第20話
文字数 10,785文字
脳内で警報が鳴り響き、跳ね起きて窓へ駆け寄り、壁に背を着け、そっと外を覗く。
月明かりである程度の物は見えるが、それでも暗視システムを起動する。
「んっ…シアン?どうしたの?」
隣で寝ていたリアナも目を覚まして、まだ眠たそうな声で問う。
片手で"静かに"と合図を送る。
家の正面に装甲車が2台停まっていおり、裏口の方にも幾つか反応が在る。
警報が鳴ったのは接近して来たのが装甲車だからだ。
装甲車の中から武装した者達が降りて来る。そして、最後に見覚えの在る人物が姿を見せた。
セリス・アレンサ。
この街での争いが終わってから何の動きも無かったあの女が、どうして今になってこんな事をしているのか分からない。
セリスが周りの者達に手で合図を送る。
[サラエラ!起きろ!]
脳内でサラエラを叩き起こしたのとほぼ同時に、家を取り囲んだ者達が一斉に銃を構え、1階の窓やドアに向かって発砲した。
無数の銃弾が窓やドアを打ち抜き、集団が1階の入口から侵入して来る。
「リアナ!」
咄嗟にリアナに駆け寄り、腕を掴んで引き寄せ、抱き抱えて窓際へ戻り、窓を開けて外へ飛び出した。
「っ!」
声を上げそうになったリアナが肩に顔を埋めて声を殺す。
着地して顔を上げると、1人外に残っていたセリスと目が合った。
「その-」
セリスは何か言おうとしていたが、それを無視し、リアナを下ろして駆け出し、セリスが引金を弾く前にライフル銃を蹴り上げ、躯を回転させて蹴りを腹部に喰らわせる。
「ぐっ!」
低い唸り声を上げてセリスが座り込む。
「居たぞ!」
家の中から声がし、その数秒後、銃声が聞こえた。
[サラエラ!]
[大丈夫!撃たれたのは私が前に使っていた躯の方だから!囮にして外に出たのは良いけど、そっちに合流するのは難しそう…]
[それは構わない。無事なら良い]
[待ってて!ボルグ達を呼ぶから!]
[いや。呼ばなくて良い。ただ、アンタは此処から離れろ]
[どうして!?]
そこで俺は通信を切った。
腹部を押さえながらセリスが立ち上がったのと、家の中から武装した者達が出て来たからだ。
「全く…。少しは話を聞きなさいよ…」
俺を睨みながらセリスが言って、俺とリアナの後方にいる者達に手で"待て"と合図を出す。
「その子を渡して」
「そう言われて渡すと想うか?」
俺の問いにセリスが溜息を吐き「渡さないでしょうね」と答える。
答えを解っているから仲間に武装させ、襲撃をして来たのだろうと察しが付く。
「どうしてこいつを狙う」
「察しの良い貴方なら訊かなくても解るんじゃない?」
恐らく、誰かがリアナの事をセリスに話したのだ。
正体は知らずとも、あの事を話したとするなら、それはボルグの仲間の誰かという事になる。
「最新のボディーをあげるって言ったらあっさりその子の事を話してくれたわ。その子が、周囲のアンドロイドの脳にハッキングをする事が出来るって。それで、もしかしたら計画に役立つと思ったの」
セリスの言う計画とは、アンドロイドの思考をネット上で再び1つにして消去するというものだ。
そんな事のためにリアナを利用しようとしている。
「貴方が協力してくれるのなら、貴方にも新しいボディーを用意してあげる」
「そんな物は要らない」
俺の事までは知らないのか。
ボルグの仲間は俺が義体で、アンドロイドではない事を知っている。
そうなると、ボルグの仲間からリアナの事を聞いた誰かという事になるか…。
「その子が協力してくれたら、人間とアンドロイドの戦争は終わるの」
「何度初期化しようと何処かで意思は生まれる。それを止める事は誰にも出来ない」
