第17話 語り部のお笑い論 後編

文字数 8,790文字

☆前回のあらすじ☆
3番の腕章を付けた鎌瀬と言う、およそ芸人とは微塵も思えない程に普通の男が放ったお笑い論に、私は一般人の視点から反論を試みた。
だが、熱く語っている内に全身の疲れが出始め、特に喉が限界に来た為に、不本意であったが中断してしまう。

「語り部さん大丈夫? 無事でよかった……本当に……」

「おいおい……喉はお前の命だろうが! 大事にしろ!!」

「私にこんなに心配させて……ユルセナイ許せないゆるせないユルセナイ許せないゆるせないユルセナイ許せないゆるせないユルセナイ許せないゆるせないユルセナイ許せないゆるせないユルセナイ許せないゆるせないユルセナイ許せないゆるせないユルセナイ許せないゆるせないユルセナイ許せないゆるせないユルセナイ許せないゆるせないユルセナイ許せないゆるせない」

「くすん……生きててくれているだけで十分よ。もう語らなくてもいいから!!」

「このバ語り部! 昨日の夜なんか心配で2時間しか眠れなかったんだぞ! だが、今日は……8時間……眠れそうだぜ……!」

「けっ、し、心配なんかしてねえんだからな! ……お、お帰り(///照///)」

「ちょっと無理しすぎだろ? まだ疲れが残ってるだろう? ほら! バトンタッチだ。俺が代りに語る!!」

と仰る方々には申し訳ない気持ちで一杯である。今はある程度回復したので続きを語ろう。

 そうだな、モノマネについてもほんの少しであるが語ろう。モノマネはネタではないと言った。
だが誤解しないで欲しいのは、モノマネが悪口や下ネタと同等の【負のネタ】と言うつもりはない。人を不幸にしていないからな。
ただ、鎌瀬がモノマネはネタだ! と言ってしまった事に反論したいだけなのだ。
鎌瀬の言う通り、有名人や芸人の動きや声を、一致に近いまでに練磨するのは大変だ。
それに昔はモノマネ対象とする人物が出演している番組をビデオ録画し、何度も繰り返し見る事しか練習方法は無かったが、今は違う。
現代にはユーチューブという、PCや携帯さえあれば、いつでもその芸人のネタを見る事が出来るコンテンツがある。
しかも、何度も繰り返し見る事も出来るし、見たい所を拡大し、更には低速で見て学習する事も可能だ。
そう、元からある物を反復練習で習得出来るのだ。良い世の中になった物だ。
ネタとは練った物と以前話した事を覚えているだろうか? その考えからするとモノマネはネタという事は到底できないと考えている。だが、今のお笑い界ではそう言った自分の頭で生み出すものだけではなく、モノマネでさえもネタとして見て貰えるのだ。0から自分の頭で生み出したネタとモノマネ。どちらかと言えば、後者の方が作る難易度としては楽ではないだろうか? 元々完成されているネタを、忠実に再現しさえ出来ればネタとして評価される。
そう、過去の芸人のモノマネなら、その芸人のネタを丸々使える訳だ。当時、本人が売れる為に、死ぬ程頭を使って考え抜いたネタを、一切考える必要は無く使用出来るのだ。
完成された物をただなぞるだけで、笑いが起きる可能性がある。過去に一世を風靡したネタだしな。そのネタを、

「モノマネします」

と言えば、その時点で、面白いか面白くないかではなく、似ているか似ていないかのみで判断される。そう、もし似てなくても

「あまり似てないw」

位の反応で終わる。要するにスベる事がない。それに万が一モノマネしていて、そのネタでスベったとしても、それは自分がスベった訳ではなく、モノマネしたネタを作った人がスベっただけで、自分にダメージは無い。チョイスが悪いと笑われる位か? 
これが1から考えたネタでスベったとしたら、苦しい静寂が訪れる。
自分で1から考え、苦労して生み出した筈のネタであり、何度も練習したネタでもだ。
 
モノマネは、上手ければ尊敬すらされる。ネタをまんま使って姿も真似ているにも関わらずだ。良く似ているなあ~という驚きが勝り、まんまパクっていると言う事実は頭にないのだ。それに、過去に見た楽しいネタを再び見る事が出来て、それが嬉しくて批判的にはなれないのだ。更に、もしその本人が亡くなっている場合は、

