5:夏恵

文字数 3,634文字

 脳裏によぎった可能性に、死神王(ししんのう)は胸を躍らせた。
 食い入るように竹織(たけおり)を見つめたまま、その戦いぶりを観察する。おもちゃに夢中な子供同然に目をキラキラとさせていた。
「……どうされました?」
 紫苑(しおん)が訊ねた。さっきまで触れれば刺されそうな雰囲気だったのが嘘のようだ。感情豊かと言えば聞こえはいいが、付き合わされるこっちはたまったものじゃない。
「――すばらしい! 完成形じゃないか! やはり技術記録は存在するんだ……! 紫苑、分からないかい? 彼らを見て御覧よ!」
 紫苑は言われるがままに死神王の指し示すほうを見た。
 竹織がいつものように眉間にシワを刻んで戦っている。確かに、魔力欠損の影響で普段の力には劣るかもしれないが、それをも感じさせぬ戦闘ぶりには敵ながら天晴れである。特に変わった様子は無い気もするが――首を傾げて視線を戻すと、死神王は呆れ気味に首を振った。そして竹織に太い指先を差して薄く笑う。
「〝狩人(かりうど)〟と〝若獅子(わかじし)〟――彼らは魔力連盟を結んでいる。それも、完成された強力なものをね」
「れ……連盟を!?」紫苑の顔色が変わった。
「互いの魔力を共有して身体強化を図る――右腕に集めていたのを君も見ていただろう? まさかとは思っていたが同調率は最高値のようだね。〝若獅子〟の手負いに〝狩人〟も疲労しているようだ」
「そんな、まさか……。文献は何も残っていないはずです。それに……」
 魔力連盟も霊殖(れいしょく)の一種。先代の死神王が研究していた術であり、その技術記録はどこにも残っていない。紫苑は皇帝書庫は勿論、図書室の閲覧制限のかかる棚に至るまで既存のものは隅々まで読んでいるのだ。もしそんな文献が本当に残っているというのなら、何者かが長年にわたり誰の目にも触れられない場所で隠し続けていることになるが、ここには死神しかいないうえに全員の経歴データは全て王権管轄だ。秘書たる紫苑が知らない死神など居るはずがない。
 死神王は玉座から離れ、バルコニーから身を乗り出した。
「彼らはどこでこの技法を施された……? 何故、この私ですら長年探し続けても辿りつけない答を彼らが持っているのだ……。ああ、是非とも聞き出してその身を調べたいものだ――紫苑。まずは〝若獅子〟だ。私の研究所へ通して――」
「――悪いけど、あの子は特にお気に入りなの。勝手なことしないでくれなあい?」
 ツンと刺さる声音に、死神王と紫苑が揃って振り向いた。
 暗がりからしゃなりしゃなりと姿を現した椿(つばき)が二人の前で足を止めた。開いた扇子を片手でパチンと閉じるとアイシャドウの映えた狐顔が露わになった。
「なんだ。貴様は」水を差されたことが気に入らない様子で死神王が呟く。
 椿はくるんと螺旋を描く髪を指先でつまんで嘆息を漏らした。
「もう少し地下通路掃除したほうがいいわよ。煤だらけだったわぁ」
 紫苑が進み出て、手にした杖を椿に突き付けた。
「何用です? それ以前に、死神王様の御前ですよ。立場をわきまえなさい」
「アラ。お久しぶりね、紫苑ちゃん。すっかり凛々しくなったじゃなあい?」
「聞こえないの!? 立場を――」
「あれが研究の成果だなんて笑っちゃうわね。坊やの砂遊びと同じじゃない。こんな霊殖じゃ、先代も悲しむってものよ?」
 紫苑の目に紛う方なき動揺の色が出た。突き付けられた杖の先が少し下がる。
 死神王がバルコニーの縁にかけていた手を下ろし、首だけ向けていた意識を完全に椿へ向けた。紫苑とさして変わらぬ背丈の男は長身の椿を前にすると一層小さく見えた。
 細めた目でねぶるように上から下まで視線を走らせると、おもむろに呟いた。
「……貴様、夏恵(かけい)か」
 椿がピクリと眉を動かす。紫苑は驚愕に顔を引きつらせた。
「――不思議な事を言うのねえ? アタシは椿。とおっても優秀な紫苑ちゃんが管理しているんですもの。間違いないわよ?」
「フン、茶番はいい」死神王がピシャリと告げる。「その程度では私は騙せない」
 椿は小さく嘲笑した。最初から隠し通す気は無かったようだ。
「冷たいじゃない。男はもう少し器量が良くないとダメよ」
「死んだ筈の貴様が何故ここに居るのか興味深い。是非とも私の研究に協力願いたいね」
「面白くない冗談はやめて頂戴な。アンタの玩具(おもちゃ)になるなんてまっぴら御免よ。死んだ先代とアタシが可哀想じゃない」
「貴女こそいい加減なことを言うのはおやめなさい――!!
 再び鼻先へ突きつけられた杖にも動じず、椿は少し残念そうな顔をした。
「やっぱり信じてくれないわよね……。寂しいけど、仕方ないわ」
 椿は紫苑の杖と平行に腕を伸ばすと、扇子の先で唸るフィールドを指し示した。
「せっかく再会したんだし、積もる話はそこの物騒な門を閉じてからゆっくりしましょ」
 直後、キンッと高い音が響いた。
 獄門(ごくもん)がぱっくり開いた地面が白く輝いた。反射光のように強烈な光の中で地獄手(じごくしゅ)は悶え、次々と勢いを失くしていく。やがて崩れるように門の中へ退くと、ひとつの魔方陣が浮かび上がった。
「あの魔方陣は、中央門番の……!?
 バルコニーから見下ろした紫苑が掠れ声で呟く。死神王もまたフィールドを覗き込んだ。
「馬鹿な! 門番如きが獄門を閉鎖出来るなど――!!
 白く光っていた魔方陣は徐々に錆色に変わり、陣の中央に(かんぬき)が形作られた。
 ずりずりと耳障りな音を立てて獄門がゆっくりと閉じていく。開きが狭まるにつれて増大する引力に、死闘を繰り広げていた竹織達が近くの瓦礫にしがみついて耐えていた。

