2:お茶会の約束

文字数 2,819文字

 向日の水門(アクアサウス)船着場横の丸太小屋からは、甘く香ばしい匂いが漂っていた。
 訪問の旨だけを伝えて来てみると、テーブルの上では焼きたてのパンと淹れたての紅茶が客人の到着を今か今かと待ちわびていた。
 棚の一番上から取り出してもらったブランド物のティーカップは、ここに立ち寄った時のマイカップだ。何十年ぶりという来訪にも関わらず、迷わず出されたカップは手入れが行き届いていて、小屋の小さな照明でも充分すぎる輝きを放っていた。
「アナタの気配り上手には敬服するわ。アタシも見習わなくちゃ」
 温かいミルクティーを啜る椿(つばき)ににこやかに笑いかけて、白蓮(びゃくれん)もカップに口をつけた。
「みんなの鎌、揃えてくれてありがとね。助かったわ」
「いいえ」首を振りながら白蓮は小さく言った。「私にはこれしか出来ませんから……」
「そんなことないわよぉ。謙遜ね」そう笑った椿だったが、すぐに真剣な面持ちに変わり、少しだけ言い難そうに切り出した。「……実は、もうひとつ頼まれて欲しいの」
 懐から取り出したものを白蓮に渡す。カップを置いて静かに受け取った白蓮の手に、深紅に輝く大きめの鍵が輝いた。
「これは……!」
 白蓮の細い目が大きく開く。椿はバスケットに山盛りに積まれたクロワッサンをひとつ取ってかじった。
「譲り受けた物だけど、アナタが持ってて頂戴。アタシが使う余力は多分残らないわ」
「こんな大切なものを……!」
「アタシじゃ宝の持ち腐れよ。大事に持ってるだけじゃ駄目。たまには使ってやらないと、錆びつくわ」
 白蓮は短く息を吐いて鍵に目を落とした。指先から手のひらの付け根まで目一杯の長さはある十字架型の深紅の鍵は見た目より重く、ずっと持っていると疲れてくる。十字架の中央には宝石がはめ込まれ、装飾の細かい一品だった。
 鍵を軽く握りしめて「承知しました」と言うと、白蓮はゆっくりと天井を見上げた。
 チョークのようなおぼろげな白線の魔方陣が天井いっぱいの大きさで描かれていた。随分と前からあるものなのだろう。所々は消えかかり、別の個所は妙にくっきりとした線が走っている。この小屋に壁掛けの照明しか無いのもこの魔方陣の為だった。
「それで、どのくらいいけるかしら?」
 椿の問いかけに、白蓮は一瞬目を閉じて黙考した。
「……私の力だと、この鍵のお力を借りても一度きりでしょう。二度目となると持ち堪えられるかどうか……」
「やっぱりそうよね……」
「この身を対価にすればおそらくは――」
 椿はそれを制して首を横に振った。
「無意味な犠牲は出さないわ。お嬢ちゃんが悲しむからね」
 クロワッサンを飲み込んで、椿はふうとため息を吐いた。開け放たれた窓の風に、壁掛けのキャンドルライトの炎が揺らめく。
「……悪いわね。会えたと思ったらこんなこと頼んじゃって」
「お気になさらず。他ならぬ()(けい)様の頼みですから」
 微笑む白蓮に椿は刹那、面食らって固まった。しばらくすると糸が切れたように小さく吹きだした。
「――驚いた。その名前、まだ覚えていたのね」
「忘れるわけないわ。――身分も地位も、外見すら変わっていたって、中身までは変わらないもの」
 そうでしょう? と白蓮が悪戯っぽく口元に人差し指を立てる。椿はハハンと目を細めた。
「なに言ってるの。アタシは夏恵サマと違って、食べられるんだからね。ピーマン」
「まあ、成長されましたね」
「……馬鹿にしてる?」
「うふふ。鎌をお持ちしますね」
 白蓮はそそくさと席を立った。地下の武器庫へ降りていくかつての同期の背を見送ると、椿は窓の外へ視線を移した。
 快晴の空は澄み切っていて、六等星さえよく見えた。

 変化のないこの世界は退屈だ――そう思っていたのに。

 変わらないことがこんなにも嬉しいなんて――。

 ふっと嘲笑が零れた。
「……いよいよアタシも焼きが回ったのかしらねえ……」
「――どうしたの? そんなにしんみりして」
 振り向くと白蓮が戻って来ていた。その手には片腕ほどの長さはある銀色の扇子が大事そうに握られている。両の親骨に装飾された房にくくり付けられた呪鈴(じゅりん)が、鎌であることを示していた。
「なんでもないわ」
 椿は残っていたミルクティーを飲み干した。すっくと立ち上がると、差し出された扇子を受け取って腰に差した。
「ごちそうさま。本当はもっとゆっくりしたいけど時間が無いの。このへんでお暇するわ」
「真っ直ぐ城へ?」
「いいえ。北へ寄るわ」
「北……ですか?」白蓮の顔が微かに曇る。
「そ。どうせもう優秀な秘書様の結界で正面突破は無理でしょ。それに、北にはとっても可愛い鍵番が居るそうじゃない? 会わないわけにはいかないわよね」
 イヒヒと笑って椿はマントを翻す。軽い足取りとは裏腹に、友に背を向けた椿の表情は冴えなかった。
「――椿様」
 ドアノブにかけた椿の手が止まった。鍵を大切に握りしめた白蓮が、唇をきゅっと結んでその背を見つめている。
「僭越ながら忠告申し上げます。……お噂が真なら、死神王(ししんのう)様がお探しなのは椿様のはずです。今行けば危険が伴うのは私でも分かります。それでも……行かれるのですか?」
 最後に少しの間をためて訊ねた表情は、今生の別れであるかのようだった。
「――大丈夫よ」椿は顔をあげ、ドアに向かったまま言う。「あのおぼっちゃまは一度にたくさんのことを考えるのが苦手だもの。今頃はきっと、アニーに首ったけよ。しばらくアタシに害は無いわ。今のうちにやることやっておかないと」
 それに、と椿は言葉を切った。
 自分はもう日陰者なのだ。闇に紛れて活動し、限られた空間でしがみつくように存在意義を見出して行かなければ居場所を得られない。幾人もの記憶から徐々に風化していく自分の存在を、留めるためにはこの方法しかない。
 それでも突き動かされるのは、まだ人である何よりの証拠――。
 誰か一人が覚えていてくれれば――それだけで人は最後まで輝いていられるのよ。
 喉の奥がクッと熱くなる。
 鈴虫の小さな鳴き声が空気を満たした。
「……長居しちゃったわね。それじゃ――」
「ナッちゃん」
 はっきりとした声は、ドアノブにかけた手を再び止めた。
 振り返ると、目元を赤らめた白蓮が少女のようにはにかんでいだ。
「……終わったら、また遊びに来てね。ナッちゃんの好きなクロワッサン、いっぱい焼いて待ってるから」
 振り子時計の長針が真上に来たことを告げる鐘がしっとりと鳴り響く。最後の余韻がいつもより長く感じた。
 入れ替わる鈴虫の声。椿は軽く頭を振ると豪華なまつ毛が輝く目でウィンクして見せた。
「オッケー、シロちゃん。約束したわよお!」
 じゃあねと手をあげ、椿はドアを押しあけて颯爽と闇夜に消えていった。
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