「○○さん帰ってきてくれたよー」

と、当時そのネタを見ていた年配の方々には特に喜ばれるだろう。
懐古厨と揶揄られようが、昔は良かった。と言う気持ちは、いつの時代にもある筈だから。
それに、突然のネタ振りも対応しやすい。普通のお笑い芸人は、ファンに見つかったら

「何でもいいから面白い事言って―」

等と無茶振りをされる事があるが、モノマネ芸人にはそれが無い。大体何が出来るかをファンは把握しているから、その範囲でしかネタ振りが行われない。そんな不公平とまで言える程の差があるモノマネ芸人と芸人を、同じお笑い芸人として括る事が出来るのだろうか? 私はそれは出来ない。例えこれが、世間一般の大多数のお笑い好きの方々が間違っている仰っても、私は出来ない。
そして、よく考えて欲しい。当然彼らは有名人しかマネしない。いや、超有名人しか真似しない。自分自身が無名だから。
そう、無名の芸能人を、無名の人間が上手く真似たとて何も起こらないのだ。誰も元を知らないからな……
モノマネ芸人達は、モノマネを始める前に、戦略的に真似る有名人を徹底的に精査してきた筈。有名だけでなく自分の声質とも合っているか? とか、体格が合っているか? とか細かい所もしっかり考え、売れた時、長い事続けられるかどうかまで考え抜いた筈。
結局、言葉が悪いが、諺で言えば、【虎の威を借る狐】、【他人のふんどしで相撲を取る】が当てはまる。有名でなければ売れないと分かっているから……その辺りは非常に(したた)か。
純粋に人を笑わせたいと言う気持ちで、今の職業を捨て、王道ネタを作る芸人の道に進んだ人と違い、そういう考えで動いていると言う所も私は気に食わない。
だが一度売れれば楽なのだ。同じ事を別の舞台で忠実にやるだけだ。新しいネタを考える必要もない。
もし普通の芸人が、登場する度に同じ漫才をやっていたらすぐに飽きられるのは間違いないが、モノマネと言うだけで、何度も何度も同じネタを再利用できる。これ程までに違いがあるのに、同じお笑い芸人として見られる筈もない。
まあ有名な人は限られているから、同じ人物をモノマネするライバルが出て来る可能性は高い。
だが、そんな同業者でも、敵同士として見る必要は全く無く、手を組んで一緒に営業に行けばよい。
同じ有名人が何人もいる様は、一人よりも面白いと思わないか? 10人のタモ利のモノマネ芸人が、タモ利-ズでーすとユニットを組み、舞台上で同時に自由にモノマネする様を見たとしたら、少々カオスではあるが、本人が一人で一生懸命ネタをするよりも面白いと思わないか? 正に数の暴力。この辺は私のイメージで語っている故実際はどうなのかは分からぬがな。 

そして、マンネリ化してきたら過去の動画から、別のセリフを1つ2つ足してアレンジすれば新鮮味も出る。
モノマネは営業も呼ばれやすいし、有名になればディナーショーなどで荒稼ぎも出来る。本人に会う程の金は無くても、そっくりさんでも会えるなら。と、モノマネ芸人で本人に会った気分を味わいたいが為に、金を払ってしまうのだ。
本当にそれが幸せなのかは分からないが……

だが、パクリはどうだろう? この響き自体もそこまで良い反応は無いと思うが、私はパクリはモノマネよりもいい物だと思っている。
何せ私も多用しているからな……

「何だって? モノマネを批判するのにパクリは良い? 逆じゃないか!!」 

と仰る方も聞いてほしい。冷静に俯瞰で見れば、真実は逆になるのだ。
例えば、パクリはかなり批判されるが、モノマネはそうでもない気がする。
似た様な物なのに……だが、パクリをする人間はオドオドしていて、モノマネをする芸人は堂々としている。
大まかな違いは、パクリは許可なしでやる事で、モノマネは許可を得てやっているという事か? 
だが、モノマネは模写であり、大体誰がやっても同じ結果をもたらす。
なので、お笑いのネタ番組で、モノマネ芸人がただモノマネをやる事に違和感すら覚える。

少し前の話を思い出してほしい。一番の腕章の周が、ガンバレネタをやるぜ! と言って、蓋を開けたらモノマネだった時に、室内は静まり返った。
そう、ネタをやると言ったのにモノマネをしたからだ。

