第29話 二人、食事をして酒を飲む

文字数 1,375文字

 笑顔を見せて直樹が案内したのは、高瀬川沿いに在る隠れ家のようにひっそりと店を構えるたった十六席の小さなフレンチレストランだった。
重い扉を押して店内に入った二人は、都会の喧騒から離れ、ゆっくりと流れる時間の中で、独創性溢れる艶やかなコース料理とゴージャスなワインを味わうことになった。
 前菜に出された有機人参のムースは滑らかな口当たりで程よく柔らかく、人参と雲丹の色合いも綺麗な見た目にも楽しめる一皿だった。又、鮮度の良い鴨を炭火で焼いた青首鴨のローストは自然の中で伸び伸びと育った野生の青首鴨を炭火で炙り、濃厚な内蔵のソースを絡めた深い味わいが魅力だった。
「ワインとの相性がぴったりの一品でしょう」
更に、平目のローストは新鮮な海の幸と豊かな野菜を共に贅沢に愉しめる珠玉の逸品だった。
「京都ならではの美味しい一皿ね」
知佳が感嘆の声を挙げ、二人は居心地の良い快適な空間で食事もワインもじっくり堪能して至福とも言えるひと時を過ごした。
 直樹の趣味はクラシックだと言う。
「クラシックは壮大で神々しく人間臭くて、それでいて恰好良いんだ。メロディが美しく、リズムが生き生きとして、夫々の楽器が響き合うのが音楽でしょう。メロディは自身の姿、リズムは鼓動、響き合うハーモニーは人と人とが共存する為に最も大切なもの、音楽とはそういうものだと思いますよ」
「私も子供の頃にピアノを習っていて、よくクラシックを聴いたり弾いたりしていました。でも、高校生になってジャズと出逢って、それからジャズの虜になってしまったんです」
「ジャズ?」
「ええ。ジャズを聴いていると心も躰も痺れちゃって、嫌なことも辛いことも哀しいことも、或は、愉しいことも嬉しいことも、何もかもみんな忘れちゃって空っぽになれるんです、わたし」
「クラシックにしろ、ジャズにしろ、音楽は人生を豊かにするんだな。音楽の音には一つとして同じものは無いし、一度として同じ音を産み出すことも無い」
「そうね。音楽は奥深いものよね。指揮者や演奏者によって魅せられる音楽は違うし・・・」
「それに、音楽は人の感情を動かすしね。悲しい時に明るい曲を聴いて元気になるとか、疲れた時に美しい音楽で癒されるとか・・・」
「感情に合わない曲を聴くとどんな名演奏でも、煩い、って思ってしまうものね」
二人は音楽談議に花を咲かせて、暫し、時の過ぎ行くのを忘れるほどだった。
 
 最後に知佳は木屋町筋に在る洋酒バーへ直樹を導いた。
扉を開けて中へ入ると、店内は混み合っていた。会社員や大学生、女友達同士の仲間、男女のアベック連れ、叔父さんも居たし叔母さんも居た。カラオケは無く、客達は流れる音楽を聴きながら、仲間同士や隣り合わせた見知らぬ客やバーテンダーなどと話していた。
知佳は顔見知りのバーテンと笑顔を交わしながら直樹に言った。
「此処はウイスキーやビールだけでなくカクテルも愉しめるの。好きな物を飲んで頂戴」
「女性客が多いんだね」
「女性だけでも気軽に入れる雰囲気だし、デートスポットとしても人気があるわ」
「君はよく来るの?」
「しょっちゅうは来ないけど、まあ、偶に来る常連、ってとこかな」
「今日はジャズが流れているね」
「そうね、でも、ジャズだけでなくビートルズやフォークも流れるし、ライブが開かれることもあるわ。多い日には百人以上の来店客があるみたいよ」
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