14:生きている
文字数 3,693文字
視界が点滅と回転を繰り返し、竹織 は全身を強打した。遠くでカランと鎌が転がる音が響く。くたびれた四肢がそれぞれ好き勝手な方向に向いていたが、それすら分からないほど何も感じなかった。
「――無様だな」転がった竹織に侮蔑の眼差しを投じて死神王 が呟いた。「人間の小娘ひとりに何故そこまで肩入れするのか、まったくもって理解不能だ」
天窓から見える薄闇の空をあてもなく仰いだまま、竹織は息ばかりの声を絞り出す。
「……あいつの時間はまだ動いている……。止めるわけには、いかない……!」
「いつかは止まるものだ。それが早いか遅いかだけのこと。終わりある世界に縛られた人間のなにがいい? 永遠を約束された世界こそが楽園だ。人間も皆、それを望んでいる。私が造るこの世界こそが理想郷だ」
「……骨の髄まで力に喰われたか……死霊術神 ……!!」
「――貴様とは最後まで相容れなかったようだな」
短く告げて双鎌 をひとまとめにすると、巨大なフォークと化したそれを、少年の小さな体へ力任せに振り下ろした。
「――随分と楽しそうねぇ? アタシもまぜて頂戴な!」
ツンとした声。直後、巨大な風刃が竹織と死神王の間に割り込んだ。
押し流された双鎌は軌道を外れて地に突き刺さり、砕け散ったつぶてが二人の間に壁を作った。まるで意思があるかのように風刃にすくい上げられた竹織の体を、駆けつけた緑都 がしっかりと受け止めた。
「おのれ……!夏恵 いぃイいッ!」
「ごめんねぇ? 片腕じゃあ力加減出来ないのよ!」
怒り狂った死神王が双鎌を振るう。地を抉りながら猛進してくる斬撃破を、玻璃 扇子を広げた椿が一蹴した。
「アタシとの約束、果たしてもらおうじゃない? ぼーや!」
「死に損ないが何人束になろうと同じことだ! 貴様らまとめて――!」
振り上げたその腕は、がっちりと掴み止められた。
「――これ以上は無駄な足掻きじゃ。観念せい」
「……邪魔をするな……! 鎌も振るえぬ罪人の分際で――!!」
悠然と見下ろしてくる杜若 を、牙を剥いた鬼の形相で睨むと、しわくちゃな手はジュッと音を立てて煙をあげ始めた。みるみる焼かれていく手に顔色ひとつ変えることなく、杜若は哀れむように肩を落として静かに告げる。
「……まだわからんのか。もう勝負は着いておると言うとるんじゃ」
視界が瞬いたのはその時だった。
紫陽花 の手にした鎌が紺碧の光を放ち、部屋を青白く染めていた。光は帯となって羽衣のように少女にまとわりついていく。
「――神業 だと……!? 馬鹿な……!!」
狼狽の色を隠せない死神王に、杜若は落ち着き払った声で諭すように言い放った。
「没頭すると他を失念する……お前さんの悪い癖は、どうやら治っとらんようじゃのう?儂 が何故、お前さんに今更会いに来たと思う? 死神ではないお嬢ちゃんに鎌を託したと思う? 特別な訓練も受けていない華奢な娘が、儂の鎌を簡単に扱えるなど不思議には思わんかったかのう?」
「――――――――!!」
血相を変えて死神王がバルコニーを振り返る。紫苑 が高々と突き上げた左手に握られた巻紙に、その目が見開かれた。
「神業を扱えるのは鎌本来の持ち主と――その血縁 じゃ。つまりお嬢ちゃんは儂の遠い子孫というわけじゃが……お前さんと儂の間にはこれが特別な意味を持つことを、忘れたわけではなかろう、悪友よ?」
凍りついた男の頭に、かつての杜若との会話が思い出される。
金輪際、儂の家系に手を出すな――。
馬鹿な……そんなはずはない。あの時も、【生き狩り】の人材選びの時も紫苑がいたのだ。どんなことにも口答えせず忠実に従う紫苑がいながら、こんな間違いが起きるはずが――
紫苑が静かに、青白い炎を宿した杖を巻紙へと移す。
その光景を目の当たりにして、男はようやく全てを理解した。
「紫苑……。まさか貴様、最初から――――ッ!!」
子供のように喚く男を、紫苑は穏やかな眼差しで見つめた。そしてひどく疲れた声で、したたかに降り積もった思いを、願いをぶつけていく。
