1:漆黒の狩人

文字数 4,880文字

 携帯電話が世の中に普及して約半世紀。政府は『より安心できる世の中に』をモットーに、小学生以上――つまり、満六歳以上の人間に携帯電話所持を義務付けた。その背景にあるのは、一向に歯止めがかからない少子高齢化だった。
 病院にこもりきり状態の人々は日本国民の約四分の一を占め、そのうちの六割は退院の見込みが無い者たちだった。そんな人々のコミニュケーション手段を何としても確保すべく、政府が打ち出した政策が〝携帯電話所持の義務化〟だった。
 はっきり言って馬鹿馬鹿しい話であり、的外れにも程がある。
 そして案の定、少子高齢化は改善されるわけでもなく、現在でも加速の一途を辿っている。
 だがそれは〝この世〟だけの問題ではなかったのだ――。


『先日、高校三年生の男子生徒が飛び出し自殺を図った件について、遺書などが見つからないことから、警察は、少年の携帯電話に残された最後の着信が何らかの影響を与えたと見て引き続き調べていく方針です――』

 内原(うちはら)(ろく)()が自殺して三週間が過ぎた。報道番組は三週間が経った今でも、緑都の携帯に残された【死の電話(デスコール)】の話題で持ちきりだった。悪質な悪戯からテロ組織の策略まで、規模様々に報道される【死の電話】は人々にどう影響しているのだろうか。
 砂子(いさご)市中心部から外れた、とある廃ビルの屋上に二人の男女がいた。真夏にもかかわらず、膝まである銀縁の真っ黒なフード付きコートをすっぽりと着込み、その上から臙脂のマントを羽織っている。
「――よくもまあ、飽きずに同じ報道を続けているもんだね」
 携帯のテレビ機能でニュースを見ながら、女は呆れたように呟いた。緩めに巻いたキャラメル色の長い髪が風になびく。肩に担いでいる銀色の薙刀が光を反射して白く輝いていた。
「よく言うぜ。その電話をかけた張本人が」
 女の隣にしゃがんでいた男が、茶化すように笑った。褐色の肌に短い金髪がよく映える。
 女は見上げ笑う男をキッと睨みつけた。
「仕方ないだろ。この電話、どうやっても履歴が残るんだ」
 言い放つと、電話をパタンと閉じて男に放ってよこした。男はいきなり飛んできた電話をわたわたと受け取った。
「あっぶね! 人の携帯に何すんだ! 危うく落とすところだったじゃねーかよ、アニス!」
「うるっさい! そもそもあれは、カイ! あんたの仕事じゃないか! どうして私がやんなくちゃならんのさ!」
「だって俺、その時風邪ひいて声潰してたモン」
 アニスから、ブチッと音がした。
「いい歳の男が風邪なんかで何を言う! 軟弱者っ!」
 カイからも、カチンという音がした。
「だから! その時は俺が狩っただろ! 大体な、お前のせいでもあるんだぞ!? 風邪ひいてるっつーのに、次々仕事引き受けやがって!」
 吐き捨てるように叫ぶと二人は獣のように呻り睨みあった。が、すぐに真顔に戻るとアニスはカイに顔を近づけ、低い声で確認するように囁いた。
「死法第二巻二百九十八条」
「『生者界で争いや揉め事を起こすこと勿れ』だろ? 心配するな。忘れちゃいねぇよ」
「それならいいさ」
 両手を軽く挙げて肩をすくめるカイから離れ、アニスは安堵の息をついた。
「それで? その時狩った、噂の緑都クンはどんな様子だい?」
 カイは一瞬キョトンとした顔を見せたが、首を横に振ると大きなため息をついた。
「どうもこうもないぜ。未練が無さ過ぎて拍子抜けだ」
「何だいそりゃ。自殺志願者だったって言うのかい? 遺書が無かったっていうのに決めつけるのはどうかと思うがねえ」
「自殺する人間が必ずしも遺書を書くとは限らねぇよ。まあ確かにあっさりし過ぎてた気もするが、あいつの未練はいつ自殺しようか決めかねていたことだったんだろ。【死の電話】がいいキッカケになったってワケだ」
「結果オーライ、か……」
