4.魔女の子(1)

エピソード文字数 9,665文字

「相変わらず、熱心だな」
 リンドが声を掛けた。一人黙々と柔軟運動を続けながらフライハイトは瞳だけでわずかに笑った。修練場に来てフライハイトを見かける度に、リンドはまずその言葉を口にする。
「他には誰もいないんだな」
 これはその次に言う言葉。その言葉通り、広くはない修練場にいるのはフライハイトだけである。ただ、修練場を囲う低い塀に張りついている数人の小さな見物人たちはいる。彼らはその年頃の少年らしく、フライハイトの鍛えられた体を憧憬の瞳で見つめていた。
 ブロカーデは人口三百人足らずの小さな村だったが、若者たちによる自警団が存在する。もっともここ数年、或いはそれ以上、犯罪らしい犯罪はなく、他地域との暴力騒ぎや衝突などもなく、平和そのもので、自警団本来の活動は一度としてなかった。そのため、村の決まりとして十八から三十才の男は必ず入団することになっているが、若いグループの社交の場としてしか機能していない。
 日々の取り組みとして、村に古くから伝わる体術を習い、鍛練することが義務づけられてはいたが、平和で刺激のない村では、簡単な型を覚えただけで、ほとんどの男たちは満足してやめてしまい、実戦的な技術を身につける者はまれだった。
 が、フライハイトは、村人の基準からすれば異様な熱心さと真面目さで日々の修練を怠らなかった。同じ年頃の男たちはそんなフライハイトを奇異の目で見ていたが、本人は気にしなかった。子ども時代の日課がそのまま残っているだけだ。それは食事をしたり、眠ったりするのと同じレベルの作業だった。
 黙々と単調な型取りをこなしているフライハイトの引き締まった肉体を、リンドは眩しげに眺めた。体術が発達したのは、道具によって力が決定することや、頼ることによって道具そのものに支配されることを否定したからだと教えられた。そのため、道具を使わないブロカーデの武術は独自に発達してきたものであり、泥臭く地味なものだと若者たちは敬遠していた。が、フライハイトのその動きはまるで舞踏のようにスムーズで優雅でさえある。その練達した流れるような動きを見る度に、リンドはブロカーデの体術の本質を目の当たりにしていることを実感した。かつて自分の師匠から言葉で説明されても、どうしても理解しきれなかったことを、こうしてフライハイトが具現化させているのだと。
 昔、まだ体術指導者になる前、基礎を幼いフライハイトに教授したのはリンドだった。リンドが十年前、二十五歳という若さで新しい指導者に指名されたのは、体術の才が際立っていたからだが、その彼から見ても、フライハイトの才能はずっと上を行く。しかも、フライハイトはその才能を枯れさせることなく、磨き続けてきた。平和な世界では、強さへの憧憬と渇望が、力の差になっていくのだとリンドは思った。
「右、曲がってるぞ」
 いまだに直らないフライハイトの癖を指摘する。フライハイトはもう自身の型をつくり出していて、実際には曲げていた方がやりやすいのだと知っている。それでも一応リンドは師匠らしく基本重視の姿勢で注文をつけてみる。夕日を浴びて赤く染まったフライハイトの顔が少し笑い、微妙に曲がった右腕を直した。
 強くなりたいというフライハイトの欲求は誰よりも強かった。偉丈夫である今では信じられないが、同年代の子どもたちの中で一番成長が遅く、小さかった。全てにおいて平均化された社会の中の子どもたちにとっては、それは致命的な劣等となりえた。彼はそれが理由に苛められ、蔑まれていたのだ。
