第14話 「妻が亡くなったよ」

文字数 2,668文字

 貴子は公認会計士と言うキャリウーマンだった。その言葉使い、その眼付き、その態度、モノの考え方、価値観、それらが病的と思えるほど気位の高い上から目線の女だった。夫で主治医である浅田に対しても、時に触れ、折に触れて、それが垣間見えた。颯爽とした長身痩躯、冴えた美人顔であったが、愛嬌の無い冷たい貌だった。真由美には気の強い可愛げのない女に見えた。
 真由美は直ぐに思った。
これは・・・浅田はもう彼女を愛してはいない・・・結婚当初は兎も角も、今はもう絶対に彼女を愛してはいないだろう・・・人の命を左右する心臓や脳の手術を、全身全霊を込めて緊張の極限で行った後に戻った自宅で、待って居るのが仕事の塊のようなキャリアウーマンだったら、彼は心も身体も解き放たれることが無いだろう・・・そんな女では決して寛げないだろう・・・
真由美のその思いは彼女の直感ではあったが、殆ど確信でもあった。その時から彼女の迷いと後ろめたさは無くなった。
 無論、それは貴子へのほくそ笑みたいような感覚ではなかったし、ましてや、彼女への謝罪の気持からでも無かった。説明のつかない或る何かの感覚があった。そして、浅田の妻に対する忠誠と労わりの気持を知った時、自分と浅田の二人の間に貴子が介在することに真由美は抵抗を感じなくなった。とは言え、浅田も真由美も二人きりで居る時には貴子の存在を二人の間から完全に消し去っていた。貴子の名前も口にしなかったし、容体を話し合うことも無かった。束の間の限られた短い逢瀬の中で、食事をしても酒を飲んでも、肉体を重ね合っても、二人は完全に自分たちの世界に没頭した。それは二人の間の“暗黙の了解”であり、このことが二人をあたかも結婚しているかのようにしっかりと結びつけたのであった。
「私自身の人生だもの、自分のお金と自分の時間でしたいようにやっている心算よ」
或る時、真由美は徳島の実家に住んで居る兄からの電話に、そんな風に答えたことがある。
「だって、欲しいものは何でも直ぐに手に入る生活よ、私は」
兄が訊いた。
「じゃ、子供はどうなんだ?本物の家庭とか、家族が揃って食べる朝食とか、ピアノの上に飾られた家族写真とか、そう言うものを欲しいとは思わないか?」
「そりゃ、時々はね。でもやっぱり私は今の生き方が好きだわ、自由と独立だもの」
二人は笑い合った、が、真由美の心にふと淋しさが湧き上がって来たのを彼女は意識していた。
 本物の結婚生活だけがもたらしてくれる幾つもの小さな心地良さ、慣れ親しんだ間柄、そう言ったものが欲しいと思っても叶えられない妻ある男との恋。そんな恋愛をしてしまった自分の不運を思わない日は無かった。真由美が二十五歳になるまでは家族の者にもそのことを何度か言われたが、二十五歳の誕生日を過ぎてからは最早、誰一人としてそのことを口にしなくなっていた。
 こうして真由美は今年もまた去年や一昨年と同じような大晦日の夜を過ごす。鴨川畔のマンションで一人ワインを飲み、「往く年、来る年」のテレビを観ながら、秘かな自分だけの儀式めいたひと時を送るのだった。
 十一時に近かった。
突然、携帯が鳴った。
浅田からだった。
「貴子が死んだよ」
 
 二月の寒い深夜、自宅で大量の嘔吐を繰り返した貴子が救急処置室に運び込まれて来た。直ぐに当直医による問診が行われ、更に、暗灰色の移動式レントゲン機で何枚もの写真を撮った後、内視鏡検査が行われた。その結果、精密検査の為の検査入院をすることになって、貴子はナースステーションの隣にある集中治療室へ移され、直ぐに点滴針が点滴瓶に接続されたり酸素マスクが着けられたりした。翌日の精密検査で最初に行われたのは、黄疸の有無と腫瘍マーカーの有無を調べる為の血液検査で、その次に、超音波を身体に当てその反響を画像化するエコー検査が行われた。引き続いて、造影CT検査、MRCP、ERCP、EUSなどがたて続けに行われもした。
その日の午後、担当医師が徐に、言い澱むように、苦渋に満ちた貌差しで、切り出した。
「結論から先に申し上げます。診断の結果は膵臓癌ですね。それもかなり大きな悪性細胞による進行癌です」
「えっ!」
貴子は激しいショックを受けた。一度に闇の底へ突き落とされたようだった。
医師は診断結果について詳しく話し始めた。血液中の膵酵素や腫瘍マーカーの値が異常であること、主膵管が拡張して小のう胞が見え膵臓周辺が不整に見えること、リンパ節や骨にも転移していること、採取した細胞は悪性で進行ステージはⅣbであり手術による摘出は不可能であること、等々を写真や画像を指し示しながら丁寧に話して聞かせた。
「手術によって病巣を摘出することは出来ないのですか?先生」
浅田が食い下がるようにして訊ねた。
「残念ながらここまで進行していると・・・」
摘出しても延命効果は無い、ということだった。然し、それはもう医師である浅田には十分に判っていることだった。
 貴子はひと時、哀しみ苦しみ、打ち沈んだ。死の恐怖に慄いて打ちひしがれもした。然し、彼女は仕事を辞めなかった。毎週一回、ジェムザールという抗癌剤の点滴注射をして仕事に通った。点滴は三十分程度で済んだので外来治療で十分に対応出来た。
 抗癌剤は癌細胞の分裂を妨げて細胞増殖を抑える働きがあった。が、それは癌細胞だけをターゲットにしている訳ではなく、通常の細胞にも影響を及ぼす為に、吐き気、嘔吐、脱毛等の副作用が発生したし、骨髄の造血細胞が破壊されて免疫力の低下や貧血、出血もしょっちゅう起こした。将に、治療効果と副作用が背中合わせの状況だった。
 貴子は放射線治療も受けた。放射線で癌細胞のDNAを破壊し、細胞分裂を抑える治療であったが、身体の外から放射線を当てるため、癌周辺の細胞にも少なからぬダメージをもたらした。ただ、放射線治療には癌の痛みを和らげる効果もあったのがせめてもの救いで、癌細胞の増殖を抑えて神経に対する刺激を少なくすることで痛みを和らげるようだった。
 抗癌剤の点滴と放射線治療を受けながら貴子は仕事を続けた。だが、癌細胞が骨に転移して神経を圧迫したり、腸管や尿管が塞がれて激しい痛みを覚えるようになった貴子は、神経の周辺にアルコールや鎮痛薬を注入されもしたが、遂に耐え難い痛みを訴えるようになって、最も鎮痛効果が高いモルヒネの使用を余儀なくされた。程無くして、頭にまで癌細胞が転移した貴子はベッドに起き上ることも出来なくなって、宣告された余命一年を待たずに、呆気無くその人生を閉じた。
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