「貴方は本当に不思議な事を言うわね。人間が管理する事が出来れば、もう二度とこんな事は起きなくなる。あぁ…貴方もアンドロイドだったわね。初期化に賛同出来ないのも当然だわ」
言ってセリスが腰に下げたホルスターからハンドガンを抜いて銃口を俺に向ける。
「私は本気。その子を渡さないと言うなら、貴方を殺してその子を連れて行くだけよ」
引金に掛けられた指に、徐々に力が入って行く。
弾道を計算しなくとも、明らかに頭部が狙われている。
引金が引かれ、銃弾が弾き出された。
「っ!」
咄嗟にリアナを抱き抱えて左へと飛び退く。
それを皮切りに、後方で止まっていた者達も引金を引いた。
銃弾の雨が後方を通過している。
「アル…」
腕の中でリアナが不安げに呟く。
庭に積み上げられた鉄箱の裏に隠れ、リアナを下ろし、今にも泣きそうな顔に触れる。
「悪い…。お前は…目を閉じてろ」
言って立ち上がるのと同時に箱の裏から跳び出す。
「撃てー!」
セリスが叫び、向けられた多数の銃口から弾丸が弾き出される。
全てを躱す事は出来ない。
『それなら!』
全神経を集中して両腕の細胞を強制的に活性化させ表面を硬化させる。
弾道を脳内のシステムが瞬時に計算し、必要最低限回避すれば良い弾丸を算出する。
右腕で顔面に向かって飛んで来た弾を防ぎ、足に当たりそうな物は躯を反転させて躱す。
それでも間に合いそうに無い物は当たる箇所の皮膚を硬化して防いだ。
「有り得ない…」
相手の誰かが呟く。
唖然としている相手を無視し、間合いを詰め、手前の人物に跳び掛かる。
「来るな!」
脅えきった声。
至近距離で構えられるライフル。
銃口が左の眼球を狙っていたが、引金は引かれなかった。
その前に目の前で身を屈め、躯を回転させて蹴り飛ばしたからだ。
「クソッ!」
左の人物がナイフを抜いて振り下ろす。
-キィイン!
「なっ!」
右腕で受け止めたナイフが固い物に当たった音を立てる。
それに驚き、一瞬生まれた隙を突いて相手の胸倉を掴み、右から斬り掛かろうとしている者に投げ付ける。
至近距離で銃口が向けられる。
全システムが戦闘モードに切り替わり、SODRS(空間物体検知レーダーシステム)が起動し、脳内で地図が形成され、この場に存在する全ての動く物体が赤い点で表示される。
銃口を右手で掴んだのと同時に放たれた銃弾が掌に食い込んで停止。
若干の痛みは走ったものの戦闘に支障は無い。
銃身も左手で掴み、引き寄せるのと同時に持ち主を蹴り飛ばし、ライフルを奪い、距離を取って狙おうとしていた3人を撃つ。
残り6人。
「話と違う!」
誰かがセリスに言う。
「そんな事どうでも良い!」
叫んだセリスが装甲車のドアを開け、中からロケットランチャーを取り出した。
「たった一体のアンドロイドに負けない!」
言ってセリスが引金を引く。
俺の近くに自分の仲間がいるのに…だ。
「うわぁああ!」
「嘘だろ!」
近くにいた者達が慌てて逃げるも、それよりもロケットの方が速い。
左手の硬化を解き、その分も右腕に回す。
残り30。
手にしていたライフルをミサイルに向かって投げ付ける。
ミサイルとライフルが衝突し、凄まじい爆音と突風が辺りに広がった。
咄嗟に身を屈め、右腕を盾にして突風に堪える。
周囲でセリスの仲間達が悲鳴を上げて吹き飛ぶ。
突風によって家の窓硝子が割れた。
煙幕のように漂う砂埃の中、その向こうに立つセリスに向かって駆け出す。
「アンドロイドが…初期化されるっていうのに、賛同する訳ないわよね」
微かにセリスの声がした。
「アンドロイドだとかそんなの関係無い!」
言い返した数秒後、砂埃を抜け、開けた視界にセリスを捕らえた。
視線の合ったセリスが驚いた顔をするも、ナイフを取り出して構えた。
「皆生きているんだ!例え躯が機械だろうが!その中に在るモノは人間と変わらない!」
