13.外へ

文字数 5,644文字

 埋葬が終わり、短い別れを声無く胸の中で刻み、フライハイトはその場から立ち去る前に、彼が十三の歳に死んでしまった父親の墓に視線をやった。妻と子どもたちの魂を守って欲しいと心の中でつぶやいた。家族は全て自分とは違う場所へ行ってしまった。
「お前は親父に似てるな」
 何を思ったのか、フライハイトの視線を追ってヴァールがぽつんと言った。小さくて華奢だった子ども時代のフライハイトは、長身で(たくま)しい肉体を持っていた父親とは似ても似つかなかったが、成長するにしたがい、見た目の差は急速に縮まった。若くして死んだ父親の姿が村人の記憶に残っていたために、今のフライハイトは彼にうり二つだと言われるようになった。が、ヴァールが言ったのはそういう意味だけではなかったかもしれない。
 父親は一風変わっていた。人づきあいをほとんどせず、他人に対して無関心のようで、村人たちと自治体で決められた行事以外に、必要以上の交流を持つことはなかった。そして、彼の父親は他の村人に対するのと等しく、ヴァール親子にも特別な感情を見せなかった。それはつまり侮蔑や嫌悪といった村の大人たちが彼らに抱いているものを唯一人、持っていなかったということだった。
 それでも、他人に対する共通した無関心故に、ヴァールの父トゥーゲントが死んだ時、その遺体を埋葬したのが父親だったことをフライハイトは不思議に思ったものだ。その死体を野ざらしにしておくわけにはいかなかったのかもしれない。誰かが片づけなければならないとすれば、息子同士が親しくしていた自分の仕事だと思ったのだろうか。寡黙(かもく)で愛想のない男だった彼の父は、フライハイトに何も語らぬまま、トゥーゲントの死から程なくして病で呆気なくこの世を去った。
 トゥーゲントの墓は彼の父の墓から少し離れた場所にぽつんとあった。二人は同じ頃、父親を亡くしたが、フライハイトにはまだ母親がいた。ヴァールは文字通り天涯孤独の身の上になったが、彼はその前から孤独だった。
 今、フライハイトも同じく全ての家族を失った。悪い夢はまだ()めない。本当にこれが夢であったなら、どんなによかっただろう。
 墓地から出るとヴァールに(うなが)されて、足早に馬車まで戻った。それはヴァールによって村の中央に運ばれていた。馭者台に乗り、ヴァールが手綱を持つ。
「どこへ行く?」
 村の出口に向かうものと思っていたのが、その反対の森へと進み出したのでフライハイトは驚いた。
「あっちからは出られない」
「出られない? 何故?」
「あそこから自由に出入りすることはできないんだ」
 これまでと同様に、ヴァールが何を言っているのか、フライハイトには全く理解できなかったが、今それを説明する余裕がないことはその表情からわかった。それにフライハイト自身、混乱し、ひどく疲れてもいて、追求する気力が起きなかったし、何かを考えるということが苦痛だった。なすがまま、ただ座っているしかなかった。
 自然、視線は村の様子に目が行く。静まり返ったそこに、生きているものはいないようだった。リンドの家が通りの向こうに見えた。彼もまたすでにこの世の者ではなくなっているのだろう。状況からそれが事実だとわかっていたが、現実感がなかった。悪夢の感覚は消えず、むしろ彼はそう思いたがっていた。
「一体、どうなっているんだ……」
 フライハイトはぼんやりとした顔つきでつぶやいた。ヴァールはさっと視線を周囲に渡らせた。
「水だ」
 フライハイトはこの虐殺の理由を知りたかったのだが、ヴァールは別の意味にとらえたようだった。しかしその言葉で、村人が妻や子と同じように薬によって殺害されたことがわかった。村の家々では水は外の瓶にためおいている。その中か或いは井戸に薬を入れさえすれば、ほとんどの人間が水を口にし、死に至る。生き物の気配がないわけだった。
 何故、このような仕打ちを受けなければならないのか、わからなかった。わかるはずもない。あの侵入者たちはマクラーンの魔物が目的だったはずだ。それを手に入れるために村人を全て殺す必要など無い。
「魔物を連れ出すと騒ぎになる。少しでもそれが都に伝わるのを遅らせたかったんだろう。誰が監察官なのかわからないからな。村人を全て殺してしまえば、少なくとも次の当番の日まで、時間が稼げる」
 ヴァールは手綱を操りながら言った。馬車は村人がほとんど使うことのない道を進み、ほどなくして森を抜けた。
「監察……官?」
