22.二人の王子

文字数 7,323文字

「三十年前のことになる」
 フューレンは父から聴いた物語を語り始めた。フライハイトにはそれを聞く権利がある。あの村の生き残りなのだから。
「三十年前、兄弟の間で繰り広げられた王位継承権争いの、そもそもの始まりはさらにさかのぼり、今から五十七年前、第一王子ファステンが誕生した事に発している」
 父から聞いた国の歴史は、その年月よりもひどく昔に思えた。国民のほとんどは、三十年前に何があったのか知らされず、歴史は現王デュランに都合の良いように伝えられている。その一つは、デュランこそが正当な唯一の王位継承者であり、第一王子であるというものだった。本来の第一王子ファステンは、側室アーデインの産んだ不義の子として、歴史の闇へ葬りさられた。
「待望の世継ぎの王子であったファステン様の母、アーデイン様が側室でなければ、そしてその七年後に正室のシェーレ様が王子を生まなければ、争いは起きなかったのかもしれない」
「それはどうかな。そもそもこの国の王室では、母親が誰だろうと、最初に生まれた男子が世継ぎと決められている。それが原因で争いが起こる必然はない」
 ヴァールがそっぽを向いたまま口を挟んだ。
「確かに。この国ではその腹に関係なく第一王子が王位継承者と定められている。それは揺るがない決まりごとのはずだった」
 そう。決まりごと通りに事が進んでいれば、父は苦しまずにすんだのだと、フューレンは思う。そのことを哀しく思いながらも、父が自分の心に従って行動できなかったことに対し、怒りにも似た混乱を彼女は感じてもいた。それはエルンストが、個人的な疑念を無視し、友情を捨て、己を殺してまで家のしきたりに準じたことに対する、かすかな憤りであった。しかし、それは決して愛する父に対して抱いてはならぬものとして、無意識に心の奥底におしこめてしまったものだった。彼女もまた父の物語を聞いた時から、父に対する尊敬と、あってはならない負の感情との狭間で混乱し苦悩していた。
 フューレンはあふれそうな感情を押し止め、話しを続けた。
「だが結局は、この二人の王妃の憎しみが争いの元になった。
 前王は政略によって結ばれた妃シェーレ様を(いと)い、側室であるアーデイン様を愛したのだ。二人の妃は互いを憎み合っていた。シェーレ様は王の寵愛を受け、第一王子を産んだアーデイン様を憎み、側女から宮に入ったアーデイン様は素性の卑しい女と蔑まれ、どう足掻いても正室にはなれぬことで、シェーレ様を憎んだ。王子の身分は保証されていたが、例え第一王子の母であっても、側室は正室の下の位と定められていたからだ。そして王が身罷(みまか)れば、妃という身分も失うことになる。アーデイン様は何がなんでも自分の息子を王にしなければならなかった。そしてそれは平穏に事が運べば、彼女の望み通りになるはずだった……」
 しかし、シェーレはそれを許さなかった。王子が成長するに従い、次第に宮廷内の権力の構造は二つの派にわかれていった。
「何故? しきたりがあるのに?」
 フライハイトは訊いた。フューレンの語る物語に引き込まれていた。
「結局、原因は王なのだ」
 フューレンは冷たく言った。父は、前王ラオネンに対する不信をその表情に(にじ)ませていながら、言葉にはしなかった。その娘は父の思いを理解していた。
「王が態度をはっきりさせていれば、事態はそれほど混乱しなかったかもしれない。しかし、王の関心は次代にはなかった。母親が誰であろうと、第一王子も第二王子も等しく王の関心をひかなかったのだ。ラオネン王は、己の快楽だけを愛した人間だった」
 二人の妃の仲が修復できない程に歪んでしまった頃には、シェーレだけでなく、アーデインもすでに別の側室に心を変えた王の関心から離れてしまっていた。
「その頃から、第一王子ファステン様にまつわる奇妙な噂が流れ始めた。ファステン様は王の息子ではないというその噂は、シェーレ様周辺の者たちから流されたことは明白だった。恐らくその頃からすでに、今現在真実のように語られている歴史の下地が作られはじめていたのだろう。第二王子デュラン様を立てるには、ファステン様から“第一王子”という王位継承者としての正当性を奪う必要があった」
「だが、話を聞いていると、正妃が王の子を産んだという方が、どうも疑わしいような気がするが」
 フライハイトは言った。フューレンはその率直な感想に少し微笑んだ。笑うと剣士の顔に美しい女の顔が戻る。
