第38話 時腕立て伏せ

文字数 6,604文字

「ジャジャジャジャーン! では、答えを発表します!」
何故か得意げに話す竜牙。

「わくわく」

「ドキドキ」

「答えは! トライアスロンのハシゴです」
ぬ? トライアスロンとは、スイム、バイク、ランの3種目を一度にこなすあれか? それを飲み屋のハシゴをする如く渡り歩くというのか? な、何と言う体力……! これはいくらアリサでも分からないな。

「え!? トライアスロンってさあ、水泳してから次に自転車で走って、その後マラソンって奴でしょ?」

「そうです。詳しいですね」

「うん、それをやってる男の子に会った事があって……でもどれだけの距離を泳ぐとかは詳しくは分からないけどね」

「それなら私の得意な【アイアンマン・ディスタンス】で説明しますと、スイム3.8km・バイク180km・ラン42.195kmです。他にも幾つか種類がありますが、一番長いのが今説明したアイアンマンで、他にもそれより短いミドル・ディスタンスとかショート・ディスタンスとかあるんですよ。
一番短い距離なのがショート・ディスタンスで、スイム0.75km・バイク20km・ラン5kmと初心者でも挑戦できるものもあります」

「へえ、私でも死ぬ気でやれば出来そうな距離ね」
トライアスロンをする幼女。なんかかっこいいな。しかし750mも泳げるのかアリサよ? 25mプールでも15往復だぞ?

「そうですよ! 頑張って小遣いを貯めて挑戦してみては?」

「えっ? お金かかるのぉおおおおおおおおおおおお怒?」
ほう? 中々の伸ばしだ。彼女にもその才能が? いや……まさかな……

「ガハハハw それはそうですよwただで出来たらどれだけ嬉しいか……参加費が、そうですねショートディスタンスが15000円位で、ロングにもなると4万円位になりますね。それにバイクも自前ですし、移動中に飲むウォダーインゼリー等も自分で用意するんですよ。全部用意すると参加費込みで初回は30万は掛かる筈ですよ」

「うー、お小遣いもお年玉も総動員しても5年はかかるんじゃないかなあ」

「でもすごい良い経験になるとは思うんですよね。トライアスロンと聞いて、ちょっと大変そうだなって思う方も、ショートからならいけると思うんですよね。そこから徐々にランクを上げて行けばいいんですよ」

「例えショートでも一度でもやれば、

「俺トライアスロンやった事あるんだぜぇ!」

って言えるんだもんね。詳しく知らない女の子なら

「すごーい! かっこいい!」

ってなるよね♪」

「そうですよ。やった方がいいですよ! あ、そういや得意では無くて得意だった、ですね……今は恐怖であのレベルは出来ていませんから……」

「くよくよする刑事さんなんてかっこよくないわよ!」

「そうですね。なんか気弱になってしまって……その言葉で何か元気が出ました!」

「その意気よ! でも、それをハシゴって? まさか?」

「トライアスロンって色んな国で開催していて、全部が同じ日じゃないんですよ。
大体9月から11月に行われてるので、その【ずれ】を利用し、その全てにエントリーし、開催日の早い順に出場し、終わったら次の国もしくは別の大会に参加するという事をしていました」

「贅沢なハシゴねえ……」

「そうですね。移動だけで給料もボーナスも吹っ飛んでますw]

「日本だけじゃないんでしょ?」

「まあ英語は喋れますし……例えば……アイアムアペンとか」
ほほう……彼はいつの間にか刑事からペンに転職していた様だ。

「凄ーい英語も全く喋れない中で、海外に行って己を鍛えているなんて……分かったよ……負けたわ……いいよ? 結婚するんでしょ?」

「何ですかそれ? いやいやしっかりと喋れますってww」

「しかし、サラリーマンのおじさんが仕事終わりに飲み屋をハシゴするのとはえらい違いねえ。
4回で16万円? それ以外の消耗品の費用も、交通費も自腹でしょ? 高額な趣味ねえ……そう言えば昨日ホテルで私に240円払っただけで苦しそうにしていたのも納得ね。でもいいお金の使い方だと思うよ! でも、良くそんな大会の開催時のずれの間隙をついてハシゴしようと思ったわね。
賢い上に体力もあるし……すごいわ感激した! 分かったわ……そこまで言うのなら良いだろう! 貴様と結婚してくれるわ!!」

