第51話 警察署霊安室

文字数 4,584文字

「夜船さん許してくれえええええ……ハッ? ここはどこだあああああああ?」
味噌門太は警察の霊安室で目を覚ました。

 そう、彼は生きていた。転落の際、衝撃で少量の尿を漏らしてはいたが、それ以外は平気へっちゃらだった。
彼の生への執着は凄まじいな。暗闇になり舞台から落ちる時に本能的に放尿して、その凄まじい放出力の勢いで少しでも地面に衝突する衝撃を和らげようと考えたのだろうな。天晴である。
だが、残念な事に彼は、尿を殆ど出し切った状態であった。故に少量だった為、下着と床を汚した程度で終わったが、

【膀胱全開フルバースト状態】

であれば、一時的に空中を浮遊出来る程の勢いを出せたかも知れない。そう、何せ彼は、おしっこの達人なのだから……! その上、これと言った後遺症も無く、すぐ仕事に復帰する事すら出来る程である。相変わらずのガバ検死である。
まあ考えてみれば舞台の高さは結構高いとはいえ3m程。その高さから落ちて死ぬ方が運が悪い。
だが、彼を検死した鑑識の美薬虎音。彼女は脈を決してとらない。それは彼女は死体を見ただけで何人もの被害者の死を当ててきたから。
だが、どういう訳か前回のホテルの事件と今回の司会転落事件では偶然立て続けで外してしまったのだ。
そのどちらもアリサと関係している。これが何か彼女の観察眼を狂わせる様な影響があったのだろうか? そこまでは分からぬが……今までは彼女の経歴に一切の傷が無かった為、自由な髪型や一般の鑑識にはない特権を与えられてきたが、これ以上そういうミスが続く様なら一般の鑑識に格下げされるかもしれない。そんなリスクがあったとしても彼女が脈をとる事をしないであろう。
脈をとる事は、男性と付き合うと同じで、人生で一度もした事がない。何故そこまでそんな厳しい縛りを続けるのか? と聞かれたなら虎音はこう返すだろう。

「長い事やっているガル。その一流ならば、ちょっと見ただけで分かるガルよ♡」

とな。確かに正確に分かっていた時期もあった。だが、前回と今回の2回連続で外れる様になった。
それでも彼女は脈をとらないだろう。何故なら、彼女の名前は、美薬虎音。

【みやくとらね→みゃくとらねえ→脈取らねえ】

なのだからな!! 名前とはそういう物なのだ。この物語を創設せし神が、その人物の性格、行動までもを決定、限定、制限してしまう程に強制力が高い物。
故に伊達や酔狂でなく、この人物に相応しい役目を全うする為、明確にする為に、神が授けたという重要な物なのだ。 
仮にこの名前でうっかり脈でもとろうものなら、彼女は憲法違反で逮捕となる。いや神法違反であった。失敬。更に神裁判所の地下室で厳しい拷問も待っているとか待っていないとか……おお……口に出すだけでも恐ろしい……それに前回の被害者である真田行照代と言う女性の事を覚えているだろうか? 前話で毒入りの野菜を食べ瀕死になった女性である。実はこの名前にも秘密が……彼女は、

【真田行照代→まだいきてるよ】

という名前であった為に、倒れていたが生き返り、そのセリフを言う為に立ち上がり、物語に残った。だから彼女がもし寿命以外の原因で死んでしまったら当然神法違反で逮捕である。
そう、とりたくてもとれないのだ。神にこんな名前を賜り生まれてしまったばかりに……悲しき定めに立ち向かった鑑識。
鑑識として当然の【脈をとる】というテクニックを縛った上での検死作業は生半可な洞察力でなくては出来ない。
それを今まで難なくこなしてこれて、長き間鑑識のリーダーを張っているこの女。間違いなくこの宇宙で世界一優秀な鑑識なのだ。