「いずれ貴方が力に溺れていくことを恐れていたわ……。先代を殺めたあの日、私は心に決めたの。昔のように真面目で優しい貴方に戻ってもらうためならなんでもしようと。……でも、貴方は私の力だけではどうすることも出来ないところへ行ってしまったわ……。だから私は賭けてみたの。貴方のために……そして、この世界の未来のために!」
紫苑が巻紙を空へ放つ。引火した炎がボッと燃え上がり一瞬で灰となった。
「――誓約違反じゃ」杜若の声が轟く。「我が〝罰裁 〟の刃、受けるがいい!」
紺碧の光が部屋を包む。魔力の粉が天の川のように進むべき道を成していく。
紫陽花は叫びながら、無我夢中で走りだした。
人間は弱く脆く、強欲でワガママだ。
それでもたったひとつ、死神が手に入れられないものを持っている。
だからこそ皆、紫陽花に惹かれ、賭けたのだ。
流れゆく時間――紫陽花の生き返りたい意志と共に、その力は死神達を導いた。
錆びついていた世界の時計が、動き出す。
新しい時代が今、こじ開けられようとしている。
「人間の小娘が……調子に乗るなあああッ!」
杜若を弾き飛ばす勢いで払い、男は紫陽花に向かって鎌を振りあげた。
双鎌から放たれた斬撃破が十字を切って紫陽花に向かう。だが、恐怖は微塵もなかった。
大丈夫。私には、支えてくれる人達がいる。
それに――
竹織を乗せた緑都が斬撃破の前に割り込んだ。全身を光に包まれた竹織がいとも簡単に斬撃破を相殺する。すぐさま緑都の肩を踏み込むと、男の懐へ飛び込んだ。
それに私には――最強の相方がいる!
竹織が双鎌を薙ぎ払う。宙を舞った双鎌がガランと音を立てて地に刺さった。
醜く顔を歪める男が、叫びをあげて竹織へ襲いかかる。竹織は表情を変えることなく男をじっと見つめ――呟いた。
「終わりだ」
少年の背後から飛び掛かってきた人影に、男の動きは完全に静止した。
紺碧の羽衣をなびかせた紫陽花が、力いっぱい鎌を振り下ろす。
閃光が男を貫き、三度目の獄門 が開いた。
門から湧き出した無数の地獄手 が、迷うことなく男に向かって伸びていく。瞬く間に捕らえると、喚く男を赤子のように易々と呑み込んだ。
「馬鹿な! 私がッ、こん、な、奴らなどに……! 手に入れたのだ! 力をっ! 世界をッ!! 貴様ら……、王に尽くさぬ、家来など――――!!」
「……あなたには一生分からないんでしょうね」
なんとか逃れようともがき続ける男を見つめ、紫陽花が静かに言い放つ。羽衣は消え、役目を終えた鎌がその足元でひっそりと発光を止めた。
「命令するだけのあなたには、ずっとずっと耐えてきた死神達の苦しみも悩みも分かるはずないわ。王様なんて肩書だけで他は何も変わらないことに、もっと早く気づくべきだったのよ。世界をまとめるのに必要なのは力じゃない……。王様が誰よりも動いて周りの声を聞いていれば、この世界に監獄も、死の電話 も生き狩りも、全部必要なかったはずよ!」
「死を経験していない、人間風情に、何が……分かるッ!!」
「……分かるわよ」
ぎゅっと拳を握りしめ、紫陽花は叫んだ。
真夏の色をしたその瞳に、燃え盛る炎を確かに宿して。
「みんな、この世界で生きているんだから!!」
男の顔が憎悪に満ちていくのが見えた。
次の瞬間にはもう骨に巻かれ、その姿はおろか、声すら届かなくなった。
骨玉がゆっくりと門の中へ下がっていく。その様子を紫苑は黙って見つめていた。
やがて向こう側へ沈み入った白い塊を見届けると、紫苑はゆったりと傍らに杖を置き、バルコニーの縁へ上がった。
私は、王を殺した。
間違っていたとは思わない。
正しかったとも思わない。
だから、私は追わねばならない。
それが、王に仕えた者の最後の務め――
全身の力を抜いて、紫苑はその身を門へ投じた。
引力へ誘われるように体は門へ吸い寄せられて――
止まった。
衝撃で外れた眼鏡が光を反射して落ちていく。
右手が、温かい――?