 聞き慣れない言葉に戸惑っていたフライハイトは、突然開けた視界に目を奪われた。前方に大海が広がっていた。大人になってからブロカーデ村の周囲が海に囲まれていることを知ったが、こうして目の当たりにすることは滅多になかった。唯一の機会は年に一度の「当番」の日、マクラーンの丘の頂上で目にする他は、村の中にいて海を見ることなどできなかった。事実、「当番」のない女たちは海を知らない。
 かつて、海の見える眺望を求めて何度か森の向こうへ行こうと試みたが、必ずあの壁が前方に立ちふさがり、先へ進めなくなった。ブロカーデは海のそばにありながら、海とは隔てられていた。
 ヴァールはどんな道を行ったものか、それは遮る壁のない開けた場所だった。ただし、その先は切り立った断崖絶壁になっていて、その向こうに青い空にとけ込むような青い海が広がっている。その展望は、一瞬呆気にとられるほど広大で、そしてフライハイトの気持ちとは縁遠い屈託のない明るさを持っていた。
「こんな場所を、いつみつけたんだ?」
「俺はお前よりも、時間があったからな」
 ヴァールは答えたが、ほんの少し皮肉っぽい調子があった。確かに十代の頃、シューレや修練場に通い、父親が亡くなった後は家の仕事も増えたフライハイトよりもヴァールは好き勝手に過ごせる時間が多かった。その間、彼は一人きりで村の周囲を探索していたのだろう。
 馬車が止まった。そこから先は馬が進めない荒れた岩場が広がっている。ヴァールは馭者台から飛び下りた。フライハイトも後に続く。ヴァールは素早く荷台に乗り、魔物を抱き抱えて降りてきた。
「つれていくのか?」
 訊くまでもない問いに、ヴァールがうなずくのを見て、やはりこの魔物が全ての出来事の中心にあるということを、フライハイトは改めて知った気がする。
 既に行き先を決めているらしいヴァールについていくと、比較的海に近い場所にたどり着いた。それでもまだ高さはかなりあったが、すでに降りるための綱が垂れ下がっていた。ヴァールが言うように村の出入り口が使えないのなら、こちら側に入る時に使ったものらしい。
 ふと、フライハイトは自分のその考えに引っ掛かりを覚えた。「こちら側」がこのブロカーデの村なら、「あちら側」は村の外だったが、単純にそれだけではない区切りが自分の心の中に、そして実際にこの地にあるように思える。
 ヴァールがフライハイトを振り返り、わざとらしくしげしげと上から下まで見つめ、納得を示すようにうなずいてみせた。
「お前なら、これを背負って余裕で降りられるな」
 “これ”とは魔物のことだ。フライハイトは断崖の下を覗き込んだ。魔物を背負うことの問題以前に、そこから降りること自体たやすいことではなく、フライハイトにはそうした経験がなかった。さらに、無事に降りられたとしても、下に広がる岩場はいかにも複雑に入り組んで足場が悪そうだったし、何より打ちつける波は造形の複雑さのせいか、意外に激しい。人などあっと言う間にさらっていきそうだ。
 そもそも、こんな場所を降りて、どこへ行こうというのか。周囲に舟を接岸できる場所などなさそうだったし、その舟自体も見当たらない。もっともフライハイトは舟自体を知識でしか知らなかったので、ここからは見えないどこかに隠されているのだろうかと思う。何にせよ、一体これからどうするというのだろう。
 ともかく、魔物を背負うということについては、確かに痩せて背ばかり高く、何となくひ弱そうに見えるヴァールよりも、力仕事に慣れている自分の方がまだましだろうとは思う。それにヴァールがここから降りなければならないとういうのなら、他に選択肢はないのだろう。フライハイトはすでに腹をくくっていた。そういった自分の決定方法が、昔からヴァールにくっついてまわっていた頃のままであるのを思い出す。
 フライハイトは魔物を背中に背負い、縄で厳重に固定した。その重みがほとんど感じられないことに、少し恐れを抱く。この生き物の命はやせ細り、すり切れて、消えかけているのではないかという気がした。
 自分が降りるルートに(なら)えと言って、ヴァールが先に行く。言われた通り、その後をフライハイトは慎重にたどった。あらかじめヴァールは周到に準備していたようだった。途中、途中に手を掛けたり足掛かりにするための鉄の(くい)を打ち込んであった。それだけでもかなりの手間が必要だっただろう。フライハイトはヴァールが一体いつからここに来たのか、そしてその時、今のような事態をすでに想定していたのだろうかと考えた。
