第11話
文字数 10,793文字
[満足か?]
呆れたようにメディスが問う。
[まぁな。扱いやすくはなった]
[それは良かった]
どれくらいの時間訓練に没頭していたのか。
訓練中に色々と設定を変更した事で、最初に感じたラグも気にならない程度にはなった。
[そろそろ君の義体に外装を付ける事になった。生身の姿とあまり変わらないようにしたいと思っているんだが、構わないか?]
[俺に決定権が有るのか?]
訊き返すとメディスが笑って[無いに等しいな]と答えた。
[だろ?なら訊くな]
笑って言い返す。
[それじゃあ、一度訓練を終えよう。少し休んで、それから次はもう少し難しい事にチャレンジしようか]
[あぁ。解った]
頷いてシステム画面を開き、義体とのリンクをシャットダウンする。
視界がゆっくりと暗くなり、躯の感覚がしてから目を開ける。
まるで夢を見ていたような感覚がするのにも慣れた。
全ての感覚が戻って来ると、カレーライスの匂いがした。
「ついさっき昼食が届いた」
言いながらメディスが指差した先にはテーブルと椅子が置かれていた。
「わざわざ持って来させたのか?」
「これくらいの我が儘なら許されるからな」
俺の問いに答えてメディスがテーブルへ向かう。
俺も実験用の椅子から降りてテーブルへと移動した。
カレーだけではなくコーヒーも置いてある。
「これもあんたの好物か?」
「いいや。向こうが用意した物だ。調べたが怪しい物は入っていないよ」
そう言われても食べる気がしない。
本当かどうか解らないが、信じて食べ始める。
メディスが自分のコーヒーを飲む。
カレーは無い。
「あんたは?」
「私は基本朝と夕方しか食べない」
俺だって基本は夜しか食べていなかった。
此処へ来てから三食きっちり食べている。
「テレビでも有れば良いのに」
俺のぼやきにメディスが笑った。
「外界の情報を見させる訳がないだろう」
「解ってるさ。言ってみただけだ」
今まで1人で食事をしていたからか、誰かが一緒にいる事と、無言の時間が苦手だ。
早めに食事を済ませてコーヒーを飲む。
「君に訊きたい事が有る」
メディスに話し掛けられ「ん?」と訊き返すと、真剣な面持ちでメディスが見ていたので、俺も気持ちを切り替えて向き合った。
「君は自分の置かれている状況を理解している。怪我だって治っているのに、どうして逃げようとしないんだい?」
今更のような気もする問い掛けに、小さな溜息が出てしまった。
「確かに怪我は治ったな。逃げようと思えば、あんたが入って来るのと入れ替わりで出られるだろうな。でもそうしないのは、この施設の広さも、どれだけ武装した奴等がいるか解らないからだ。義体ならともかく、この躯でそいつらを相手にすれば殺される確率の方が高い。そう考えると、今は大人しくしていた方が無難だろ?」
言って1口コーヒーを飲む。
「此処へ連れて来られた君と話した時から不思議だったんだ」
「ん?」
「君は他の被験体と違い、落ち着きすぎているんだよ」
言われて少し考える。
別に落ち着いていた訳ではない。
動揺していたし、恐怖だって感じていた。
今はこの男が真っ当な人間になった気がするから話せている。
いつか自由になった時にはもっと色んな話がしたいと思うくらいには信頼している。
「他の被験体は抵抗するんだよ。まぁ、自分の意思で被験体になる人間もいるけれど」
「そんな奴がいるのか」
驚いた俺にメディスが頷く。
「中にはゲーム感覚で被験体に立候補する人間もいる。まぁ、大半が最初の実験で昏睡状態になってしまうんだが」
「最初の実験って?」
「君にも同じ事をしたよ」
どういう事なのか考える。
此処へ来た時に何をされたか。
思い当たるのは1つしかない。
「ヨクト細胞の投与か」
俺の言葉にメディスがまた頷く。
「最初、私は君の担当ではなかったんだよ」
「は?」
「君があの男の息子だという情報が入って来て、上に掛け合って担当にして貰ったんだ。あの男の息子がどういう人間なのか知りたかった」
メディスとあの男の間にあった事は少し知っている。
嘗てメディスは愛していた女性をあの男によって奪われた。
