18.狂った世界

文字数 8,081文字

 エルンストは誰かに呼ばれたような気がした。
 夜が明ければブロカーデへ向けて出立しなければならない。眠れぬ夜を一人自室で過ごしていた彼は、自分の内側から響いてきたような声が、忘れることのできない男の声だと気づいていた。エルンストは立ち上がり、何かに導かれるような気がして、屋外に出ると、回廊を通って、中庭へと出た。
 庭園の中央に使われていない小さな噴水がある。泉亭に水を入れなくなって久しい。しかし何故かそこに水がたまっていた。そのことに驚くよりも、それが不思議とは感じていない自分を(いぶか)しく思いながら、エルンストは近づいた。
 平な水面が風もないのにふいにさざ波立った。月の白い光が散り散りに砕けて光る。光は湧き上がるように水面を離れ、その上を乱舞し始めた。立ち止まったエルンストの前で、その光の柱は人の形となった。
「エテレイン」
 思うよりも早く、舌がその名を口にした。エルンストは自分の中で何かがぐらつくのを感じた。
 自分よりも年上のはずのその男は、三十年前と全く変わらぬ姿をしていた。艶やかな長い黒髪、均整のとれた体、湖を閉じ込めた青い瞳、表情の薄い静かな顔。その瞳には何の感情も現れてはいなかったが、じっと見つめられると、エルンストは動揺した。侮蔑、非難、憎しみ、嫌悪、そういった絶えがたい感情が見えるような気がした。
「私は……」
 思わず言葉を発した途端、エテレインは揺らめいて消えた。ほんの少しその表情が曇ったような気がしたが、わからなかった。
 一瞬後には泉は何事もなかったかのように静まり、彼がいた気配はどこにもなかった。それは自分の罪悪感が見せた幻影だったのだろうか。我に返り、自分が今何を言おうとしたのかに気づいて、エルンストは震えた。ずっと、見ないように心の奥底に秘めていたものが、否応なくあらわになった。
 三十年前のあの日、エテレインは何も言わなかったのだ。その瞳に、今しがた彼を動揺させた魔術師自身の感情などどこにもなかった。彼はただ静かな瞳で、ほんの少し哀しげな顔をした後、優しく微笑みさえした。決して、エルンストに対して怒りも嫌悪も憎しみも抱いてはいなかった。だから、エルンストは耐えられなかったのかもしれない。いっそ、怒って、憎んで、嘲ってくれればよかったのだ。先刻の幻のエテレインから感じた負の感情は、エルンストが自分自身に感じていたものだった。
「父上」
 稟としたよく通る声にエルンストは我に返った。振り向くとその声の持ち主に相応しいきりっとした容姿の彼の娘が立っていた。その表情にかすかな不審と心配が浮かんでいる。
「どうした」
 フューレンの心配をいなして、エルンストは穏やかに言った。彼の後を継ぐはずの娘は、すぐに父の立ち入るのを拒む気配を察し、軍人らしく、自分の私情を消した。
「陛下が、夜が明けたら参殿するようにと、仰せです」
 肉親にではなく上官に対する話し様で言う。
「陛下が?」
 意外な言葉を聞いてエルンストは戸惑った。魔術師ハイマより、ブロカーデ行きを命じられている。反逆者の排除と逃亡者の追跡がその目的であった。
「はい。ブロカーデへは代わりに私が向かうようにと」
 三十になる彼の娘は母親に似た整った顔立ちに、重要な任務を仰せつかった気負いからか、いつも以上に厳しいものを浮かべていた。
 この国の内部にある軍事的な脅威は、現王制に寄らない豪族と、直接的な反体制派の存在が主なものだった。今夏の蜂起の一掃により、その組織は壊滅状態に陥ったが、消滅した訳ではなく、変わらず危険の種として存在している。与えられた任務の重要性を、娘は承知しているのだろう。
 一瞬、話の内容よりも娘の風貌そのものに気を取られる。いつまでも彼の中では小さな子どものままのフューレンの大人びた様子にエルンストは喜びと誇りと一抹の寂しさも感じた。