 アニスは照りつける太陽に目を細めながらゆっくりと街の方を眺めた。彼女の深紅の瞳には、どこか物悲しさが映っていた。
「なあ……カイ。私、思うんだ」
「……何だよ?」
「私ら死神は、人間の死に方に干渉は出来ない。死んだら迎えにいってやる――それだけだ。【死の電話】が死法化されて、確かに……確かに、仕事が楽にはなったさ。でも、それだけじゃない。今回のような――内原緑都のような、自殺を後押しすることになるかもしれないんだ……。結局、死神は人の死を左右出来るってことなんだな……」
 珍しく思い悩むアニスに、カイは気の利いた冗談ひとつ言えなかった。しばらく彼女を見つめた後、立ち上がって裾を払うと自分の左胸に目をやった。
 コートの胸元で光るブローチ形の紋章。金色に輝くそれは、月桂樹が模られている。花は、その時代の死神の長――死神王(ししんのう)によって異なるものだ。
「こいつを付けている限り、俺たち死神は死神王に絶対忠誠だ。たとえそれが、とんでもない暴君だろうと軟弱者だろうとな。【死の電話】制度も、今の死神王が決めたこと。従うしか無いさ。けど、それで自殺を後押しする形になったとしても、それは人間が判断したことだ。死神が死を左右したことにはならないだろ。そう思いつめんなよ――らしくなさすぎて気持ち悪い」
 大真面目に話しているのがよっぽど似合わなかったのか、アニスが目を丸くして聞いていることに気付くと、カイは照れ隠しのように目を逸らして一言付け加えた。その姿に、アニスはクスクスと小さく笑う。
「おい、一言多いぞ。励ましてくれているなら少しは見直してやろうと思ったのに」
「別にそんなんじゃ……つーか、見直すって失礼な! 俺は根っから優しいっての!」
 カイがアニスを指差して喚きだした。アニスは声を上げて笑った。
「あっはっは! 素直じゃないねぇ。でも、ま、おかげで元気出たよ。ありがと」
「……おぅ」
 口を尖らせながら、カイは聞き取れないほどの小さな声で呟いた。アニスと顔を合わせられない代わりに、紋章をはずして光にかざしてみた。アニスも紋章を見つめ、呟く。
「月桂樹――花言葉は『勝利・栄光・名誉』か。あの暴君らしい選択だな……」
 太陽が傾き、強烈な熱を帯びた西日が照りつける。木々も人間も建物も、倍ほどに伸びた影を従えていた。
 アニスは懐から自分の携帯を取り出すと時間を確認した。午後四時丁度。生者界に下りてきたのが十二時半だから、もうすぐ四時間になる。
「さて、今日はもう仕事もないし、戻ろうじゃないか」
「そうだな……っておい! お前、自分の携帯持ってんじゃねーか!」
 たまたまアニスの手元に目が行ったカイが叫ぶ。
「ああ。それがどうかしたかい?」
「『どうかしたかい?』じゃねぇよ! 人の携帯でテレビ見やがって! 今頃の電池、尽きるの早いんだぞ!?
 アニスが舌打ちするのを、カイは確かに聞いた。
「過ぎた事だよ、気にするな。あまり細かいことぐちぐち言ってると女にモテないぞ」
「ヤロウ……ッ!!
 すたすたと前を歩くアニスの背中を睨みつけながら、カイは歯軋りをした。アニスめ……戻ったらただじゃおかねぇからな……!
 アニスの後について歩き始めたちょうどその時、静電気が走ったような小さな音が聞こえた。
 ……気のせいか?
 振り返ると、快晴の砂子市上空に大きな魔方陣が浮かび上がっていた。八角形の銀色の魔方陣。死神が生者界へ下りてくる時に使うものに間違いない。その中心が強い光を放ち、空間が徐々に歪んでいく。
 カイの足が止まった。
「待て、アニス」
 食い入るように空を見上げたまま言った。呼び止められたアニスは、振り返るなり怪訝な顔をした。
「なんだよ、テレビを見たことだろ? 悪かったってば。文句なら戻ってから聞いてやるから――」
「違う。あれを見ろ」
「……? あれってのは、一体なんの――」
 カイが見つめる方向へ視線をよこすと、アニスも動かなくなった。