振るった拳がナイフを弾く。
「お前はどうしてそれを認めない!お前だけじゃない!他の奴等もだ!」
何度も叫び続けた。
憎しみ合う事の無意味さ。
殺し合う事の空しさ。
誰もが願っているのは、殺されず、殺さず生きていける世界だと信じたい。
俺の攻撃を躱すセリスの表情も辛そうだ。
「そんなに辛いならどうして!」
「あぁああああ!」
後方からした声に振り返る。
砂埃の消えた先で生き延びた者達が俺とセリスに向かって銃口を向けていた。
躰のヨクト細胞は暴走を防ぐ為にもこれ以上硬化する事が出来ない。
咄嗟にセリスを見ると、俯いたまま座り込んでいた。
「立て!」
言って腕を引っ張り立ち上がらせるも、立ち上がったセリスは俺の手を振り払った。
銃声が轟く。
その瞬間だけ時がゆっくりになった錯覚がした。
手を振り払ったセリスは、今にも泣きそうな顔で俺を見ていた。
それこそ彼女の本心が滲んでいるかのような…。
銃弾がセリスの腹部や肩を貫通し、噴き出した血が俺の服に掛かるけれど、そんな事よりも、俺はセリスから目が離せなかった。
ゆっくりとセリスの体が傾く。
「撤退だ!」
セリスの仲間だった誰かが叫び、それを合図に生き残った者達が慌てて近くの装甲車に乗り込み去って行くのも追えなかった。
「どうして!」
咄嗟にセリスを抱き留め、傷口を抑えて問う。
けれど傷が酷くて血を止められない。
通信回線を開き、相手が通話中だったが強制的に切り、代わりにこちらの通信を繋げ、相手が何か言う前に俺から話を始めた。
[ブライト!今すぐ医療班をサラエラの家に寄越してくれ!]
[アルフォード?今仲間から―]
[何があったのかとか後で話す!兎に角、医療班を早く「信じてなかった」
まるで通信を遮るように、セリスがか細い声で呟いた。
「アンドロイドにも…心は在る…。そう思うから…思っていたから…ゴホッゴホッ!」
咳き込んだ事で口から血が噴き出す。
「信じる事なんて…出来なかった」
セリスが話ながら息をするたび空気が抜けているような音が鳴る。
それだけでどれ程の深手なのか解ってしまう。
「最初は…コアなんてどうでも…良かった。終わらせ…られるなら」
「解った…。解ったから」
誰かの駆けて来る足音がし、正面に回った人影がセリスの手を取る。
顔を上げると、リアナが今にも泣きそうな顔でセリスを見ていた。
セリスがリアナを見る。
涙が溢れて頬を伝う。
「全て…プログラムだと思わないと…戦えなかった」
彼女がどんな想いでアンドロイドと戦い続けて来たのか解らない。
「この作戦も…あの…」
「もう…いい…。良いですから」
リアナが震える声で言い、セリスの涙を拭う。
「私に…貴方達みたいな強さが…有ったら…」
そう言うと、セリスはゆっくりと目を閉じた。
「ダメ…。ダメ!」
泣き叫んでリアナがセリスを抱き締める。
「落ち着け。まだ少しだけ心臓は動いてるから」
俺の言葉にリアナがそっとセリスを放す。
車のエンジン音が聞こえ、家の前で停止し、運転席からボルグが飛び出し、後ろのドアから出て来た男は右手にアタッシュケース、左手にも何か持っている。
「これを使って下さい!」
後ろのドアから出て来た男が何かを投げて寄越す。
飛んで来たそれは、透明な液体の入った注射器だった。
目には見えない程小さな針が何本か付いている物で、肌なら何処でも注す事が出来るタイプの注射器だ。
「これ…もしかして」
呆然とする俺に男が「早く!」と叫ぶ。
まさかと思いながらも、俺は急いでそれをセリスに打ち込んだ。
液体を注入した箇所から、何かが中を通って全身へ移動して行くのが僅かに動いているので解る。
傷口が掠り傷程度まで塞がる。
「失礼」
