7:役者の掌

文字数 4,959文字

 不穏な音を鳴らしながら雲は瞬く間に広がった。天窓からの光が失せて薄暗くなった闘技場は、黒雲の切れ間から時折差し込む光でフラッシュがたかれた。
 竹織(たけおり)は苦虫を噛み潰した顔で緑都(ろくと)を蔑んだ。開いた瞳孔は必死に取り繕う嘘を暴くように忙しなく動き、抉ってくる。
 張りつめた空気を破ったのは緑都だった。
「なんてことだ……」
 よろよろと立ちあがると、覚束ない足取りで竹織を見据えた。竹織もじっと緑都を睨んだまま立ちつくしている。
「探していた手掛かりがこんなに近くにあったなんて……!」
 竹織の眉がピクリと動いた。
「……脱輪(だつりん)に興味があるようだな?」
「ええ。とっても」
 わざとらしいほどの柔らかい笑みに、竹織は顔を歪めた。
「輪廻から外れれば、新しい命として生まれることは無い……。そこまでは解りました。けれどその後、いくら調べても、閲覧制限のかかった書物でさえ解らなかった。試験官さん、きっとあなたなら知っているはずだ」
 さあ早く絶品のごちそう出してよ――待ちかねた子供のように竹織に詰め寄る緑都に、竹織は視線を逸らさずぴしゃりと言った。
「知らん」
 緑都が止まった。明らかに動揺の色がにじみ出ている。
 しかしすぐに笑顔を繕い直して一瞬の揺らぎを押し隠した。流石学年一の秀才だ。機転も切り替えも早い。おそらく自分のみならず、他人に対してもある程度の操作は出来るに違いない。対峙している竹織ならそんなことなどとうに気付いているだろう。
「またまた。試験官さんも結構意地悪なんですねえ――」
 口の端を吊り上げたままさらに詰め寄る。穏便に済ませる次元は越え、いよいよ脅しにかかり始めていた。
 紫陽花(しょうか)は力の入らない足に鞭打って立ちあがった。目の前では頭ふたつ違う二人の男が、今にも飛びかかりそうな空気を醸しながら睨みあっている。いざとなれば自分が止めに入らなければ――紫陽花は奥歯を噛みしめて成り行きを見守った。
 相手は何百年も死神歴があるというのに、緑都は臆するどころか挑発しているも同然だった。正直、ケンカにでもなってしまえば止められる自信など無い。この状況において竹織の精神年齢が高いのが唯一の救いだった。
「知らんものは知らん。こんなこと、誤魔化したところで何の得にもならん。存在が消える……という噂を聞いたことがあるだけだ」
 平静を保っていたが、(はらわた)はかなり煮えくり返っているようだ。語尾が微かに震えていた。
 緑都は「ほら、やっぱり!」と弾んだ声をあげた。漠然とした答えだったが彼には充分だったらしい。顔を綻ばせてそうかそうかと繰り返したかと思うと、突然顔に手を当てて天井を仰いだ。
「ああ、どうして僕は死期を延ばしてもらえなかったんだろう」
「ふん。最速で絶命した貴様が何を言う」
「あ、そうだった」
 緑都は苦笑して頭を叩いた。その態度に竹織はあからさまに舌打ちをした。
 この男は、死にたかったのとは違う。
 内原(うちはら)緑都は自殺した。家系の(しがらみ)と己の性格から脱却するために生きることを捨てた。それは紛れもない事実であり、本人も認めた事だ。
 だが違う。内原緑都は死にたかったのではない。そのことを今、竹織は確信した。紫陽花もようやく、その違和感に気付いた。
 死にたかったのであれば、内原のこの好奇心は何だ――?
 想いが叶わぬと解っていてなお、告白し、笑っていられたのは何故だ?
 ざわつく思いを抑え、紫陽花は口を開いた。
「内原……。あんた、まさか……生き返りたくないの……?」
 緑都は「ほう」と感心の息を吐いた。竹織が目を細めた。
「――なんだ。やっぱり解ってくれているじゃないか君は」
 雷に打たれたように立ちすくむ紫陽花を舐めまわすように、緑都は酔いしれた笑顔を浮かべた。
「その通りだよ、栗栖(くりす)さん。正直、家族もろとも死期の延長だなんてまどろっこしい事、興味ないんだ」
 牙をむき出す竹織に、悠然と卑下の眼差しを向けながら緑都は続けた。
「死そのものはあくまで第一段階だ。僕が最も興味あるのは輪廻から外れたその先さ。だってそうだろう? 生き返ったところで、似たような家系に生まれつく可能性がゼロだと誰が言える? だったら僕自身を甦らない運命に投げ入れたほうが早いじゃないか」
 竹織は完全に怒りを面に出していた。理想論を意気揚々と語る緑都を、虫けらよりもさらに下等だと言わんばかりの目で睨む。両の拳には血管が切れる寸前程に浮かび、鍵束は力に歪んでいる。
「君がここに来た【生き狩り】だっけ? 確かに不当な手段だけど、言ってみれば斬新だよね。望まずして寿命を延ばされる死期延長が脱輪を招くなら、死期を早められた君には何が待ち受けているのだろう? うん、生き返れる可能性があることも納得出来る。でも、こういう考え方だってあると思わないかい? 君はこの世界で歴史的な第一人者になったんだ。すごいことじゃないか。可能性なんてゼロになる前に実行すればいつだって同じさ。焦ることはないよ。もう少しこの世界を堪能したっていいと――」


