝々状態になる、時には死にたくなったりするわ」
「おい、おい、君、そう深刻に考えるもんじゃないよ」
 浅田も真由美の気持が解からない訳ではなかった。が、彼は臨床外科医として、毎日、何体かの死と向き合って来ているので、それ以上、本気で彼女と言い合う心算は無かった。
連休も一定期間働いた心身の骨休めになるし、仮令僅かの時間ではあっても真由美と逢えば、彼女への罪滅ぼしにもなる、と彼は思っていた。
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