第12話
文字数 11,233文字
何処かへつ繋がっている光の線を目で辿りながら、漸く終わった事に一息吐いた。
これを創り上げるまでにどれだけの時間が掛かったのか。
外の情報もそれなりに知る事も出来るようになった。
俺が事故に遭ったのは5ヶ月前。
あの列車事故で死亡したのは85人。
意識不明で昏睡状態なのが13人。
遺体が発見できていないのが34人。
俺は死亡した人間の中に含まれている。
詳しく調べてみると、一度は病院に搬送された事になっていたが、その後、死亡が確認され、遺族がいなかった事から何処かの寺に無縁仏として引き取られた事になっていた。
此処を出たからといって普通の生活に戻れるとは思っていないが、思ったより面倒臭い事になりそうだ。
死んだ事になっているからか、義体の外見は、本物の躯とは全く違う容姿で造られた。
皮膚に使用されたのはヨクト細胞だったが、不思議な事に何の悪影響も無かった。
恐らく、生身では無いから硬化現象が起きないのかもしれない。
それがメディスの見解だった。
義体を覆っている皮膚、目の部分、全てがヨクト細胞で出来ているとは思えない程、見た目は人間そのものだ。
目は眼球の中に小さなカメラのレンズが入っているので、至近距離で眼球の中を覗かれたら機械だと気付かれてしまうかもしれない。だが、そんなにまじまじと覗き込む人間はいないだろう。
五感の確認の為に新たな担当となった男が行ったのは非道な手段だった。
味を感じる事が出来るかというのは普通だった。
問題はそれ以外だ。
後に"想い出したくもない"と思ってしまう程の実験だった。
初めに痛覚の確認をされた。
義体なのだから痛覚を切る事も出来が、そうするとシステムに干渉する事が出来ると知られてしまうので、痛覚を切らずにそのまま実験を受ける事しか出来なかった。
痛覚の確認の為に舌を引き抜かれた。
あまりの痛みに叫んだが、その叫び声は自分の物とは思えなかった。
咳き込む俺を、男はモニター越しに笑って見ていた。
痛みが引かない内に、次は右腕を切られた。
その次は左腕。
足にはナイフを刺された。
俺の意識は腕を切られた時には朦朧としていたが、痛みが与えられる度、強制的に意識が引き戻され、地獄が繰り返されている感じだった。
それでも傷はヨクト細胞によって通常の何十倍もの早さで修復される。
男はヨクト細胞の増殖スピードにしか興味が無いようだった。
[いい実験材料だ]
朦朧とする意識の中で聞いた男の声は後に想い出すだけで吐き気がするほど腹立たしい。
システムに何とか干渉し、気付かれないよう独自のネットワークを構築するのは大変だった。
防壁を造るのもそうだ。
もし気付かれたとしても、それを造ったのが自分だとバレないよう、何重にも防壁を構成し、施設内のパソコンのほぼ全てをダミーとして登録した。
気付かれた場合、それらのパソコンが発信源となる。
それがダミーだと気付かれるまでそれなりに時間が掛かるだろう。
その間に何とかする事が出来れば問題無い。
そういった工作をしている間にも時間は経過する。
色々と探っている時、たまたまリアナとは違うモノと出逢った。
リアナにとっては兄、姉となる者達。
「此処にいた!」
声がし、頭上を仰ぐと、淡いオレンジ色の髪をした男女が飛ぶように降りて来ていた。
男の方は髪が短く、女の方は長い髪を2つに結っている。
「貴方の防壁、有能過ぎませんか?」
男の方が俺に問う。
「お前等はリアナの兄姉みたいなものなんだから、防壁で排除する必要は無いだろ」
俺の答えに男が「そうですけど、どうやってシステムは僕等だと判断しているんですか?」と訊き返す。
「ネストは何でも訊くんだから」
女が呆れたように言う。
「もし何処かで情報が漏れたらどうするの?ここだけじゃなく、私達の所にまで奴等のウィルスが侵入して来るかもしれないじゃない。それを考えると、システムについては訊かない方が良いのよ。解った?」
