第8話
文字数 14,681文字
適当に歩いていてたどり着いたのは、休憩所兼食堂となっている場所だった。
ドアを開けて中に入る。
夕飯の時間を過ぎているらしく、厨房には誰も居らず、電気も消されていた。
壁には2つのボタンが有り、1つは天井、もう1つも天井だったが小さな照明が点くだけだった。
小さな照明を点け"自由にどうぞ"と書かれた紙の張られたコーヒーメーカーでコップにカフェ・オレを淹れて窓際の席に座る。
気が付けばすっかり陽が沈んでしまっていた。
どれだけ歩き回っていたのか。
椅子に座り一息吐く。
基地から此処までかなりの距離が有った。
これほど遠くの戦地に来た事など無い。
いや、ザファイ戦の時以来だ。
今までなら基地へと即帰還して総務課に勤めているミクの元へと向かっているのに。
カフェ・オレはミクがよく飲んでいた。
気長に頑張るとは思っているが、不安が無い訳ではない。
いつミクが自分ではない誰かと付き合ってしまうか、結婚してしまったらと考える事も有る。
「はぁ~」
長い溜息を吐いて頭を掻く。
いつからこんなに女々しくなったのか。
ミクと出会ってから、本気で誰かを好きになるという感情を知った。
今まで何人かと付き合ったり、相談される事は有ったが、自分の悩みを誰かに話す事は無かったので、こういう時、誰に相談すれば良いのか解らない。
彼女に執着している自覚は有る。
それによって嫌われてしまっているかもしれない事だって解っているのだ。
それでも、諦めて誰かと付き合おうと思えない。
「いっそ・・・忘れようか」
らしくない呟きに自嘲する。
『そんな事・・・出来ない癖に』
―キィ・・・
後方で、少し錆び付いたドアの開く音がした。
「すみません。勝手に使ってしまって。そこに・・・」
言いながら振り返ったカイルは入って来た人物を見て固まってしまった。
今自分は幻を見ているのではないだろうか。
まさか、こんな所にいる筈が無い。
入って来た人物がドアの所で立ち止まり、困った表情をしている。
肩まで伸びている淡いブラウンの髪。
その髪に触れる左手の薬指に着いているシンプルなデザインの指輪は、間違い無くカイルが彼女に贈った物だ。
「どうして・・・」
掠れた声で問い掛ける。
「えっと・・・」
此処にいる筈のないミク・ラズリーが困った表情で目を泳がせる。
「あ~。出動申請してなかったから、直接こっちで仕事した方が早いって上官に言われた?ごめんね?今度から気を付けるからさ」
「違う!」
おどけて言うと、ミクが辛そうな表情で否定した。
珍しい反応に驚き、カイルは立ち止まった。
どうしてそんな表情をするのか。
「そうじゃなくて・・・心配・・・だったから」
「心配・・・て」
彼女が記憶を失ってから、そんな言葉聞いた事が無いし、そんな素振りも見ていない。
『心配?俺を?』
声を掛けても冷めた反応ばかりだったのに、何故心配したのか解らない。
「自分でも解らない。どうしてこんな事になってるのか・・・解らない。出撃したって聞いて・・・何故か会えなくなるとか、怪我をしたらって考えたら・・・怖くなって・・・」
言いながらミクが顔を伏せてしまう。
「自分の事なのに解らないの。この指輪だって、誰から貰った物なのか忘れているなら捨てれば良いのに・・・捨てられない。抜こうとすると手が震えて・・・ダメなの」
胸の前にやった左手を右手で包む姿に涙が溢れそうになる。
「消えた記憶を取り戻したいって・・・どうして思うんだろう?」
言ってミクが顔を上げた時、カイルは目の前に立っていた。
見上げる瞳が涙で潤んでいるのを見ると我慢できなかった。
抱き締めて頭に顔を寄せる。
自分よりも10㎝ほど小さな躯が腕の中に収る。
いつもなら抱き締めようとしただけで逃げるというのに、今は大人しくしているのは弱っているからだろうか。
「ごめん・・・」
カイルの呟きにミクが「え?」と言って顔を上げようとするのを、後頭部に手を当てて止める。
「お前を泣かせたい訳じゃないんだ。ただ・・・俺がまだ・・・お前を離したくなくて・・・」
情けない事を言っているのは解っている。