 フライハイトが修練場に姿を見せるようになった時、十にもなっていなかった。当然、参加は許されなかったので、他の子どもたち同様に、大人たちの練習を観察し、見よう見真似で体術を身につけていった。他の子どもたちが思春期を迎え、大人の真似事よりも熱中できるものを見つけても、フライハイトは修練場通いを止めなかった。早朝や夕暮れ時、人けのない場所で一人、黙々と型取りを繰り返す姿をリンドは何度も見かけた。その動きはすでに修練を積んだ大人たちよりも秀でていた。そのことにリンドは驚き、もしかしたら誰か他の大人が彼に体術を教えているのではないかと思った。それならば、きちんと練習させた方が良いし、何よりその熱心さと、他の誰からも感じることのできないきらめきのようなものに惹かれて、まだ十八にならない少年に、体術を教えるようになったのだ。
 十八になって正式に大人の社会に入り、修練場で他者と組むことが許されたが、その時既に彼と対等に戦える大人はリンド以外にはいなかった。そして後にも先にもリンドが真剣勝負で実戦的な試合をしたのはフライハイトだけだった。二人を面白がって見物はしても、そこまでやる理由を村の男たちは理解しなかった。それでも構わなかった。リンドはリンドで自分の力を試したい欲求があり、真剣勝負の興奮は他の何にも変えられなかった。
 やがて、フライハイトが二十を越えた頃には、青年の方から真剣勝負を望まなくなった。リンドはその理由を訊かなかった。わかっていたからだ。これ以上やれば、フライハイトの方がリンドを肉体的にも精神的にも傷つけてしまうことを。それでもその後数年は、命を賭してでも勝負してみたい欲求が止まなかった。それも、リンドが仕事中の事故で体に障害を負ってからは永久に不可能になってしまったが。
 フライハイトの方はどうなのだろうと、思う。相手もなく黙々と型取りと地味な修練だけを繰り返しているだけでは物足りないだろう。しかし、村に彼の相手になれるような男はいないし、この先、現れそうにもなかった。
 無口で内向的な少年は寡黙で物静かな男に成長した。その静かな見た目からは激しい闘争心や情熱は感じられない。が、彼の中に何か炎のような強く熱い意思が隠れているのを、リンドは感じることがある。
 自分で決めている予定の練習を終え、フライハイトは軽く柔軟をした後、リンドの元へ歩み寄ってきた。小さな見物人たちの姿は既にない。
 再びリンドは眩しげに上背のある弟子を見上げた。畑仕事で日焼けした肌、薄茶色の髪、明るい若葉のような緑の瞳、フェルトと結婚した時は美男美女のカップルだと騒がれただけある男らしいハンサムな顔、子どもの頃からは想像できない鍛えられて引き締まった体と上背。全て命の強さに輝いていて、リンドは嫉妬よりも強い憧憬を自分が感じているのに気づいて苦く笑う。
「よっこらしょ」
 リンドが少し芝居掛かった動作で立ち上がった。フライハイトは決して手を貸さない。そのことがリンドを傷つけることを知っていた。
「ちょっと、一杯やっていくか?」
 リンドは杖の先をロイエに向けた。修練場にいるフライハイトを訪ねた後は、ロイエの店で飲んでいくのが常なので、リンドは答えを待たない。フライハイトも何も言わない。
「今日な、かみさんがフェルトからうちの娘にって菓子を貰ったんだ」
 少し先を歩きながらリンドは言った。そして、ふと立ち止まり、フライハイトを窺うようにじっと見つめた。フライハイトは怪訝な顔でリンドを見返す。
「何か、あったか?」
 リンドが問う。その質問にフライハイトはかすかに首を傾げた。質問された理由はわかるような気がしたし、よくわからないような気もした。
「何となく元気がなかったって、かみさんが気にしてたんでな」
 陽が落ちて、暗闇が霧のように村を覆い始めていた。フライハイトの応えを待たずに、リンドは歩き始めた。
「しけてるなあ」
 リンドの呟きが、日暮れ時にしては閑散とした路上に侘しげに響いた。村の雰囲気はいつになくどんよりとしている。その理由は、今日が土の日だからだ。毎週、この曜日には重く湿った気配が漂う。村から遠く離れている場所から漂ってきた空気を、皆感じている。フェルトの気鬱もそのせいかもしれない。来週はフライハイトが当番なのだ、元気がなくなる理由には十分だと、リンドは納得する。