「何ですかそれ? それでですね、4回目のゴールテープを切った時です。
意識が朦朧(もうろう)として倒れてしまいましてね。あ、これは死ぬ。って脳裏によぎりましたねえ」

「その痛みが逆歯刀と同等の苦しみだったって事ね? 怖いわねユッキーって」

「そうですねえ……それからというもの怖くなってしまい、ショート・ディスタンスを1日3回までと言う制限付きでハシゴする様にしています。全く恥ずかしい話です……」

「あらあら? ハシゴする事自体は止めないの? でも刑事さんあんまり走り過ぎると寿命が縮むらしいわよ? あなたの命は私の命でもある訳。そこをしっかり理解して欲しいわ」

「ぬ? 私は刑事なんです。アリサさんの物だけではないのです。この命は、市民全員の為に使う事にしているんです。トラハシで己を鍛え、凶悪な犯人を捕まえる。不器用な私に出来る事と言えば……それだけです……!」
いつもにも増し眼力が違う。漢の私ですらかっこいいと感じてしまう。だがトライアスロンに拘らずに、近所のジムで鍛えるのではいけないのだろうか? 無駄な出費や移動に費やす時間を抑える事も大事だと思うのだが……

「はぁ~~~~~すごいなあ♡もうほんと結婚してくれないかなあ……」

「なんですかそれ? あっ鏑木さあん♡」
竜牙は、いつの間にか戻ってきたケイトと仲良くお喋りしていたアリサのママを見つけてうっとりし始める。

「あら? あんた竜牙刑事ね? なんかキモイわね近寄らないでね? こら! 離れなさいシッシッ」
ぬう? この状況は? もしや竜牙はアリサのママに心惹かれているのでは? 
……という事はアリサは竜牙に、竜牙はアリサのママが好きという三角関係が成立する事になる……複雑であるな……人間関係とは……

「そんな事言わないで下さいよお母さん」
そして何故かアリサの母親に対しお母さんと呼んでいる。更に何故か左頬をママに向けて突き出している。
確かこのミスは前回もやっていた筈だ……何故だ? 刑事が一度犯したミスを再びしているというのか? む! 違う! これは小学生が先生に話しかける時にうっかりお母さんと言ってしまうあの謎の現象にかかってしまったのか? だがそれだけでは頬をママに向けている行動の理由が思い付かぬ……ハッ! これはまさか、またあの掌底が欲しいという事か? 過去に、このセリフを吐いた後に光の速さの掌底が飛んできた。それを覚えていた彼はママがその言葉を覚えてくれている事を信じ一言一句狂う事なく伝え、条件反射で自分に掌底が飛んでくる事を望んでの事なのか? 掌底と言う名のご褒美を喰らい、再び快感を味わおうとしている……という事か……フム、中々頭のいい刑事だ。
だがその掌底のダメージが切っ掛けでユッキーのやられ、逆歯刀になった事をすっかり忘れている様だ。まあ、それを上回る快楽が待っているという事を本能的に知っているのか? 成程なあ……

 刑事と言う職業は、日々命を賭け、犯罪者を追う。そのストレスは尋常でない。それをいかに解消するかで刑事の寿命は決まる。
実際ストレスでリタイアする刑事も少なく無い。彼の場合ママの掌底がストレス発散のツールであり、長い刑事人生を続ける為の秘訣なのかもしれぬ。
因みに私のストレス発散方法は、のど飴の工場で、のど飴が材料から製品に完成していく工程全てを映してくれている動画を見る事だ。あれは良い。心が癒され、何故か私の武器でもある喉の調子も良くなる。

「もーお母さんじゃないでしょ? 全くww」

「すいませーんw♡w でもそんな事言わないで下さいよお母さんそんな事言わないで下さいよお母さん」
大好きな掌底が諦めきれず、切っ掛けの言葉である「そんな事言わないで下さいよお母さん」を連呼し悪あがきをするが、ママには気付かれなかった。
だが、見つめ合い、笑い合う二人。傍から見れば仲睦まじい恋人同士の語らいに見えてしまう。
だが、お目当ての掌底が来なかったせいか満面の笑みではないが、それでも楽しそうである。

「なによ……これ……なんなのよ!! ぐ、ぐああああああああ」
ぬ!! この憎悪は? みんな!! 危険だ! 今これを読んでいる携帯などの端末は出来るだけ遠くに投げろ! ば く は つ す る!
もしPCで読んでいるなら10メートル以上離れて床に伏せるのだ! ば く は つ す る ぞ! ここは……危ない!!    
   
