第10話~消えない過去と
文字数 14,011文字
話したからといって、この心の中に残った傷が消える訳では無いからだ。
消えない過去。
自分で背負うしかないモノ。
それでも『こいつらになら話しても良いか』と思った。
信じているから話すのではない。
知りたいと言われたからでもない。
ただ、真っ直ぐ俺を見ているこいつらの誠意に応えたくなった。
それだけだ・・・。
それだけの・・・理由・・・。
『何処だ・・・。此処』
目覚めて思ったのはそれだった。
天井に填め込まれた電球が白い室内を照らしている。
何とか頭を動かして辺りを見渡す。
どうやら1人部屋のようだが、自分の横たわっているベッドしか無い殺風景な部屋だ。
右のドアは病院にしては珍しく横へスライドして開くタイプ。
『確か・・・帰る途中で・・・大きな爆発音がして・・・列車が揺れて・・・』
何が起きたのか想い出しながらゆっくりと躯を起こそうとすると激痛が走った。
「・・・いっ!」
小さく声を上げ、それでも何とか躯を起こす。
『何がどうなってるんだ?』
理解出来ているのは"列車が事故か何かに遭って怪我を負った"という事だけだ。
何とか状況を把握しようとしているとドアが開き、白衣を着た男の後に武装した者達が入って来た。
白衣の男はそれなりに身長が高く、髪は短く、白衣を着ていなければ学者と解らない。
歳は三十代から四十代だろうか。
男達を見た瞬間、驚きよりも先に"厄介な事になった"と理解した。
こういう事に慣れている訳ではないが、驚きもしないのは街中で銃を装備した兵士達が歩き回っているのを見ていた所為かもしれない。
驚きもしない俺を見て白衣の男がニヤリと笑い「予想外の反応だ」と楽しげに言う。
こっちは全く楽しくない。
「此処は?」
睨みつつ問うも、男の表情は変わらない。
「君の暮らしていた街ではないとだけ答えておこう」
男がそう言うと、武装した者達が銃口を向けて来た。
どうやら本気で逃がすつもりが無いらしい。
「銃を下ろせ。せっかく見付けた有能な実験体を失いたくはない」
「実験体・・・か。まさか、最近世界各地で起きている誘拐事件はその"実験"の為とか?」
俺の問いに、男が態とらしく驚いた顔をして「勘が良いな」と言った。
「勘が鋭いのは良い事だが、良すぎると時に己の首を絞める事になるぞ?」
言いながら男が武装した者達と近付いて来た。
「取り敢えず今は動けるようになって貰わなくては」
目の前で立ち止まってそう言った男が、その時の俺には地獄へ誘う悪魔に見えた。
翌日、男がまた武装した男達と共にやって来た。
「やあ。気分はどうだ?」
問いに「変わらず最悪だ」と答えると男が笑った。
「昨日、消灯されて暗いというのに歩いていたらしいな」
その一言に驚いて心臓が跳ねた。
顔に出さないようにしたつもりだったが、男は気付いたらしく嫌な笑みを浮かべた。
「まだ痛むだろう。その躯でよく出口まで辿り着いたな」
男の言う通り出口までは行けたがドアは開かなかった。
「君の行動力には驚いた」
言って男が持って来たケースを開ける。
その中に医療器具のような物と、瓶が幾つか入っているのが見えた。
男が注射器と表記の無い瓶を手に取り、瓶の中身を注射器へ移すと俺の腕を掴もうとした。
「それは?」
手を躱し、睨みつつ問う。
「早く傷を治す魔法の薬・・・とでも言っておこう」
やばい薬という事か。
無言で睨み続ける俺に、男が「死にはしないさ。多分な」と言い、武装した男達に顎で指示を出すと、4人の内2人が左右に立ち、ベッドの下から拘束具を取り出した。
「触んな!」
言って足を掴もうとした奴を蹴り飛ばす。