涙を流す事だってあの日以来だ。
ミクの記憶と、2人で過ごした時間が失われたと思い知ったあの日・・・。
自分が彼女に執着し続ける事が、どれだけ苦しめているのか考えてもいなかった。
「きっと・・・お前の言う"心配"は・・・勘違いだ」
言いながら自分の心が傷付いたのを感じる。
「勘・・・違いって」
腕の中でミクの躯が震えている。
「俺があまりにもしつこいから・・・絆されそうになっているだけだ」
彼女は優しい。
どんなに鬱陶しそうにしても、無視される事が無かった。
好きになって貰えるのを気長に待とうと思っているのも本当の気持ちだが、早く彼女の気持ちが知りたいというのも有る。
「お前はずっと俺の事・・・嫌ってただろ?しつこく絡んで来ていた奴がいなくなるのが寂しく思えただけだ」
「違う!」
ミクが怒って否定し、カイルの胸を押して腕の中から抜け出した。
その数秒後、カイルの左頬に衝撃が走った。
ミクが泣きながらカイルを見上げ、右手が振り上げられているのを見て叩かれた事を理解する。
呆然とするカイルをミクが睨む。
「話し掛けられるたび私が不機嫌だったのは、色んな女の人と楽しそうに話していたから!名前だって"ミライ"って呼ぶのは貴方だけだし、話し掛けてくれる事も嬉しかった!それに・・・私は・・・嫌いなんて言った覚え無い!」
予想外の言葉にカイルの思考は止まりそうになっていた。
聞き間違い・・・勘違いだろうか。
「夜になって、1人の部屋の中で此処に貴方がいたらって考える事が増えて、この指輪を見ると貴方の顔が浮かぶし・・・」
彼女は自分が何を言っているのか解っているのだろうか。
「最初は貴方に"記憶が消される前は付き合っていた"って言われたから勘違いしているだけだって思った。けどそう思えなかった!」
叫びながら語られる言葉に胸が締め付けられる。
「話し掛けている女の人達とは相談に乗っているだけだって知ってる」
「え?」
停止しかけていた思考がその一言で冷静さを取り戻す。
どうして彼女がそれを知っているのだろう。
「隊員の人が教えてくれたの。女性隊員は何かと大変だろうから相談に乗っているだけだって。その人も相談に乗って貰う事が有るからって・・・」
結構な数の隊員の相談に乗っているので誰が教えたのか絞れない。
それでも、それを聞くまで彼女は相談している女性隊員に嫉妬していたという事だ。
「ねぇ・・・。この感情がどういうモノなのか解らないの」
ミクの声が震えている。
「心の中から声がする気がするの。私の声と・・・誰なのか解らない声が」
涙を流しながらミクがまるで縋るように見て来る。
「それでも・・・呼んでいるのが貴方だって思う。そう感じていて、今回の件で、もう会えないかも知れないって思ったら怖くて、ライラさんに"心配なら一緒に来る?"って誘われて・・・輸送機に乗ってた」
ミクが必死に涙を拭おうとしている。
「ねぇ・・・。私が2人で過ごしていた頃も"ミライ"って呼んでいたんでしょ?貴方に"ミライ"って呼ばれると・・・嬉しいの。だから・・・もっと呼んで?消えた記憶は戻せないけど」
『あぁ・・・。そうか』
漸く理解する事が出来た。
記憶を失った彼女に"記憶を失う前は付き合っていた"と言ったから、彼女はカイルが求めているのは"記憶を失う前の自分だ"と思ってしまっている。
だから失ってしまった記憶をどうにか思い出そうとしていたのだ。
何かしらの手段で復元しようとした事もあるかもしれない。
『違う・・・。そうじゃない』
彼女を苦しめてしまっていたのは自分だ。
「違う。俺は・・・記憶を失っていようと・・・変わらずお前が好きだよ」
カイルがそう言うと、ミクが泣きながらもカイルを見た。
「確かにあの頃の話が出来ないのは寂しいけれど、それは俺がお前に話せば良いだけだし、それに・・・想い出はこれから作れる」
ミクの泣き顔が驚いたような表情に変わる。
「俺が・・・どうしてお前の事を"ミライ"って呼ぶか・・・解るか?」
カイルの問いに、ミクが首を傾げる。
「漢字で"未来"って書くからじゃ・・・ないの?」
