41.父

文字数 3,954文字

 その後の数日は、混乱のうちに過ぎ去った。
 中央から地方に至るまで施政を預かる政客や元老たち、三十年前の事変により失脚した者や、閑職へ追いやられた旧ファステン派の貴族たちなどが都に押し寄せた。その多くは、国の緩慢な衰えの中で志を失った者たちで、我先に様々な主張をし、意見を出したが、ただいたずらに混乱を招くだけで、現実認識に乏しいものだった。多くがクラーニオンのためではなく、自分の要求を押し通しただけで、新しい体制の中のどこかに収まろうと画策し、隠しきれない欲望の悪臭をそこここに振りまくだけだった。
 ただ、幸いクラーニオンには三十年の時を耐えて大節を失わず、尽忠報国の精神を残していた者、あるいはこの年月に国を憂い、新たに志を抱いた若い力も生まれていた。
 さらにアゴーニアの帰還は、これまでハイマという恐怖の圧力の元で、力あるものは排斥され力のないものは隷属的に忍従を強いられていた魔術師と司祭らに秩序をもたらした。
 何より、正当な血筋を持った王子とその魔術師の存在は、混乱を収め秩序をもたらし、クラーニオンが一つにまとまる力強い雰囲気をもたらした。
 正当な血筋を持った王子すなわちヴァールが、トゥーゲントと名を変えた第一王子ファステンの息子であると証言したのはフライハイトだったが、その証言はさして重要なものではなかった。何故ならエテレインがヴァールを王子と見なしていることが重要なのであり、そのことが人々を納得させる証明となったからだ。
 そして、早急に生まれ変わろうとする国のどこか活気に満ちた混乱の中で、フライハイトはすっかり蚊帳の外に置かれた。ヴァールに会って話をすることもままならなかった。もっとも、彼に会いたいと思いはしたものの、実際に会えば何を話していいかわからない気がした。
 まだヴァールが王子であったという事実がうまく自分の中で消化できていない。ヴァールはヴァールであり、新たに付け足された事実は馴染みのないものだった。ただ、自分がそれを知らなかっただけで、ヴァール自身はむろんわかっていた。何をしなければならないかも当然わかっていた。そして、ミーネもそのことを知っていた。魔術師を手に入れようとしながら、自分たちから奪わなかった理由は、あの時あの場所に、魔術師とその魔術師によって認められた王位継承者が揃うことが重要だったのだ。詳しい話をヴァールはしなかったし、強いて訊くこともなかったが、なんとなく置いてきぼりをくらったような気がした。
 まだ茫然としてうちに、状況はめまぐるしく変わっていき、ヴァールは遠い存在になりつつある。彼は、このクラーニオンの王なのだ。小さな村で誰からも否定されていた王子とその魔術師がこの国の中心に収まる。それが、ヴァールの望みだったのだろうか。
 彼を讃える声や労う声もあったが、何かを成し遂げたという気は全くなかった。周囲だけが慌ただしい時間が過ぎていくにつれ、そこに至る日々の喧騒に誤魔化してきた、自分に何も残されていないという事実と向き合わざるを得なくなった。家族も村も失い、生きていく意味も目的もなくなった気がした。
 ルックスが、三十年前に奪われた一族の名誉の復権に固執することもなく、今現在の生業から起こりかねない混乱と危険を避けるため都から離れてしまうと、フライハイトの孤独はさらに深まった。家族を失った時に出来た心のうろで、小石のような思い出の残骸がからからと音を立てていた。
 数日の間、フライハイトはフューレンの屋敷に滞在し、エルンストから父親の話を聞くことが出来た。
 トロイエは王都軍の将校であった。その名をフライハイトは知らなかったので、実際に自分の父がトロイエであったかどうか確認しようもなかった。が、容姿や雰囲気、性格といったものはエルンストが語るトロイエ像と一致しており、何より今現在のフライハイトによく似ていることで、将軍は間違いないと請け負った。
 トロイエの一族は軍人の家系の中でも一風変わっており、政には一切かかわらないことを家訓としていた。そのため王家に忠実であっても、中立を保ち、どのような権力抗争が起きようとも、特定の勢力に偏ることはなかった。三十年前の王子同士の対立にも、トロイエはかかわわることなく、静観を続けた。
 その彼がブロカーデに派遣されたのは、その忠実さを買われたためと言うより、彼の一族に伝えられている体術がハイマに(うと)まれたためだろうと、エルンストは推測した。第一王子派だったわけではないトロイエを罰することはできず、体のいい厄介払いだったのだろう。トロイエの仕事とは、村の監察官だった。
 そう聞かされて、フライハイトは複雑な気持ちになった。村の人々から距離を置いていた父親と、またその父に対してどこか遠慮がちとも言える村人たちの態度を思い出す。
