4:リリーの罪状

文字数 2,655文字

 リリーの銀縁黒コートは少し小さく、所々が擦り切れていた。紫陽花(しょうか)はこのままでいいと言ったが、リリーは手早く採寸し直すと擦り切れた所の補強を始めた。
 遮音性にすぐれた壁は見事な無音を作り出し、囲炉裏で弾ける火花が時折騒ぐ程度だった。
 手持無沙汰にお茶を啜る紫陽花の横で、リリーは簡単な問題をスラスラと解くように針をコートに走らせていた。ちらりと横目で見ると、灯りに照らされた白い肌に銀髪が眩しく光っていた。
「……私が何の罪を犯したのか、気になりますか?」
 視線を感じたのか、リリーは同じく横目を向けていた。紫陽花は慌てて囲炉裏の上の鉄瓶を見たが、ほどなくして小さく頷いた。
 リリーは「そうですよね」と微笑むと、コートに視線を落とした。
「私の罪状は――王の首を取った大罪人の相方――です」
 もう何度も種明かしをしてきたとばかりに、あまりにも落ち着いた声音は紫陽花の耳を素通りするところだった。すんでのところで踏みとどまって訊き返した紫陽花の声は、鉄瓶がけたたましく鳴きだしたことで見事にもみ消された。
 私は今どんな表情をしているだろう?
 リリーはまたも「慣れっこ」の無邪気な苦笑で受け流した。手を止め、鉄瓶のふたを開けて脇に置くと「おかわりどうですか?」と軽く持ち上げた。
「ここは極寒の鉄壁(メタルノース)と呼ばれる監獄です。罪を犯した死神が行き着く場所……王の御眼鏡にかなわぬ限りは塔に戻ることも許されず、生涯をここで過ごすんです」
 二分ほどに減った紫陽花の湯呑みにお茶を注ぎ足して、火にかけなおすと、裁縫に戻り、昔話を聞かせる老婆の穏やかな口調で続けた。
「ここでは、私は〝鍵〟そのものなんです。鍵といっても結界が張られているだけですが、特別な許可を受けていなければ通り抜けることは出来ません。――だから私は毎日追いかけっこしているんです。鍵が壊れて無くなれば、脱獄出来るでしょう?」
 巻き込んでしまってごめんなさい、とリリーは改めて謝罪した。
 王の殺害計画が表沙汰になることを恐れた現死神王(ししんのう)は、口封じのためだけに実行犯の相方であるリリーまでも監獄送りにした。彼女から万に一つでも情報が漏れださないよう、監獄の番人として位置づけ、隔離したのだ。王にとっては、番人として生涯を全うしようが殺されようが構わないのだろうと、リリーは言った。
「私はもう、ここから離れることも、死神として活動することも出来ません。この運命を呪ったこともありましたけど仕方ないんです。ここは王に絶対忠誠の世界。私達じゃどうしようもないんです」
 それに、と言いかけて、リリーは一瞬手を止めた。大きくて澄んだ瞳には後悔と哀しみと疲れが混ざっていた。
「若様を止められなかったのだから、私も同罪です。あの時の私にもっと覚悟があれば……さっきみたいにもっと体を張って止めるべきだったんです。私が若様を罪人にしてしまったようなものなんです」
 そんなことはないと言いかけて紫陽花は口を噤んだ。あらゆる言葉が陳腐に思えて何も言えなかった。自分より幼い身の少女の、丸みを帯びた人形のような顔は痩せこけ、老け込んでしまっている。無実の罪を着せられ邪魔者扱いされた挙句、生涯を檻の中で過ごすしか残されていない彼女の身は、日々危険に晒され、傷だらけになっている。
 紫陽花はふつふつと湧きあがる思いに身を震わせた。
「……そんな顔しないでください」リリーは微笑むとまた手を動かし始めた。「ここは確かに監獄で、私の運命は理不尽かもしれません。でも番人を、鍵を守ることに決めたのは私です。本当に罪深い人達もここには集まっています。誰かが番をしなければ、塔にいる死神達が危険な目に遭うどころか戦争になるでしょう。この世界の平穏無事を願うためにもここを投げ出すわけにはいかないのです。堕とされてもおかしくなかった私でも、形はどうあれここに居場所があるんです。それに若様も、心配してくださる方々もいます。私はそれで充分なんです。たとえ捻じ曲がった運命でも、最後に残るのが全部絶望とは限りませんよ」
 そう言ってはにかむ少女の頬は少しだけ赤みを帯びていた。
 針山代わりの灰色コートに針を立てると、リリーは玉止めをした糸を器用に噛み切った。
「さあ。出来ましたよ」
 立ち上がって自分の身体に添わせてコートを広げた。じゃーんとお披露目すると「今日はとても上手く出来たのできっとピッタリですよ」と弾んだ声で言った。
 助けを借りながら紫陽花は黒コートを羽織ってボタンを留めた。リリーは最後に裾を少しだけ引っ張って長さを確かめると、自分の懐から手のひらサイズの朱色の巾着を取り出して、中のものをコートの胸元へ留めた。
 首を傾げる紫陽花に、リリーは少し照れくさそうに言った。
「お守りです。こんなことしか出来ませんけれど、陰ながらあなたの傍で私も戦います。どうかあなたの運命に光あらんことを」
 リリーは一歩下がると満足げに微笑んだ。コートに留められた花を模したブローチが、ろうそくの灯を受けて金色に光っていた。
 王への忠誠心の証であるブローチ。だがそれは、竹織達が身に付けていた物とは別の花――ラッパのような形に広がる花弁を持つ花。

 百合の花だった。

「――どうじゃ、支度のほうは?」
「若様。ちょうど終わったところです」
 戻ってきた杜若(もりわか)にっこりと迎えると、リリーは壁に掛けなおされていた大鎌を外した。
「おお、なかなか様になったのう」
 黒コートを纏った紫陽花をしげしげと眺めて、上出来だと唸った。
 杜若の胸元にも百合の花を模したブローチが光っていたのを目にした紫陽花はようやく気付いた――百合は先代の王花(おうか)なのだと。
 かつて忠誠を誓った王を、自分達が犯した罪を、絶対に忘れぬように、今も尚、大切にしているのだ。

 紫陽花は白い二人を見つめて考える。

 彼らは本当に咎められるべき死神なのだろうか?

 監獄という名の箱庭に閉じ込められた彼らが、これ以上に罰を受ける理由が、本当にあるのだろうか?


 眼前こそ真――か。


 紫陽花は左胸で光るブローチに手を当てた。

 杜若は鎌を担ぐと、ごつごつした手で小さなリリーの頭を優しく撫でた。
「御苦労じゃったな。儂はしばらく留守にするが、あまり無茶はするでないぞ?」
 幼い少女は嬉しそうに頭を預け、頬を染めて頷いた。
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