女が自慢気に言って人差し指でネストと呼んだ男を指差す。
「そんな事を言って、フィリアも聞いても解らないからって、誤魔化そうとしてない?」
ネストが言い返し、図星だったのかフィリアと呼ばれた女が「ゔっ」と小さな声で唸った。
2人のやりとりに、俺は態と溜息を吐いた。
「他人の空間に来たのは夫婦漫才を見せたかっただけか?」
「「夫婦じゃない(です)から」」
2人が声を合わせて言い返す。
本当に仲が良い。
2人はリアナと同じく、感情を持ったAIだ。
リアナよりも先に造られ、兄妹のような2人だ。
つまり、初めに造られた感情を持つAIの次に造られたAIである。
フィリアはネストが上として見られるのが嫌らしいが。
この2人が、たまたま出逢った2人だ。
初めて逢った時、不思議と"敵"とは思わなかった。
恐らくフィリアが明るい性格だったからだろう。
フィリアとネストも俺を警戒していなかった。
まるで久し振りに友人と会ったようなテンションで声を掛けて来たのだ。
ネストが咳払いをして俺の前に立つ。
「リアナが貴方に会いたがっていましたよ?」
「あぁ。これから行こうと思ってた」
言って立ち上がった俺の腕にフィリアが抱き付く。
実在する肉体ではないので熱は感じないが動きにくさという物は有る。
「離れろ」
言って腕を振り払う。
「酷い!こんな可愛い子に抱き付かれたんだから喜びなさいよ!」
頬を膨らませて拗ねるフィリアに「自分で可愛いって言う奴は嫌いなんだよ」と言い返す。
「うぅ~」
小さな声で唸りながらフィリアがネストの横に立って上着の裾を掴んだ。
「はぁ~。いい加減諦めなよ」
呆れたようにネストが言う。
「ヤダ!」
「ヤダって・・・」
まるで子供だ。
そういうしつこさも嫌になる原因だと解っていないのだろう。
フィリアの事は友人として好きだが、異性として付き合うかどうかなら、付き合う事は出来ない。
小さく溜息を吐き、意識を空間に集中させてリアナの気配を辿る。
視界が歪み、目の前に見えた空間に右手を伸ばすと、意識がその空間に引き込まれた。
さすがに10回を超えると慣れた。
想像の中で創られた風を心地良いと感じるのは此処だけだ。
「シアン♪」
地に足が着くのと同時に後ろから抱き付かれた。
「その名前で呼ぶな」
「え~?私はこの名前好きだよ?」
後ろから抱き付いて来たリアナが拗ねて顔を伏せる。
俺が本名は嫌いだと言うと、リアナが[それじゃあ、私が名前を付けてあげる]と言ったのだ。
どんな名前を付けられるのかと思ったが、彼女は意外にもまともな名前を考えた。
―シアンの意味はね"希望"だよ。中国語で"希望"は"シウアン"って読むんだって。そこから取ってシアン♪
笑顔でそう言った彼女が、俺には輝いて見えた。
初めて"生まれた意味"なんてモノを考えたくらいだ。
そんなモノ・・・俺には無いのに・・・。
―俺には勿体ないな。
―そうかな?似合ってると思うんだけど。
リアナはそう言っていたが、本当に勿体ない気がする。
「アン・・・・・・シアンてば!」
呼ばれて我に返り「どうした?」と抱き付いたまま見上げているリアナに訊き返す。
僅かに躯を離してリアナが「考え事してるみたいだったから」と寂しげに答えた。
悩みが有るなら相談するようにはしているのだが、どうやら隠し事をしていると思われたらしい。
「何でも無い。君に名前を貰った時の事を想い出していただけだ」
言ってリアナの頭を撫でる。
こうして触れる事にも慣れてきた。
「私の時と態度が違う~」
恨みの念を込めた目で睨みながらフィリアが言った。
「当然だろ。シアンが好きなのはリアナなんだから」
溜息混じりにネストが言う。
2人には俺が好きなのはリアナだとバレている。
気付いていないのはリアナだけだ。