やはり、その理由を話した事も消えている。
それでも構わない。
今の彼女が自分を嫌いではないと知ったから・・・。
「俺達はアンドロイドだ。例え夢を見る事が出来たとしても、明日という感覚はどうもまだ理解する事が出来ない」
次の日が来たという感覚を、未だ感じた事が無い。
生身の人間は"明日"という物の感覚を知っているのだろうか。
それは一体どういう感覚なのだろう。
「それでも、お前と出会って、起きてから"おはよう"って挨拶をすると"明日が来た"って思えるから、だから・・・また明日も、次もって欲張りになって・・・。それは・・・未来を求めているのと同じかなって・・・。だから・・・俺は明日よりももっと先の"未来"が欲しい」
またミクが泣いている。
『泣かせてばかりだ・・・』
泣きながらもミクは目を逸らさない。
「俺に未来をくれないか?お前と一緒にいる未来が・・・欲しいんだ。だから俺はお前の事を―」
最後まで言い終える前にミクが駆け出し、胸に飛び込んで来た。
どうしてなのか自分にも解らない。
メンテナンスの担当者には"先の戦闘でボディーが壊れ、メモリーが消えてしまったが、大した事は無い"と説明された。
私はその説明に違和感など抱かなかった。
それもその筈だ。
記憶が無くなったのだから。
しかし、気になる事は有った。
それは、左手の薬指に収っているシンプルなデザインの指輪だ。
指輪の内側には知らないイニシャルが彫られている。
知らない物なら捨ててしまえば良い。
そう思ってゴミ箱の前まで行ったが、なぜか捨てられず、そのまま付けて帰る事にした。
「ミライ!」
声がしても自分の名前では無いから歩き続ける。
「おい!」
また声がし、急に腕を掴まれた。
そこにいたのは、私よりも10㎝ほど背の高い、赤に近い橙色の髪と目をした男。
その姿を見て懐かしさを感じたのは気のせいだと、その時は思っていた。
「ミ・・・・・ライ?」
男が不安げに訊いて来る。
「誰ですか?放して下さい。私の名前は"ミク・ラズリー"です」
冷たく言って手を振り解くと、男は傷付いたような表情をした。
それを見て何故か私の心も痛んだ。
「俺・・・だよ。お前にその指輪をプレゼントした・・・」
男が青ざめながらも、無理に笑みを浮かべて言う。
「初対面の相手を"お前"呼ばわりするような人に指輪なんて貰いません」
「初対面じゃない!俺達・・・付き合ってたんだ!」
背を向けて歩き出そうとした私を男が必死に引き留める。
「カイル・ディーウェルだ!本当に忘れたのか?」
言ってカイルが正面に立って行く手を阻む。
「知りません。退いて下さい」
「待ってくれ」
「しつこいですよ」
押し退けて進もうとしてもカイルは退けようとしない。
「なぁ・・・ミライ。これ・・・見ても何も感じないか?」
切なそうな掠れた声がした。
「いい加減にして下さい!」
勢いよく掴んでいる手を払うと、振り上げた手が何かに当たり、カイルの頬を掠めた。
金属が落ちた音が響く。
カイルは放心したように何処かを見つめて動かない。
その表情を見て、また胸が苦しくなった。
何故か抱き締めたくなる。
「あ!カイルさん!」
声がして数人の女性が数名駆け寄って来る。
歩き出した私をカイルが追い掛けようとしたけれど、駆け寄って来た女性達に阻止される。
「今度、また一緒にお食事どうですか?」
「あ~。えっと・・・」
「ダメですか?」
「その話、また今度ね」
「え~。冷たい~」
後ろから声が聞こえる。
その会話だけでイライラしてしまう。
この感情が何なのか解らない。
声が聞こえなくなると、私は足早に寮へと向かった。
それからカイルは度々私に声を掛けて来るようになり、最初はしつこいと思っていたけれど、何故かカイルが来るのが楽しみになっていた。
彼の姿を見掛けると目で追い、彼がナンパしているのではなく相談を受けているだけだと聞いてからは誰と話をしていても気にならなくなった。
「ミライちゃん♪」
私の事を見付け、笑顔で駆け寄って来るのが嬉しかった。
それなのに、冷たい態度しか取れない自分が嫌になる事もあったけれど、カイルは全く気にしていないようだった。