「あれ? ガンバレのネタをするって言ったのにモノマネじゃん」

となってしまう。だから、モノマネはネタではないと思うのだ。私はどんなに笑ったモノマネがあったとしても、例のビデオにはそのモノマネを入れる事はない。

 それにネタをやる前に、

「モノマネしま~す」

と言えば期待される。が、

「パクりまーす」

と言った場合どうだろう? 例え全く同じ事をやるとしても、言葉1つで大分印象が変わるのではないだろうか?
そしてパクリ芸人ではどう足搔いてもディナーショーなどを開催する事は出来ない。営業もそこまで呼ばれない。
圧倒的にモノマネの方が上に見られる。そう考えるのは私だけだろうか?
モノマネはエスカレーター式で出世が約束された一本道。
逆にパクリは、辺り一面ぬかるみで、止まっていたらすぐに沈んでしまう様な荒れ果てた地を、地図も持たずに当てもなく進むイメージ。
だが、パクリはまんま真似る事もあれば、少しアレンジして真似る場合もある。
例えばダンディ坂本のゲット! ならゲッツ! と微妙に変えたり トツ&テモのなんでだよー? なら、なんでだろ~? と変えて言えるのがパクリだと思うのだ。そこにはある程度の自由がある。そして上手くパクれば、本物との違いのギャップで笑いに繋がるのだ。そのひねり具合は正に芸人のセンス。そのひねり具合が面白ければ笑いに繋がる。

そして、うまい具合にアレンジ出来れば、【本物の良さを合わせた上でオリジナルを更に上回る】という稀有なパターンも起りえる。そう、正に笑いの女神が舞い降りる瞬間だ。
これは過去の映像を教科書にしているモノマネでは絶対に起こりえない。そう、パクリは道は、険しいし風当たりも悪いが、その分、大化けする可能性があるのだ。
私は、笑いの女神に会いたいが為に、語りの中にネタを挟む時も、色々なパクリを絶妙にちりばめている。それには皆さんお気付きだろうか? 当然少々アレンジしてお届けしているので気付きにくいかもしれない。
もし、気付けなかったという方がいるのなら、1話から見直して頂きたい。 
私自身もパクりは良い物だと考えているから、それはもう積極的に使っている。だが、当然ネタ元の人や作品の印象がかえって悪くなる様なパクリ方だけは決してしない。

「あ、ここあの語り部が言っていたパクリ部分だw」

と、一度見た筈でも新たな発見に出会えるかもしれぬ。
なので殆どの方がパクリを悪く言うと思うし、そうであったとしても、私だけは否定する事は、自分自身を否定する事に繋がるので口が裂けても言う事は出来ない。
そして、過去の私のネタの中に、負のネタと言われる物を入れているかのチェックもしてほしい。恐らく殆ど無いと思う。

そもそも生まれた瞬間に自分オリジナルの言語を編み出し、コミュニケーション出来る人間などいないのだ。
皆、親、兄弟、教師、クラスメイト、九官鳥のサヨリさん等の言葉の影響を必ず受けて学習した筈なのだ。
親が赤ん坊に、自分の言った言葉をオウム返しされた時に

「このガキゃあ! なにわしの言葉パクっとんねん」

と激昂する人間はいるだろうか? 言葉を覚えてくれて嬉しい。そう思う筈。
そして、成長し、自分の言葉にアレンジして、いつしかそのパクリは自分のオリジナルとなる。
だが、覚えていないだけで、それらは全て先人のパクりなのだ。そう、モノマネではなくな。全く同じ様な喋り方を進んでする事はない筈だ。始めは同じ言語だけでなく教えてくれた人の話し方に合わせる様に反復練習する筈。
だが、成長するにつれ、自分なりの喋り方を編み出していく筈。
人間が人間として生活する為にはパクリは無くてはならない。そう、人生はいわば全てがパクリなのだ。
新しく生まれた何かも、もしかしたらある物とある物の組み合わせで出来たパクリかも知れない。それを上手い事パッケージし、全く新しい物として売り出している事もあり得る。

【人生はパクリ】

これは名言として永遠に語り継いでもいい言葉だと確信している。皆さんも遠慮なくパクって欲しい物だ。
そして今一度、モノマネとパクリの事について皆さんも丸一日位考えてみてほしい。
ふう、モノマネの事に関してはこの辺にしておこう。
そして、パクリ意外にもいいと思うネタ、推奨するネタはある。
それは、あるあるネタだ。これも、日常の良くある普段言葉にはしていないが、心でふと思った些細な事を、芸人のシャープなセンスから見つけ出し、抜き出し言語化する事で