リアナは俺の"好き"を"友人として"と思っている。
AIから生じた感情の持ち主に"恋愛感情"を理解して貰うのは難しい。
不思議な事にフィリアとネストには"恋愛感情"だと気付かれている。
どうやら2人には"恋愛感情"というモノがどういうものなのか理解出来るらしい。
どうやってそれを学んだのかは謎だが。
「向こうはどうなっているの?」
リアナが不安げに問う。
それもそうだ。
いくらカメラなどを通してでも全てを知る事など出来ないのだから。
「きな臭い感じだ。学者や政府の中に"生身の人間にヨクト細胞を投与するのを止めるべきだ"という考えの人間がいて、そういう考えの人間が俺のいる施設の中にもいるんだが」
その中にメディスも含まれている。
独自に造った通信回線で連絡を取った時、そういう考えが有ると言っていた。
それにより上から目を付けられ、堂々と会う事も出来なくなったというのも。
「今のところメディスの考えに賛同する奴等はいない」
「他の被験体は?」
真剣な面持ちでフィリアが問う。
「どうだろうな。他の被験体とは会う事も無いから」
「それなら僕が」
確かにネストなら何の痕跡も無く接触する事が出来る。しかし、それは相手が俺のように半電脳化していなければならない。
「そう出来れば良いんだけどな。残念ながら、俺みたいなのは他に存在してない。全員、フルフェイスタイプの装置を使って義体を動かしているんだ。義体には何重もの防壁が掛けられてる。それを突破して話しが出来たとしても、おかしな言動をした時点で殺される。それくらい今緊迫しているんだ。下手に他の被験体に接触するべきじゃない」
俺の話にネストが「そうですか」と言い、辛そうな表情をした。
出来れば俺だって少しでもこうした話しを出来る者を増やしたい。
しかし、先程も言った通り、下手な事をして同じような考えを持った者を失いたくはないのだ。
「疑わしきは罰する・・・。なんか・・・嫌だな・・・」
リアナが呟き、俺の腕に触れ、不安げな眼差しで見上げる。
「大丈夫?」
俺が対象となって処分されないか心配しているのだろう。
「今の所はな」
俺の言葉にフィリアが「もう!」と怒った。
「そこは嘘でも"大丈夫"って言いなさいよ!」
そういう嘘が言える性格ではない。
安心させてあげたい気持ちは有る。
それでも・・・。
[――聞こえるか!]
突然通信が入り、驚いて確認すると、相手はメディスだった。
「どうした?」
俺の問いに、メディスが[良かった。聞こえたか]と安堵したように呟いた。
何やら焦っている感じがする。
[被験体が暴走した]
つまり、以前見たような化け物になったという事だが、一体だけなら武装した奴等で対処出来る筈だ。それに、メディスが焦っているという事は・・・。
「数は?」
[確認出来ているのは5体。未確認だが、それ以上いる]
それを聞いて俺はリアナ達を見た。
「未確認の暴走した奴等がいるらしい。何とか確認出来ないか?」
俺の問いに、リアナが「解った」と言い、フィリアとネストも「探してみる」と頷いた。
「メディス」
俺の呼びかけに、メディスから[聞こえていた]と返って来た。
[未確認はそちらに任せよう。お前はそのまま義体にリンクしてくれ。お前の肉体はこっちで安全な場所に移動させている。だが、いつそこも危険になるか解らない]
早急に事態を収拾しなくてはならないという事か・・・。
「解った。あんたに・・・預ける」
[あぁ。絶対に死なせはしないさ]
絶対など存在しないから、もし何かあったとしてもメディスを責めはしない。
[それにしても、まさか計画の実行前に・・・]
メディスが溜息混じりに言う。
彼の言う計画とは、此処から出るという計画の事だ。
俺とリアナ、ネストとフィリアが出逢った事で密かに出来る事が増えた。
それにより、霞んでいた目的が形を成したのだ。