カイルが戦闘に出る時、本当は心配していた。
出撃前には必ず"行って来る"というメッセージが届いたし、帰って来たら顔を見せてくれた。
嬉しい気持ちも有りながら、それでも"彼が求めているのは記憶を失う前の自分だ"と思うと哀しくなって、なかなか素直になれなかった。
いつの間にか私はカイルの事を好きになっていて"今の私じゃだめ?"と悩む事が増えた。
何とか消えた記憶の復元を試みたがエラーになり泣いた事だって有る。
それでもカイルの顔を見ると嬉しくなった。
夢の中では素直になれていた。
まるで映画でも観ているかのように勝手に言葉が出て来ていた。
私はカイルの事を"カイ"と呼び、カイルは私を"ミライ"と呼んでいた。
目が覚め「カイ」と呟くと、何故か懐かしく感じた。
いつかそう呼べたらと思った矢先、突然の出動命令が出て、カイルはザファイへと行ってしまった。
いつもなら届く筈のメッセージが無く、不安になって出撃前の様子を色んな人に訊いていると、黒人風の女性に声を掛けられた。
「一緒に来る?」
女性が何者なのか調べる前に、私は女性の誘いに乗っていた。
そして、その女性が海軍将校、ライラ・エルスターニアだと知って驚いた。
現地に到着すると、負傷した者達が多く、何もせずカイルが戻って来るのを待っている事が出来ず、何かと手伝いをする事にした。
ある程度の事が終わってカイルを捜す。
将校3人がいる事で、その存在が知られないよう街にジャミングが掛けられたので、自力でカイルを捜さなくてはならない。
いつもBRPSに頼っていたため、自力で捜すのは骨が折れそうだ。
最初に会ったのは隊長のナイトで、彼はノエルと一緒に何処かへ向かう途中だった。
ナイトにカイルが何処にいるか訊くと、内部を散策すると言っていたらしい。
そうなると見付けるのは困難に思えた。
暫く捜しながら食堂兼休憩所へと向かうと、微かな灯りの点いた中、1人で窓際の席に座っているカイルの姿を見付けた。
横顔を見ただけで胸が熱くなる。
中に入った私を見てカイルはやはり驚いた。
それもそうだ。
私は戦闘要員ではないのだから。
メッセージをくれなかったからなど言い訳だ。
ただ私がカイルの傍に来たかっただけだ。
もう素直になろう。
今の私でも良いと、カイルが言ってくれるなら・・・。
駆け寄って来たミクを抱き留め、抱き締め返すと、小さな躯が腕の中で震えていた。
「初めて・・・言われたのに・・・初めてじゃない気がする」
腕の中でミクが呟く。
「そうだろうな」
言ってカイルは少し躯を離し、ミクの左手を取った。
「この指輪を贈った時に、同じような言葉を言ったから」
「指輪は・・・私にだけ?」
「いや・・・。俺も持ってるよ」
言ってカイルが首元からネックレルを取り出すと、そこに有る指輪を見てミクに「どうして最初に声を掛けてくれた時に見せてくれなかったの?」と訊かれた。
「見せようとしたさ。けど、お前は変な奴に絡まれたって思ったのか俺の方を見ようとしなかったろ」
「・・・確かに」
顔を見合わせ、2人は笑った。
漸く何かが埋まった気がする。
また抱き締めると、言葉にならない感情が涙となって流れた。
「ごめんなさい」
ミクが呟き、自分よりも高いカイルの顔に触れる。
「どうしてお前が謝るんだよ」
笑って言うが、涙がまだ止まらない。
「ずっと・・・私が自分の気持ちに迷っていたから・・・」
「お前は悪くない・・・。悪くないよ・・・。悪いのは俺だ」
ミクは自ら記憶を消した訳では無い。
消されてしまった被害者だ。
それを責めるつもりもない。
忘れられても諦める事が出来なかった自分が悪いのだ。
手放す事が出来ないほど執着してしまっている・・・。
「カイ」
ミクの呟きに、カイルは驚いた。
「夢の中で・・・私は・・・貴方の事をそう呼んでた。昨日見た夢の中でもそう呼んだの」
本当にそれは夢なのだろうか。
夢だとしても、そんな偶然が有るだろうか。
驚いているカイルを見てミクが首を傾げ、少しして嬉しそうに微笑んだ。