抵抗する俺を見て白衣の男が楽しげに笑った。
「そんな躯でまだ抵抗するとは」
男の嫌味に返す余裕など無い。
無視して足下の2人を蹴り飛ばした後、腕を掴もうとする者達を殴ろうとしたが、銃を向けられて止まった。
流石に銃を出されては抵抗など出来ない。
「大人しくしろ」
銃を向けた者とは別の人物が拘束具で手足をベッドに固定する。
「ジッとしていた方が良い」
言いながら男が押さえつけられた俺の右腕を掴む。
注射器の針が腕に触れる。
皮膚に針が刺さり、透明とは少し違う液体が躯に入って来る感覚がした。
その瞬間、刺された部分が焼かれたように感じるほど熱くなり、あまりの熱さに声も上げられず身を屈めようとした。だが、押さえ付けられているせいで動けない。
「あっ・・・・・・くっ!うっ!」
暴れる度にベッドと拘束具が軋む。
焼かれているような感覚が全身へと広がった後、吐き気が襲って来た。
咳き込んでいるせいか息が上手く出来ない。
視界が歪む。
霞む視界の隅に、感情の無い冷めた目で笑みを浮かべている男が見えた。
『何がそんなに楽しい!』
怒りが痛みなどよりも強くなり、拳を握って全力で腕に力を込めると拘束具がちぎれた。
男が心底驚いた顔をしている事など気にもせず殴り掛かると銃声が響いた。
左足に鈍い感覚がした。
見ると、太股に穴が空き、そこから赤い液体が流れ出ていた。
血だという事は直ぐに理解したが、そんな事よりも怒りが勝り、撃った人物を見ると脅えた表情で俺を見ていた。
恐ろしいのはこっちだ。
「ふぅ・・・」
深く息を吐き、身を屈め、両足に力を込め、床を蹴って撃った人物に向かって飛び掛かる。
「来るな!」
脅え、叫ぶのを無視し、顔面に蹴りを食らわせ、体勢を整えて今度こそ白衣の男に向かって駆け出す。
自分でも不思議なほど躯が軽く感じる。
先程までしていた痛みと吐き気が嘘のように無くなっていた。
「素晴らしい」
余裕の笑みを浮かべて男が言う。
「ふざけ―」
言葉は最後まで出なかった。
急に躯が動かなくなったのだ。
息は出来ている。
それなのに、力が抜け、その場に膝をついた。
一体何が起きたのか解らない。
困惑している俺を白衣の男が嫌味な笑みを浮かべて見下ろす。
「どうやら、この量なら大丈夫らしいな」
言って男が触れてきた。
「硬化現象も・・・起きていないな。急激な負荷に躯が機能を停止した・・・といった所か」
独り言をぼやいて男が離れる。
「一体・・・何を・・・」
何とか声を絞り出して男に問う。
「おや?君は何も知らないのか?自分の父親が開発したというのに」
その一言で先程注射された物が何なのか解った。
思い出したくも無い存在が脳裏に浮かぶ。
あの男が"ヨクト細胞"という物を開発した事を知ったのはニュースだ。
本人とは滅多に話をする事が無かった。
物心がついた時には母親と2人暮らしで、周りの子供達が両親について話をしていても"羨ましい"と思わない無いほど、母親との暮らしは楽しかった。
あいつの存在を知ったのは、母親が突然の事故で死んでしまった時だ。
当時俺は中学生になったばかりで、1人で生きていく事など出来ない歳だった。
―明日には養護施設の人に来て貰うから。
葬儀を終えたばかりだというのに、大家が部屋へやって来るなり冷めた目を俺に向けて宣言した。
何かと嫌味やらを言って来ていた大家と離れる事が出来るのは良いが、どうして母が死んで、こういう腹の立つ人間が生きているのか。
俺が睨むと、大家はあからさまに脅えた表情をした。
―い・・・言っとくけど、アンタ等みたいな親子を住まわせてくれる所なんて、今のご時世無いんだよ!それなのに住まわせてやってたんだ!感謝して欲しいね!