    焔ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ焔
  
「ワタシノケイジサンニナレナレシクシテイル。タトエママデアロウガユルセナイ……モエツキロ!」
何と肉親に殺意Maxの焔を飛ばそうと言うのか? 止めるのだ! アリサ!!
    
    焔ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ焔

「ハアアアアアアアアアアアアアアアアアア」
業ッ!! ビュオッ
 さっきまで仲良く話をしていた筈の竜牙の心が、明らかにママにしか向いていない事に、全身から憎悪の炎を出し攻撃してしまうアリサ。

「きゃああああ?」
明らかにママに対して向けられた嫉妬の焔。ママはその焔に背後から焼かれる。

「どうしました? 鏑木さん」

「いえ? 何か背中が急に熱くなって」
ほほう……まだ未熟だったのか? 微熱程度で済んだ様だ。

「大丈夫ですか? 何があろうと私がいる限り守って見せます」
すりすり

背中をさすってあげる竜牙。アリサの思惑とは裏腹に更に親密になってしまった。

「何とか……ありがとう少し楽になったかも」

「いえいえ当然の事をしたまでです! でへへ」

「なんか鼻の下が伸びてるわよ? 気持ち悪いわね。離れなさい」

「え? そんな事言わないで下さいよお母さんそんな事言わないで下さいよお母さんそんな事言わないで下さいよお母さん」
何とか掌底をご馳走になりたいと必死の竜牙。そして、今しかないと、最後の賭けに出た。

「プ、あはははははwそればっかりw 竜牙? 同じ事ばかり言ってると心の牢獄るわよ」
が、ご褒美は頂けなかった……しかし、その必死さに思わず笑ってしまうママ。
しかし心の牢獄るだと? 何だその言葉は? 心の牢獄を動詞化したというのか? 何と言う事だ……まあよい。

「すいません……」
がっくりと肩を落とす竜牙。

「あ……ああ……竜牙さん……何で私を見てくれないの?」
アリサは初めての失恋を体験する。恋敵が母親になるとはな……悲しいなアリサよ!! だがママは竜牙の事を何とも思っていない。諦めるではないぞ? 人生はこういう事の連続だ。
そして、弱まってきてはいるが、強いオーラを放つ幼女に気付く2人。

「ひえっ? 何だか熱い様な気が……」

「痛い……背中が焼ける様に痛い……」
少しずつ室内の温度が上昇していく怒りの力が増幅しているのだ。

「室温暑いですか? 25度位に致しましょうか?」

「ああ。後、冷たいコーヒーも欲しいんだが……これでいいかい?」

「はいっ! 分かりました!! ダダダダッ」
竜牙から120円を渡され、元気一杯に買いに行く鎌瀬。更には【ダダダダッ】と、走り出す時に使用される擬音を言葉にしつつ走り出しているではないか。どういう訳か競技中よりも生き生きしていて、目がキラキラしている。元気一杯だなあ。もしかしたら彼はパシられる事を喜びとしている様にも感じられる。
着実に鎌瀬のキャラは、エリートキャラから後輩キャラに遷移(せんい)しつつある。