 いつもは数人の客で賑わっているロイエの店も、今日は店に住み着いているかのような常連客一人が湿っぽく座っているだけだ。そんな状態なのにフライハイトたちを見ても、主人のロイエは陰気な顔のままだった。村ごと覆っている倦怠感は二人ばかりの客では、消えないものらしい。
 いつも座るカウンターではなく、あき放題のテーブル席に収まり、二人はまず、一日の労働に疲れた体を癒す一杯を喉に流し込んだ。リンドはひとしきり村の出来事について話し、今年の畑の収穫について話し、家族のあり触れた近況について話した。それから話題が切れたかのようにリンドは黙ってしまった。フライハイトは自分から話題をふることはせず、しばらく黙々と杯を傾けながら、リンドが何かを話したがっていて、しかしそれは言い出し難いことなのだと察した。
「お前は、ヴァールと仲が良かったよな」
 しばらくの沈黙のあとで、ふいにリンドが言った。その名を人の口から聞いて、フライハイトはわずかに身じろいだ。普段、この村の人間が人前でヴァールの名前を口にすることなどない。ヴァールが村を出た後、誰もが彼の存在を忘れようとし、そしてそれは半ば現実となっていた。その名が語られるのなら、何かが彼の身に起きたときに違いなかった。
 フライハイトが物問いたげな眼差しをしながら、無言のまま頷くの見てリンドは視線を逸らした。不思議で仕方がなかった。この男とあのヴァールが友人同士であることが、今も理解できないだけでなく、認めがたかった。
 フライハイトとヴァール、二人は全く違う性質を持ち、共通点などどこにもなかった。ただ一点上げるとすれば、子ども時代、フライハイトは弱く小さいが故に侮られ、ヴァールは出自のせいで蔑まれ、二人は共にいじめられっ子だったということぐらいだ。が、大抵、子どもたちはいじめる側といじめられる側、その中間にいる要領のいい子どもの三つにわかれる。同じグループにいるということが大して重要な共通点とは言えなかった。
 それに、フライハイトはともかく、ヴァールは誰ともうまくやっていけなかった。大人から見ても、性根から歪んだ不愉快な子どもで、出自のことを考慮すれば可哀相に思わないでもないが、それだけが原因であれほど偏屈に育つとは思えない。それに対してフライハイトのほうは子どもらしい愛嬌や愛想こそなかったが、真直ぐで素直な子どもだった。確かに、強情で可愛げのないところがヴァール同様、大人の受けは悪かったが。
 二人がどのようにして惹かれ合ったのかわからない。何より相手がフライハイトであろうと誰であろうと、ヴァールが他人を受け入れたこと自体が、信じ難いことだった。
「俺はさ、ずっと不思議だったよ。お前とヴァールと、仲がいいってのが」
 リンドは率直に言った。その言葉にフライハイトはほんの少し微笑んだが、言葉は返さなかった。今も、あの当時の大人にも子どもにも、ヴァールという存在を理解などできないだろうと思う。
 当時、ヴァールは村の子どもたちの様々な欲求不満の捌け口を一身に引き受けていた。その理由の一つはヴァール自身の性格の悪さ、もう一つは小さな社会では突出した知性、そして最大の理由は彼の父親が「世話係」だったからだ。
 週一度のマクラーンへの運搬はトゥーゲントの仕事だった。それ以前は今のように当番制であったその作業を、村から支払われる給料によってトゥーゲントが自ら望んで生業としたという。そのことで村人は男に対し、侮蔑と嫌悪の念を抱いたのだ。子どもたちはそれを敏感に感じ取っていた。また生活の中の最も大きな恐怖と嫌悪の対象である魔物の世話係は、まるでその眷属か僕のように思えた。