 どこから聞いていなかったか覚えていない。

 乾いた音が全体に響いた。


 気付いた時にはもう緑都の頬をひっぱたいていた。
「……あんたに何が分かるのよ……!」
 痺れる右手に鞭打つように、驚きに立ちつくした緑都の胸ぐらを掴んで紫陽花は叫んだ。
「死にたがりのあんたに何が分かるっていうのよ!? 見える朱里(しゅり)の目の前でぶっ倒れて、ずっと帰れずにいるのよ!! 何にも言わずに残さずに死の世界とやらに来て、帰れないかもしれないのに! 焦るなですって? 冗談じゃないわ!! 家出なんてしなきゃよかった……母さんとちゃんと話していたらって思わない日が無いはずないでしょう!?

 悔しい。

 こんな奴に憧れていたなんて、羨まれていたなんて。

 こいつに私の気持ちが分かってたまるものか……!!

 気の抜けた目で見おろしてくる緑都を、紫陽花は息を荒らげて睨みつけた。
「――いい目だね」
 ふと緑都が呟いた。紫陽花はギクリと身を固め、突き飛ばすように距離を取った。
「僕が君に惚れた目だ。信念を強く持った、燃えるような輝き――僕がいくら勉強しても生涯手に入れられなかったものだ。大切にするといい」
 君はまだ、こっちに来ちゃいけないんだ――。
 緑都は困ったように眉尻を下げて微笑んだ。その姿は、内気で一途なおとなしい青年に戻っていた。
 紫陽花は唇を噛みしめた。
 何故こうも内原は、人の心を分かり切ったような顔をするのだろう。
 吐き捨てるように「あんた最低」とだけ言うと、全速力で闘技場を出て行った。
 いつの間にか雲は散り始め、月明かりに照らされた闘技場が静けさを取り戻した。
 緑都は服を整え直し、竹織は紫陽花の背中が見えなくなるまで見つめ続けた。
「……役者だな」竹織がぽつりと言った。「あいつが生きる気力を失いかけていたのをわかってやっていたな?」
 緑都は頬を擦りながら薄く笑った。
「何のことです? 僕は本気でしたよ。最初から、ね。ただ、彼女がすっかり死んだ魚のようだったのが見るに堪えなかっただけです。僕は一途な人間ですから、好きな子には尽くしたくなるんですよ」
「ものは言いようとはこのことだな」
「あはは。そういう試験官さんもとてもお優しい方のようだ。僕が告白する時からずっと外で聞いていたんでしょう? 本当は部屋に入るつもりも無かったんじゃありませんか?」
「……何が言いたい?」
 竹織の声にはっきりとした苛立ちが含まれていた。猫と戯れるかのように、緑都はそれを楽しげに見つめていた。
「だからお招きしたんですよ。試験官さん。僕は三人でお話したかったんです。彼女が居るほうが試験官さんから色々お話聞けると思いましたし、誰よりも人情深いあなたなら、彼女に危険が迫れば確実に来てくれるはずですからね――」
 緑都の顔が勝ち誇った笑みに歪む。
 竹織の奥歯がギチッと鈍い音を立てた。
 こいつ、全部読んでいたというのか……!
 部屋の前で気配を消していたのは事実だった。だが、認定を受けたばかりの死神の能力は一般人と同等。何百年と死神を続ける竹織の足元にも及ばない。気配はおろか存在すら認識出来ないのが当たり前なのだ。緑都といえど例外ではないだろう。
 緑都ははったりをきかせていただけなのだ。最初から(・・・・)
 腹の底から煮沸される思いに無理矢理ふたをして、竹織はくるりと踵を返した。
「あれ、行っちゃうんですか? つれないですねえ。もう少し語らいましょう?」
