5:堕ちる

文字数 3,969文字

 砂子(いさご)市に降り立ってすぐ、二人は辺りを見回した。
 商業ビルが立ち並ぶ市街地は、そろそろおやつ時の時間帯だというのに容赦なく照りつける日光を思う存分反射し合っていた。
「あー、くそっ! 竹織(たけおり)の奴、いつも気配消しやがって! これじゃどこに居るのか全然分からねえじゃん!」
 吐き捨てると、カイは苛立たしげに髪を引っ掻き回した。その隣でアニスも浮かぬ顔で考え込んでいる。
「『見せたいものがあるから降りてこい』か……。下界でアジに見せると言ったら――」
 二人はハッとして顔を見合わせた。そして急に血相を変えて、何かに追われるように走りだした。
「ここらで一番大きいっていったら総合病院だよな!?
「交差点の手前だよ! そう遠くない!」
 立ち並ぶビルを二人は猛烈な勢いで飛び移りながら進んだ。バラバラと風の音が鳴る以外は互いの声すら何も聞こえなかった。
「間に合ってくれよ……っ!」
 カイは胸元を抑えて歯を食いしばった。
 見せたいもの――竹織は紫陽花(しょうか)の実体の元へいるはずだ。
 何故そこへ向かったのか、目的は何なのか、定かではない。
 だが、カイには確信に近い直感があった。

 このままでは竹織の身が危ない――!!

 スクランブル交差点が彼方に見えた。その手前に一線を引くように、白く大きな建物が横に二つ並んでいる。だがそのどちらにも竹織と紫陽花の姿は見当たらない。
「裏か!?
 二人は商業ビルの屋上を飛び移りながら病院を迂回した。誰かと接触している可能性がゼロでない以上、直接竹織の元へ行くのは避けるべきだと目配せしていた。
 病院の東西が同時に見ることが出来る、小さなヘリポートがあるビルの屋上で二人は足をとめた。小型ヘリが一台、離陸の準備を始めている。
 予想通り、竹織は紫陽花と共に、六階のとりわけ大きな窓の病室前に浮いていた。角部屋のそこは西と南に窓がある、かなり広い部屋のようだ。部屋には西側の窓に沿って一番奥にベッドが一つ置かれ、その傍らに二つの人影があった。人影はおそらく看護師や見舞人で、あのベッドに紫陽花の実体が眠っているのだろうが、アニスとカイが居る場所からでははっきりと確認出来なかった。
「……何話しているか分かるかい?」
「いや、聞こえねえ。読唇するにももっと近くなきゃ――()!?
 突然の激痛にカイは頭を押さえた。直後に離陸した小型ヘリに呻き声は掻き消された。うずくまるカイにアニスが心配そうに駆け寄る。
「……わりぃ。大丈夫だ」
 アニスの肩を軽く叩いて答えた。急な頭痛に襲われて驚いたことが痛みを悪化させたのだろう。冷静になってみると大したことなかった。だが、アニスの助けを借りつつ立ちあがると途端に立ち眩みを起こし、強烈なフラッシュが延々とたかれ続けるような視界に目を閉じた。
 今度はアニスがカイの腕を軽く叩いた。竹織がどうだの言っているようだが、小型ヘリの音がうるさくてほとんど何も分からない。
 痛みと突風に耐えながら固く閉じていた目を徐々に開いていく。
 轟音に呑み込まれた世界は、時が止まったようにひどく静かで、ひどくはっきりと目に映った。
 竹織と目が合った。
 首だけを向けた竹織は少しだけ頬を緩めたように見えた。
「竹……織……?」
 頭痛も立ち眩みも、一瞬で吹き飛んだ。
 ただ、その光景に目を奪われた。
 少年の薄桃の端麗な唇がゆっくりと、短く言葉を紡ぐ。








 あ・と・は・た・の・ん・だ。









 けたたましい音を立ててヘリコプターが飛び去った。静止画が再生されたように、雑踏の音が蘇る。
 風に乱れた髪を払いながら、アニスは視線をそらさず呟いた。
「あの子、今何か言っていたみたいだけ――」
 目の端で何かが動いた。カイが、ヘリポートの柵をひらりと飛び越えていた。
「お、おいっ!?
 アニスも慌ててあとに続く。痛みも忘れ、カイは猛スピードで空を走った。
「待てっ! 竹織――――ッ!!
 竹織は何事もなかったように首を正しい向きへ戻す。光沢が美しい髪に紛れ、その光景を見落としかけた。
 竹織の体から、風化していくように光の粉が煌めきだした。粉は狼煙のように帯となって風に流されていく。
「……なんかあれ、やばくないかい?」アニスが目を細めた、

 その時だった。

 竹織の体がぐらりと揺れた。瞬間、砂子市の地表に黒く渦巻く気流が生まれた。音を立てて飛び交う電流に呼応するように、空がみるみる赤黒く染まってく。地表の気流は渦の中心を徐々に広げていく。やがてその中から、マンホールのような、錆色の巨大な門が現れた。
「嘘だろ……」カイが引きつった顔で呟いた。「獄門(ごくもん)だ……!!
 二匹の鬼が互いに鎌で突き刺しあっているレリーフの門が全貌を現した。直径数百メートルにも及ぶ扉が地獄の底からやってきたのだ。
 ゴウンッ! と歯車の動く音がした。石の擦る重厚な雑音に合わせて門が開いていく。芳しくない事態なのは誰の目から見ても明らかだった。だが、この場に居た者は皆、取り憑かれたように、門が開ききるまで動くことが出来なかった。
 カチッと門が開ききった。
 次の瞬間、ぽっかりと口を開けた門から、猛烈な引力が吹き荒れた。竜巻のような風の中、必死に病棟にしがみついて耐える紫陽花の耳に、その音ははっきりと聞こえた。