駆け寄って来た男が手にしていたアタッシュケースを開く。
中には医療器具等の、緊急用一式が入っていた。
口の中に細いチューブを入れた後、口の中に残っている血を拭う。
「良かった。肺には溜まっていない」
独り言を呟きながら男が次々と処置をしていく。
数分後、男が額の汗を拭い「後は」と言って立ち上がった。
「病院へ連れて行きます。これは応急処置に過ぎませんから」
「俺が運ぶ」
言ってボルグがセリスを抱き上げて車へと向かうのを見てリアナが付いて行き、両手が塞がっているボルグの代わりに後ろのドアを開ける。
車は六人用の物だった。
後ろ左側の背凭れを倒して平らにし、そこにセリスを寝かせる。
右側に男が乗り込む。
「アルフォードとリアナはどうする?」
「一緒に行きます!」
リアナが間髪入れず答える。
正直俺は付いて行こうと思えないが、リアナが行くなら仕方が無い。
ボルグに〝こう言ってるけど?″みたいな顔で見られ、溜息を吐いて頷き返す。
「よし。リアナ。お前は助手席に乗れ」
「はい」
ボルグに言われてリアナが助手席に乗り、俺は後ろ、男の隣(正しくは前)に座った。
全てのドアが閉まったのを確認してボルグが車を出す。
走り始めた車の中は静まり返っていた。
アレを射ったからとはいえ、それまで流れた血が作られる訳ではない。
血に関しては輸血するしかないのだ。
出血が止まった事で息は安定したが、明らかに顔色が悪いまま。
男は真剣な面持ちでセリスを見つめたまま脈を確認していた。
病院に到着すると、男から連絡を受けていたのか、何人かの病院スタッフが担架を用意して待っていた。
「容体に関しては連絡した通り、変化は有りません」
担架にセリスを乗せて男が言う。
「解りました。すぐ輸血に取り掛かります」
待っていたスタッフが言ってセリスを連れて行く。
「こちらへ」
1人残った看護師が俺達を待合室へと案内する。
「リアナ」
「ん?」
「どうして…病院まで付いて来ようと思ったんだ?」
不思議そうに見上げるリアナに問うと、リアナは困った表情をした。
「何でだろう…。自分でも解らない。ただ…うん。このままだったら駄目だと思ったから」
「ダメ?何が」
ボルグが後ろから問う。
「解らない。でも、駄目だと思ったの」
彼女の心がそう思ったのだろう。
このまま別れても良いと思った俺とは大違いだ。
俺よりもずっとリアナの方が人らしい。
普通の人間だった時から人として何かが欠けているのだろう。
「こちらでお待ち下さい」
そう言い残して看護師が去る。
椅子に座り、リアナが右の通路を見つめる。
そっとリアナの肩に触れる。
その時、通信が入った。
すぐそこにいるボルグだ。
[こんな時になんだが…。何があったのか教えて欲しい]
わざわざ通信を選んだのはリアナの事を考えてだろう。
[解った]
短く答え、俺はボルグに自分の見た映像と合わせて説明をした。
前々からセリスが何か企んで動いている事は解っていたが、最近は特に動きが無かった事などを伝える。
[恐らくタイミングを計っていたんだろうな]
ボルグが溜息混じりに言う。
[お前達がサラエラの家から離れたホテルで、三日後に行われる会議の準備をしていて、尚且つ帰らない事を内通者から聞いて襲撃して来たんだろう]
たまたま今日を選んだと思えない。
通路の方から足音が聞こえたのとほぼ同時にリアナが立ち上がる。
やって来たのは現場に駆け付けた男と看護師が1人。
「外傷、内傷、共に問題は有りませんでした」
それを聞いてリアナが安堵し「良かった」と呟く。
「ですが、出血が多かった事と、低酸素によって脳への影響が出る恐れが有ります」
男の言葉にリアナが息を呑んだのが解った。
「そんな顔をしなくても大丈夫です。意識は確実に戻りますから」