言って大家は逃げるように自分の部屋へと戻って行った。
その時は大家が何を言っているのか解らなかった。
翌日、早朝だというのにチャイムが鳴った。
あまり眠れなかった事で躯がふらつく。
それでも玄関まで行くとドアを開けた。
そこに立っていたのは黒スーツを着た男女だった。
その2人がある研究所に所属し、女の方が所長を務めている男の恋人だというのを知るのも早かった。
そして、その所長である男が"父親"だという事も・・・。
「あの男の・・・事なんて・・・知るか。直接・・・会ったのだって・・・数回しかないのに」
「そうか。まぁ、あの男が家庭を大切にする人間には見えなかったからな」
今の一言で解った。
この男はアイツに会った事が有るのだ。
「ヨクト細胞の事だって・・・ニュースで見て知った。アイツから聞いて知ったんじゃない」
漸く普通に会話が出来るまで回復したが、今度は視界がぼやけ始めた。
眠気は無いのに視界が暗くなる。
「今日はこの辺にしておこうか」
男の声が遠くに聞こえる。
最後、男が何か言ったような気がする。
何か気になる事を・・・。
次に目を覚ました時、最初に連れて行かれた部屋に戻っていた。
最初と違うのは手術台のようなベッドにうつ伏せで寝かされている事。
また両手足は固定されている。
背中に何かが刺さっているような感じがする。
周りで何者かが動いているのが解るが足下しか見えない。
作業をしていた者が部屋から出て行くのと入れ替わりに誰か入って来た。
「やあ。気分はどうだ?」
声だけであの男だと解る。
「それにしても、本当に君には驚かされた」
言いながら男が傍にやって来る。
「君には帰る所など無いだろう。それなら、少しこの状況を楽しんでみたらどうだ?」
確かに帰る場所、帰りたいと思う場所は無い。
「そうだ!あの男に君の事を話そうか」
悪戯を思い付いたような子供のように男が言う。
あの男というのは"父親"の事だろう。
俺はアイツを父親と思った事は無いし、向こうも息子だなんて思っていないだろう。
「この状況を話した所であの男は何とも思わないさ。まぁ、あの男を見付ける事の方が先だけどな」
「やはり君の所にも現れていなかったか」
俺の言葉に男が残念そうに言う。
「アンタはどうしてアイツの事を知っているんだ?同じ科学者だからっていう訳ではないだろう?」
「おや。君が質問してくるとは意外だったな」
頭に固定器具が着けられ、男がパネルで何かを操作しながら話す。
「私とあの男はどちらが先にヨクト細胞を完成させるか競っていた」
頭上で機械が動く音がする。
「アイツが先にヨクト細胞を完成させた事に対して怒りなど湧かなかった。寧ろ、よく完成させたと祝ってやろうと思っていた。それなのにアイツは・・・」
話しながら男が俺の頭にシートを被せる。
「完成したばかりで安全性も確認していない細胞を人間に投与した」
男の声音が微かに変わった。
悔しげで、哀しそうにも聞こえる声・・・。
「私は"モルモットで試すべきだ"と言った。だがあの男は実験を止めようとしなかった。仕舞いには・・・当時私が付き合っていた女性まで実験台にしたんだ」
言うなり男が何かを殴った。
その音に驚いたが、俺は落ち着いて「それでこんな事を?」と訊いた。
俺の問いを男が鼻で笑う。
「自暴自棄になってこんな事を始めたと?私はそこまで愚かではないさ」
「誘拐している時点で狂ってる」
つい言い返してしまった。だが、男は怒る事も無く、それさえも鼻で笑い「確かに誘拐は犯罪だ」と言った。
「この実験を始めたのは政府に頼まれたからだ。誘拐して来るのは政府と繋がりの有る人物の下っ端。私が何を言おうと聞きはしない。・・・あの男が実験を放棄して行方を眩ませ、その代わりに私が選ばれたんだ」
「あの男が行方を眩ませた?いつ」
「三年・・・四年前かな?政府が報道規制をかけたから一般には知られていない。それもそうだ。ヨクト細胞を完成させた男が行方を眩ませたんだから」
言って男が深呼吸をする。
こうして実験をしている事が復讐ではなく政府の頼みなら・・・。
「俺を誘拐したのは?」
「君があの男の息子だというのは偶然だった。此処へ連れて来る前に血液検査だけはする。その時にデータで出て来たんだよ」
男が嘘を言っている感じはしない。
本当に偶然だったのだろう。
頭上で何かが動き、頭を何かがなぞっている感じはするが痛みは無い。
「痛みは無いか?」
「・・・あぁ」
「そうか」
男がそう言った後、パネルを操作するタッチ音がした。
再び頭上で機械が動き出す。
「初めは私もこの実験には反対していたさ。けれど・・・いつからだろうな。少しでも成果が出ると嬉しくてね。今ではこの実験を成功させ、完成体を作るのが目的となった」
「完成体?」
「人間でも機械でもない存在だよ」
何を言っているのか解らない。
人間でも機械でもない存在とは・・・。
「・・・無駄話をしてしまったな。そろそろ実験に集中しよう」
そう男が言った瞬間、何かが頭に刺さった感覚がした。
痛みは無い。
それなのに、頭の中を何かに掻き回されている感じがする。
「一体・・・何・・・」
声が上手く出せない。