 ところで、なぜ彼がここに運ばれたのかを一応語っておこう。
警察署に遺体が安置される場合、主に突然死や不慮の事故などで亡くなった人が死因や亡くなるまでの事件性などを捜査する為、引取りまでは警察署の霊安室に安置される。
事件性があると分かり次第に解剖へと進む訳だが、その死体引き取り前に目覚めた為に何とか間に合ったのだ! 虎音は死体が大好きである。現場で沢山の人が見ている所では思う存分見る事が出来ない。故に碌に検視をせず、取り敢えず死亡しているとだけいい加減な報告をし、後でゆっくり霊安室で死体を眺めつつ検視する予定だったのかもしれない。これは長年活躍している彼女のみが与えられた特級鑑識特権の一つだ。
そんな彼女特有の権限のお陰で、司会は解剖され、お漏らし癖があるという事が世界中に気付かれる前に助かったのかもしれない。

「一体ここはどこなんだろう」
門太は、起き上がり歩き回る。

「うーん。え? きゃあああ」
それを居眠りしていた見張りの女性が気付き驚く。

「あ? 人だ。ここはどこなんですかぁ?」
間抜けな声で尋ねる。

「死体が動いたー」

「死んでないですよ! 生きてます生きてます! ほら足もついてますし……ありゃ……また漏れちゃってる……」
下半身に意識を向けた時、自分の下着が濡れている事に気付く司会。

「え? 漏れちゃって? 下半身を見ながら言っているし、もしかしておしっこが漏れちゃったんですか?」

「ち、違うんです! モリモリです! そう! 元気モリモリィ! です!」

「はあ。下半身がモリモリって……ちょっとお下品ですよ……」

「ああああああそう言う事ではないんですうううう」

「本当ですか? じゃあすぐに知らせますね」

「誰にです?」

「医師です、解剖する為ですね。もうすぐ貴方を引き取りに来る筈だったんですよ」

「えー嫌ですよ」

「ですから息を吹き返したという事で連絡するんですよ。安心して下さい」

「あーよかった。ところでここは?」

「警察署の霊安室です。あなたは死体として運ばれてきたんですよ。鑑識の方が、

「舞台から落ちて確実に死んでるガル」

ってすごい剣幕で仰っていたので……それを信じてここに安置していました」

「そんな事が……確か……そうだ! 白川のネタの後、点数が表示される前に暗くなって……! そうだ! 後ろから夜船さんの声が聞こえたんだ!」

「夜船さん?」

「はい。僕の元奥さんで、一昨年とある理由で別れたんだけど、1週間前に彼女が自殺したって内容のメールが夜船さんのお兄さんから来て……」

「へえ……良く分かりませんが……」

「そんな、今はこの世に居る筈のない彼女の声が、後ろから、そう

『まだ好きなの』

って言う声が響いたんだ。
暗くなったあの時に……ひいいい……今思い出しても怖いよおおおお」

「しっかりして下さい」

「はぁはぁ……すいません……もう大丈夫です」

「落ち着きました? じゃあ会場までお送りします。もしその件でカウンセリングが必要であれば、精神科医に連絡いたしますが?」

「いや、そんな暇はないよ。会場では大勢のお客さんが僕の司会を待っているんだ」
ほほう? まだ仕事する気があるというのか? 中々仕事熱心な男である。

「そうですか? では体のどこか痛くないですか? 検査の為に病院に寄って貰いますが」

「大丈夫ですよ。結構心配性ですね。でも多少痛いとしても病院には行きません。早くいかなくちゃ。それより、下着の替えと何か飲み物が欲しいな。汗でびしょびしょで……寝汗かな?」
汗と言うよりは……おしっこのせいで汚れたのだろう?……いや、まああれも汗みたいな物だな……そう言う事にしておこう。そして、またもおしっこの元を供給する気か? 飲まなければ出さずに済むのに……不思議な生き物だな……司会と言う種族は……