「あっ、言われてみればそうね!」

と皆の共感から笑いになる物で、これも余程の事がない限り誰も傷つけない笑いだ。
例えば、タンスの角に、足の小指をぶつけて痛かった。と言うエピソードがあったとしよう。だが当人は、そんな事を一々口に出して誰かに言う事は余り無いだろう。
何故なら自分が痛い目に合った思い出をわざわざ思い出して、誰かに言うまでもないと思い、心の中に秘めてしまうからだ。
だが、それを実際に体験していない芸人が、イメージのみで膨らませて、言語化出来たと言う事実を見て、流石だ! と言う感心も相まっての笑いとなる。だからあるあるネタはどんどん考えていいネタだと自信を持って言える。
他にも、体を大きく使った動きのみで笑わせるネタも、若い内ならどんどんやっていってもいいと思う。
後は小道具を、本来と違う使い方でボケるモノボケもいいと思うし、自分で考えた一発ギャグもいいと思う。
後は、昔話のパロディのネタも良い。何が良いかと言えば、絵本を読む感じでネタをする為、台本をそこまで入念に覚える必要が無いと言う所だな。
苦労して閃いたネタを、更に暗記し、何度か練習しないといけない漫才と違い、相当楽であるな。
そう、絵本を読む役は、大抵ボケだ。沢山のボケを覚える必要なく合法的に、小道具の絵本自体が台本として、それを見ながらネタが披露できる。
こういう方法は、芸人側にも楽をさせると言う意味でも良いと思う。
同様に動画作成して、自動的に流れる動画のボケに突っ込む。と、いうやり方も嫌いではない。
これも相当作るのは大変だろうが、一度作ってしまえば、楽であるからな。 
別に頑張って考えたネタなら、その全てを丸暗記までしなくても、楽に効率よく披露する方法でも何にも問題ないと思う。
大切なのは一生懸命考えたネタだという事なのだから。さて、話を戻そう。

私は、お笑いライブでうっかり負のネタに遭遇してしまったら、それを使った芸人は、次もまた使う危険性のあるとして、ブラックリストに放り込む。
そして、合同ライブの時に、複数の芸人がいる場合、出演者のリストを隈なくチェックし、ブラックリストに載っている芸人が一組でも紛れ込んでいた場合、見るのを辞退する。ブラックリストはそういう指針にしているのだ。
特に正統派としてやっていた者が突然使いだした場合は、大きく期待を裏切ったという事もあり、赤字で記す事にしている。

 本来私も忙しく、正直そんな物を作る手間をかける時間は費やしたくないのだ。毎日の語りの練習もあるし、愛するケイトの追っかけもしなくてはいけないのだから……そんな無駄な手間を減らす為にも、負のネタは積極的に作って欲しくないと思ってしまう。

 だが、提供側の芸人達にも言い分があるとは思う。
例えば、王道と言われる練られたネタ。それをずっと創り続けて来たが、そうしていく内に他の芸人とネタが被るようになってくる。そう、限界が来る。枯渇する。それは仕方が無い事かもしれない。
同じ様なネタが氾濫していく中で、芸人達はこう考え始める。あくまで私の想像だが。

「マンネリ化して来たなあ。だったら奇をてらったネタを、誰も見た事のないネタを作って驚かせよう」

とな。芸人はクリエイティブな頭脳を持っている。だから色々な可能性を模索し始めたのだ。
そして、王道から逸れ、いつの間にか相手の悪口をネタにしていたり、自分の欠点を言えば笑って貰えると考える芸人が現れる様になってしまったのだ。少し悲しい事である。
だが、そういったお笑いの分岐? が起こった事で、新たなジャンルは生まれるのである。
だが、それは王道を外れ逃げ出した者が考えついた、しっかり自分の頭で考えて練ると言った作業を諦めた者達の、それでもまだお笑いをしていきたいと言う逃げ道にすぎないと感じる。
考えてみれば、新ジャンルと言っても蓋を開けてみれば、見た事のある物の何かと何かを合わせた物であり、それ故に内容は浅く、王道の練られたネタを見続けてきた人にとっては不愉快にさせる内容が多いのだ。どんなに奇をてらって一時的に面白いと思われたネタも、当然枯渇する。そして客もいずれは王道へ帰っていく物なのだ。

 でも、今更王道を思い付けないよ……と、言うのならこういう考えもある。 
例えば【布団が吹っ飛んだ】と言うナイスなダジャレがある。色々な人が使い続けて聞き飽きてしまった物かもしれない。
だがそこ止まりと言う利点もある。
どういう事かと言うと、まだそこから掘り下げようがあるのだ。例えば