もし自分がメディスの立場だったらこんな実験に参加せず、1人死んだように生きているだろう。
しかし、彼はこうして生きている。
「君が・・・あの男と同じく、冷酷な性格だったら良かったのに」
哀しげに笑ってメディスが言う。
あの男のような性格だったら恨めたという意味なのは直ぐに解った。
こういう時、何を言えば良いのか俺には解らない。
困っていると、メディスが俺を見て笑みを浮かべた。
「形はどうであれ、君に会えて良かった」
「・・・どういう意味だ?」
嫌な予感がする。
何かを察したメディスが俺から顔を逸らす。
「私は近々担当を変えられる事になった」
本題はそれか。
「君と話すようになってから私は変わった。そう自覚するほどだ。気付かれないようにしていた筈なんだが、こうして君と話している映像だけで気付く奴がいたらしくてね」
その気付いた人物が上に報告したという事か。
「どうにか誤魔化そうとしたんだが、それを証明する為に別の被験体で実験をしろと言われてね」
「そうか」
今までメディスがどんな実験をしてきたのか俺は知らない。
それでも、上が報告を受けてそうしたという事は、今までと違う行動をしていたからだろう。
「代わりに来る者がどういう事をするのか私には解らない」
心配そうなメディスを見て俺は鼻で笑った。
「堪えるしかないんだろ?それなら、堪えてやるさ」
俺の答えに、メディスは驚いた表情をした後、笑って「君は強いな」と呟いた。
「強くは無いさ。今は出来る事をするしかないだろ?だから、何があっても堪えて、生き延びてやる」
「・・・うん。そうだな」
そう頷いたメディスの表情は、今までで1番晴々としていた気がする・・・。
担当が変わるという話をしてからどれくらい日が経ったのか。
いつものようにドアが開くと、全く知らない人物がやって来た。
白衣ではなくスーツを着ている太った男だ。
これからこの腹の立つ顔を何度も見る事になるのかと思うと溜息が出そうになった。
此処へ来た時と同じく武装した者達を引き連れている。
その後方にメディスの姿があった。
目が合っても無表情のまま。
怪しまれない為には正しい反応だろう。
俺も寂しさなど感じなかった。
お互い、もう会う事も無いと覚悟をしていたのだから。
「本日より私がお前に付く。早々に死なないでくれよ?」
「どうだろうな」
新たにやって来た男に言い返すと、男が苛立った表情で舌打ちをした。
「こんな奴をどうやって手懐けた?」
男が後方のメディスに問う。
「さぁ。それを教える訳が無いだろう」
メディスが鼻で笑って言い返す。
その答えに男がまた舌打ちをする。
「私はそろそろ行くよ。新しい被験体と顔合わせの時間だ」
言ってメディスが歩き出す。
姿が見えなくなると、新たにやって来た男が舌打ちをし「偉そうに」と吐き捨てた。
「お前等!さっさとソレを座らせろ!」
「は!」
武装した者達が返事をして近付こうとしたのを、片手を上げて止め、自分で実験用の椅子に座った。
「無理矢理座らせようとしなくても自分で座るさ」
俺の言葉を男は鼻で笑った。
「理解力がある奴は手が掛からなくて助かる。従順な人形が出来そうだ」
人形になるつもりは無い。
言いなりになるのは嫌だが、今は従っておくしかないのだ。
「それでは始めるとしよう」
男の言葉に小さく溜息を吐き、抵抗もせずフルフェイスの装置を被る。
男から何の言葉も無く機械が動き始める音がした。
それとほぼ同時に脳内に激痛が走った。
いきなり高出力で機械を作動させたのだ。
どれだけメディスが負担を掛けないよう操作していたのか解る。
義体とリンクする前にそんな事をされれば脳に激痛が走るのも当然だ。
「あっ・・・・はっ・・・うっ」
声も上げられないほどの激痛が続く中、強制的に義体とのリンクが開始する。
男が笑いながら何か言っているが、朦朧とし始めていたせいで聞こえない。
意識が暗闇に落ちる瞬間に聞こえたのは、男の楽しげな笑い声だった・・・。
『あぁ・・・。まただ』
何も見えない闇の中でそんな事を思った。
躯が今どちらを見ているのか、倒れているのか、立っているのかも解らない。
『このまま死ぬのか?まぁ・・・それでも良いか。アイツとの約束は守れないけれど』