「何にせよ、実行するなら今しか無い。此処を守ってやる理由だって俺達には無い」
此処を生きて抜け出すと決めた時から戦う事は決まっているのと同じだった。
そこに"化け物"が増えただけだ。
[・・・そうだな]
間を空けてメディスが頷く。
真っ当な人間もいるかもしれないと考えたのかも知れない。
確かにいるかもしれないが、それを考えたら此処から出る事など出来ない。
「向こうに戻る。2人にはサポートを頼みたい」
俺の言葉にネストとフィリアが頷く。
「私は?」
不安げにリアナが問う。
リアナの躯が何処に保管されているのかは大体の見当は付いている。
「この騒動に乗じて、君を迎えに行く」
聞いてリアナは驚いた表情をしたが、数秒後、嬉しそうに微笑んだ。
「うん・・・。私も・・・自分でも頑張る」
リアナが黙って待っているようなお姫様タイプではないと知っているので、その言葉に驚きもしない。
出逢ってからリアナは変わった。
以前は自ら何か行動を起こすタイプでは無かったが、こうして話しをしている内に、何かが彼女を変えたらしい。
もしかしたら、他のAIと頻繁に会うようになったからかもしれない。
「それじゃあ、僕達は2人をサポートします」
「頼んだ」
ネストの言葉に答え、俺は義体へと意識を接続した。
意識が現実へ戻るのと同時に聞こえたのは悲痛な叫びと爆発音だった。
目を開けるのと同時に、全てのロックを解除する。
バンカー内は黒煙に包まれていた。
こういう時義体で良かったと思う。
通信回線を開き[メディス!無事か?]と問う。
[戻ったのか。こっちは今の所大丈夫だ。そっちは?]
[バンカーだ]
[その近くに―ドオォオオオン!
メディスの言葉を遮るかのように、分厚い筈の壁を破壊し、黒い巨体が飛び込んで来た。
天井に頭らしき物が付きそうになっている。
以前戦った黒い化け物よりもデカい。
黒々とした巨体の頭部らしき部分の赤い光が俺を見て怪しく明滅する。
「これは・・・骨が折れそうだな」
あまりのデカさに苦笑する。
[遭遇したみたいだな]
メディスの声がしたが、答えている余裕など無い。
辺りを見渡すが、出口は化け物の後ろ。
化け物が開けた穴の位置に元々ドアが在ったのだが、先程の突進で破壊され巨大な穴となっていた。
跳び越えようにも、化け物の上は狭すぎる。
「オォオオオオオ!」
巨体が腕らしき物を振り下ろす。
咄嗟に駆け出し、振り下ろされた物を躱し、脇の下を通ろうとすると、巨体から蛇のような物が伸びて来た。
素早い動きで足や腕に噛み付こうとするのを躱す。
左足を掠めたが、ヨクト細胞で造られた皮膚が瞬時に修復する。
これだけは開発したあの男に感謝するべきだろうか。
礼など一生言いたくはないが。
転がるように化け物が開けた穴から通路へ抜けると銃声が響いた。
「被験体を逃がすな!」
武装した男が部下らしき者達に叫ぶ。
「馬鹿か!今はそんな事を言っている場合じゃ―「オォオオオオ!」
雄叫びが聞こえ、右を見ると天井が崩壊していて進めなくなっていた。
銃口を向けている男達の方へ進むしか無さそうだ。
駆け出した俺に向かって、男達が引金を引く。
連射される銃弾の軌道を脳内の機能が自動で計算し、それを赤い線として表示する。
「クソッ!」
「化け物が!」
何を言われようがどうでもいい。
今はこの状況を何とか切り抜けるのが先決だ。
後ろで爆発音にも似た衝突音がする。
後ろを見る余裕など無い。
「出て来たぞ!」
武装した男達の1人が叫ぶ。
「まとめて撃ち殺せ!」
そう声がした時には、俺は男達まで残り2メートルの場所に居た。
壁に向かって走り、踏み込んだ左足に全体重を掛け、力を入れて壁に向かって跳び、右足で壁を蹴り、躯を反転させながら男達を飛び越えた。
跳び越えた俺を見て男達が驚いた顔をしている。
その後ろに、何かを探しているような化け物の巨体が見えた。