「カイって心の中で呼ぶと・・・懐かしい感じがするの。もしかして・・・前はそう呼んでた?」
止まった筈の涙がまた溢れて来る。
それでもカイルは笑みを浮かべた。
「あぁ・・・。俺の名前が漢字で"海琉"で、青い海っていう意味だから、それなら"カイ"って呼びたいって・・・お前が言ったんだ」
「そうなんだ・・・。だから」
言ってミクが背伸びをしてカイルの首にしがみ付く。
カイルも少し屈んでミクを抱き締めた。
「今度・・・何があっても護ってみせる。もし、それでも護れなかったら・・・その時は」
カイルは最後まで言わなかった。
変わりに、ずっと我慢していた衝動に任せて触れた。
「俺の借りてる部屋・・・此処から近いんだけど」
耳元で囁くと、ミクは無言でゆっくりと頷いた。
それからは記憶が曖昧だ。
覚えているのは窓から差し込む月光と、ベッドに横たわる仄かに赤みを帯びた白い体。
「カイ」
切なそうな掠れた声でミクが呼んで両手を伸ばす。
それだけで心が満たされるけれど、もっと欲しいと欲が溢れる。
顔を近付けると、ミクが頬に触れた。
人間は"機械の恋愛ごっこ"と笑うだろう。
それでも俺達は構わない。
この胸に溢れる感情が偽物だろうと、大切にしたい、愛おしいと感じる事の何が悪い。
感情を持つ事が罪だと言うなら、初めからAIを持ち、生身の人間と大差無い躯を作らなければよかったのだ。
「ごめん。あまりにも綺麗で・・・見惚れてた」
ミクが恥ずかしそうに顔を逸らす。
今なら自信を持って言える。
"俺達の躯は機械だけれど、生きている"と。
目が覚め、カイルとミクはベッドの中で寄り添っていた。
すっかり陽が昇り外が明るい。
「そういえば」
カイルの呟きにミクが「何?」と訊き返す。
「基地内で冷たい態度だったのはどうしてだ?少しは俺の事気になっていたなら普通に接してくれた方が俺だって嬉しかったのに」
カイルの問いに、ミクが顔を逸らした。
「普通に話し掛けようとした事は何度も有ったけど、その度に顔が熱くなって・・・恥ずかしくて・・・。だから、あんな・・・。食事に誘われるのも嬉しかった」
「食事の誘いを断ったのは?」
「仕事で行けなかった日が有るのは本当だけど・・・記憶を無くす前の私と比べられるんじゃないかって思うと・・・怖くて」
その理由を聞いて罪悪感がし「ごめん」とカイルが謝ると、ミクが必死になって「もう気にしてないから!謝らないで!」と言った。
「今の私でも本当に好きなんだって解ったから・・・いいの」
言ってミクがカイルに身を寄せる。
「これからは・・・一緒に色んな所へ行こうね」
「あぁぁあああ!」
唸って華奢な躯を抱き締める。
「ちょっ・・・苦しい」
腕の中でミクが暴れる。
「ごめん・・・。嬉しくて・・・」
言いたい事、話したい事は沢山有る。
漸く無くしていた心の一部が戻って来た気がする。
「もう少し・・・」
抱き締めたまま囁いたカイルに、ミクは溜息を吐いたものの、暴れるのを止めた。
本当はこのままでいたい。
2人で朝食を食べたり、色んな所へ出掛けて、何事も無く1日が終わって眠る。
そんな日々で良い。
そんな有り触れた日常が良い。
機械は眠る事が無く、夢を見る事も、感情さえも作られたモノだと未だに言う奴等はいるけれど、それでも・・・今腕の中に在る温もりは偽りではないのだ。
「ホント・・・夢みたいだ」
再び抱き締められて、2人で朝を迎えているのが夢のように想える。
「夢でも・・・幻でも無いよ」
言ってミクが顔を上げる。
そっと頬に触れ、ゆっくりと顔を近付ける。
「もう一回だけ。そしたら起きるから」
言って唇を合わせ・・・。
[カイル。起きてる?]
「うおっ!」
「わぁ!」
唐突に電脳通信で声だけが聞こえ、カイルとミクは同時に声を上げて躯を離した。
ミクが不思議そうに「どうしたの?」と問う。
どうやら通信が来たのはカイルだけらしい。
カイルが声には出さず自分の頭を右手の人差し指で突くと、それで何が有ったのか理解したらしいミクは頷き返してベッドから降りた。
[お~ま~えぇぇええ]
恨みを込めて言ったカイルに、唐突に通信して来た男、ナイトが[どうしたの?]