 リン。






 青い瞳が、見開かれる。

 揺らいでいた竹織の体が完全に傾いだ。

「堕ちるッ!!」アニスが叫んだ。
 紫陽花の悲鳴と同時に、竹織の体は門に向かって真っ逆さまに落ちていった。
 門からは細く白い手がいくつも凄まじい速さで飛び出した。白い手は骨そのもので、竹織を受け止めると次々に巻きついていく。数秒で繭玉のように膨れ上がった骨の隙間から、生気を失った竹織の真っ白な顔が僅かに見えた。
「アジを頼む!!
 カイは腰に差していた鎖鎌に手をかけ空を蹴った。弾丸の速さで瞬く間に紫陽花の横を過ぎ去り、獄門に引きずり込まれていく竹織に向かって迷うことなく鎖を投げた。鎖が骨の繭玉にぎっちりと絡みつく。カイはそのまま繭玉の付け根に飛び込むと、鎌でざっくりと切り離した。
 繭玉はカイの上半身分くらいはあろうかという大きさに育っていたが、発泡スチロールのように軽く、竹織の重さすら無かった。
 背中がゾッとした。
「竹織! しっかりしろ! 竹織ッ!!
 返事は無い。それどころか、骨の手は切り離したにも関わらず、うぞうぞと動いてどんどん竹織を締め付けていく。僅かに見えていた顔も埋め始めていた。
「くそっ……!」
 カイは無我夢中で締めつけようと蠢く骨の手を次々引き千切った。繭玉に鎌を突きたてても、すぐにそれごと覆われそうになる。ざくざく、びりびりと手ごたえはあるものの、締め付けるスピードのほうが勝っていた。
 そうこうしているうちに、門から加勢の手が伸びてきた。数本が繭玉を取り返そうとしたが、カイがそれを許さなかった。骨の手は繭玉を奪う事を諦め、代わりにカイごと引きずり込むことに決めたらしい。巨木になりえる程の量の手がカイに襲いかかった。
 大波をもろに食らうように、二人の姿はたちまち呑み込まれた。
「カイ!! 竹織!!
 紫陽花にかぶさるようにして庇いながら、アニスが悲鳴のように叫んだ。
「来るなッ!!」カイが吠えた。「アジを連れてすぐ戻れ!!
「でも、このままじゃあんたまで……!」
「くだらねえ事ぐだぐだ言ってんじゃねえ! 言う事を聞け!!」カイの姿はもう見えなかった。「さっさと行け! ここは俺がなんとかするから!!
 アニスは唇を噛みしめ、ぐるぐると膨れる白い塊を見つめた。もう中がどうなっているかは分からなかった。それでも、カイの揺るぎない声はしっかりと届いていた。
「――俺達もちゃんと戻るから心配すんな。先に戻って救護隊呼んでおいてくれよ」
 そうだ。今は紫陽花を安全に連れ帰る事が最優先。カイと竹織ならきっと大丈夫。信じてやらなくては。
 アニスは悔しさに顔を歪めながら、薙刀を支えにして背に紫陽花を抱えると、跳び上がる勢いで空を駆けあがって行った。
 すっかり骨の手に包みこまれたカイは、遠のいた相方の感覚に胸を撫で下ろした。これでひとまずあの二人は大丈夫だ。
 骨の手は勢いを失くし、獲物を消化する蛇のようにゆっくりと渦を巻いて降下していた。カイは背中を丸めて黙々と、しかし穏やかな表情で、手に抱えた竹織の骨繭玉を解いていた。
「お前のことだから、なんで放っておかなかったとか聞くんだろうなあ。ま、助けないわけにはいかないでしょ。お前が消されたら俺も消されちゃうしね」
 カイは思い出話をするようにくっくっと笑った。
「ってのは建前。お前ほどお人好しな死神、放っとけるかよ。後でアジにもちゃんと話してやれよ、ガキんちょ」
 束になって固まっている骨を砕いた。竹織の、人形のようにぐったりした頭がようやく取り出せた。カイは慣れた手つきで自分の腕に首を座らせると、残りの骨の中心にヒビを入れた。切り離していた事で骨の威力は少しずつ弱っていたようだ。ヒビ伝いに塊は軽い音を立てて真っ二つに割れた。
 竹織の体から離れた骨はあっという間に粉になって消えた。それと同時に、竹織に重さが戻った。
 狭い骨繭玉の中で器用に態勢を整え、竹織を脇に抱えた。
「一心同体ってのは面倒だなあ」
 目を閉じ意識を一点に集めると、鎌を握りしめた腕が黄金色に光り始める。
 カイは深く息を吸いこみ、蠢く骨を真一文字に切り裂いた。
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