 エルンストはフライハイトの心中を思ってか、少し慰めるような柔らかい顔で笑った。
「村人は恐らくトロイエの仕事を知らなかっただろうと思うがね」
 フライハイトが無言のまま父の友人だったという男を見つめた。
「トロイエという男は、元々、少し近寄りがたい独特の雰囲気があったのだよ。彼自身も他人と打ち解けやすいとは言えない性格だったし」
 そう言ってエルンストは苦笑いをした。扱い難く気難しかった友人を、その血を受け継いだ息子の顔の中に認めながら、懐かしく思い出す。その息子はトロイエが隠し持っていた優しさをもっと素直に漂わせている。
 ただ川を流れる水のように、命じられるままブロカーデに赴いたトロイエの心中がどのようなもので、村で何を思って生きていたのか、エルンストにもわからなかった。友は、何も告げることなく姿を消したので、よもや彼が監察官とは思ってもいなかった。
「父……、はブロカーデで何をしていたのでしょう?」
 その男を父と呼ぶことに躊躇いを感じつつフライハイトは問うた。
「ブロカーデで処罰に対する不満から反発する者がいないか、何か不穏な兆候がないか、といったようなことを見張ることだったと思う。が、一番重要なことは、ファステン王子とエテレインを見張ることだったのだろう」
「ファステン王子を……。村の人たちは彼が、トゥーゲントが第一王子だということを知らなかったのでしょうか?」
 ヴァールと同じく、むしろそれ以上にトゥーゲントは村人たちにとって忌避の存在であった。幼い頃、フライハイトはその男が蔑まれ、恐れられていたのは「魔物の食事係」だからなのだと思っていた。が、本当は彼が王子と知っているがためだったのだろうか。
「いや、村人たちは知らなかっただろう。ブロカーデに送られた人々はそれほど地位が高くはなかった。だから、実際に王子を見たことのない人々だ。まず、エテレインがマクラーンへ幽閉され、ファステン様が村に置かれた。そのあとに、彼らはあの村に連れてこられ、閉じこめられた。彼らは、マクラーンにいるのが、魔術師であることは知っていただろうが……」
 そして、魔術師は彼らにとっても生け贄として三十年の時を「魔物」として生きることになる。そのことを、トゥーゲント――ファステン王子はどのように受け入れていたのだろうと考えると、フライハイトは胸が苦しくなるほどに痛んだ。ブロカーデは、村人たちの懲罰の場ではなく、王子と魔術師のための拷問の地だったのだ。
「そうした事実を把握していたのは監察官であるトロイエだけだったはずだ。が、定期的に送られてくる報告は“変化なし”以外は何も無かったのだよ。何を持って“変化”と言うのかにもよるのだろうが、彼はヴァールという王子の血を引く子どもの存在すら報告しなかった」
 そのことに、トロイエの気持ちが現れているような気がするのは、自分の勝手な解釈だろうかとエルンストは思った。が、トロイエが、ハイマの望んだ仕事をしなかったのは事実だ。
「恐らくトロイエ自身は監督官のつもりはなく、ブロカーデで一人の村人として一生を終えるつもりであり、実際にそうであったのだろうと、私は思っている」
 エルンストは言った。そしてそれまでの立場と同じく、村人の味方となることも快しとしなかったに違いない。
 ただ、ファステンの死から程なくして他界したとフライハイトから聞いた時、エルンストはその理由がわかるような気がした。王子が死んだ時に、トロイエの中にあった何かが失われたせいだったのではないか。それは支え続けるにはあまりに重く、彼の命を削っていったものだっただろう。
 将軍の心が何か重い物で塞がっていくのを感じたフライハイトは話題を変えた。父の若い頃と母親の話を聞き、代わりに自分の父親として存在した記憶を話した。家族の失われていた過去を知る喜びと驚きはフライハイトの心の虚ろをほんの少し埋め、ほんの少し暖めた。何よりも自分に連なる家族を知っている人がいること、自分の言葉に耳を傾けてくれる人々がいることが、慰めとなった。
 フライハイトの境遇と心情を知ってか、エルンストはいつまでもこの家にとどまるように勧めてくれた。事実、友人の息子だからだけでなく、エルンストはフライハイトを気に入り、本当の息子だったらと思うようになっていた。が、フライハイトは心からエルンストの気持ちを嬉しく、そして切なく思いながら、やらなければならないことがあるのだと告げた。
 ブロカーデに戻るのだ。これからどうするか、何をするかわからなかったが、最初に自分が生まれ、育った村に戻ることから始めたいと思った。そうエルンストに伝えると、彼は黙ってうなずき、フライハイトの気持ちを受け入れてくれた。
 
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