「そうですか? 分かりました。では、更衣室で着替えして頂いてから自販機に寄ってから会場へ行きましょう!」

「何から何まですいません……」
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「待っててくれよ観客達いいいいいい」
ダダダダダッ
味噌門太は車から降りて会場内に戻ってきた。そして、舞台を目指し走る。それをアリサが発見する。

「あっ司会さん? 生きてたんだ!! 良かったー。おーい!」
その声に足を止め、舞台の下にいるアリサを見る。

「あれ? 6番の子じゃないか? 駄目だよ抜け出しちゃ! 舞台上に戻って! 早く!!」

「あのね? 残念だけどもう私が、もう2位以下との圧倒的な差をつけての優勝をしたのよ。戻るのがちょっと遅いわよ!」
息を吐く様にすんなりと滑らかに嘘を突くアリサ。

「優勝? 君がかい? おめでとう! ……でも、君なら納得だね。凄かったもんなあのネタは。
僕ね、ビデオに録画されている筈だから君のあのネタを何回も見直して勉強しようと思うんだ。色々と芸人の知り合いはいるけど、その中でも君のネタが一番面白かったからね」

「え?」
ちょっと顔を赤らめるアリサ。

「実は僕もお笑い芸人だったんだ。あ、今もか……でも、いつの間にか司会の人って言われる様になっちゃって……もう誰も芸人として……そう【勇敢メガネ】の突っ込みとしては誰一人見てくれないんだよね……まあお笑いの勉強とかもここ5年位一切していないから素人同然かな……でも、僕も人をあんな風に笑わせたい。そんな気持ちが君のネタを見た時に湧き出てしまってね。相方のメガネサトシと連絡を取って基礎から勉強し直しだ」

「勇敢メガネ?」

「僕達のコンビ名さ。相方と二人で2日掛けて考えた最高のコンビ名だ」

「そうなんだ(そう言えばこの人元銀行員だもんね。そこから勇気を振り絞って私達の世界に入って来たんだっけ。だから、勇敢……か……)」
ベテラン芸人の風格を漂わせ話すアリサ。」

「そして、僕も20000ポインツを超える様な凄いネタを自分で作りたいんだ。だから、あのネタをお手本として繰り返し見て勉強させてもらうよ! 第12回目は僕も選手として出場したいな」
司会はそんなアリサの嘘をあっさり信じてしまう。まあアリサも健闘はしたから一切疑い様がないな。

「よ、よせやい」
照れ隠しでぶっきらぼうなセリフで返すアリサ。

「じゃあお別れだね。また来年もあのキレのあるネタを披露して欲しい! そして僕もライバルだ!」

「はいっ!」

「相変わらずいい返事だよ! 気合が入る!!」

「で、今から帰る所なのよ。達者でね!……あっ! そう言えば暗くなった時に落ちたでしょ? あれって誰かに押されたの? カメラの映像見たけど暗かったからはっきりとは見えなかったけど、どうしても押された様には見えなかったのよねー。ねえ、思い出せる?」
早く帰りたいのだが、もやもやした事が一つあったので聞いてみるアリサ。

「うう……」
だが、黙りこくってしまう司会。

「あれ? どうしたの?」

「……誰にも押されてなかったよ。そうだよ……暗くなったせいで僕がバランスを崩して落ちてしまっただけだよ」
ぬ? 何故か霊安室で話していた事を言っておらぬな。一体なぜだ? もしここでその事を言えば、アリサが真犯人の行ったトリックに辿り着けるかもしれないと言うのに。彼なりの理由があるのだろうか?

 しかし、この司会の言葉で既に皆さんは気付いたであろう。
犯人は白川で間違いないという事を。
しかも、アリサが急ごしらえで放ったあの言いがかりの様な推理の殆どは当たっていたという事もな。
本来アリサがかっこよくこの話をして犯人を追い詰めて逮捕と言う流れになる筈であったが、この様子ではその機会は既に失ってしまった様だ。
ウーム……仕方ないな。代わりに私が語らせて頂こう。
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