「今触れているのは言語能力の部分だが・・・まだ話せるか。まぁ良い」
男の声がした後、今度は別の部分に感覚が移った。
それと同時に吐き気がした。
「ゴホッ!・・・あぁ」
咳き込んだのを見て男が小さく笑う。
「すまない。これは少しキツかったか」
全く悪いと思っていない口調に腹が立つ。
少しはまともな相手だと思ったが、やはりコイツは異常者だ。
「次の実験へ移る為には必要な事なんだ。我慢してくれ」
楽しそうに男が言う。
それもまた腹立たしい。
頭の中に何かが入って来る。
痛みも無いまま頭の中をいじられている感じだ。
いや、いじられているのだ。
恐らく先程感じた、なぞられているような感覚は、ナイフが頭皮を切っていたもので、その後入って来たのは手術用のアームに取り付けられた何かだ。
頭の中で何かが動くたび視界が明滅する。
息も苦しい。
拘束を解きたいが、頭に穴が空いているのを考えると暴れるのは愚策だ。
『早く終われ!』
目を閉じて拳を握る。
そんな俺を見て男が「フッ」と小さく笑った。
「君みたいなタイプは初めてだ。大抵は大声を上げて暴れるんだよ?」
暴れて当然だ。
誘拐されて勝手に頭開かれて脳内を掻き回されているのだから。
「少量のヨクト細胞でも硬化現象を起こして大半が死んでしまう。それなのに君は硬化現象も起きず、体調も崩していない。寧ろ、少し健康になったくらいだ」
「・・・る・・・さい」
意識が朦朧とし始めたせいでまともに言い返す事も出来ない。
「さて・・・これで良い」
何かが脳内から出て行く。
その後は何をされているのか全く解らなかった。
感覚の全てが無くなったような・・・。
「後で痛みが出て来るかもしれないが、その時は言ってくれ」
まるで水の中にいるかのように男の声がくぐもって聞こえる。
「君だけは死なせないよ。大事な実験体だからね」
その腹立たしい台詞に、俺は渾身の力を込めて足を振り上げた。
拘束を破った左足が男の頭部に当たり、男が吹き飛んで床に転がった。
頭を押さえて起き上がった男と目が合う。
『ざまぁみろ!』
心中で言い、目を閉じると声がした。
「まるで獣だな」
どれくらい時間が経ったのか。
目を開けるとベッドに寝かされていた。
ゆっくりと躯を起こす。
「・・・つっ!」
頭に痛みが走った。
外側ではない。
内側で何かが暴れているような、変な感じのする痛みだ。
少し頭が重い感じもしている。
あの男は一体何をしたのか。
[やあ。気分はどうだい?]
スピーカーから男の声がした。
「・・・・」
[大丈夫そうだな]
俺は何も言っていないのだが。
ドアが開いて白衣の男が入って来た。
右頬にガーゼのような物が張られている。
蹴りがかなり効いたらしい。
「移動しようか」
男が蹴り飛ばされた事など無かったように言って歩き出し、不本意ながらも男の後に付いて行く。
部屋から出すというのに武装した者達を付けていない。
通路はあまり人が歩いておらず、エレベーターの前に着くまでにすれ違ったのは5人だった。
男が下行きのボタンを押し、少ししてエレベーターが到着する。
乗り込んでから「さっきのは効いたよ」と言った。
「蹴り飛ばした相手の所に護衛も無しに来て、手錠も付けないのか?」
俺の問いに男が笑みを浮かべる。
「手錠ではなく、首輪をしたからな」
「は?」
男が横目で俺を見ると、左手の人差し指で自分の頭を軽く突いた。
それだけでどういう意味なのか悟る。
先程脳内に埋め込まれたのは"首輪"に成り得る物だったのだ。
「人間の躯は脳からの信号で動く。それに少しバグを起こさせる物だ。死にはしないから安心しなさい」
「そんな物・・・勝手に埋めやがって」
言って拳を握ったが、それを振りかざす事は出来なかった。
男が腕に取り付けた物に触れた瞬間、俺の躯が動かなくなったのだ。
「君の躯を操る事は出来ないが、こうして行動を阻害する事は出来る。これで、君は私に指一本触れる事は出来ない」
何処までも腹立たしい奴だ。
睨んだ俺を見ても、男は余裕の笑みを浮かべる。
「さぁ。次の実験だ」
男がそう言った時、エレベーター内に到着を知らせる音が響いてドアが開いた。
薄暗い通路から微かに声が聞こえて来る。
歩き出すと、その声はハッキリと聞こえ始めた。
男の苦しげな呻き声。
女の悲痛な叫び声。
並んだドアの前を通る度に聞こえる様々な声だけで気持ち悪くなってくる。
男が立ち止まり、ドアを開けて中へ入る。
後に続いて中へ入ると、そこにはコードが繋がった白い椅子が置かれていた。
「君の為に座り心地の良い物を用意したんだ。気に入ってくれたかい?」
「何処に力を入れてるんだよ」
呆れて言い返し、命令される前に自分から椅子に座る。
腹が立つくらい男が言うように座り心地は悪くない。
肘掛けに手を置くと、毎度の事ながら固定された。
固定具が前よりも頑丈な物になっている。
横目で睨んだ俺に男が「君に本気で暴れられたら適わないからね」と笑って言った。
フルフェイスヘルメットのような物を被せられる。
視界は真っ暗で何も見えない。
[さて。簡単なテストを始めようか]
男の声がした後、映像が映し出された。
[何が見えているかな?]