見上げると、バルコニーから身を乗り出した緑都がその手をしっかり握りしめていた。
『裁きの導きにて汝の御許へ――』
鍵鎌を掲げ、リリーが静かにそれを回した。
ゆっくりと門が閉じていく。その間、石同士が擦れる音さえ消してしまうほどの透き通った声で、真白な少女は歌い続けた。
それは、オペラを聴くように壮大で。
それは、オルゴールに耳を傾ける心地よさだった。
高らかなスキャットが部屋を満たす。
黎明が訪れた。
「――無様だな」転がった竹織に侮蔑の眼差しを投じて
天窓から見える薄闇の空をあてもなく仰いだまま、竹織は息ばかりの声を絞り出す。
「……あいつの時間はまだ動いている……。止めるわけには、いかない……!」
「いつかは止まるものだ。それが早いか遅いかだけのこと。終わりある世界に縛られた人間のなにがいい? 永遠を約束された世界こそが楽園だ。人間も皆、それを望んでいる。私が造るこの世界こそが理想郷だ」
「……骨の髄まで力に喰われたか……
「――貴様とは最後まで相容れなかったようだな」
短く告げて
「――随分と楽しそうねぇ? アタシもまぜて頂戴な!」
ツンとした声。直後、巨大な風刃が竹織と死神王の間に割り込んだ。
押し流された双鎌は軌道を外れて地に突き刺さり、砕け散ったつぶてが二人の間に壁を作った。まるで意思があるかのように風刃にすくい上げられた竹織の体を、駆けつけた
「おのれ……!
「ごめんねぇ? 片腕じゃあ力加減出来ないのよ!」
怒り狂った死神王が双鎌を振るう。地を抉りながら猛進してくる斬撃破を、
「アタシとの約束、果たしてもらおうじゃない? ぼーや!」
「死に損ないが何人束になろうと同じことだ! 貴様らまとめて――!」
振り上げたその腕は、がっちりと掴み止められた。
「――これ以上は無駄な足掻きじゃ。観念せい」
「……邪魔をするな……! 鎌も振るえぬ罪人の分際で――!!」
悠然と見下ろしてくる
「……まだわからんのか。もう勝負は着いておると言うとるんじゃ」
視界が瞬いたのはその時だった。
「――
狼狽の色を隠せない死神王に、杜若は落ち着き払った声で諭すように言い放った。
「没頭すると他を失念する……お前さんの悪い癖は、どうやら治っとらんようじゃのう?
「――――――――!!」
血相を変えて死神王がバルコニーを振り返る。
「神業を扱えるのは鎌本来の持ち主と――その
凍りついた男の頭に、かつての杜若との会話が思い出される。
金輪際、儂の家系に手を出すな――。
馬鹿な……そんなはずはない。あの時も、【生き狩り】の人材選びの時も紫苑がいたのだ。どんなことにも口答えせず忠実に従う紫苑がいながら、こんな間違いが起きるはずが――
紫苑が静かに、青白い炎を宿した杖を巻紙へと移す。
その光景を目の当たりにして、男はようやく全てを理解した。
「紫苑……。まさか貴様、最初から――――ッ!!」
子供のように喚く男を、紫苑は穏やかな眼差しで見つめた。そしてひどく疲れた声で、したたかに降り積もった思いを、願いをぶつけていく。
「いずれ貴方が力に溺れていくことを恐れていたわ……。先代を殺めたあの日、私は心に決めたの。昔のように真面目で優しい貴方に戻ってもらうためならなんでもしようと。……でも、貴方は私の力だけではどうすることも出来ないところへ行ってしまったわ……。だから私は賭けてみたの。貴方のために……そして、この世界の未来のために!」
紫苑が巻紙を空へ放つ。引火した炎がボッと燃え上がり一瞬で灰となった。
「――誓約違反じゃ」杜若の声が轟く。「我が〝