 ヴァールはその息子だった。村人はトゥーゲントを蔑むことで、かつて自分たちが行っていたその仕事の忌まわしさを忘れようとしていたのかもしれない。ましてや子どもたちにとっては、その仕事に直結するのはトゥーゲントしかいない。そして大人であるトゥーゲントに対しては恐れるだけであっても、その子どもに対しては大胆になれた。そのため、ヴァールは始終、苛められることになった。
 少年の周囲に味方は無かった。母親は彼を産んで間もなく亡くなり、肉親は父親だけだったが、その父親も週に一度の勤め以外はひがな一日飲んだくれ、彼に注意を払うことなどまるでなかった。
 ヴァールがひねくれたとしても仕方のない状況だったかもしれない。それに、多くの村人は気づきもしなかったが、ヴァールは恐ろしく利発だった。ヴァールはそれを意図的に隠していたようだったが、それでもしばしば行動や言葉の端々から、フライハイトは彼の知性を垣間見た。他の子どもたちもそれを自分たちとは違う違和感として感じていたようだった。そしてその違和感はさらにヴァールを彼らから遠ざけることとなった。
「魔女の子、魔女の子、気狂いヴァール、うすのろヴァール、変態ヴァール、魔女の子」
 子どもたちはヴァールを見ると決まってはやし立て、石を投げた。ヴァールはトゥーゲントとマクラーンの魔女の間に生まれた、というのが子どもたちの間の常識だった。
 が、当の本人はどんなに蔑まれようと孤立しようと、気にする様子もなく平然と振る舞った。ありとあらゆる理不尽な差別と蔑みを受けながら、それでもまだ十にもならない少年が動じることもなく、毅然としていたのをフライハイトはいつも遠くから驚きの目で見つめていた。
 フライハイト自身も当時は村で二番目に苛められる存在だったが、一番と二番の差は天と地ほどの差があった。フライハイトに対するからかいは少し意地の悪い遊びの域を出てはいなかった。それでも苛められる弱い存在の役を押しつけられていたフライハイトは侮蔑される側の痛みを知っていた。だからというわけではなかったが、少年たちの間でフライハイトは唯一ヴァールに対して理不尽な振る舞いをしなかった。たとえそのことを理由に仲間外れにされ孤立したとしても、自分が感じる痛みを他の誰かに押しつけることなどしたくはなかった。
 ある日のこと、フライハイトはその頃の常として一人で村外れの野原で遊んでいた。土手の中腹に小さな穴があり、そこに奇妙な動物が棲んでいた。その動物を見に、彼は台所からかすめてきた野菜を持って毎日通っていた。その日もフライハイトはジャガイモを一つ持って土手にやってきた。動物は餌を与える彼にほんの少し慣れて、その姿を巣穴から見せるようになっていた。
 現れた動物は奇妙な生き物だった。ウサギに似た体毛を持っているが耳は極端に小さく、前足も短い。何より奇妙なのは目があるはずの場所にかすかな窪みがあるだけで眼窩も瞳もなかった。その小さな動物は嗅覚と、よく動く鬚だけをたよりに生きているようだった。
 巣穴の傍にジャガイモを置いて、少し離れた場所で待っていると、やがて奇妙な動物が鼻をひくつかせながら顔を出し、ジャガイモを食べはじめた。最初に見た時は少し驚いたが、今は自分の持ってくるものを食べる小さな生き物にフライハイトは愛情を覚えていた。
 一心不乱にジャガイモを齧る仕種をフライハイトは熱心に見つめた。手を伸ばして体に触れてみたかったが、いつもこらえた。驚かせるだけだとわかっていたからだ。ジャガイモを食べきり、鼻をひくつかせて空気を嗅ぎ、安全な穴の中へ戻っていくまで、フライハイトはただ見つめ続けた。
「ナキウサギだな」
 ふいに聞こえた声に、フライハイトは一瞬体が浮くほど驚いた。慌てて声のした方を見ると、ヴァールが灌木の中に寝そべり、肘をついてこちらを見ていた。驚きのあまりポカンとした顔つきでフライハイトは固まってしまった。混乱しながら、何故彼がここにいるのか、どうして今まで気づかなかったのか、と必死で考えた。臆病で自分よりももっと敏感な動物さえ、ヴァールの存在を察知していないようだったことに気づいて、怖くなった。