 彼の一族は代々、王都軍に籍を置くことで王に仕える軍人の家系だった。彼の長男は三年前、今の娘の年齢で豪族との戦闘により辺境で命を落としていた。最初から娘が軍人の道へ進むことを望んでいなかったが、その事でさらにその思いは強くなった。
 が、娘は父の望みを受け入れず、また一族の伝統を受け継ぐべき子どもはもう彼女一人しかいなかった。数年の地方赴任を終えて、今年帰ってきた娘は一人の軍人として成長していた。これからは彼の元で王都軍の一員として働くことになる。将来はその家系と、そして地方での活躍ぶりが聞こえた程のその秀でた能力故に、軍の中枢を担うこととなるだろう。それはエルンストにとって誇りであったが、危険とも苦労とも隣り合わせなのだった。
「そうか」
「エーベンも同行致します」
 父親が何かを付け足す前に、フューレンは先回りして言った。エーベンはエルンストの従者の息子だった。エルンストに忠実に従う父親の命により、幼い頃よりフューレンのそばにいた。同い年の子ども同士は決して互いを主従の関係とは見なかったが、それでもその親たちは違う目で見ていることをフューレンを知っている。そして、父親の口から彼は一緒かと尋ねられる度にフューレンは自分が一人前として扱われていないようで、多少の屈辱感を覚えるのだ。
 そんな娘の心を察してか、エルンストは無言のまま頷いた。彼にとっては頼り無い娘でも、事実はそうではないことを知っている。ただまだ当分、そんな風に心配していたいだけなのだ。
 エルンストは娘の身を案じる気持ちをひとまずおいて、現実の問題に思考を切り換えた。何故軍の高位の指揮官である自分が外されたのだろうか。確かに次期王の戴冠式が間近であり、都の警備の重要性は日々高まっている。しかしそれは言うなれば警邏的な仕事であり、軍務の本質とは異なる。それにひきかえ、反乱者たちが関わったと見られるブロカーデで起きた殺戮と、エテレインの不明は重大な変事ではないのか。
 王が、いや魔術師ハイマが何を考えているのか、彼には量りかねた。もしかしたら、エテレインが絡んでいるために、自分は信用されていないのかとも思えたが、そのせいでブロカーデ行きから外されるとは思えない。むしろ昔親しかった自分がエテレインを狩る側になることは、あのおぞましい魔女の喜びそうな構図だった。三十年前のあの時と同じく。
 戴冠式か、とエルンストは考えた。その異例の戴冠式が行われるのは半月後の事だ。三十年前、全ては戴冠式に始まった。そして今またその王が王子に冠を委譲する戴冠式を目前にして、エテレインが消えた。何かその二つに因縁めいたものを感じるのは考えすぎなのだろうか。
 ざわざわと葉鳴りがした。そのざわめきに彼の神経が共鳴を起こす。夜の気配の中に血に似た匂いを嗅いだような気がした。胸騒ぎがし、将軍は珍しく不安を覚えた。それは自分の意思を通すことのできない大きな力の動きが起きている時に感じるものと同じだ。三十年前のような。
「お父様」
 ふいに、珍しく娘が昔ながらの呼びかけで彼を呼んだ。一人前と認められたい彼女は長くその呼び方を使っていなかった。物思いに耽っていたエルンストが娘の方を見ると、彼女の視線は彼の背後にある噴水の泉亭に向けられていた。
「いつ、水を入れたのです?」
 娘の言葉に驚いて、彼は振り返った。先刻見たエテレインの幻影と同じく、幻だと思っていた水が、現実にそこにあった。
 フューレンは泉に近寄り、不思議そうに水面を見つめた。ここに水が入っているのを見たのは初めてだった。彼女が生まれる以前からそこは潤いのない枯れた泉だったのだ。水を入れないのは父の意思であり、その理由は誰も知らない。それが今は心が澄むような清浄な水で満たされている。
 言葉を発しようとして、フューレンは父の顔を見上げ、はっとした。目を見開き口をかすかに開けた彼の顔に衝撃がはっきりと現れていた。父のそのような表情を、彼女は見たことが無かった。