と訊き返す。
[いや・・・。何でも無い]
ナイトに悪気は無い事は解っている。
それでも悔しくて仕方が無い。
「はぁ~」
溜息を吐いて気持ちを落ち着かせる。
ミクが棚の中からコップを2つ取り出し、インスタントコーヒーを淹れ始める。
この部屋は来客用らしく、コップや電気ポット、レンジなどが置かれている。
此処で数日生活したいくらいだ。
コーヒーを淹れているミクを眺めながら[朝っぱらから何の用だ?]と脳内で訊き返す。
[朝っぱらって・・・。時間は見た?もう10時なんだけど]
[出発は明日の朝だろ?それまでゆっくりさせてくれよ]
[あ!そういえば、ラズリーさんには会えた?]
[どうしてお前が知ってるんだ?]
ミクが此処に来た事は想定外の事だ。
彼女の事だから報告したのかもしれないが・・・。
[昨日部屋に戻る途中で彼女に会ったんだよ。会って早々君が何処にいるか訊かれたのには驚いたな~]
[それで・・・なんて答えたんだ?]
[あれ?メッセージ見てない?]
何を言っているのか解らずカイルは首を傾げた。
[昨日、会議の後、此処に将校3人が来ているから、防衛の為にアルフォードがBRPSのジャミングを掛けたんだよ。それに関してメッセージが届いている筈だけど]
言われてメッセージを確認すると、確かに知らない番号からメッセージが届いていた。
[あの人・・・本当に何者だよ]
カイル達戦闘用アンドロイドには強力な防壁システムが搭載されている。
何者かがハッキングして来た時、相手が防壁を破るより早く新たな防壁を構築し、その間に反撃用のシステムも造り警告音が鳴る。
カイルはアルフォードと連絡先を交換していないし、カイルは知らない番号からのメッセージなどは一切拒否している。
警告音が鳴らない訳がない。
[つうか、全員にジャミングを掛けたのか?]
そこに気付き驚いて躯を起こしたカイルをミクが不思議そうな顔をする。
[1人ずつって事じゃなくて、この地域一帯にジャミングを掛けたっていう話。1人ずつにジャミングを掛けられる人なんて居るわけないでしょう]
ナイトに笑われ、カイルは気恥ずかしくなりつつも[だよな]と返した。
[ジャミングが掛かっているから場所が解らないって説明したよ。会えたなら良かった]
安堵した声音でナイトが言う。
心配してくれたのは有り難いが、その心配によってチャンスが何処かへ行ってしまったのが正直憎い。
[僕とノエルは明日の準備をする事にしたんだけど、2人はゆっくりしていて]
[いや。俺達も手伝う]
昼食を食べた後でも明日の準備は間に合う筈だが、まさか朝からやっているとは思っていなかった。
[大丈夫だよ。此処の人達と一緒にやるから手数は足りてる]
[本当に良いのか?]
カイルの問いにナイトが[フッ]と小さく笑った。
[さっき、何か邪魔しちゃったみたいだからね。そのお詫びも兼ねてという事で]
その言葉にカイルは思わず「解ってたのかよ!つうか、何処から見てた!」と声に出して怒鳴ってしまった。
ミクが驚いてカイルを見る。
片手を上げ"ごめん"と謝ってから[解っていてあのタイミングで通信して来たのか!]と言い返すと、またナイトが笑った。
[何をしてたのかなんて知らないよ。君が恨みを込めて"お前"って言ったから、何か邪魔したんだろうなって思っただけ]
本当だろうか。
[それじゃあ、僕は作業に戻るよ]
[あぁ。ありがとな]
[お礼なんて良いよ。ゆっくりしてね。それじゃ]
[ああ]
通信が切れ、カイルはベッドから降りてテーブルへ向かった。
「誰からだったの?」
ミクが楽しそうな笑みを浮かべて問う。
「うちの隊長さん。今日はゆっくりしろってさ」
言いながら椅子に座り、ミクの淹れてくれたコーヒーを飲む。
程よい甘さのカフェ・オレだ。
正面に座ったミクの飲んでいるカフェ・オレの方はもっと甘いだろう。
以前、記憶を失う前に"ブラックとか、苦みが強いのは苦手"と言っていた。
「此処にも色んな店が在るらしいから、午後はそこへ行ってみるか」
カイルの言葉にミクは目を丸くしてから嬉しそうに笑い「うん!」と頷いた。
2人でいるこの時間がまるで夢のようだ。
ミクと共に過ごす事の出来る日々をずっと夢見ていた。
手を伸ばせば届く距離にミクがいる。
それがどんなに嬉しいか彼女は解っているのだろうか。