「こっちは風下なのさ」
 フライハイトの気持ちを読んだように、ヴァールは口を横にひきつらせるような独特の表情を見せて言った。それが笑顔だと気づくのはつきあいはじめてしばらくたってのことだ。
 フライハイトは恐れを覚えながらも、うろたえてしまったことが癪で、子どもっぽい見栄を張って言い返した。
「ナキウサギじゃないよ。全然形が違う」
 彼がよく野原で見るナキウサギとさっきの生き物は違う動物だった。
 ヴァールは口を少し歪めて起き上がった。それだけでフライハイトは動揺した。彼と話しをするのも初めてなら、これほど近くにいるのも初めてだったのだ。ヴァールがいつも着ている黒っぽい服は日の当たらない灌木の下の湿った地面の泥と草で汚れていたが、当人は気にする様子はなかった。もっとも、元々その服は酷く不潔で見すぼらしい。
 ヴァールが立ち上がり、近づいてきて、動物が消えた小さな穴を覗き込むのをフライハイトは息をつめて見つめていた。恐ろしさが少し後退したのは興味の方が強かったせいだ。手を伸ばせば触れられる近さにヴァールはいた。皆が言っているように腐った肉の匂いなどはせず、草と土の匂いがした。首から下の肌は毛むくじゃらだとか鱗に覆われているだとか聞いていたが、よれよれのシャツの中にある痩せた肌は自分と変わらなかった。伸ばし放題の髪は磨かれた鋼のような色のブロンドで、光の加減によって銀色にも黒色にも見える。それに縁取られている顔は白く、意外な程繊細だった。
 ふいに、ヴァールがこちらを向いたのでフライハイトはどきりとした。その時、自分を見つめる感情のわからない瞳が、黒ではなくブルーブラックだと気づいた。宵の空の色だった。
「何だよ」
 薄ら笑いを浮かべてそう言ったヴァールの顔を小さな驚きを持って見つめる。元々、フライハイトは荒唐無稽な噂を無条件に信じていた訳ではない。ただ、それを否定できるほどヴァールを知らないだけだった。噂を肯定することも否定することも、事実を自分で確認していないうちはフライハイトにはどちらも同じことだった。こうしてヴァールに接して間近で確認して初めて、フライハイトはヴァールに関する馬鹿げた噂を知識の中から消し、自分が発見した新しい事実に書き変えた。彼は、普通の人間だった。少なくとも、見た目は。
「ナキウサギだ」
 真面目くさった顔でじっと見つめられたせいか、ヴァールはぷいっと視線をそらし、不機嫌な声で繰り返した。
「でも」
 フライハイトが頑固に意義を唱えようとしたのをヴァールは遮る。
「そういう風に生まれただけさ。でもナキウサギだ。奇形なんだ」
 フライハイトに横顔を向けたまま、少年は言った。そのかたくなな言いように、フライハイトはさらなる反駁を躊躇し、彼が言っていることに興味を覚えた。
「キケイって何?」
 ヴァールが再び顔をフライハイトの方へ向けた。
「同じ仲間の動物とは違う風に生まれてくることだ」
 フライハイトにはよく理解できなかった。人が人の形をしているのは、人から生まれるからだし、ナキウサギがナキウサギなのは、やはりナキウサギから生まれるからだ。それが何故違う形の動物として生まれるのか。
「そういうことがまれにあるんだ。親から生まれる子どもが全く同じという訳じゃないだろう。それが極端なだけさ」
 わからないという顔をしていたのだろう、ヴァールは口をかすかに捩じるような独特の笑みを見せて立ち上がった。背が高い。フライハイトはふいに見放されたような気がして、慌てて立ち上がった。ヴァールの頭は見上げる位置にあった。
「お前だって親父とは似てないじゃないか」
 ヴァールが見下すようにフライハイトを見、薄笑いを浮かべて言った。その差がわかる程、ヴァールが父親と自分を知っていることに驚くと同時に、心の中に鋭い痛みが起きた。