男の問いに頭を動かす。
何処かの倉庫だろうか。
それにしても不気味だ。
天井から下がっているアームが掴んでいるのは、骨組みだけの人間の形をした機械。
それが等間隔に何十体と並んでいる光景は異様でしかない。
視界の左側には脳のような形に波紋が描かれたアイコンが光っている。
恐らくこれが通信状態という事だろう。
それとメールのアイコン。
下の方に解りづらいが歯車のアイコンがある。
見えているものを男に伝えると[大丈夫だな]と返って来た。
両手を顔の前に出す。
実際の手は固定されていて動いていないのに、映像の中では手が動いているというのはおかしな感じだ。
[今、それは君の脳波によって動いている。先程、君の脳内に埋め込んだ物によって動いているんだよ]
『だろうな』とは思ったが言わなかった。
[君は本当に不思議な子だよ。大抵の者は"凄い"や"SFみたいだ"と言って喜ぶのだが]
どうしてなのかなど自分にも解らない。
こうした物が珍しいと思えないだけだ。
まるで昔から知っているかのような感覚。
そう言った所で男には解らないだろうし、誰にも解らないだろう。
「喜ばなくて悪かったな」
[冷めているな。何になら興味を示すのか知りたくなる]
無視して足を動かそうとしたが、足の方はロックが掛けられていた。
勝手に動き回られたくないのだろう。
『脳波によって動くなら・・・』
意識で歯車のアイコンを選択して開き、中身を確認する。
聴覚や視覚、様々な設定が出来る画面が開いた。
透けて景色が見えているのは、開いている時に何が起きても直ぐに閉じる事が出来るようにだろう。
さまざまな場所を選択し、ある物を探す。
『システム情報は流石に入れないか』
溜息を吐いてページを閉じると男に[何か気になる事でも?]と訊かれた。
恐らく何をしているのか監視されていたのだろう。
「何でも無い」
そう答えて上半身だけを動かす。
「アンドロイドの開発は・・・初めからコレを目的としていたのか?」
俺の問いに男は間を空けてから[いや]と言った。
[初めは腕や足などを失った人間の為の開発だった。アンドロイドは補助をしたり、身寄りの無い老人の介護を目的として開発された。だが・・・君には解るだろう。人間の中にはそれだけでは満足できない者達がいる。その中には私を雇った者達も含まれる]
「・・・なるほどな」
初めは全てが善意で始まる。
しかし、それはいつしか人間の欲によって形を変えてしまう。
「アンタは・・・この実験が正しいと思ってるのか?」
[・・・どうだろうな。今では何も感じない]
「アンタとは初めて会ったが、話していて感じるのは"矛盾"だ」
[矛盾?]