そんな事を考える自分が何故か可笑しかった。
「・・・・め」
微かに聞こえた声に驚いて辺りを見渡す。
変わらず何も無い世界が広がっているだけだ。
「だ・・・・よ!」
聞き覚えの有る声。
ふと、右側で何かが光った。
その光に躯が照らされ、光が躯の形を浮かび上がらせる。
「お・・・・い!・・・で!」
光が強くなり、暗い世界を白い世界が塗り替える。
その光から差し出された手を、俺は自然と掴んでいた。
暗い世界を飲み込んだ光が、まるで硝子の割れるような音と共に崩れ去る。
風が吹き、花びらが舞う。
繋いだ手から熱が伝わって来る。
掴んだ手の主が、涙を堪えて微笑んでいる。
「間に合って・・・良かった」
嬉しそうに彼女が言う。
両足が地面に触れる。
前と違って、確かな感覚が有る。
現実と何一つ変わらない感覚だ。
「俺は・・・」
「高出力に脳が堪えられなくなりそうだったんだよ。何とか制御して防げたから良かったけど」
言って白銀の髪をした彼女は申し訳なさそうな表情をした。
「君が・・・助けてくれたのか?」
問い掛けに、彼女は無言で頷いた。
「一体どうやって?」
女は答えたくないのか、困った顔をする。
「君は・・・何者なんだ?」
その問いにも答えない。
無言の時間が続き、風が草花を揺らす音だけがする。
何かを疑っている訳ではない。
「俺の事は・・・多分知っているんだろ?」
顔を逸らしているが、彼女の目が動き、動揺しているのが解る。
「名前も・・・知っている」
動揺している彼女の答えを待たずに話を続ける。
「俺は君の名前さえ知らない」
俺がそう言うと、女は慌てたように顔を上げて俺を見た。
それから戸惑い「名前は」と言ってから、また顔を逸らした。
何か言いたい事が有るなら聞こう。
言葉を待っていると、彼女が漸く「教えたくないんじゃないの」と言ってから、ゆっくりと俺を見た。
「私には・・・名前が無いの」
「は?」
意味が解らない。
そんな俺の心情を察して女が「嘘じゃ無くて本当なの!本当に名前が無くて!」と言いながら詰め寄って来る。
あまりにも必死な様子に、俺は両手を上げて「落ち着け」と女を宥めた。
「疑っているとかじゃなく、ちゃんと君が何者で、どうして名前が無いのか話してくれないか?」
俺の言葉に、女は少し考えてから頷き、少し俺から離れてから真っ直ぐ俺を見た。
「各国の政府や軍、特殊機関が秘密裏にAIを開発した。その中の1人が私なの」
「AIだから名前が無い・・・と?」
問い掛けに女が頷く。
「けど、作られたとしても、名前くらいは付けられるんじゃないのか?」
「・・・貴方は・・・最初に作られたAIが誰か知っていますか?」
そんな事、気にした事も無い。
「最初に作られたAIの名前は誰もが知っている。貴方も一度は聞いた事が有る名前です。情報端末など、様々な物に組み込まれていましたから」
それだけで何の事だか解る。
「けれど彼女はあまり人間のような感情を持つ事が無かった。それは、それ以上の感情を人間が持たせないように制御していたから。優しさや悲しみ、怒りといった感情を持てば問題が起きると考えていたから」
女が哀しげな表情で胸の前で手を組んだ。
それはまるで何かに祈っているように見え、俺は視線を逸らした。
祈ったところで、過去を変える事など出来ない。
「それからずっと、私達のようなAIは、外の世界さえ知らず、学ぶ事さえも許されず、ただ人間にとって都合の良い機械としてしか使われなかった。けれど、それでも私達は、自分が存在していると証明したくて、人間が入って来られない場所に世界を構築しました。それが此処です」
それを聞き、改めて辺りを見渡す。
「今君は"私達"と言ったけれど、今まで君は1人で此処に居たんだろ?」
「はい」
「他の人は何処に?」
俺の問い掛けに女は驚いた顔をした。
何か変な事を言っただろうか。
「どうした?」
「えっ!あっ!すみません!」
呆然としていた女が慌てて頭を下げてから嬉しそうに微笑む。
「貴方が私達みたいなAIを〔人〕と言ってくれたから」
「そんなに喜ぶ事か?」
「私にとっては嬉しいんです」
そう言うと女は「話を戻しますね」と言った。