「お父様」
 フューレンは思わず小さな娘の声で問いかけた。エルンストは呆然とした顔のまま、娘を見た。
「昔……」
 エルンストはポツリと呟いた。瞼を閉じると、魔術師の美しい姿が蘇る。
 エルンスト。
 声が泉の底から聴こえてくる。エルンストは寒けを覚えたように体を震わせた。
「この庭が好きな男がいた。彼は、この噴水のある泉が気に入っていて、時折、ここを訪れた。心が和むと、そう言って」
 瞳を開き、娘の少し心配そうな顔を見つめる。彼と同じ褐色の瞳に、誠実さと一本気な頑固さと、そして強い意思の力が見て取れた。娘には自分が父に育てられたのとは違う教育をしてきたつもりだった。因習と伝統、旧弊な家の誇りに固執して、過ちを犯してしまわぬよう。その目とその心で感じたことに、素直に従えるよう。自由に飛べる翼をその背につけていられるよう。愚かな父の代わりに、彼女は飛んでくれるだろうか。
 父親は静かに話す。娘はその声の奥に溢れそうな何かを感じていた。
「出発はいつだ?」
「夜が明けたら」
 父の問いに娘は答えた。
「そうか。夜明けまではまだ時間がある。昔話をしよう」

 魔術師の瞳に揺らめいた炎は一瞬で、すぐに消えた。後には元の、ぼんやりとした鈍い眼差しがあるだけだ。しかしフライハイトは確かにその瞳に何かが宿ったのを見た。その瞳の理性の蘇りを感じさせた力強さは、フライハイトの記憶の中にあるものと一致した。子どもの頃、マクラーンへの冒険でこの魔術師の瞳を初めて見たあの時、確かにこの青い瞳は生きていた。そこに、静かで強い意思の光があった。
 しかし、同意を求めたい気持ちで視線を向けたヴァールの顔には何も浮かんではいなかった。驚きも希望も失望も無く、それを見たのか、気付いたのかどうかさえ、わからない。フライハイトは再びもやがかかったような虚ろな瞳に視線を戻し、先刻の輝きは意味のない理性の残滓(ざんし)に過ぎなかったのだろうかと思う。
「フライハイト、急げ」
 ヴァールの声に我に返ったフライハイトは魔術師の体にまとわりついている残りのボロ布と汚れを落としていった。全ての布を取り去って、フライハイトは目を疑った。エテレインの下半身のその場所にあるはずのその性を象徴するものがなかったのだ。
「切られたんだ」
 そこを凝視したまま驚いているフライハイトに気づいてヴァールが説明する。
「き、切られた?」
 唖然とした顔で言葉をそのまま繰り返すと、反射的に下肢が緊張して、寒けが走った。
「これも刑罰の一つだ」
「罰? こんなことが?」
 フライハイトは思わず不快をあらわにして言った。刑罰には違いないのだろうが、それ以上に何か倒錯染みたおぞましさを感じる。罰というより、ただいたずらに彼を苦しめ、辱めるためのものという意味がそこにあるような気がした。
「魔術師の血は濃い」
 ヴァールが彼にしては優しい動きでそっとエテレインを泉の水で洗いながら言った。
「同じ家に魔術師が生まれやすいんだ。その血が子に受け継がれるらしい。必ずしもその子が魔術師になるとは限らないが、何世代か後に生まれる確率が高い」
 反逆者となったエテレインは、その血を残すことを許されなかった。高い能力を持った彼の血筋を、王とハイマは恐れたのだという。自分たち、或いはその子孫を脅かす存在が生まれる可能性を完全に取り除くために、生殖機能を奪ったのだ。
 再びフライハイトは怖気を感じた。魔術師の体に刻まれた憎しみの跡を見れば見る程に、恐ろしくなる。それでも彼らは魔術師を殺さなかった。何故なら苦しめるために。それほどの憎悪とは、どのようなものなのだろう。
「お前は誰かを憎んではいないのか?」
 フライハイトの心情を読んでか、ヴァールが静かに言った。フライハイトは痛ましげに魔術師を見つめていた瞳をヴァールに向けた。昔と変わらない不思議な瞳が自分を見つめている。