抱き締めたら離したくないくらいに・・・。
バンカー内を一通り見終わって休憩所へ向かっていると、スモークガラスとなっている小部屋に人影を見付けた。
ドアを開けて中に入ると、そこにいたのはアルフォードだった。
「何かあったのか?」
アルフォードが目を合わせないままクオーレに問う。
「いや。何も無い」
クオーレの返答にアルフォードが「そうか」と返す。
部屋の中には鉄製の灰皿が1つ置かれていた。
どうやら此処はアルフォードの喫煙室になっているらしい。
「まだ吸ってたんだな」
言いながらアルフォードの向かいに立つ。
「まぁな」
今では煙草は、電子もだが珍しい物になっている。
生産量が減ったというのもあるが、1番の理由は生身の人間が少なくなったからだ。
クオーレやアルフォードのような機械の体を持つ者達には機械用の煙草が売られており、煙も出ない物で、それが主流となている。
「お前、どうしてその煙草を吸ってるんだ?」
何気ない問いに、アルフォードは目を逸らしたまま「ただの気晴らしだ」と笑って答えるが、こういう時ははぐらかそうとしている事を知っている。
「本当は?」
クオーレの問いに、アルフォードが苦笑し、新しい煙草を取り出し、これまたレアなZippoで火を点けた。
「まだ生身の人間だった頃に吸ってたんだ」
言って漸くアルフォードがクオーレを見る。
「お前だってたまに懐かしい物を食べたくなったりするだろ?」
「まぁな」
「それと同じだよ」
言ってアルフォードがまた目を逸らす。
久し振りに会ったからだろうか。
昔よりも話し方が優しくなった気がする。
以前のアルフォードはもっと隙の無い感じがした。
きっと彼を変えたのは・・・。
「無茶はするなよ?」
クオーレの言葉にアルフォードが笑った。
「約束は出来ないな」
「言っても無駄だって解っているさ。けれど、言っておかないと、お前は1人で突っ込むからな」
「・・・そうか」
アルフォードが呟いて何処かを見つめる。
本当に解っているのだろうか。
未だアルフォードが何を考え、何を想っているのか解らない。
「明日の作戦内容は俺達で決めて良いのか?」
「あぁ。俺はそういうの苦手だからな、知ってるだろ?」
訊き返すアルフォードにクオーレは鼻で笑い「そうだったな」と言った。
「それじゃあ、作戦内容が決まったら送る」
言ってクオーレが喫煙所を出ようとすると「クオーレ」と珍しく呼び止められた。
「ん?」
返事をして振り返ると、アルフォードが煙草を吸いながらも真っ直ぐクオーレを見ていた。
昔と変わらない、強い意思を宿した目から視線が逸らせなくなる。
「どうして戦うのか・・・忘れるなよ?」
「・・・は?」
訊き返したクオーレに、アルフォードは微かに笑って「何でも無い」と言った。
意味が解らない。
どういう意味なのか訊こうとした時、ヴィントから"早く来い"とメッセージが届いた。
「それじゃあな」
そう言って今度こそ喫煙所を出る。
アルフォードは何も言わなかった。
どうして今更"戦う意味を忘れるな"と言ったのだろう。
言われなくとも解っている。
今回の敵を野放しにしておけば何をするか解らないからだ。
嘗て失われたシステムを再び造られてしまえば、今の自分達という意思が無くなってしまう。
それだけは阻止しなくてはならない。
自分達が"自分"で在るために・・・。
12時になり、アルフォードから"昼食が出る"というメッセージが届き、ナイトとノエルが食堂へ向かうと、正面からカイルとミクが歩いて来ていた。
「カイル!」
ナイトが呼ぶと、カイルがナイトとノエルを見付け「よう!」と応えた。
足早に合流し「お前等にもメッセージが来たんだな」とカイルから言った。
どうやら全員に送られたらしい。
ふと左手に目をやると、薬指にいつもネックレスとして付けていた指輪が填められていた。
それと同じデザインの物をミクも付けている。
それだけで2人の間に何が有ったのか悟ったが、ナイトは敢えてそれには触れず「メニューはカレーらしいね」と言った。
「飯が食えるだけ良いさ」
カイルが笑って言う。
体内にはエネルギー源が有り、それによって躯が動いている。
生身の人間でいう"心臓"だ。
それが有るので物を食べなくても良いのだが、味覚という物が有るからどうしても何かを食べたくなってしまう。