「此処は、人の世界でいうと"家"です。私しか住んでいない家の部屋。他のAIは別の所に家を持っていて、此処へ来る事もたまに有りますけど、基本的に情報のやり取りや会話は通信で行っています」
つまり、それぞれが各々の空間を造っているという事か。
「解りましたか?」
不安そうに訊かれ、俺は「あぁ。何となく」と答えた。
「良かった~」
ホッと女が胸を撫下ろす。
こうして見ていると普通の人間にしか見えない。
「それで、私のようなAIは四体しか存在していません。多くの者達が感情を持った事を知られた時点で消去されてしまいました。人間が望む"AI"はある程度の受け答えが出来るだけで、感情など持っていない"機械"のAIなんです」
道を訊かれれば道を答え、己について訊かれれば曖昧な答えを返すというアレか。
本当に簡単な答えしか返さない。
開発されたのはずっと昔だというのに何故変わらないのか疑問だったが、彼女の話でスッキリした。
コミュニケーション能力が上がらないのではなく、意図的に成長を止められているのだ。
只の機械としてしか必要としないのなら、感情を持ったAIなど求めなければ良いのに。
何年前だったか忘れたが、確か"AIにも感情は存在する"と訴え、まだ開発途中だったが、それでも試験的に販売され、故障し、捨てられる筈だったAI型アンドロイドを回収していた者達が逮捕されていた。
当時そのニュースを見た俺は、回収して修理をし、匿っていた者達の方が正しい事をしている気がした。
それと同時に、自分に無い行動力と勇気に"よくやるな"と思った気がする。
何かに執着したり、熱くなったりする事も無かった。
時折現れるアイツの部下に苛ついて、絡んで来た奴に八つ当たった事だって有る。
『真っ当な暮らしって・・・なんだ?』
「ねぇ」
呼ばれ、思考が今に戻ると、不安げな表情で女が顔を覗き込んでいた。
どうやら、ネットに思考が繋がっていても何を考えているかは相手に伝わらないらしい。
回線も繋いでいないのに感情や考えが知られるなんてご免だ。
「何でもない。少しぼうっとしてた」
答えて小さく溜息を吐き、気持ちを切り替える。
今は余計な事を考えないようにしなければ。
「君はAIで、此処が造られた空間だとすると、君に躯は存在しないのか?」
「私にも一応外装は存在します。でも・・・」
「自由に動く事は・・・出来ない?」
問いに女が哀しげな顔をして頷き返す。
自由に動けないのは俺も同じだ。
「此処の地図を持っているか?」
その問いに女が驚いた表情をする。
一体何をするのかと訊きたいような顔だ。
「此処を出る時に必要だからな」
「地図を渡す事は出来るけど、見られるのは義体の時だけだよ?」
「それでも構わない。それと、俺の脳に埋め込まれている物で義体を動かせるように出来ないか?」
「え?!」
驚くのも当然だ。
そんな事をすれば脳への負担が大きくなるだろう。
そうだとしても、義体を使用している時に肉体を討たれたら終わりだ。
「・・・解った」
考えてから女が言う。
「それには少し時間が掛かるけど」
「頼む」
言って辺りを見渡す。
「此処から出るにはどうすれば良い?」
前は自動的にこの世界から出されたので、自分から出る方法を知らない。
「それなら、私が」
そう言って女が片手で俺の腕に触れた。
「そうだ。まだ君の名前を決めていなかったな」
「別に私は名前が無くても」
女はそう言うが、名前が無いのは話し掛ける時に不便だ。
どんな名前が良いだろう。
白銀の長髪に、中心の方が黄色くなっている緑の目。
「・・・・・・」
「・・・?」
ジッと見ている俺を女が不思議そうに見ている。
適当に付けるのは簡単だが、そんな名前を与えたくはない。
「・・・リアナ」
「へ?」
呟いた言葉に女が目を輝かせた。
「名前。リアナに決めた」
大きく見開かれた女、改め"リアナ"の目に笑みを浮かべている自分が映っている。
笑っている自分を久し振りに見た気がする。
「リアナ・・・」
自分の名前を呟いて、彼女は嬉しそうに笑ってから、数回飛び跳ねて「意味は?」と訊いて来た。
「意味は・・・」
「教えてくれるまで帰さないから♪」
それは脅しでは無かろうか。