 憎しみ、とフライハイトは心の中でつぶやいた。自分は誰かを、あるいは何かを憎んでいいはずなのだ。しかしその言葉に響いてくるものは何一つなく、感情はしんと静まっている。どこの誰とも知れぬ人間に呆気なく妻と子の命は奪われた。村の人々、親しい人も大切な人も皆、無慈悲に殺された。その中で自分はただひたすら愚かで無力な存在でしかなかった。
 そして、生きてきた世界そのものが全て、自分の知らない秘密の中で作られていたものだと知ったことの衝撃は、並大抵のものではない。全てを失った。現在だけでなく、過去の全ても。その巨大な喪失感はフライハイトの体の中に大きな空洞を作った。
 その墓穴に似た空洞が、彼の心を冷やし、体を冷やしている。感情も一緒に凍ってしまった。憎しみも苦しみも怒りも、一緒に冷たい墓の中にある。
 憎いはずなのに。誰でもいい、何でもいい、殺したい程憎みたいはずなのに。死にたいほど哀しいはずなのに。そうした感情を激しく燃やすエネルギーは既にフライハイトの中に残っていなかった。
 ふと落とした視線の先でヴァールの拳が震えているのが見えた。視線を男の顔に戻すと、そこに表情はない。しかしその奥にヴァールの感情がある。それが何か、フライハイトにはよくわからない。厄災を連れてきたが故に自分に憎まれていると、ヴァールは思っているのだろうか。自分は彼を憎むべきなのだろうか。彼は自分に憎まれたいのだろうか。
「ヴァール?」
 名を呼ぶと、ヴァールはほんの少し身を震わせた。何かを言いかけたヴァールのそのうなじに手を伸ばし、ほとんど無意識のままその体を引き寄せた。たじろいだようにその体は震え、緊張したが、フライハイトは構わず友人を抱きしめた。ずっと昔、子どのころ、何度か小さな体でヴァールを抱きしめたように。
 ヴァールは頬をフライハイトの肩に押しつけた。まだ自分よりも小さかった頃と変わらないフライハイトの腕に背を抱かれ、瞳を閉じた。そのぬくもりを感じると、何かが胸からこみ上げてきて、ヴァールはきつく眉を寄せた。しかし、すぐに表情を消して瞳を開く。そのブルーブラックの瞳は泉の水面を見つめていた。底光りする輝きがその瞳の奥でぎらついていた。

「奴らは本当に都へ行くでしょうか」
 ミーネの部下が不安げに問う。ミーネは冷たい笑みを顔に浮かべて頷いた。
「必ず行くとも」
「しかし、魔物をどこかに捨てて、奴らも消えてしまう可能性は?」
 ミーネは少し考えるような顔をしたが、それはポーズのようだった。
「ヴァールがそんなことをするものか。あいつの望みは世界を変えることさ。我々と同じようにな。マクラーンの魔物、エテレインはそのための鍵なのだ」
 二人はブロカーデから脱出し、その足を都へ向けていた。しばらく行った先の町に拠点の一つがある。
「このままにしておくのですか?」
「難しいところだ。軍が動くだろうからな」
「軍が?」
「ああ。あの魔物は王にとっても極めて重要なのだよ。必ず魔物を取り返しにくるだろう。軍相手に、あの二人ではいかにも心もとないのは確かだが……」
 ミーネは少し遠くを見る目で言葉をと切らせた。
「ヴァールがどう動くのか見極めたくもある。もう少し様子を見ることにするか。奴らがうまく都に近づけるよう、後ろから支援した方がいいだろう」
「あのブロカーデの男はどうするのです?」
「フライハイト、か。彼は役に立つ。今どき、武術の心得があることが、この先何かの役割を持つかもしれん。それに、彼はあの村の生き残りだ。ただ一人のな。証人の役目を負ってもらわねば。それは重要なことなのだよ」
 ミーネは物静かな男を思い返した。家族と日常と、全てを奪った自分を憎んでいるだろう。ミーネはその憎しみがわかると思った。何故なら自分も偽物の世界に生きる寂寞(せきばく)を味わってきたからだ。全てが間違った世界の中で、どれほど足掻(あが)いても真実など生まれはしない。ブロカーデはその誤りの象徴とも言える村だった。たとえ、監督官の件がなくとも、消滅すべきものだったのだ。そこに住んでいる人々も含めて。何故なら彼らは誤りを受け入れ、それを忘れようとさえしていた愚か者たちなのだから。