「悪いけど、お前等の相手をしている暇は無いんだよ」
言って駆け出した俺の後ろで、銃声と悲鳴が轟いたが、数秒と続きはしなかった。
巨体の頭部らしき部分が開き、怪しい赤い光が見えた。
「来るな!」
1人が声を上げた瞬間、開いた口が目の前の人物に食い付いた。
「クソッ!」
別の者が手榴弾のピンを抜くも、巨大な手が手榴弾を持っていた者と、近くにいた2人も纏めて踏み潰した。
残った1人が弱々しい叫びを上げ、無慈悲に化け物が踏み潰す。
赤々と光る目が俺を見る。
「そんなに喰いたいなら、喰ってみろ」
只で殺られるつもりはない。
「オォー!」
咆哮と共に巨体に赤黒い稲妻らしき物が走る。
自ら放電しているのだ。
それが口らしき部分へと集まり、口を開けたまま姿勢を低くした瞬間、集まっていた稲妻が球体となって放たれた。
咄嗟に全身を床に付きそうなほど低くすると、迫っていた球体が頭上を通過した。
「くっ!」
凄まじい風圧で全身が押し潰されそうになる。
全力で突っ張った手の指先が床に食い込む。
生身だったら吹き飛ばされるか圧死していたかもしれない程の風圧だったという事だ。
「オォオオオオ!」
追い付いて来た化け物が再び雄叫びを上げる。
先程よりも巨体に見えるのは気のせいだと思いたい。
口らしき物が開いた時、内側に頭部が見えた。
人間の頭だ。
ソレが吠えた事で外へと飛び出し、転がった物を巨体が踏み潰す。
「やるしか無いか」
覚悟を決め、両手で床を押すのと同時に巨体に向かって飛び掛かる。
左から壁を削りながら化け物の腕らしき物が迫る。
その腕を左手で掴み、腕の勢いに任せて上を乗り越え、壁に向かって蹴り飛ばす。
巨大な腕が壁に食い込み、壁に亀裂が生じ、その亀裂が天井までも到達して崩れ、腕を押し潰した事によって動きが止まった。
[フィリア!奴のコアは何処に有る!]
問い掛けに[中心部分!マーカーを入れる!]と瞬時に声が返って来た。
巨体の内部に赤く人型の物が表示された。
コアとなっているのは、暴走した者の躯なのだ。
それを確認するのと同時に、方法を考えるより先に駆け出していた。
新たな腕のような物が生え、無雑作に動き回り、壁や床を破壊し、腕に弾かれた瓦礫が飛んで来る。
正面から来る物だけを蹴り返しながら巨体へと接近して下に潜り込む。
義体の皮膚に使用されているヨクト細胞を強制的に活性化させ、腕の強度と早さを上げ、コアを覆う胴体に向かって拳を叩き込む。
分厚い壁でも簡単に壊す事の出来る程の威力は有る。
『これなら!』
そう思ったが、思ったより装甲は厚かった。
僅かに罅が入っただけで、ヨクト細胞によって修復される。
「硬化してもダメか」
[僕がやります!左手を借りますよ!]
ネストの声がし、左手が勝手に伸びて来た触手を掴んだ。
その瞬間、化け物の躯に電流が走り、咆哮を上げて動きを止めた。
コアとなっている物体を覆っていた黒い物が飛散して内部が晒された。
コアはやはり人間だった。
いや、正しくは"人間だった物"だ。
それは既に黒く変色し、誰なのかさえ解らなくなっていた。
開かれた口が微かに動いている気がするが、迷っている時間は無い。
拳を握り、今度こそ拳を心臓部に叩き込んだ。
拳が心臓部を貫く感覚が伝わって来た。
感覚機能を切っておけば良かった。
腕の貫いた部分から、脆く崩れ去っていく。
「あ・・・が・・とう」
「え?」
微かだが確かに聞こえた声に驚く。
声のした方を見ると、黒くてハッキリとしない顔が笑みを浮かべているのが見え・・・消えた。
灰のような物だけが舞う中、俺は呆然としていた。
まだ感覚の残っている手を見つめる。
聞き間違いだと思いたいが、確かに聞いてしまった。
何故最後に礼など言ったのだろう。
誰かなど考えず、人だとも思わずこの手で止めを刺した。
そんな相手に礼など要らない。
[シアン?]