 もしそうなら、この今の村の運命を変えることはできなかったのかと思うと胸のあたりがざわついた。その拍子に片足をすべらせる。その音に振り返ったヴァールの表情が強張ったのを見て、フライハイトが大丈夫だとうなずき返せば、男はふいっと顔をそらした。フライハイトはゆっくりと深呼吸をし、今は考えないと決めた。
 鉄の杭と縄を頼りに体を支えながら、ゆっくりと降りていく。下から呼びかけるヴァールの指示に忠実に従って、断崖の半分までに達する。打ちつける波の飛沫が体に振りかかってきたが、少し周囲から窪んだ場所のせいで、その勢いはあまり強いものではなかった。
 ヴァールがそのルートを熟知している様子から、彼が何度かそこを試しているのが(うかが)えた。打ち込まれた杭の中には最近ではなく、かなり前に使われたらしい()ちかけた残骸や腐った木片などもあることから明らかだった。何とか無事に下へ着いた時、フライハイトは訊いてみた。
「もしかして、十年前に村を出た時にも、ここを使ったのか?」
 ヴァールはフライハイトの背に背負われた魔物の様子を(うかが)いながら、ちらりと暗青色の瞳を向けて、(ゆが)んだ独特の笑みを見せた。
「ああ。一番安全なルートを探して、何度か試してみた」
 つまり、その頃からヴァールは村の出入口が使えないということをすでに知っていたということになる。出入口が使えない、その事実がいまだにフライハイトには理解できなかったが。そもそも、出入口という表現が妙だ。どこからでも、村の外へ出られる筈ではないか。
「あいつらも、ここを使って村に入ったのか?」
「いや、違う。俺は教えていない。多分、魔物の食事の樽に潜んで入ったんだろう。信じられないことに」
 ヴァールは言ってにやりと笑ったが、すぐにつまらぬげな顔に戻った。その瞳が暗く沈んでいる。フライハイトはそんなヴァールを見ながら、彼らが最初、自分の家に現れた時、すでに独特の腐敗臭と洗剤の匂いをさせていたことを思い出した。
「こっちだ」
 ヴァールに導かれ、フライハイトは後を追った。ごつごつした不安定な足場に加えて、所々海苔状のものが張りついて(すべ)りやすい岩場はかなり危険だった。加えて時折背丈をはるかに越える高さに盛り上がった波がまともに打ち寄せてくる。初めて知る波というものの強さに、フライハイトはおののいた。油断をすれば海に引きずりこまれそうだった。
 最初、フライハイトは背後に背負った魔物が波をまともに被るのを気にして、なるべく海側を向いて進んでいたが、そんな余裕はすぐになくなった。
「大丈夫だ、そいつは波に打たれたくらいじゃ死にはしない。気にせず壁につかまれ。それに波で汚れが落ちて丁度いい」
 懸命に魔物をかばおうとしているフライハイトにヴァールが事も無げに言う。あの過酷な状況を生き抜いてきた存在であるなら、少々のことで死にはしないということなのだろうが、背負った肉体の頼りない重みは十分フライハイトを不安にさせていた。それに、波が自分の肌を打つときに感じる痛みと同じものを、魔物が感じていないとは言えない。フライハイトはヴァールのその言いようにかすかな反発を覚えると、むきになった。忠告をきかないフライハイトにヴァールは苦笑した。
 岩場は時折途切れている箇所があり、(かぎ)型の鉄杭がついた縄を先の岩場に投げて引っかけ、それを頼りに海に腰まで浸かり、半ば泳ぐようにして渡ることもしばしばだった。
 ただ必死でヴァールの後を追い、どれほど進んだのか、どれだけ時間がたったのかわからなくなる。フライハイトは黙々と体を動かしながら、十余年前、ヴァールはたった一人で、この先に何があるかもわからないまま、ここを進んだのだろうかと考えていた。ただもう村へは戻らないことだけを心に決めて。
 困難な道は延々と続くかに見え、体力と精神力が消耗しているのを感じ始めた時、断崖に大きな裂け目がある場所に到達した。陽日がすでに傾いていた。
 ヴァールは一度フライハイトの方を振り返り、確認すると、無言のままその中へ入っていった。フライハイトも続いてその横穴に足を踏み入れた。岩を裂いている亀裂は遙か頭上まで伸びていたが、中は人が一人通れるほどの幅しかなかった。フライハイトは本能的な恐れと不安を覚えて足を止めた。その先はそれまで嗅いだことのない臭気と湿った空気に満たされ、光の全くない暗黒があった。
 それでも、先をヴァールが進むのなら、自分も行くしかないのだとフライハイトは思った。
 何がその先にあろうとも。
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