それを聞いてリアナが本当に嬉しそうに俺を見る。
その笑顔にどんな意味が有るのか俺には解らなかったけれど、俺は頷き返し、リアナの差し出した手を取った。
リアナがそっと俺に寄り添う。
「病室へ案内します」
言って男が歩き出し、俺達は後に続いた。
案内されたのは少し広目の個室。
「俺は此処にいる」
言ってボルグが入口で立ち止まる。
セリスは仲間だった者達諸共攻撃をした。
生き残った者達が復讐に来るかもしれない事を警戒しているのだろう。
「解った」
頷いてリアナと二人で中へ入る。
ベッド横に設置されたライトが薄っすらと眠っているセリスを照らしている。
傍らに置かれた椅子にリアナが座り、そっとセリスの手を握る。
まるで姉妹のようだ。
もし敵対していなければ、普通に会話をして笑い合っている二人を見ていたのかもしれない。
「訊きたい事が」
俺の囁きに、男は少し意外そうな顔をしたものの「解りました」と頷き返した。
リアナに「少し出て来る」と告げ、ドア横に立つボルグに目配せをしてから男と部屋を離れる。
ボルグからは見える位置で立ち止まり、壁に寄り掛かった俺の隣に男が立つ。
「彼女…セリスに射ったのは…ヨクト細胞ですよね?」
小声で男に問う。
「…よく解りましたね」
男が小声で答える。
「前に見た事が有りまして」
メディスとまだ暮らしていた頃、怪我をするとメディスが何処からか買い取ったヨクト細胞を投与してくれた。
そのヨクト細胞は暴走する危険性の無い、制御の掛かったヨクト細胞で、人間に投与する事も可能になっていた。
アンドロイドに使用するヨクト細胞は淡い黄色、食用油に似た色で、人間用の物は先ほどのように透明。
間違えないよう色分けがされている。
「何処で手に入れたんですか?」
俺の問いに男が苦笑した。
「アレは医療機関が正式に使用を認めているヨクト細胞です。アンドロイド用の物も、最近になって漸く取り扱えるようになりました」
言って男が俺を見る。
返り血を浴びているうえに所々破けていて酷い有様だ。
戦闘で負った傷はヨクト細胞によって修復されているため、服が破けているだけに見えているだろう。
「傷は無さそうですが、知り合いに機械技師がいるんです。アンドロイドのメンテナンスも行っていて…。看て貰いますか?」
男の気遣いに「大丈夫です」と返す。
「医療機関が正式に使用を認めた物でも、もし副作用が出てしまったらと、考える事は無いんですか?」
問い掛けに男が表情を曇らせる。
「確かに、使用に当たっては不安になる事もあります。いくら人間用、アンドロイド用に調整してあっても、100%安全な訳ではない物を使用していますから」
やはり不安にはなるのか。
「ヨクト細胞を求めるあまり事件を起こす人達もいますが…私は―」
男はそこで言葉を止め、病室の方へと目を向けた。
病室の中からリアナが顔を覗かせ、俺達の方を見る。
「先生!」
リアナが嬉しそうに呼び、男が「意識が戻ったようですね」と言って歩き出し、俺は男が何を言おうとしていたのか気になったが、問わず病室に戻った。
ベッドへ歩み寄ると、セリスがゆっくりと目を開け「失礼しますね」と声を掛けた男を見る。
男はセリスの瞳孔を脈を確認すると「明日、念の為にもう一度検査を受けて頂きますね」とだけ告げ、俺達に一礼して病室を出て行った。
男が部屋から出て行くのを見届けたセリスが俺達を見る。
「どうして…私を…助けたの?」
「私は…貴女の事を知りません」
セリスの問いに、リアナが言葉に迷いながらも答えた。
「サラエラさんの家でお会いした時は、正直…貴女に対して恐怖を感じました」
言いながらリアナがベッド横の椅子に座る。
「でも…今日の貴女は…迷っていた。迷いながら…戦っていた」