「そう、もっともだ。事実、逆に王の寵愛を受けたことのないシェーレ様が、王の子どもを産めるはずがないという噂も流れた。それからというもの、二人の妃、二人の王子に関する様々な卑しむべき噂が宮廷中を飛び交うようになり、彼らを支持するそれぞれの陣営の対立は悪化する一方だった」
「そうなっても前王は何もしなかったのか?」
 フライハイトは首を傾げながら言った。いくら享楽主義的で自分本位の王でも、一族の土台を揺るがしかねない対立の危険性がわからないはずはなかろうし、それをいたずらに放っておくというのは解せない。それとも、それすらどうでもいいほど、王は荒廃していたのだろうか。
 フューレンはしばし黙り、その綺麗な形の眉をかすかにひそませた。
「争いが起こったのは、王の無責任な態度にあったのは事実。が、それ以上に、ただ一人の王付き魔術師ハイマ様がシェーレ様と第二王子デュラン様を支持していたことが大きかったのだ」
 ハイマ、その名はフライハイトの中でも忌まわしい響きを持ち始めていた。
「何故? そのハイマという魔術師はしきたりに従わなかった?」
「しきたり通りなら、第一王子を支持することが道理だった。が、王の妃としてシェーレ様を選んだのがハイマ様自身だったこと、側室として収まっているアーデイン様が元はご自分の側女であったことが原因ではないかと言われている。が、本当の事情はわからない」
 誰にもあの魔女の心などわからない。フューレンの顔に険しいものが宿った。一度だけ、魔女と呼ばれる魔術師に拝謁したことがあった。その時の、何ともいえない感覚が蘇ってくると、肌が粟立った。
 ハイマはどんな者でも、その心を少なからず波立たせるほどに美しい女だったが、その美貌には、不安を呼び起こす類の禍々(まがまが)しさが宿っていた。王付きの魔術師らしく威厳のある立ち居振る舞いと物腰であったが、どこか崩れた感じがあった。それが、おそらく女である者にのみ感じられるものであることに、フューレンは嫌悪を覚えたのだ。そして魔術師は、そんな自分の心を見透かすかのような、ねっとりとした視線を向け、侮蔑の混じった笑みをその白い顔に嫣然(えんぜん)と浮かべた。彼女のことを思い出すと、その視線が今も自分をどこからか見ているような気がして、フューレンは知らず身震いした。
「ハイマ様はあからさまに第二王子デュラン様を庇護した。それにより、宮廷に召し抱えられていた魔術師たちは皆、第二王子寄りとなってしまった。断然有利であった第一王子の立場は、ハイマ様の動向によって危うくなってしまった」
「魔術師たちは何故ハイマに従うんだ?」
 ハイマ自身にどのような思惑があろうとも、他の魔術師がそれに従う道理はないとフライハイトは単純に思った。それともハイマという魔術師は、それだけの影響力と力を持っているということなのだろうか。フューレンはそれを肯定した。
「王宮には十人程の魔術師と呼ばれる人々がいる。その中で王付きの魔術師になれるのは、能力と才能を持ったただ一人のみ。つまり王付の魔術師は唯一絶対の存在という訳だ。王と魔術師は対のもので、魔術師そのものが王の権威の象徴と言ってもいい。だから王付の魔術師は王に匹敵する権力者となりえる。ハイマ様に楯突くとは、王に楯突くのに等しい。
 が、第二王子を立てる魔術師たちの中にあって、ただ一人、若き魔術師エテレインだけがハイマ様に迎合せず、第一王子ファステン様に付いた。ハイマ様は誰もが王以上に恐れる権力者である自分に、公然と逆らうエテレインを憎悪した。エテレインが次期王付魔術師となると噂される才覚の持ち主であったことが、余計に彼女の怒りを煽り、さらに王が彼にただならぬ関心を寄せていたことが、ハイマ様の憎しみを増した」
「王が?」
 フライハイトは眉を寄せた。
「前王は、美しい人がお好きだったそうだ。性別を問わず」
 フューレンは口にするのも憚られるというように、不快げに顔をしかめて言った。そしてその視線を再び魔術師に向けた。その顔は、与えられた辛苦により外側も内側も傷ついていたが、それでも十分にその美貌を伝えている。恐らく、かつてはさぞかし美しかっただろう。父が夢のように、と形容したほどに。