「あっそうだ!アリサちゃん、事件の話を聞かせて欲しい。なんかすっかり仕事の事を忘れていたよ……」
ママにうつつを抜かしていたドМ男から突然刑事に戻る。

「え?」
シュ―――――ン 
突然声を掛けられて怒りの感情が止まった。それと同時に室内の温度が安定する。

「ねえ現場にいたんだよね? 舞台の上で暗くなった時に何か気付いた事はあるのかい?」

「うーん。私ね、暗くなった直後、うっすらだけど司会の所に誰かが歩み寄るのを見た気がするの。
暗くて良く分からなかったけどね」

「え? それが本当なら転落事故では無く事件って事になるよ? そして、犯人は舞台上にいたって事だね?」

「そう、でも何か激しく争っている様には見えなかった気がするの」

「どういう事だい?」

「近づいた後、どういう訳かそこで止まっている様に見えたの。その後に何故か司会さんが、自ら落ちて行った様に見えたのよ」

「争っていないけど、落ちて行ったという事ですか? 何と言う不思議な事件だ……ムムムム? 一体どういう事なんだ?」
頭を抱え始める竜牙。

「普通そこまで近づいたら、何かしらアクションがあるよね?」

「駄目だ頭が回らない……そうだ! リラックスする為にちょっとお外で腕立て伏せ400回してくるので失礼」
控室の廊下に出て行く竜牙。そして……

『いーち、にー、さーん、しー……』
ぬ? 廊下から声が? どうやら竜牙が腕立て伏せを開始した様だな。

「あららら400回って凄いわね! やっぱりかっこいいわ」
幼少期の頃の早乙女が15万回であるから、375分の1程度の回数であるな。まあ、軽いウォーミングアップならその程度が妥当であろう。
しかし、恋は盲目であるな。明らかに能力不足で一時仕事放棄した人間にですら目をハートにして送り出すアリサ。本当に恋は盲目である。

「しかし元気な刑事だったな」
白川が、廊下に出て行った竜牙に聞こえぬようにアリサに囁く。

「理想の男性よねー。絶対私のモノにしてやるからな!」

「こんなにちっこいのに恐ろしい事を言うもんだ。あの刑事も飛んでもねえのに目を付けられちまったんだな可哀想に」

「いちいち小さい言うなー!」

『にー、さん、しー、ごー……』

「いやいやあんたを見てると小さかった頃の妹を思い出しちまって……可愛かったんだぜ?」

「ん? 急に褒められると調子狂うわね」

『じゅう、じゅういち、じゅうにい、じゅうさん……』

「だけど今はな……」

「ん? 何か気になるわね。詳しく教えて白川さん」

『しー、ごー、ろく、しち、ふぅ。変だなあ?』

「いいだろそんなもん」

「お願いお願い今日中に」

『じゅうさん、じゅうし、じゅうご……』

「なんでだよ!」

「だって性格上四六時中気になっちゃうんだもん」

『確か四六にじゅうよんだよね? じゃあ、にじゅうご、にじゅうろく、にじゅうしち、ふうふう』

「じゃあ気になっとけって」

「じゃあ今年中に何とか……」

『え? しじゅうにだっけ? いつの間に? まあいいや。よんじゅうさん、よんじゅうよん、よんじゅうご』

「駄目なもんは駄目だ」

「にじゅーん」
アリサは相当落ち込んでいる様だ。

『にじゅういち、にじゅうに、にじゅうさん……何かおかしい。いや、おかしくないおかしくない!』

「何だよその落ち込み方! 気持ち悪いな」

「だって本当に落ち込むと人間誰しもそうなるよ?」

「そうなのか? しゃあねえなあ……分かった話してやるよ」

「センキュー」

「何で急に英語なんだよ!」

『せんじゅう、せんじゅういち、せんじゅうに……あ、もう400回終わってるや、600回もオーバーしてるよwしかも結構早くおわったな……凄いよ! 日々の修行の成果が出ているぞ! 今日も良く頑張ったぞ昇!! よし、少しリラックスして来たぞぉ!』
 
 竜牙の400階の腕立て伏せが無事完了した様だ。しかし何かがおかしいと思うのは私だけか? 数が上がったり下がったりしている様に思える。これは一体? 皆さんはこの怪奇現象の真相が分かったであろうか? まあ彼は満足しているのだから良いだろう。
しかし、腕立て伏せで心を落ち着かせる事が出来ると言うのは不思議だな。
筋トレは、交感神経が活発になり、リラックス効果が出る筈はなくもっと言えば真逆の行為の筈だが……彼がおかしくなったのは恐らく逆歯刀を戻す時に相当の命を消費したのだろう。それで頭が回らなかったという事にしておいて欲しい。
すると……

「うおおおおお。買ってきましたあぁあああぁ!!」

「鎌瀬さん? 何で中に入ってくるの? 刑事さん外に居るでしょ? いい所なのに……邪魔よ!!」

「見えたんですけど、ついいつもの癖で! すいませんっっ!」
いつもの癖とは一体どういう事であろう? 
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