訊き返した男の声音が先程までと変わった。
先程まではおどけた道化の様だったのに、今の声は真面目で、微かだが動揺している様にも聞こえた。
「実験に関しては依頼されただけだから、誰が犠牲になっても知った事じゃないみたいな言い方をしながら、組織の意向に背いた行動を取ってる」
[私は背いてなどいないよ]
男は笑って否定したが、その笑い声さえ掠れている。
「実験体に関して、アンタは"自分にはどうする事も出来ない"と言った。つまり、本当は誘拐されて来た人間を実験体にしたくないって事だろ?」
[実験体がいなければ、実験を進める事が出来ない。実験を成功させる事が出来るなら誘拐されて来た者だろうと関係無いさ]
今、初めて男の本心を聞いている感じがする。
恐らくこの男とは解り合う事が出来る。
逃げ出す為や、仲間を作りたい訳ではない。
まだこの男の心は壊れていないのだ。
嘗てあの男によって大切な者を失っても、この男はまだ悪人にはなっていない。
時折、言葉の端々に優しさを感じてしまうのも・・・。
「本当は俺の意識を肉体と切り離せとかっていう内容の命令が出ているんじゃないのか?」
[・・・・・・]
問い掛けに男が黙り込んだという事は図星だ。
俺はこの男を蹴り飛ばした。
その前にも抵抗している。
また抵抗されるかも知れない事を考えれば、脳内に仕込んだ機械を使って思考を停止させ、ただ動くだけの人形にしてしまえば良い。
それが出来る物をこの男は埋め込んでいる。
それなのにそうしないのには何か意味が有る筈だ。
その理由を知る事が出来れば、男に感じている矛盾も消える。
[・・・・・・・な]
男が何か呟いたが、声が小さすぎて聞こえなかった。
[さて、少し出力を上げてみよう]
「がっ・・・・!」
頭に激痛が走った。
声も上げる事さえ出来ず、息が止まりそうになる。
それでも視界はハッキリとしていて、俺の肉体と同じく機械の体の方も身を屈める。
少しして激痛が治まった。
「はぁ・・・はぁ・・・」
やっと肺が空気を吸い込み呼吸を繰り返す。
一体何が起きたのか解らないが、何の変化も無い気がする。
[今、何か感じるか?]
男が訊いて来る。
まだこっちは息が整っていない。
[落ち着いて前を見ろ]
言われるがまま落ち着いて前を見ると、先程まで息が切れていた筈なのに、全く苦しく無かった。
[今君が感じていたのは擬似痛覚のような物だ。もう苦しくも無ければ痛くもない]
確かに息が切れている感じがしていたが、全く何も感じていない。
[もう一度訊くよ?今何か感じるかい?]
「・・・・いや。何も」
意識を集中させてみるが何も感じない。
[そうか。・・・上手くいったな]
僅かに嬉しそうな声音で男が言う。
[今日の実験は此処までだ]
そう声がすると、視界が歪み、目眩のような感覚がした後、視界が暗くなった。
少ししてヘルメットのような機械が外され、視界に先程の部屋が映る。
意識が肉体に戻って来たのだと理解するまで数秒かかった。
先程感じたものも消えている。
「・・・・で・・・という事は・・・」
男はパネル上部のモニターを見て独り言を呟いている。
意識は戻ったが、直ぐに動ける感じではない。
男が俺に気付き「流石に疲れたかい?」と笑って訊いて来た。
「毎度疲れてるよ!」
言い返してゆっくりと体を起こす。
「これでも君の躯に負担を掛けないようにしているのだが」
態とらしく男が落ち込む。
確かにそうなのかも知れない。
先程通路で悲痛な叫び声を聞いた。
中でどんな実験が行われているのか解らないが、悲惨な事なのは声だけで解る。
自分はこの男によって回避出来ているのだ。
「君には暫くこの部屋で過ごして貰う」
「は?!」
突然の事に声を上げてしまった。
驚く俺を見て男が「ちゃんと食事も出るから安心しろ」と言う。
何処だろうと安心など出来ない。
「寝る時はその椅子を平らにすれば寝られるだろう」
そういうのは全く気にしない。
食事が出る事だって。ただ、どうして前の部屋ではいけないのか。
「あまり君を移動させるべきではないと会議で決まったんだよ」
つまり、普通は実験が終わる度に部屋へ戻す決まりとなっているが、俺が数回も抵抗しているから、移動させるのはリスクが高いという話になり、それならこの部屋に監禁しようという事か。
「まぁ、疲れてるのに歩かされるよりはマシだな」
言って息を吐き、背もたれに寄り掛かった俺を見て男が笑った・・・気がした。
「それでは、落ち着いた頃にまた来る」
男がそう言って歩き出す。
先程から違和感がしている。
「なあ!」
俺が呼ぶと、男が「ん?」と言って振り返った。
やはりそうだ。
違和感の正体はこれだ。
男から怪しい笑みが消えている。
何を考えているか解らないような感じが一切無く、優しい感じが出ている。
呼び止めたが何を言うか迷っていると男が笑った。
「今は休め」
そう言って男は部屋を出て行った。