 銀縁の黒コート。一人の死神が、歪んだ空間の裂け目から現れた。短い黒髪を風になびかせながらゆっくりと空を闊歩していく。
「あれは……」
 アニスが驚きに目を見開いたままポツリと呟いた。
 突如現れたその死神を二人はよく知っていた。今、死者界で最も有名な死神と言えば、彼――〝漆黒(しっこく)狩人(かりうど)〟の異名を持つ、真っ黒な死神だ。
 通常、死神は二人一組で行動することになっているが、彼は例外で相方を持たない。それでも他の死神たちに引けを取らない仕事ぶりから、付いた異名が〝漆黒の狩人〟というわけだ。
〝漆黒〟は、砂子市街地へと歩を進め、下りていく。その手に握られた鎌は、夕陽を浴びて鈍い光を放っていた。
 アニスはカイの方へ視線を戻した。次にカイが何をするのか解っているようだ。腕組をして、確認するように訊く。
「……で、どうするんだい?」
「追う」
〝漆黒〟から目を逸らさずに、カイはきっぱり言い切った。
「やめときな。変に手を出したら、上に何を言われるか分かったもんじゃないよ」
「そうだな。だから、とりあえず様子を見よう」
「私の言うことが分からないのか!? 関わったら――」
 痺れを切らして早口にまくし立てるアニスの唇に、カイはそっと人差し指を当てて噤ませた。
「――分かってる。けど、少し気になることがあるんだ」
 静かに呟くと、カイは黙ってアニスを見つめた。
 真っ直ぐ見据えた深紅の瞳はふざけてなどいないことを訴えるのには充分だった。アニスは一瞬、その威圧感とも取れる眼差しに身を強張らせたが、仕方ないわねと言うように眉間にシワを寄せると、むうと喉を鳴らした。
 どうあっても止められるのではないかと内心不安だったカイは安堵の表情を浮かべた。指を離してやると、アニスがつっけんどんに言い放つ。
「そのかわり、何があっても半までには戻るよ。でないと、私らが堕ちる(・・・)ことになるぞ」
「オッケーオッケー!」
 さっきの眼差しは嘘だったのか? 俄か返事を返すと、カイはマントを翻してさっさと砂子市へ跳んで行った。アニスも大きく一つため息をついてそれに続く。
 緑都が自殺を図ったスクランブル交差点から程近いファミリーレストランの前に〝漆黒〟はいた。地表から二メートルほど浮いていたが、周りの人間が驚くはずもない。普通の人間には死神が見えないからだ。見える者がいるとすれば、よほどの霊感を持つ者か、もしくは――死が近い者だけだ。
 ファミレスの歩道側は大きなガラス窓になっていて中がよく見える。〝漆黒〟は窓越しに、目の前に座って話し込んでいる女子高生二人組を見つめていた。
「動かないね」
 ファミレスの真向かいに立つ建物の屋上に来たカイとアニスは姿勢を低くして成り行きを見守っていた。
「…………」
 わずかに身を乗り出して覗き込むように睨みつけているカイは、険しい顔で黙りこんでいる。
「気になることってのは何だい?」
 おもむろにアニスが口を開く。カイは視線を逸らさずに答えた。
「俺、今日こっちに来る前にあいつと話したんだ。そしたら『今日は非番だ』って言ったんだよ」
「それはあまり気にすることじゃないだろう? 突然仕事が入るなんてよくあることだ」
「ここら辺の区分がややこしいとは言え、砂子市の管轄は俺達だ。仕事なら俺達に通達すればいい」
「そう言われれば……そうだな」アニスの顔が疑いに歪んだ。
「それにあの二人……今日の死亡予定者リストに載ってなかったんだよな」
「なんだって……? じゃあ、一体――」
 アニスがカイに振りかえると同時に〝漆黒〟が動いた。
 右手に握られた鎌を両手で握りなおし、ゆっくりと、自分の頭上に高々と掲げる。
「――!? おい、まさか……ッ!?
 カイの険しい顔が、一瞬にして驚愕の表情へ変わる。

 その、まさかだった。


〝漆黒〟は少女に向かって鎌を振り下ろした。
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