 確かにフライハイトの父親は村の大人たちの中でも長身で、筋肉質の引き締まった体をしていた。その父に誇らしさと憧憬を感じながら、一方でその父親と似ていないということに、少年の心は傷ついていた。父と比べられることは、ただ「小さい」とからかわれるよりも堪えた。
 何か言い返したくとも、言葉が浮かばなかった。ヴァールの言葉が事実だからだ。それでも湧き上がってくる憤りに、フライハイトは唇を噛みしめてヴァールを見つめた。再び、ヴァールの方がぎこちなく視線をそらす。
「まあさっきのウサギみたいなのは、特殊なんだけどね」
 ヴァールは何もなかったように話題を戻し、そっけない口調で言った。背高な少年は足元の巣穴に視線を向けていた。フライハイトも釣られるように視線を向ける。「トクシュ」という言葉は初めて聞いたが、何となく意味はわかった。小さな耳、丸い頭、口と鼻しかないその姿の異質さを言うのだろう。フライハイトは最初にそれを見た時の何か体の中心が揺れるような不安を思い出した。
「どうしてそうなったの?」
 まだ動揺がにじむ小さな声で問うと、ヴァールは顔を上げた。けれどフライハイトではなく、遠く広がる原野を見つめた。どこを見ているのでもない遠い視線のままのヴァールの顔を風に揺れる彼の鋼色の髪がなぶる。その顔が酷く大人びて難解で、同い年であることを忘れさせた。
 ヴァールの顔がふいっとフライハイトの方を向く。フライハイトは再びどきりとした。
「さあね」
 ヴァールはそう言って肩をすくめ、そのまま歩き出した。フライハイトは拍子抜けすると同時に、ヴァールが自分をからかっているのではないかという気がしてきた。
「なんだ、知らないんだ」
 その背中に憎まれ口を言う。先刻の遠慮のない言葉への子どもっぽい仕返しのつもりでもあった。ヴァールが足を止めたので、フライハイトは情けなくも、びくりと体を震わせてしまった。しかし振り返ったヴァールは怒ってはおらず、笑っていた。好ましい笑顔ではなかったが。
「魔物のせいかもな」
 それは揶揄を含んだ言い方だったが、それに気づかない程、フライハイトは村の子どもであり、魔物に対する原始的とも言える恐れに支配されていた。「キケイ」のウサギと魔物はフライハイトの中では結びつきやすい異質さを持っていたのだ。息を詰まらせて立ちすくんだフライハイトをヴァールはふんと鼻で笑った。
「気をつけろよ。今も魔物は活動しているんだ」
 意地の悪い顔をしたヴァールが勿体ぶった口調で言った。フライハイトはようやく脅かされていることに気づいたが、呼び起こされた恐怖心は簡単には消えない。それが余計に腹立たしい。
「ま、魔女はずっと昔から、マクラーンに閉じ込められてるんだ。何もできないもの」
「そんなことないさ。現に十年程前に、魔物が戦争を起こしたんだぜ」
 フライハイトは一瞬、ヴァールが何を言ったのかわからなかった。そのような話は噂でも聞いたことがなかった。嘘にしては唐突過ぎて、フライハイトの無防備な心の中にすとんと落ちてきた。しかし、 閉じ込められて無力なはずの魔物が、実は今もその力を保っているなどという話は、彼の小さな世界では支えきれない恐怖だった。
 血の気が引くような感覚を覚え、衝撃のあまり口もきけないフライハイトは、冗談だと言って欲しくて、すがるようにヴァールを見つめた。フライハイトの反応に、ヴァールは少し戸惑ったような顔をして視線を泳がせた。ずっとあとになって、フライハイトはヴァールが他人との会話に慣れていないことに気付いたが、この時は彼が言ったことで頭がいっぱいだった。
「本当なの?」
 フライハイトの問いにヴァールは再び肩をすくめてみせた。その動きはひどくぎこちなかった。
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