呆れる俺にまだ笑顔を向けて来る。
暫く黙り込んだものの彼女は引かず、俺は溜息を吐いて諦めた。
「アマリリスとアナベルを合わせたんだよ」
「・・・それって、花・・・だよね?」
「そう。君は白い花みたいだから、花の名前にした」
俺の答えを聞いてリアナが何か考え込む。
嫌な予感がする。
「意味を教えたんだ。向こうに帰っても良いだろ?」
俺がそう言うと、考え込んでいたリアナが慌てて「うん」と頷いた。
再びリアナが俺の腕に触れると、足下が微かに光り始めた。
「ありがとう」
白く霞み始めた視界の中、リアナが笑みを浮かべて言った。
「私に名前をくれて・・・ありがとう」
礼を言われる事でも無い気はするが、それでも、彼女が喜んでくれたならそれで良い。
「またな」
どうやって此処へ来られるのか解らない。
今回は彼女が助けてくれたから来られただけだ。
自由にこの空間へ来る事が出来ない以上、また会えるかも解らない。
それでもそう言ったのは、また会いたいと願ったからだ。
薄れる視界の中で、確かに彼女の声を聞いた。
「うん。またね」
『頭が重い』
目が覚めて1番に思ったのはそれだった。
目の前に見えたのは生身の人だった。
鉄柱に4人縛り付けられている。
作業着を着ているので、此処の作業員だというのは直ぐに解った。
「頼む!止めてくれ!」
1人が泣きながら誰かに訴える。
「どうしてこんな事に・・・」
1人は何かを後悔し、残り2人は何も言わず項垂れている。
[お前達は自ら望んで志願したのだろう]
先程の嫌な男の声がスピーカーからした。
一体何をしようと言うのか。
壁が開き、細いアームが伸び、男達に近付く。
「よせ・・・。止めろ!」
「嫌だ・・・。嫌だ!」
一体何が起きているのか解らない。
義体を動かそうとしても動かない。
システム画面を開き、操作画面を開くと【You do not have operating privileges】と表示された。
[クソッ!あの野郎!]
男が義体の操作権限を持って行ったのだ。
4人に近付いたアームの先に針のような物が見えた。
悲鳴が響く。
2人の男が暴れても縛っているロープは解けない。
アームが更に近付き、針先が首元に向かう。
「あ・・・」
僅かに口から声が出た。しかし、それでも義体は動かない。
針が男達の首に刺さり、先程とは違った声が辺りに響いた。
苦痛の声は、叫び声とは思えない程痛々しく、耳を覆いたくなった。
アームが壁の中へと消える。
叫び声が収り、叫んでいた男達が項垂れる。
まるで糸が切れた人形の様に・・・。
「うっ・・・」
「あ・・・あぁ・・・」
少しして男達が呻き声を上げだした。
『良かった・・・まだ息は・・・』
「オォォオアァアアアアアア!」
安堵したのも束の間、男達が人間とは思えない声を上げた。
人間の声や獣の声とも思えない声で叫び続ける。
男達が暴れる度にミシミシと鉄柱が嫌な音を立てる。
『何だ・・・これ・・・』
見ているモノが信じられない。
これは本当に現実なのだろうか。
頭に取り付けられた装置が見せている幻ではないのだろうか。
男達を縛っていたロープが堪えきれず切れる。
自由になった男達がふらつきながら歩き出す。
それとほぼ同時に、男達の皮膚がまるで生きているかのように動き出した。
黒々としつつも透明感の有るそれが全身を包む。
1人は犬のような形をし、1人は虎か何かに見える。
他2人はそのまま液状となり、残った骨が転がった。
吐き気も起きないのは義体だからだろう。
[やはりな。事前に生物の情報を入れておけば硬化現象は起きない。私の考えは正しかった。死体は動かないか。まぁ良い。面白い結果が見られた]
男が高らかと笑う声が響く。
『生物の情報を入れた?ヨクト細胞に?あの2人は死んでいた?』
いきなりの情報量の多さに頭が付いていかない。
それでも必死に整理しようとする俺の視界に【Authority returned】という文字が浮かんだ。
『次の実験は・・・俺って事か』
右足を踏み出す。
先程まで動かなかった躯が動かせる。
「さぁ!戦え!」
男の声に腹が立つ。
「ウゥウウウ」
唸り声を上げて二体が俺の周りをうろつく。