紺碧の光が部屋を包む。魔力の粉が天の川のように進むべき道を成していく。
紫陽花は叫びながら、無我夢中で走りだした。
人間は弱く脆く、強欲でワガママだ。
それでもたったひとつ、死神が手に入れられないものを持っている。
だからこそ皆、紫陽花に惹かれ、賭けたのだ。
流れゆく時間――紫陽花の生き返りたい意志と共に、その力は死神達を導いた。
錆びついていた世界の時計が、動き出す。
新しい時代が今、こじ開けられようとしている。
「人間の小娘が……調子に乗るなあああッ!」
杜若を弾き飛ばす勢いで払い、男は紫陽花に向かって鎌を振りあげた。
双鎌から放たれた斬撃破が十字を切って紫陽花に向かう。だが、恐怖は微塵もなかった。
大丈夫。私には、支えてくれる人達がいる。
それに――
竹織を乗せた緑都が斬撃破の前に割り込んだ。全身を光に包まれた竹織がいとも簡単に斬撃破を相殺する。すぐさま緑都の肩を踏み込むと、男の懐へ飛び込んだ。
それに私には――最強の相方がいる!
竹織が双鎌を薙ぎ払う。宙を舞った双鎌がガランと音を立てて地に刺さった。
醜く顔を歪める男が、叫びをあげて竹織へ襲いかかる。竹織は表情を変えることなく男をじっと見つめ――呟いた。
「終わりだ」
少年の背後から飛び掛かってきた人影に、男の動きは完全に静止した。
紺碧の羽衣をなびかせた紫陽花が、力いっぱい鎌を振り下ろす。
閃光が男を貫き、三度目の
門から湧き出した無数の
「馬鹿な! 私がッ、こん、な、奴らなどに……! 手に入れたのだ! 力をっ! 世界をッ!! 貴様ら……、王に尽くさぬ、家来など――――!!」
「……あなたには一生分からないんでしょうね」
なんとか逃れようともがき続ける男を見つめ、紫陽花が静かに言い放つ。羽衣は消え、役目を終えた鎌がその足元でひっそりと発光を止めた。
「命令するだけのあなたには、ずっとずっと耐えてきた死神達の苦しみも悩みも分かるはずないわ。王様なんて肩書だけで他は何も変わらないことに、もっと早く気づくべきだったのよ。世界をまとめるのに必要なのは力じゃない……。王様が誰よりも動いて周りの声を聞いていれば、この世界に監獄も、
「死を経験していない、人間風情に、何が……分かるッ!!」
「……分かるわよ」
ぎゅっと拳を握りしめ、紫陽花は叫んだ。
真夏の色をしたその瞳に、燃え盛る炎を確かに宿して。
「みんな、この世界で生きているんだから!!」
男の顔が憎悪に満ちていくのが見えた。
次の瞬間にはもう骨に巻かれ、その姿はおろか、声すら届かなくなった。
骨玉がゆっくりと門の中へ下がっていく。その様子を紫苑は黙って見つめていた。
やがて向こう側へ沈み入った白い塊を見届けると、紫苑はゆったりと傍らに杖を置き、バルコニーの縁へ上がった。
私は、王を殺した。
間違っていたとは思わない。
正しかったとも思わない。
だから、私は追わねばならない。
それが、王に仕えた者の最後の務め――
全身の力を抜いて、紫苑はその身を門へ投じた。
引力へ誘われるように体は門へ吸い寄せられて――
止まった。
衝撃で外れた眼鏡が光を反射して落ちていく。
右手が、温かい――?
見上げると、バルコニーから身を乗り出した緑都がその手をしっかり握りしめていた。
『裁きの導きにて汝の御許へ――』
鍵鎌を掲げ、リリーが静かにそれを回した。
ゆっくりと門が閉じていく。その間、石同士が擦れる音さえ消してしまうほどの透き通った声で、真白な少女は歌い続けた。
それは、オペラを聴くように壮大で。
それは、オルゴールに耳を傾ける心地よさだった。
高らかなスキャットが部屋を満たす。
黎明が訪れた。