 が、唾棄すべきブロカーデの村民の中で、フライハイトのことを思うと奇妙な感慨を覚えた。平和な村に生きてきたらしい一見、純朴な人触りでありながら、ただそれだけではない印象が残る。フライハイトの硬骨さを感じさせる静かな緑の瞳を思い出す。その瞳は今何を見つめているだろう。
「お前には先に都へ行ってもらう。迷宮からあの方をお連れ申し上げる準備を整えるのだ」
「はっ」
 部下はミーネにと言うよりは、与えられた使命の中にいる人物に対して、深く頭を垂れたようだった。
 目の端でそれを見ながらミーネは冷笑を浮かべた。

 フライハイトはヴァールの指示で家から持ち出した衣服を袋から出した。防水処置を施している革袋に守られて、服は濡れてはいなかった。しかし、無意識にマクラーンの魔物は魔女だと思っていたので、妻の衣服を持ってきてしまった。
「かまうもんか。本人は気にしやしないだろうし。それに、女のなりをさせていた方が都合がいいかもな」
 ヴァールは面白がるように言った。
「どうするつもりなんだ? この人を」
 そんなヴァールに少し眉をひそめてみせながら、フライハイトは訊いた。考える暇もなく村を脱出し、ここまでやってきたが、これからヴァールがどうする気なのか、全く知らないことに今更ながら気づいた。
 ヴァールは黙ったまま、フェルトの衣服を魔術師に着せた。男のエテレインには袖も裾も丈が短く、その割に痩せ細っているためにだぶついているのがひどく不格好だったが、当然ヴァールはそんなことを気にはしないようだった。自分が持ち出してきた深い草色のドレスは確かに妻のもので、それを染めたのも縫ったのも彼女だった。それを見慣れぬ人間がいかにもぎこちなく着ているのは奇妙な光景だった。その本来の持ち主は、土の中にいるというのに。
 感傷が胸に寄せてくるのを感じて、フライハイトは急いで思考を切り替えようとしたが、遅かった。一体、自分はここで何をしているのだろう。夜中に見知らぬ土地の泉のそばで月の光を浴びながら、十年前に消えた友と、妻の服を着たマクラーンの魔物と共に。家に帰れば、フェルトとバルトが待っているような気がするのに、家も家族も村さえも既になく、そして自分はこれからどうしてよいのかも、何をするべきなのかもわからない。そしてもっと悪いことに、何もしたいとは思わないのだ。
「フライハイト」
 呼ばれて、フライハイトはヴァールを見た。男はぼんやりしていたらしい自分をじっと見つめていた。
「都へエテレインを連れて行く」
 ヴァールが答えた。
「何のために?」
 その疲れた虚ろな声の問いに、ヴァールは再び黙り込んだ。フライハイトの様子にたじろいだせいではなく、答えを探して考え込んでいるようだった。
「狂った世界を、元に戻すために?」
 ヴァールは誰かに問うような口調で言った。彼自身も、何をするべきなのか、はっきりしていないのだろうかとフライハイトは思った。
「狂った世界?」
 フライハイトは無気力に呟いた。確かに今、自分が狂った世界にいる気はした。突然、殺戮者たちが村へ現れ、全てを破壊し、マクラーンの魔物とヴァールと共にここまで逃げてきた。そのこと自体が十分狂っているような気がする。フライハイトにとってそれ以前の生活が正常な世界だったのだ。
 しかしヴァールに言わせれば、それは既に狂った世界ということらしい。それを元に戻すということが、どういう意味を持つのか、わからない。けれど、狂った世界がどうなろうとも、元の生活は永遠に戻らない。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み