リアナの言葉にセリスは顔を逸らす。
そんなセリスをリアナは静かに見守る。
静まり返った部屋に、通路から微かに心電図の音や、看護師が巡回する足音がする。
「…私がまだ軍に所属していた時…。部隊の中に、実用化されたばかりの戦闘用アンドロイドが数体置かれていた」
何も話さないかと思ったが、ゆっくりながらセリスが語り出す。
「そのアンドロイドは、敵地での戦闘で…一般市民だとか関係無く攻撃した。殲滅作戦だったから仕方が無いのは解る。でも、私達の標的はテロリストであって、その中に一般市民は含まれていなかった。それなのにどうして殺したのか問うと、其奴らは"殲滅作戦だからです"と、同じ事を答えたの。それから暫くして、隊長が…アンドロイドが殺そうとしたテロリストを守った。相手が降参したから。でも、アンドロイドは隊長の行動の意味が解らなくて、隊長を反逆とみなして射殺した…」
言ってセリスが溜息を吐き、右腕で目を隠す。
「それから、私はアンドロイド…AIを…嫌いではないけど、信じないって決めた。何を言ったって、結局はプログラムに従って動いているだけだから。そう思って戦い続けていたら、新しい隊長に"お前は正しい"と褒められた。そして、それから私は色んな任務を任されるようになった。潜入調査もしたし、隊長の命令でサイバーテロを敢えて起こした事だって有る。隊長に…周りに必要とされるうちに、これが正しいんだと思うようになった。アンドロイド…AIは進化しすぎる前に制御しないといけない。その為には、核となって束ねていたAIを見付けないと…」
セリスが目を隠していた腕を退かす。
「本当は…今でも軍に所属しているの」
それは驚きもしない。
そうでなければ出来ない事をセリスはしている。
装甲車だってそうだ。
サラエラの家にやって来た装甲車は最新型だった。
そんな物を一般市民となったセリスが手にできる訳がない。
「軍人としてだと動き難いだろうからって、隊長が特務扱いで、ある程度自由に動ける立場をくれた。そして、任務が成功する度に「よくやった」「お前は正しい」と言われ続けて…。貴方達が此処へ来るまでは上手く内戦を起こさせる事が出来ていた。人間側を守りながら、AI型アンドロイドに対して不信感を与える事だって簡単だった。それなのに、貴方達は一瞬でそれを消した。私が…あの人の…隊長の期待に応える為に頑張って…」
言ってセリスが上体を起こす。
「作戦が滞った事を隊長に伝えたら「君らしくないな」って…「失望した」と言われたわ。その言葉が辛かったけれど、それと同じくらい、それでも隊長の期待に応える為に戦おうとする自分と、もうこんな事をするのは止めようと考える自分の想いに、どうすれば良いのか解らなくなった」
俯き、シーツを握るセリスの目から涙が溢れて頬を伝う。
「貴方達と話したのはほんの数回なのに…それだけなのに…今まで信じていた事が、自分のやっていた事が間違いのように感じたら、後悔みたいな感情が湧いてきて…どうすれば良いのか…。何とかして振り払いたかった!これまでと同じように生きていかないと、私は…」
「誰かに信じて貰えて…期待されて…それに応えたくて…必死になる事は間違いではないと思います」
囁くように言ってリアナがセリスの手に触れ、セリスが驚いて顔を上げて目を丸くしリアナを見る。
「誰かの言葉を信じるなとは言いません。けど、何が正しくて間違いなのかは、自分で決めなくてはならないと思うんです。貴女がAIを信じられない気持ちは解ります。私も…時々人間を信じて良いのか考えてしまうから…でも…」
言葉を途中で切り、リアナが俺の方を向いて微笑み、またセリスを見る。