ネストの声に我に返って「何だ?」と訊き返す。
[地図を送ったって言ったんだけど]
「あぁ・・。解った。助かる」
言ってゆっくりと歩き出し、先程の事を振り切るように駆け出す。
まだ揺れは収っていない。
後どれだけいるのか。
[どうしました?]
「何でも無い」
俺の答えにネストは何も訊きはしなかった。
「さっき、どうやって動きを止めたんだ?しかも、ヨクト細胞まで機能を停止させて、死滅させるなんて」
問い掛けにネストが[えっとぉ~]と言い淀み、間を空けて言葉を続けた。
[秘密です]
「解った。今度じっくり聞かせて貰う」
[え!?今の聞いてましたよね?]
「秘密にされると聞きたくなるのが人の性なんだよ」
[えぇー]
顔が見えなくとも困っているのが解る声音に思わず笑ってしまった。
視界の左端に小さく地図を出す。
この先に複数の赤い点が表示されている。
武装した者達がいるのだろう。
その近くに右へ曲がる道が在り、その先に階段の表示が有る。
「この先・・・・っと!」
揺れが激しくなり、よろめいて壁に手を突いた時、目前の足下が押し上げられた。
咄嗟に後方へ飛び退く。
割れるのと同時に黒い物が視界を遮った。
それが天井までも突き破り、再び地底へと戻って行くと、そこには大きな穴が空いていた。
外と繋がっているのか、下から風が吹いて来る。
「リアナ!何が起きた?」
[シアン!]
応えた声は焦っている。
「今何処だ?こっちは・・・B2-N15だ」
[私はB7-N16だけど・・・上には行けそうになくて]
「B7?!」
驚いて思わず叫んでしまった。
此処は地下6階までしか存在しない筈だ。
地図を確認してみるが、確かに地下6階までしか情報が無い。
「ネスト。フィリア。どういう事だ?」
[解りません。初めて知りました]
[私も知らないよ!]
2人の声音で動揺しているのが解る。
本当に知らなかったらしい。
回線を開き「メディス。聞こえるか?」と問い掛けるも、返って来たのはノイズ音だけだった。
時折微かに声はしているが、ハッキリと聞き取れない。
「フィリア。後どれくらい化け物がいる?」
[1階下に暴走体が3体。そっちは武装部隊が戦ってる。2階下に小型の・・・って言っても、体長2メートルくらいの、這うタイプの暴走体が2体。そこで戦っている人達がいるけど、こっちはジャミングが酷くて誰が誰なのか・・・。どれがメディスさんなのか解らない]
ジャミングは厄介だ。
ハッキングシステムを起動してジャミングの発信源を探すが、どうやらハッキングを掛けているのはこの施設のシステムではないようだった。
何処を探しても出所が解らないうえに、自分以外に施設のシステムにハッキングをしている者がいるという痕跡が無い。
「そっちでジャミングを解除する事は?」
[こっちでも無理です。それに、ジャミングシステムなんてこの施設には元々存在していません]
ナイトが答えた後、フィリアが[誰かがジャミングを出す物を使っている可能性が高いよ]と言った。
誰かが持ち込んだのだとしたら更に厄介だ。
「さっき、下から何か出て来て道が無くなった。他に行ける場所は無いか?」
言いながら自分でも地図を確認するが、更新した地図は何処も×印ばかりで行けそうに無い。
つまり、下へ行くには・・・。
「此処か」
呟いて目の前に底知れない穴を見据える。
[そんな・・・無茶だ!]
ネストが叫ぶ。
どうやら今俺が何を見ているのか、視界の映像を盗み見たらしい。
「けど、何処も通れないなら此処しか道は無い」
[そうですけど・・・]
心配そうにネストが呟く。
「幸いにも足場になりそうな所が幾つか在る。あれを使えば下まで行けるだろう」
そう言って俺は後ろへ下がった。
穴のデカさは約20メートル。
その反対側の下、約2メートルの所に一階下の通路が見える。
そこが一つ目の足場だ。
届かなかった場合、穴の下まで落下するだろう。
[無茶ですって!]