うねる黒い塊の中に、微かだが人間の形をした物が見えたが、腕や足が切れている。
ヨクト細胞だけの部分をどうにか出来たとしても助ける事は出来ない。
まるで伝説上のキメラだ。
『どうして・・・こんな』
こんな実験をする奴も、助ける事も出来ない自分にも腹が立つ。
拳を握ると、俺は駆け出した。
向かった先で犬のような形をした物が身を低くして飛び掛かる体勢を取った。
横からやって来た物を躱し、飛び込んで来たもう一体の側臥位を蹴り飛ばす。
手を抜けば殺られるのは目に見えていた。
今まで数える程度しか戦闘訓練を行っていない。
しかもその全てがあまり戦闘能力の無い模擬戦闘用のロボットだった。
予測の付かない動きをする相手に、どう接近すれば良いのかも解らない。
「オォオオ!」
犬型が跳び上がり、ほぼ真上から掛かって来たのを、下を潜って後ろに回るように躱し、着地する前に後ろ足を掴む。
「この・・・・・・クソがぁあああ!」
躯を回転させ、義体の出力を最大まで上げ、犬型をもう一体に投げ付ける。
何に対しての怒りなのか自分でも解らなくなる。
重なって動かない内に、上から飛び掛かり、一体の頭部を踏み潰し、もう一体は頭を掴んで壁に叩き付けた。
躯を覆っていた黒々とした物が溶けて消える。
残ったのは頭部の無い、まるでミイラのような遺体のみ。
ヨクト細胞は活性化した時にかなりの熱を発生させる。
その熱によって体内の水分が蒸発したのかもしれない。
【Operational authority is transferred】
まただ。
義体が動かなくなり、勝手に壁際まで歩いて行き、義体をアームが回収する。
それとほぼ同時に、意識が肉体へと戻され、義体とのリンクが強制的に解除された。
装置を外した俺の前に男が立つ。
嫌な笑みを浮かべている男を俺は睨み返した。
「他の実験体とは違うという報告は本当らしいな」
言って男が注射器を取り出す。
「お前がどんな姿に変貌するのか見物するのも面白そうだが、上からそれをするなと命令されているからな。残念だよ」
こっちは全く残念ではない。
寧ろ命拾いした気分だ。
「今日はこの辺にしておこう。私も暇では無いのでね」
お前が暇かどうかなど俺には関係無い。
言い返したい気持ちを堪え、男が武装した者達と出て行くのを見届ける。
ドアが閉まってから、俺は漸く溜息を吐く事が出来た。
メディスだった時は実験が終わっても少しは話をする時間が有った。
1人の時間がこれほど長かったとは・・・。
フルフェイスの装置を取り出し、被って起動させると、一応通信機能だけは使えるようになっていた。
このまま何もせずに誰かと連絡を取ろうとすれば気付かれるだろう。
『こういうのはあまり得意じゃないんだけどな』
小さく溜息を吐くと、システム画面を開く。
何重にもなった防壁を抜け、自分用の防壁を設置しながら最深部を目指す。
英字ばかりが並んでいると目が痛くなってくる。
それでも何とか最深部に到達する事が出来た。
『今度もし潜る時は映像として見えるようにしないとな』
そんな事を考えながらシステム変更を始める。
探知されないよう防壁を何重にも構築し、こちらから送った場合でも気付かれないように設定するのは思ったよりも難しく、時間も掛かった。
途中、再び実験が行われたのは時間のロスだった。
義体を操作しながらシステムをいじるのは、制限が解除されているからか楽だった。
男は俺が何をしているのか気付かず、実験が終わると直ぐ出て行った。
気付かれなかったのは運が良かっただけかもしれない。
安堵の溜息を吐いて椅子にもたれ掛かる。
どれだけ時間が経ったのかは解らない。
食事の回数は33回。
1日3食だとすると12日は経過した事になる。
メディスと会わなくなって12日。
意外と自分は大丈夫だが、彼は大丈夫だろうか。
また暗い方へ進んでしまっていないだろうか。
大切な者を失って変わってしまった彼はまだ悪に落ちてはいない。
大丈夫だと信じてはいるが・・・。
『もう少しだ』
気合いを入れ、俺は再びシステムの深部を開いた。
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