 ガチャン!

 錠の落ちる重々しい音が轟いた。
 獄門と共に魔方陣は跡形もなく消えさり、元の砂地に戻った。
「……獄門の鍵か」死神王は目を細めた。「あれは王しか持たぬ品……。先代から譲り受けていたとすれば門番に預けることも容易――なるほど。貴様が夏恵だと証明するには充分だな」
「納得してもらえて光栄だわ」
「これでますます帰すわけにはいかなくなったな。もっとも、最初からそのつもりは毛頭無いが」
 ねちっこい笑みを浮かべてゆったりと死神王が振り向く。椿は切れ長の顔のあちこちを上へあげて営業スマイルをこしらえたが、眉尻まで上げてひくつかせていた。
「アンタが束縛するタイプなのは知ってるわよ。そうねえ。どう? アタシのお願い、承諾してくれたら、教えてあげてもいいわよ? 完全な霊殖技術」
「完全な技術……!? 文献も無いのにそんなこと……!!
「文献ならここにあるわよ。紫苑ちゃん」
 椿は長い爪が鋭く光る指を自分へと向けた。
「先代は死期を悟って秘書の夏恵に全てを譲渡したわ。そして、自らの記憶を統合させた秘書の精神は、再生の決まっていた死神と移し替えた。こうして空っぽになった王様と再生の義務が付けられた秘書の体は仲良く生者界へ旅立って行きました――どう? 泣けるお話でしょ?」
「……そんな作り話を信じろというのですか? 仮にそうだとしても、再生したはずの死神が居続けていることが誰にも知られずになんて――」
 紫苑の言葉がハタと止まった。椿は満足げに口元を引き上げた。
 椿が夏恵だというのなら職権乱用すればいいだけだ。自分達の経歴を抹消して、入れ替わった死神の経歴を書き換えればいい。元々再生の決まっていた死神なら再生することに変わりはないし、夏恵の体も再生の輪に乗ってこの世界から無くなる。入れ替わった椿は新人として潜り込めば経歴も不都合なく刻まれていくわけだ。あとは出来るだけ人目につかぬよう行動すればいい。
 思い返してみれば、椿の仕事ぶりは毎月計ったように基本件数より少し多い数をこなしていた。勧告することも無ければ向上心が無いと疑うほどでも無い。至って普通――それ故に気にも留めない存在になっていたのだ。
 そんな計算された日陰の生活をしてきたというのか――一世紀近くも……?
「別に信じてくれなくてもいいのよ。でもアタシは霊殖技術を持つ唯一の存在。そしてその技術の完成度はこの体そのものが証明しているわ。言わば歩く霊殖全書ってとこかしらねぇ。――どう? 喉から手が出るほど欲しい代物でしょう?」
 死神王は短く笑うと、両手を広げてゆっくりと椿へ歩み寄る。
「私への理解が深いとは嬉しい限りだよ。折角こうして再会したんだ。希望通り話し合いに応じるとしよう。なにせ忙しい身だからね。私としても出来る限り穏便に且つ簡単に済ませたい」
「ええ、大丈夫。とっても簡単よ」
 椿もまた、ゆっくりと歩を進める。自分より低い死神王の耳元に顔を近づけると同時に扇子をその青白い首筋に沿わせた。
「死んで頂戴」
 静かに告げて、閉じた扇子を真一文字に振り抜いた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み