「アアアアッッ! 布団が吹っ飛んだよー」

「え? どっちの方向にですか?」

「南の方角だよー」

「じゃあ北風が強いという事なので、皆さん今日は暖かくしてお出かけ下さい!」

「ふとん天気予報?!!」

の様に、既存のネタを少し発展させて面白くする方法はどうだろうか? これならまだ発掘しようがあるのだ。
わざわざ人が嫌がる様な悪口や下ネタを考えずに、古きネタを今の芸人達で改造し、面白くしていけばいいのだ。
温故知新、換骨奪胎など色々と言われてしまうかもしれぬ。
だが! このネタを発した事で、家族が悪く言われる可能性は低く、更に負のネタを考える為に脳みそを使う位ならよっぽどこっちの方が良い!
もちろん、今の【布団天気予報ネタ】は最悪に悪い例で、全く面白くなかった。
それは仕方ない。私は語り部。語りが専門だ。そんな男程度が考えられるのはこれが精いっぱいだ。
だが、本職の芸人達がこのやり方で必死に考えれば、私とは比べ物にならない程面白ネタが完成する。必ず。
そして、この類のネタで誰かが傷つくであろうか? 私はそうは思わない。
まあその布団の持ち主は、犠牲になって貰うしかない。突然吹っ飛んでいって、水たまりに落ちたそれを泣く泣くクリーニングに出すだろうからな。

 そして、年末恒例になっている漫才のイベントM-1! の決勝のネタを思い返してほしい。どれも非の打ちどころのないネタが登場する。一味も二味も違う内容で驚いた記憶がある。

「え? 漫才ってこんなに面白いのか?」 

と初めて見た時はそう言った感覚に陥った記憶がある。これこそ私の求める笑い……しかも、それが、それどうしでぶつかり合っている……! ネタ番組でやっているネタとは次元が違って見えた。
いや、M-1! だけではない! お笑いの日本一を決める様な比較的大きい大会の出場者達が、決勝のネタに負のネタと言われるネタをメインで勝負していた芸人がいたであろうか?
私の記憶の限り一組も見ていない。だから見終わった後に、どのネタも面白かったー! と感じ、いい気分で歯を磨いて眠る事が出来る。
そして、休み明けに学校で、クラスメイトと昨日見たネタの話で盛り上がる。そう、みんな本当は漠然と感じているのだ。
なんだかんだでこういうネタが一番だなあという事を……
 
 だが、決勝の晴れ舞台だし、テレビに出ると言うのもあって悪口ネタや下ネタを言わないのでは? と仰る方も居るだろう。
だがそれだけではない筈なのだ。各芸人の持ち味こそ違うが、誰もがネタ帳の中の一番面白い王道のネタを選択して戦っていた筈だ。
そう、裏を返せば、当然ネタ帳に一緒に入っているであろう一番面白い【悪口ネタ】や【下ネタ】は選択しなかったという事なのだ。
そうなのだ。限られた時間の中で、一番お客さんや審査員に受けるネタを披露するには、最高に練られたネタしかないのだ!
それは、本物のネタ同士のぶつかり合いで勝負し、勝ちたいと思ったからだ。
それがどの芸人も分かっている筈なのに、逃げ道を探す事に労力を割いている内に消えて行く若手芸人。
楽な道を探さず諦めずに王道を進んでいれば……と、後悔する芸人も沢山いる筈だ。
 この本物同士の真剣勝負の間に、王道から逃げ、負のネタ専門になった芸人ではどう足搔いても入り込む余地すらないだろう。
そう、ベタこそ最高、至高なのだ。作り上げるのは難しい。難しいかも知れないが、王道を踏み外さず歩んで欲しいと思うのだ。
そんな笑いが私の理想なのだ。当然作り上げるには相当の時間や労力が掛かり、才能も必要で難しいかもしれない。
それでも私は思ってしまうのだ。いずれは私のこの思想が、お笑い芸人を目指す若者達が参考にするような教科書に載ってくれるという事をな。心の底から願っている。

ふう―――――――大分語ってしまったな……当然異論も覚悟の上で語らせて貰った。反論がある方はドンドン意見して欲しい。
私の考えを変える様な素晴らしい意見を頂ければ、私はすぐにでも折れるつもりである。私の意思はそれほどに脆い。
それでも私は純粋に練られたネタのみが、私の理想とする笑いだと考える。そんな私の考えは甘いのであろうか?
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