「そのことにより、エテレインの様々な噂が流れた。その才により王を魅了したのではなく、その美貌と肉体により関心をひき、王と忌まわしい関係を結んでいる。或いは、第一王子と忌むべき関係を持っている。或いは側室アーデイン様の若いつばめであるなど、ありとあらゆる下卑た噂に魔術師はさらされていたが、彼は一切それを否定も肯定もせず、そして気にすることもしなかった」
 エルンストは言った。その当時のエテレインの様子は、ただただ純粋な忠誠心と信念を第一王子に捧げていたようだと。
 エテレイン自身は石のように黙して、その意思の所在を明らかにしなかった。が、若く高潔な魔術師は、ファステンが王になることを信じて疑っていないようだった。まるでそうなることだけが正義であるかのような、盲目的なまでの信念がエテレインにはあった。それが如何なる心から生まれたものか、誰も理解できなかった。その才を万人に認められていた魔術師に野心がなかったとは言えないが、しかし利己的な思惑よりも、もっと別の衝動がエテレインの中にあったような気がすると、エルンストは娘に語った。
 しかし現実は、エテレインを裏切った。
「王が呆気なく崩御し、内乱が起こった」
「第二王子派が起こしたわけか」
「違う。内乱を起こしたのは第一王子派だったのだ」
「何故? 派閥がどうであれ、王が死ねば第一王子が即位したのだろう? それを阻むか、王位を奪うために第二王子が乱を起こしたのじゃないのか?」
 フライハイトは剣士に問いかけた。剣士の視線がエテレインに向けられているのにつられ、フライハイトも視線を落とす。腕に抱いている魔術師は瞼を閉じていた。眠っているのか、身じろぎもしない体は生きている者の温もりがある。
「確かに、戴冠の儀が行われるその時までは、王位を継ぐ者は第一王子とされていた。しかし、戴冠式においてハイマ様が継承者として宣言したのは、第二王子デュラン様だったのだよ。魔術師が言うには、王が死の床で残した命であったという」
「王の命?」
「そうだ。王の最期を看取ったハイマ様が、王の言葉としてそれを宣したのだ」
 父がその時のことを語った際の表情を、フューレンは思い返した。峻厳でありながら、苦痛の滲んだ複雑なその顔を。その時から父の運命は、歪み始めたのだ。
「そんな、馬鹿な」
 フライハイトは驚いたように目を見開いた。
「それを、王の言葉を聞いたのはハイマだけなのか?」
 そうであれば、何とでもなるではないか。王の命などあってなきに等しい。
「いや、そうではない。臨終の際にはもう一人、大司祭アゴーニア師がいた。その大司祭が、ハイマ様の言葉を肯定したのだ」
「その大司祭という人物は信用に足る者なのか?」
 フライハイトが問う。宮廷の中が二分されているのであれば、大司祭もどちらかに寄っていたのではないか。そこに単純な謀略があったのではないか。
「司祭というのは政治的権力から離れた存在であり、完全に中立の立場に置かれている。意図的に、どちらかに有利なように行動することはない。とはいえ、司祭という存在そのものが、魔術師に寄っているとしても不思議ではない。彼らは名称が違うだけで、魔術師と同じ類の人々なのだから」
 そう言ったフューレンの物言いと表情にそれまでになかった奇妙なものが過るのをフライハイトは見逃さなかった。似たようなものを、どこかで見たような気がしたが、何であったかははっきりとつかめない。
「ならば、その者が権力を持った魔術師であるハイマに有利に動いた可能性もあったと?」
「いや。アゴーニア師は司祭の長だけあって、高潔の人として名を馳せていたそうだ。どちらかといえば、王を差しおいて権力を揮っていたハイマ様に対し、否定的であったとも言われている。それ故、逆にハイマ様の意に添った王の命を否定しなかったことは、それが真実であるという印象を人々に与えた。
 事実はどうであれ、第一王子派は不意を突かれた形で成す術もなく、戴冠式はそのまま執り行われてしまった。異論ある者がいたとしても、それについて人々が吟味する時間もなく、ハイマ様の権勢に敢えて逆らおうとする者もなく、第二王子であるデュラン様が即位した。その後、当然というべきか、第一王子派が反発した。それまでに蓄積されていた互いに対する憎悪の念が内乱に発展した。しかし第一王子派は王の命に逆らった者として反逆者の(そし)りを受けることになった」
「反逆者、か」
 ヴァールが馭者台で背を向けたまま呟いた。フューレンとフライハイトは、沈黙でそれを受けた。ヴァールが嘲りを含んだ声音で続ける。