恐らく"義体化"を目指していた名残だ。
4人で食堂へ入ると、美味しそうなカレーの匂いがした。
鳴らない腹が鳴りそうだ。
左奥に有るカウンターでトレーと、カレーの盛られた器を受け取って席へと向かう。
「うお~!本当にカレーだ!」
「久し振りな感じがする」
興奮しているカイルの隣でミクも目を輝かせる。
「カレーなんて基地では出ないからね」
ナイトは平然と言ったが、本当は心を躍らせていた。
最後に食べたのもいつだったか想い出せないほど懐かしい。
様々な食材を入れるので、食材を入手するのも一苦労なこの時代で、カレーを食べられるのは奇跡に近いのだ。
4人で座れる場所を探し、ナイトとノエルが並んで座り、向かいにカイルとミクが座る。
「いただきます!」
カイルが言い、ナイト達も「いただきます」と言って一口食べる。
「・・・・・・ん~」
幸せそうな声をミクが上げた。
「はぁ~。明後日も食べれたらな~」
惜しんでいるカイルに、ナイトは「どうして明後日?」と訊き返した。
「明日の朝には此処を出るだろ?その前に食えたとしても、俺達は基地に帰らないとならない。そうしたら、これはもう食べられないじゃないか」
「・・・確かに」
カイルの言葉にノエルが皿に盛られているカレーを見つめる。
「それなら、僕等で作れば良いじゃないか。幸いにも食材は買ってあるし」
「え!」
驚いた3人がナイトを見る。
「ルーは色々なスパイスとかを混ぜて作るから、無理だと思うけどな~」
声がして振り向くと、トレーを手にクオーレが立っていた。
「将校!」
言ってナイトが立ち上がると、同じく驚いたミクとノエルも立ち上がった。
「座っていて構わないのによ~。皆、階級にビビりすぎだろ~」
呆れたように言ってクオーレがカイルの左に空いていた席に座る。
辺りを見渡すと、全員驚いた表情をしていたが、少しすると普通に食事を始めた。
「他の方は・・・」
言いながらノエルが椅子に座り直す。
「あ?あぁ、ヴィントとライラか?彼奴らは後から来る」
「そうですか」
ミクがカイルの右側に座る。
「それにしても、他の奴等は戦いを前に緊張してるってのに、お前等は全く緊張していないみたいだな」
食べながらクオーレが言う。
確かに周りは食事をしていてもあまり楽しそうではない。
「確かに今は緊張していませんね」
ナイトがそう答えた後、カイルが「確かに」と頷いた後、一口食べてから続けた。
「まだ始まってもいないのに緊張しても仕方が無いでしょ」
カイルの言葉にクオーレが「だよな!」と嬉しそうに言った。
「それなのにヴィントとライラの奴、ずっと小難しい顔してんだぞ?俺が「今から緊張していたってどうする」って言ったら「お前も少しは緊張感を持て」って、まるで俺が悪いみたいに言われてよ~」
それで1人で来たのだろうか。
「アルフォードも誘おうと思ったがそういう雰囲気じゃなくてな~」
「あの人は気を張りすぎだと思いますけど、丁度良く気を抜いているとも思います」
ナイトの言葉にクオーレが「そうなんだけどな~」と呟いて溜息を吐く。
きっとクオーレはアルフォードの事が心配なのだ。
まだアルフォードは右腕が治りきっていない。
その状態で戦うのだから。
「さて!さっさと食って寝るか!」
「え!?」
クオーレの一言にナイト達は驚いた。
声を揃えて驚いた4人にクオーレが不思議そうに「ん?」と訊き返す。
「さっきまで真剣な表情だったのは?」
カイルの問いにクオーレが「俺は眠いんだよ」と答える。
どうやらただ眠いだけらしい。
「準備は終わったんだから寝ても良いだろ~」
そう言ってカレーを掻き込むクオーレを見つめながら思った。
『多分・・・他の将校の前で"眠たい"とか連呼してたんだろうな~』
そう思うと、怒られて当然だと思ったが、ナイトは言わないでおいた。
4人で顔を見合わせ、笑うのを堪えて食べ始める。
少ししてクオーレが立ち上がり「じゃあな」と言って去る。
「あの人、どうやって将校まで上り詰めたんだろう」
ミクが小声でカイルに問う。
「意外とああいうタイプが上に行くんだよ」
「へぇ~」
納得してしまいそうになったのが恐ろしい。
「私達も早く食べよう」
ノエルの言葉にナイト達は頷いた。
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