[この状況なら行くしかないでしょ!]
止めようとするネストとは逆に、フィリアが賛同する。
「だよな」
フィリアの言葉に返し、全身の細胞を活性化させて駆け出す。
切り取られた通路の先端に右足が着いて全力で跳ぶ。
目的の通路より少し上を見る。
怖くないと言えば嘘だ。
だが、恐怖心に負けて留まっている事など出来なかった。
鉄骨が剥き出しとなっている壁が近付く。
その下が通路だ。
顔すれすれに鉄骨が通過し、足が目的だった通路に着き、勢いを殺す事が出来ず数メートル片手を突いたまま滑ったが、怪我も無く跳び越える事が出来た。
「ふぅ・・・」
息を整えて次の足場を探す。
[大丈夫?]
リアナの心配そうな声がする。
「あぁ。これなら下まで行けそうだ」
言いながら先程と同じ要領で跳んだ時、下から咆哮が聞こえた気がした。
下から吹き上げて来る風が強さを増し、目的の地下7階に到達した時には天井部から飛び出した鉄骨を掴む事で着地する事が出来た。
あまりの風圧に足を踏み外しそうになり肝を冷やし『二度とこんな経験はしたくないな』と思った。
地下7階は電力が充分に来ていないのか非常灯しか点いておらず薄暗い。
「シアン!」
声がし、視界の明度を上げて前を見ると、薄暗い中にネット空間と変わらぬ姿のリアナがいた。
駆け寄って来たリアナを両腕を広げて迎え、胸に飛び込んで来たのを抱き留める。
ネットの中とは違い、微かに暖かさを感じる。
彼女の皮膚に使用されているのもヨクト細胞だと直ぐに解った。
「無事で良かった」
俺の言葉にリアナが嬉しそうな笑みを浮かべて「あなたも」と言う。
「申し訳無いんだが」
メディスの声がした瞬間、目の前から何かが飛んで来た。
俺とリアナの横を通り過ぎ、後方で爆発音が轟く。
何かが飛んで行った方向を見ると、黒い何かが霧散し、穴の中へと落ちて行った。
「イチャつくのは終わってからにしてくれないか?」
後からやって来たメディスがロケットランチャーを担いで言う。
「イチャ?」
意味の解っていないリアナが首を傾げる。
「考えなくて良い」
言って俺はリアナから少し離れ、メディスに「残りは?」と訊いた。
「後はこの先に有る出口へ向かうだけなんだが・・・」
言ってメディスが通路の先へと目を向ける。
それとほぼ同時に化け物の咆哮が何重にも聞こえた。
明らかに一体ではない。
「ジャミングの原因は?」
俺の問いにメディスが通路の先を見据えたまま「あれだよ」と答える。
「これも、さっきのが最後だ」
言ってメディスが担いでいたランチャーを捨て、白衣に隠れている腰の辺りからハンドガンを取り出した。
よく見ると白衣はボロボロで薄汚れ、右肩の辺りには血が滲んでいる。
前に回り込むと、至る所に血が付いていた。
「怪我をしてるのか!?」
「肩の掠り傷だけだ。他は返り血だから」
掠り傷だとしても怪我をしている事に変わりは無い。
「そんな事よりも・・・」
メディスがそう言った時、穴の方から何かが動く音がした。
薄暗い中で何かが蠢いているのを見た瞬間、俺は咄嗟にリアナの腕を引いて抱き締めていた。
暗闇の中で蠢いていた物が俺達を飲み込み穴へと引きずり込む。
「クソッ!」
暗い中でメディスの声がする。
「メディス!」
「大丈夫だ!お前は絶対にその子を離すな!」
声は返って来たが姿は見えない。
『言われなくても』
心中で言い返し、抱き締める腕に力を込めると、リアナも俺の背に回した腕の力を強めた。
足が地から離れ、何かに引かれて落下する感覚がする。
俺達は抵抗する事も出来ず闇へと落ちて行った・・・。
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