14.墓場

文字数 2,599文字

 ミーネと残された一人の部下が凶悪なほど獰猛なカラスの攻撃にさらされながら、たった一つの出口である小窓をようやくハンマーで破壊し、脱出するまでに、数時間を要した。
 腕も足も神経もへとへとになり、体のあちこちはカラスの鋭いくちばしや翼によって傷つけられていたが、休んでいる暇はなかった。彼らは疲弊した体に鞭打ってブロカーデまで自らの足で戻った。
 が、さらに行く手を(はば)む巨大な壁が彼らの前に立ちふさがっていて、何の道具もなくそれを乗り越えることは不可能だった。鉄の扉を打ち破るしかなく、その作業にさらに時間を消費し、困難な仕事を終えて、ようやく村に入った時には既に陽日が落ちていた。
 ブロカーデに足を踏み入れた途端に、二人は寒けを覚えた。しんと静まり返った村全体を死が覆いつくし、暗く重い気配が亡霊のようにあたりを漂っている。無論、この原因が自分たちにあることは十分わかっていたが、それでも人がいるはずの場所に生きているものの気配が全く感じられないのは、酷く不自然で不気味だった。すでにここは墓場だった。
 そして、ミーネは否定しようとしながら、決して消えないその不快感の原因が、ただそれだけのせいではないと気づいた。「その者」の気配がすでに村を覆っているのだと。しかしそう判断するのはまだ早い。そう考えていた矢先――。
「あれは」
 部下の震える声にミーネははっとし、彼が見ている方へ視線を向けた。そこにはばらばらになった人形の残骸が散らばっていた。
傀儡(くぐつ)か」
 ミーネが(うめ)くようにつぶやいた。声に(いきどお)りがにじんでいる。実際、表情の薄い顔が怒りでゆがんでいた。射るような眼差しでミーネはそれを見つめた。それは魔術師の操る人形、作り物の魂を入れられた人造の人間のなれの果てだった。
 失敗したのだと思い知る。綿密に計画を立てたはずが思い通りにはいかなかった。腹立たしさで吐き気を覚えた。
 この村の中には都と連絡を取り合う監察官がいた。前任者の名は知っていたが、すでにその男は死亡していた。その後、誰が後を()いだのか、どうしても突き止められなかった。だから、自分たちの計画が露顕(ろけん)するのを遅らせるために村人を全て排除した。
 しかし、傀儡が置かれている可能性を考えていなかった。傀儡があの女の得意な魔術であることを思えば、その可能性を考慮する必要があったにも関わらず。しかしミーネが傀儡を宮廷で見かけたのは、彼がまだ幼い頃だった。まるで人と変わりなく動く傀儡を見た時の驚きと戦慄を今でも忘れていない。しかし、魔術師の力が衰え始めたという噂通り、その高度な能力は失われていると思っていた。この傀儡はまだ彼女が絶大な力を持っていた頃に作られて、生き延びてきたものなのだろう。
 この命のない人形は魔術師の目なのだ。当然、人形が何を見るためにこの村に置かれたかは歴然としている。
「なんということだ」
 ミーネは口の端を歪めて笑った。監察官を始末するつもりで村人を無差別に殺めたというのに、肝心の監察官は元々命の無い人形だったとは。そしてその魔術師の代替の目はここで何かを見、その死によって何か不測の事態が村で起きたことを魔術師に知らせただろう。その気配が、やはり現実のものとして濃さを増したような気がした。
「ああ……あいつが、やってくる」
 部下のおびえた声を無視し、ミーネは村の方へ向かった。森の中で仲間の遺体を見つけた。それは見るも無残に四肢を絶ち切られてバラバラになっていた。酷たらしい死体の様子に、色々なものを見てきているはずのミーネの部下が引きつった悲鳴を上げた。
「こ、これは……、これは、あいつらが、ヴァールとあの男が?」
 部下の震える声をミーネは否定した。
「いや、違う。こいつを殺したのはあの二人かもしれないが。よくみて見ろ」
 ミーネが死体を指さす。部下はおびえる目でそれを見つめ、かつては自分の仲間であった人体の凄まじい破壊に、既視感を覚えた。それは先刻見たばかりの壊れた傀儡と同じ姿だった。傀儡になした行為が、自らの肉体に返ってきたのだろう。
 ひっ、と部下が声を詰まらせた。
「やって来る、魔女が、魔女がやって来る」
 部下はぶるぶると激しく体を震わせて、悲鳴のような声で叫んだ。しかし、ミーネはすでに落ちつきを取り戻していた。「魔女」と呼ばれるその魔術師がここにはやってこないことはわかっていた。今の彼女に宮廷を離れる余裕はないはずだ。それに、女魔術師の興味はブロカーデ村自体ではなく、幽閉されたマクラーンの魔物エテレインなのだ。それはもうここにはいない。ヴァールが連れ去った。
 ヴァールがどこからこの村に入り、そしてどうやって魔物を連れて出ていったものかわからなかった。なるほど、色々なことを洗いざらい彼から聞いて、全てを知っている気でいたが、本当はそうではなかったらしい。用心深く抜け目のないヴァールらしくはあったが少々面白くない。自分を出し抜くなど。あの男は、自分に支配されているべきなのだ。
 ともあれ、ヴァールはエテレインをどうするつもりなのだろう。ミーネは考えてから、うっすらと笑った。結局、ヴァールもマクラーンの魔物を都に連れて行くことになるだろう。それはすでに定められたことなのだ。ヴァールにも、そしてエテレインにも、選択肢は他にない。何故なら彼らが存在する意味は、あの部屋にしかないのだから。
 自分たちの手で魔物を動かすという計画は半ば崩れてしまったが、要はエテレインという存在そのものが重要なのだ。ヴァールという男の利用価値はその先にどうとでも変化する。運命は否応なく、「始まりの部屋」へと彼らを導いていくだろう。自分たちは後を追えばいいだけだ。回り始めた歯車は、決められた方向にしか動くことはない。
「行くぞ」
 ミーネは残った部下に言った。魔女はやってこなくとも、軍は動き始める。立ち去るにこしたことはない。一番近い拠点に戻れば人の補充はできる。それから態勢を建て直せばいい。後はヴァールがその小賢しい知恵によって、エテレインを軍と魔女から守ってくれればいい。
 彼らと共に、「始まりの部屋」を訪れた時、世界は変化を起こす。誤った時間が正しい方向へと修正されることをミーネは確信していた。
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