1人になった部屋の中で溜息を吐く。
あの男はまだ戻って来られる。
何が正しくて間違いなのか自分に決める事など出来ないが、此処で行われている事は正しくない。
多くを犠牲にして得るモノに何の意味が有るのか。
「確かに・・・変わり者だな」
男の言葉を思い出し自嘲する。
それでもこれが自分なのだ。
年相応の考え方ではないと言われてもどうする事も出来ない。
死んでも構わないと思っていたが、どうやらまだ死ぬには早いらしい・・・。
それから何日が経過したのか。
俺の傷や、躯の違和感は消え、男とも少しは笑って話をするようになっていたが、男は俺に名前を教えなかった。
なので"医師"という意味の"メディクス"から"メディス"と呼ぶ事にした。
男もそれを拒否しなかった。
そして、変わった事はもう1つ。
男は俺と話をするとき、監視カメラの映像はそのままに、時々音声だけを着るようになった。
どうやって誤魔化しているのかは解らないが・・・。
「なぁ」
いつものように椅子に横になって声を掛けた俺に「ん?」とメディスが訊き返す。
「最近楽しそうだな。そんな顔をしていて怪しまれないか?」
問い掛けにメディスが笑う。
「大丈夫だよ。こうして監視カメラに背を向けていれば表情なんて解らない」
本当にそうだろうか。
「それに、気付かれても良いさ」
「いやいや。不味いだろ」
「何が?」
今度はメディスが俺に問う。
「何がって・・・」
そう訊かれると何が不味いと断言は出来ない。
「最近君が協力的になったと褒められてね。それに、君も義体の扱いに慣れてきたし。私が出来る事はもう殆ど無いに等しい」
言いながらメディスが手を止める。
「さて。これで問題は無い」
言ってメディスがヘルメットのような装置を俺に渡す。
いつものようにそれを被って横になる。
これにも慣れてきた。
「今日は義体で動いて貰う。躯に負担は掛からないと思うが、何か異変を感じたら教えてくれ」
「解った」
「それじゃあ、始めよう」
その声の後、思考がぼやける感覚がした。
それもいつもの事だった。
一瞬、頭痛のような痛みが走った事以外は・・・。
左右の遠くには山が見え、山頂に雪が積もっているのが見える。
雪が有るから寒い筈なのに、心地の良い風だ。
広大な丘を下った先には、海か湖か、どちらかは解らないが、水が太陽の光を反射して煌めいている。
青い空に白く長い線が幾つか引かれ、三日月が見えている。
『何処だ?』
全く知らない場所だ。
両手を握ってみる。
「おい!」
男に話し掛けてみるが返答は無い。
知らない間に何処かへ来てしまった感覚だ。
本当に今いるのは作られた場所なのだろうか。
だとすると、この感覚も作られている物だという事だが・・・。
「何なんだ・・・ここ」
呟いて丘を下ろうとした時だ。
「・・・の」
遠くから声が聞こえた。
男の声ではない。
辺りを見渡すと、左の方から誰かが歩いて来ているのが見えた。
淡いブルーのワンピースドレス。
肩が出ていて、長い袖と裾は波のように揺れ、スカートは二重になっている。
白銀の長髪が風に揺れ、少し白い肌が普通の人間ではないような雰囲気を漂わせ、瞳の中心は黄色く、外側が緑色だった。
「どうやって此処に?」
女が透き通るような声で問う。
「どうやってって訊かれても・・・」
自分でも解らない事を訊かれても困る。
困っている俺を見て、女が哀しげな目で微笑んだ。
「偶然でも、此処で誰かに逢えたのは嬉しい」
言って女が歩き出し、俺は行く当ても無いので後に付いて行く事にした。
「此処は何処なんだ?」
俺の問いに、女は足を止めずに「ネットの世界」と答える。
「は?」
意味が解らない。
「正しくは、ネットと現実の狭間・・・かな」
「いやいやいや。余計に解らない。狭間?」
困惑している俺に、女が笑って「その内解ると思う」と言った。
どういう事だろう。
取り敢えず考えないでおく事にした。
「此処には他に誰かいるのか?」
「今までは私だけだった」
「此処で・・・1人だったのか?」
俺の問いに女は頷き「でも、寂しくはなかった」と言って空を見上げた。
見ると、鳥の群れが飛んでいた。
人ではなく、動物たちがいるから寂しくないという意味だろう。
「それに、此処からでも現実の事は解るから」
意味が解らない事が多すぎる。
「現実は・・・私にとって」
女の声が小さくなっていく。
また何か起きている。
意識が遠のいていく感覚がする。
女が俺を見て微笑む。
「また・・・ね」
一体どういう事だろう。
女の伸ばした手を掴もうと伸ばした手は、指先が微かに触れた程度だった。
[聞こえるか?返事をしろ]
慌てているような男の声が聞こえ、目を開けると、いつもの光景が見えた。
倉庫のような何も置かれていない場所に1人立っている。
[良かった・・・]
メディスが安堵の息を吐く。
[悪い。どれくらい返事が無かった?]