「時間の無駄だ。貴様といると腹立たしい気しか起きん」
「あら。じゃあ僕もう堕とされちゃいます?」
「……今決める事じゃない」
 この場で裁いてしまえないのがこの上なく歯がゆい。とは言え、裁いたところで、この男にとっては願ったり叶ったりだ。――なるほど。いくら挑発しようと手が出せないのはこちらになるわけだ。
 自分を含め三人を思い通りに動かすなど、相当な自信と、深層心理のレベルまでその人物を理解していなければまず不可能だ。それでも成功率は無いと言っていい。だから緑都は布石を打った。
 自分は消滅してしまいたいのだ、と。
 案の定、この一言で緑都は鉄壁の守りを得たと同時に、いとも簡単に、闘技場にいるほんのひと時を完全に掌握した。堕とされるならば構わなかったし、それが叶わずとも、今の緑都にはこの世界が遊園地だ。存分に楽しめばいい。竹織の性格からして、気に食わない輩に望み通りの裁きを下さないことは分かりきっていたのだ。
 最初から俺は、あいつの掌で踊り狂っていたという訳か。
 やってくれる……!
 竹織はマントをなびかせ足早に歩いた。一刻も早くここから出なくては、上らされた舞台から降りられない。
 片側だけ開きっぱなしの石扉に竹織が手をかけた時、後ろを揚々とついて来ていた緑都が、思い出したように「ああ、そうだ」と歩みを止めた。

霊殖(れいしょく)……というものがあるそうですね」


「――――――!!


 竹織がピタリと止まった。
 石扉に触れた左手から冷たい感触がじわじわと伝わってくる。
 ゆっくりと振り返ると、緑都の挑戦的な瞳が、驚きに目を見開く竹織を容赦なく突き刺した。
「あなたがそこまで彼女に入れ込むのは何故です? これは僕の推測ですが――彼女は貴重な被検体(・・・・・・)……なのではありませんか?」
 血走るほど両目を見開いて睨む竹織と、たっぷりとした笑みを絶やさない緑都は、捕らえたての猛獣と、その使い手のようだった。
「……随分、深い事を知っているんだな?」
 竹織は呻りに等しい声で呟いた。鮮血の瞳は忙しなく動き、今にも飛び掛かりそうな危険性を孕んでいた。
「――そう警戒しないで下さい。噂を聞いただけですよ」
 緑都はふっと表情を和らげると両手を肩まで上げた。
「……つくづく敵に回したくない奴だ」竹織は頭を抱えた。
「光栄です」
 微笑む緑都を、竹織はうんざりした目つきで睨んだ。
「探究心の賜物といいますか、図書室に通っていると色々な方と親しくなりましてね。世間話が弾みますよ」
「……結構なことだな」
 内原緑都は頭のいい奴だ。本気で禁忌を犯すつもりはないだろうし、深入りするなと言えばあっさり引き下がるに違いない。
 だが――竹織は眉をひそめた。
「ならば、ひとつ忠告をしておいてやろう」
「なんでしょう?」
 すうっと息を吸い込んで、小首を傾げる緑都に向かって吐き捨てた。




「死神をなめるなよ。小僧……!!




 咆哮が響いた。
 音を立てて、殺気が少年から溢れ出した。轟々と膨れ上がるそれは空気中を伝わって神経を引きつらせてくる。自分の意志と関係なく、頬を汗が流れおちていく。
 緑都はゆっくりと口の端をつりあげた。
「――ええ。肝に銘じておきますよ」
 胸元に手を当て、緑都は深々と一礼した。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み