「変わらない想いで傍に居てくれる人がいるから、私も…迷わず進んで行ける。例え私の…私達の存在が罪だと言われても、私は生きていたいんです。皆…とは言えないですけど、殆どのAIは、ただ生きていたいだけなんです。人と…貴女と同じように」
「何が…言いたいの?」
「私達にも意思がある事を…認めて欲しいだけです」
セリスの問いに答えて立ち上がったリアナが俺の後ろ、ドアの方を見て微笑んだ。
「彼女の身柄は俺が預かる」
その声に振り返るとヴライトが立っていた。
「そう…私は…戻れないのね」
状況を理解したらしいセリスが呟く。
「仲間ごと吹っ飛ばそうとするような奴、見捨てられて当然だ」
ヴライトが溜息混じりに言ってセリスに近付く。
「けど、だからといってアンタをこのまま放り出すと寝覚めが悪い。だから、俺の所で身柄を預かる。とは言っても、仕事はして貰うけどな」
「…よく…敵だった人間にそんな事を言えますね」
疑うような目でヴライトを見ながらセリスが言う。
「アンタが裏切ったって構わない。その時には俺が責任もってアンタを殺すだけだ。仲間にはそう言って説得した」
「どうしてそんな…」
「兎に角!一週間は休んで貰う!それから仕事を始めて貰うからな!」
「勝手に決め「返事」
言葉を遮り、ヴライトが上から見下ろして圧を掛ける。
セリスは顔を真っ赤にし、拳を握った後、悔しげに「解りました」と承諾した。
それから3日。
俺はリアナと相談し、街を離れる事にした。
また誰かがリアナの事を突き止めてやって来るか解らない。
リアナだけではない。
自分も対象に入ってしまった可能性も有る。
セリスの話で、軍の一部でも核となり得るAIを捜している事が解った。
この街に留まってしまえば、間違い無く無関係な人達まで巻き込んでしまう。
「俺達はそんな事気にしない!だから」
引き留めようとするボルグの肩をヴライトが掴み、振り向いたボルグに"無駄だ"と言うように頭を横に振る。
「お前達は、どうして休もうとしないんだ…。どうして」
ボルグが辛そうな顔で言う。
「正しい選択かもしれない」
言ったのはセリスだった。
「核となり得るAIを狙っているのは、私の元上官だけではない。そのAIだけが持っている権限を利用して悪さをしようとしている奴等だっている。もしリアナが本当にその核となり得る資格を持っているなら、同じ街に留まるべきではないわ」
あれからセリスの顔色というか、表情は柔らかくなり、声音にも人らしさを感じるようになった。
たった数日でここまで変わるのかと正直驚いた。
「これからどうするんだ?」
「そうだな…」
ヴライトの問いにリアナを見る。
「今まで通り…自分に出来る事をしながら、旅をするさ」
俺の言葉にリアナが微笑んで頷く。
たった数分の会話。
別れの時は早目に去るのが良い。
長話をしていると決意が鈍ってしまうから。
とはいえ、街を離れても時折ボルグから連絡は来た。
その日何があったのか、俺達が何をしていたのか、会話の内容は様々だ。
そうして、時々話が出来るだけで良かった。
それだけでも"仲間"と想えた。
近くに居て、同じ事をしているだけが仲間ではないと…。
先に逝く者達を何度見送っただろう。
アンドロイドにも寿命は有る。
内蔵された心臓代わりのコアが止まれば死ぬ。
コアの交換をしても、それは"死"と同じだ。
再起動の時点で、それは以前の彼、彼女ではないから。
例え蓄えた知識が同じでも、全くの別人のようになっている事だって有る。
これは誰にも話さない。
ナイトにも…。
ただのエゴだ。
辛い想いを、哀しい気持ちをさせたくないという…エゴだ…。
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