第25話

文字数 498文字

 リビングを出る時にふと思った。引っ越しの挨拶と言うのは、越してきた側がするものだろう。妻に告げてみたが、実は日中に来られたらしい。ほら、と指さされた五越百貨店の包み紙。さすがにキブンイーブンの品ではない。嗚呼。(うつむ)き加減に玄関を出た。

 階段の踊り場を過ぎた辺りから、足取りが重くなる。が、行かねばならぬ。判決が下される直前の被告は、こういう気分なのだろうか。足早に歩く娘が恨めしい。

 階段からすぐの部屋が五〇五号室だ。表札に名前はないが、我が家の真下というのは、ここしかない。娘が無邪気にドアホンを押す。その刹那、階段の角まで後ずさりしていた。人が出てくるのだから、ここでは邪魔だろう、という配慮をしたつもりだ。

 はーい、と聞き覚えのある声を耳にした。間違いない。ヤンキー女が出てくるのか、清楚なキブンの店員が出てくるのか、それともまだ見知らぬ普段の彼女が拝めるのか……。期待に胸が高鳴るとともに、気付かれ、指摘されるのが怖い。もう手掌は汗でぐっしょりだ。マンションの玄関は防音がしっかりしているので、足音が分からない。

 どれほどの時間が経ったのだろう。

 不意にノブが動いた。

 ああ、ついに……。
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