「それで、お前の親父は、第二王子についたという訳だ」
 フューレンの眉が引き寄せられる。ヴァールの背を見つめるその瞳に殺気に似たものがちらついたが、剣士はすぐに疲れたように視線を逸らし、眠る魔術師を見つめた。
「父エルンストは、家命に従ったのだ。我が一族は代々王の元に忠誠を誓う。王が命じたことであれば、それはすなわち正義なのだ。父はそれに従ったまで」
 そう言いながら、フューレンはその言葉の虚しさをひしひしと感じていた。
「お前は、どうなんだ? その一族の血が流れているんだろう?」
 ヴァールの問いに、フューレンは黙る。今現在既に、王の命――実際にそれを下したのはハイマであっても――に背いている。何故なら、彼女は自分が自分の心の導くままに従うことが正しいと信じていた。逆に道理を曲げても王に従うという、妄信的な一族の考え方を、彼女は理解できず、受け入れることもできない。その一族の典型的な人間である父は、一族の掟と感情の狭間で苦しんだ挙げ句、友と敬慕した人間と敵対する立場を選んだ。
 それは裏切りなのだろうか。フューレンは思う。父は裏切りと感じている。何故なら、少なくとも王の命が下るまでは、エルンストはエテレインと共に、伝統に従って第一王子を擁護していたのだから。そして父自身は、第二王子の王位継承に不審を覚えていたのだから。父は、エテレインと、自分自身とを裏切ったことになる。
「父は、この方の友だったのだ」
 フューレンは深い哀しみを滲ませた声で言った。エルンストは三十年もの間、悔悟を抱えて生きてきた。
「内乱は呆気なく第二王子派の勝利で終わった。王の命とハイマ様の存在により、勝ち目など有るはずはなかった。彼らは逆賊として捕らえられ、処刑された」
 その一部の人々がブロカーデに移され、魔術師を生贄として小さな平和の中に暮らしていたのだった。
「たとえ、こいつが正常だったとして、一体何を確かめるつもりだったんだ?」
 ヴァールが問う。その抑揚のない声の中に、再びヴァールの感情が抑えきれず滲んでいるのをフライハイトは感じた。
「親父の背信を許してくれるかどうかでも?」
 黙ったままのフューレンにヴァールが言った。フューレンの頭がぴくりと揺れた。剣士の動揺をフライハイトは感じたが、ヴァールは容赦のない言葉を続けた。
「“悪気はなかったんだ。ただ自分の利益を優先させただけなんだ。皆そうしてるだろう? だから許してくれないか?”とか?」
「父は利益を優先させた訳じゃない。ただ一族の――」
「一族の掟か? お前はさっき王の命がすなわち正義と言ったな。正義とは正しい者にあるのではなく、勝者にあるのさ。お前たちの一族の掟である“正義を遵守する”というのは、ただたんに勝者になりえる強い者につくということだろうが。大した正義だな」
 フューレンは腰を浮かし、怒りの滲んだ瞳でヴァールを睨んだ。ヴァールの他人を傷つけることを躊躇わない揶揄と侮蔑を含んだ物言いは珍しいものではない。が、ヴァールの心の揺れは、言葉の刃を受けているフューレンより強いのではないかと感じた。
「ヴァール?」
 フライハイトは静かな声で友の名を読んだ。横顔だけをこちらに向けていたヴァールは、表情を強張らせると黙り込み、怒ったように顔を背けた。
 フューレンは憤りと共にゆっくりと息を吐き出し、浮かせた腰を荷台に沈めた。胡座をかいて背を丸める。視線の先の魔術師の夜闇の中にも白い顔を見つめる。彼女の父にとって、年長の魔術師は友であると同時に密かな憧れの対象でもあった。魔術師の、王子に対する鋼のような揺るぎない忠誠心を感じる度に、若い心が熱くなったと父は言った。しかし、この魔術師の神秘性と美貌、知性、品格に、このエテレインという人そのものに、若き日のエルンストは惹かれたに違いない。父が物語る言葉の端々に、本人は恐らく意識してはいないのだろうが、それを感じた。
 が、父のそうした思慕も苦悩も、ヴァールが言うように、許しを乞うことさえも、裏切りという事実の前には、全てが無為なのだとフューレンは悟った。父を苦しみから解放させるために、魔術師に何かを確かめようなど、愚かなことだ。父にとっては過去の清算であっても、エテレインにとっては、今もなお三十年前から何も変わってはいない現実なのだ。無残な魔術師の姿がそう語っていた。
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