こうして脳内で会話をする事にも慣れてきた。
[5分くらいだ。何の異常も無いのに返事が無いから心配した]
たった5分。
今見ていたモノが夢ではないとすると、かなりの時間差が生じている。
[少し・・・夢を見ていたみたいだ]
俺の言葉にメディスは[夢?]と訊き返した後[脳波は夢を見ている感じでは無かったが]と呟いた。
[え?]
[脳波は起きている時と変わっていなかったんだよ。それなのに返事が無くなったから心配したんだ]
どういう事だろう。
脳を持つ生物は、起きている時と眠っている時の脳波が変化する。
それが無かったという事は、あれは夢ではなかったという事になる。
[メディス]
[ん?]
[白銀の髪の女って・・・知ってるか?]
[年配の女性研究員はいないけど?]
その一言で解る。
メディスは先程見た女の事を知らない。
見たモノを話しても解らないだろう。
[いや・・・何でもない]
言って俺は深呼吸をした。
[それで?今日は何をするんだ?]
[あ・・・あぁ。少し運動をして貰おうと思う]
不思議そうに頷いたが、メディスが話を進める。
[軽く躯を動かして貰えればそれで良い。何か対象物が必要なら用意するが・・・どうする?]
[そうだな・・・。対象物にもよる]
[訓練用ドローンと模擬戦用のアンドロイドだな]
飛行タイプか対人かという事だろう。
いきなり飛行タイプとやり合うのはキツい。
[っていうか、それって戦闘訓練だよな?]
[・・・・・あははは]
間を空けてメディスが掠れた声で笑う。
気付かないと思ったか。
[それじゃあ、アンドロイドを出そう]
メディスがそう言った後、少しして左の壁が開き、アームが基礎部分のみのアンドロイドを下げて出て来た。
人工皮膚の張られたタイプではないのが有り難く思える。
これで見た目が人間タイプのアンドロイドだった場合断っていた。
[基礎的な戦闘方法のデータをダウンロードしてある。戦闘経験が無い君でも戦える筈だ]
何を根拠に言っているのか。
[喧嘩はした事くらい有るだろ?]
[それは有るけど・・・]
そうだとしても、喧嘩と戦闘は別物だ。
用意された模擬戦用アンドロイドが走って向かって来ている。
[合図くらい出せよ!]
文句を言った俺にメディスが[実戦で相手が"これから攻撃します"なんて宣言しないだろう]と言い返す。
自動でダウンロードされたシステムにより、模擬戦用アンドロイドの素早い蹴りを機械の躯が自動で回避する。
片足が着いた瞬間、上半身を捻ってもう一撃が繰り出される。
俺はその足を片腕で受け止めると拳を握り、相手の脇腹に叩き込んだ。
手に当たった感覚は無い。
それもそうだ。
まだこの義体には感覚というモノが実装されていないのだから。
それでも相手がよろめいたのは見て解る。
その隙を見逃さず回し蹴りを食らわせると、相手が有り得ないくらい吹き飛んだ。
飛んでいる間に上半身と下半身が千切れ、数回床を転がって停止した。
「一撃で・・・」
あまりの威力に呆然としていると、メディスが[なかなかだな]と言った。
[威力・・・高すぎないか?]
[今の強度は一般的なアンドロイドと同じだ。戦闘用アンドロイドだと・・・真っ二つにはならなくとも、骨組みが幾つか故障しているだろうな。それにしても、今のはなかなか面白い数値だ]
メディスが研究者のような事を言う。
いや、研究者だった。
[もう少し良いか?]
俺の問い掛けに、メディスは楽しげに[勿論]と頷いた。
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