7:神業

文字数 4,142文字

 屍蝋兵(しろうへい)二人を前にして、竹織(たけおり)は顔をしかめていた。
「あの馬鹿。血を流し過ぎだ」
 ぶつくさ悪態をつくと、竹織は右からの風に反応して飛び退いた。直後、床が丸く陥没した。
「チコ、いきなりどうしたのよ? 避けてばっかりじゃん!」
 紫陽花(しょうか)はがむしゃらに鎌を振り回して、竹織の周りから敵を追い払った。
「うるさい」竹織が苦々しく呻いた。「見えんのだ」
「はあ!?」紫陽花が絶句する。「だってさっきまで……」
 竹織が交戦するアニスをちらと顎でしゃくる。途端に紫陽花も口を噤んだ。
 カイが手負いなのはいち早くこの体が察知した。しかし連盟と言えど、体にきたす異変は目まいや吐き気といった内部的なものや魔力の減少に過ぎず、傷の程度まではわからない。アニスだけ加勢に来たことが逆に深刻さを証明してしまったのだ。
「カイ、大丈夫……よね?」紫陽花は動揺を隠しきれない様子だ。
「息はある」竹織が言った。「それより俺から離れるな」
 竹織は紫陽花の手首を掴んで引き寄せると、大ぶりに鎌を振るった。直接当たりはしなかったが、風圧で屍蝋兵は吹き飛ばされた。
 視界は最悪。輪郭どころか、絵の具を混ぜて水で思いきり薄めたようにぼやけて何も見えない。音と匂い、動きで起こる風に反応するので精一杯だった。竹織自身、病み上がりで未だ本調子ではない。この上、鎌の扱いに不慣れな紫陽花を庇いながら敵をのめさなくてはならないのだ。
 竹織の頬を汗が伝った。
 紫陽花も唇を噛みしめた。竹織と背を合わせて向かい来る敵に神経を集中する。だが、目の端にアニスの姿を捉えるとたちまち不安が襲った。その一瞬を、狙い定めた屍蝋兵が鎌を振りかざした。あっと息を呑む紫陽花の前に、すかさず入りこんだ竹織が鎌を受け止めなぎ払った。
「集中しろ! 死にたいのか!?」竹織が目線だけ寄越して吠えた。
「だって……」紫陽花は弱々しく呟いた。
 竹織は嘘をつかない。だからこそ紫陽花の不安を煽っていた。
 カイの容体に対して竹織は「息はある」と言った。カイがあとどのくらい持ちこたえるのか竹織にも分からず、大丈夫と断言出来なかったのだ。もしや、最悪の事態になっているのではないだろうか? アニスはどう思っているのだろう? 相方を心配する気持ちをかなぐり捨ててここで戦っているのだろうか?
 紫陽花はうっすら溜まった涙を払うべく頭を振った。
 直後、竹織が紫陽花の頭を抑えつけて屈んだ。ぶんと音を立てて頭上を敵の切っ先が掠めていった。
「あいつらの事は放っておけ! 眼中に入れるな!」
 竹織が吐き捨てるように言った。紫陽花が憤慨する。
「そんな言い方しなくたって――!」
「お前のものさしで計るなと言ってるんだ!」
 小さな火花を散らして、竹織と屍蝋兵が組み合った。かちかちと互いの鎌を震わせて睨みを利かせている。
「死神は人間と時間の流れ方が違う。相方同士が百年連れ添うなんてザラだ。あいつらも同じこと。お前達人間が夫婦として生涯過ごすよりずっと長い時間を共にしている。任せておけばいい。他人の心配なぞ全くの無意味。時間の無駄だ!」
 竹織は一声あげて力任せに押し返した。屍蝋兵の体がふわりと浮き、着地した足元から掘り起こしたような長い溝を作りながら後退していった。
「お前が死神を悪魔と罵ろうが、殴り飛ばすほど憎もうが知ったことか。好きにすればいい。だがこれだけは忘れるな。ここに居る我々は皆、お前を在るべき世界へ帰す為に刃を交えている。余計な事は考える必要ない。お前はただ、我々を利用すればいい!」
 新手が右から襲いかかる。竹織はまたもがっちり組みとめると、まるで独り言のようにぽつりと呟いた。
「あいつの体力は化け物だ――早々にくたばりはしない」
 そのまま空いた手で敵の脇腹を思いきりぶん殴った。屍蝋兵の手から鎌が離れ、その体は床に何度もバウンドしながら壁際まで飛んで行った。
 しかし振りぬいてしまったせいで死角となった左から、後退していた屍蝋兵が再び襲ってきていることに気づくのが遅れた。
「しまっ……!」
 振り向いた瞬間、どうっと鈍い音と共に目の前を突風が横切った。
 鎌を振りかぶっていたはずの屍蝋兵が、口を開けたまま、凍りついたように直前で止まっていた。屍蝋兵の胸元には大きな薙刀が突き刺さっている。
 ふわりと柑橘系の香りがした。
「――大丈夫だったかい?」
 その声に、竹織は咄嗟に紫陽花を庇って伸ばしていた手を緩めた。
「……助かった。そっちも手こずっているようだな?」
「速すぎて狙いが定まらないのさ」
 アニスは息を整えると、さも串焼きを取るかのように、屍蝋兵が刺さった薙刀を立てた。心臓に突き立っている事を確認すると、大きく一払いして屍蝋兵から薙刀を抜いた。屍蝋兵は真っ直ぐ飛び、先程竹織がぶっ飛ばした奴と折り重なって止まった。
「……厳しいな」
 二体相手にここまでの苦戦は予想外だった。死神王とも戦わねばならないのにここで疲労していては話にならない。だが目は霞むばかり、気を抜けばすぐにふらついてしまう。
 弱音を吐いてなどいられない――瞑目して息をついた直後。



 グラリ。



 世界が揺れた。地鳴りと共に、足元の空気が渦を巻き始める。
「え……? な、なに、地震……!?」紫陽花が悲鳴をあげる。
「あいつ、また性懲りもなく……!」アニスは舌打ちをして玉座を睨んだ。
「いや、これは……」竹織が青ざめた顔で呻く。「呼んだのは奴じゃない……!」
 獄門(ごくもん)を意図的に呼ぶためには、死神王(ししんのう)でも〝鍵〟を開けなければならない。
 だがこれは違う。獄門が自らの意思(・・・・・)でやってきているのだ。


堕落(だらく)〟が始まろうとしている。


 開いた門から溢れ出した地獄手(じごくしゅ)が真っ直ぐ向かった先は――

「まずい……! アニス、お前は――!」
 竹織が言い終わるより先に、アニスは(くう)を駆け上がっていた。伸び上がる地獄手を利用して加速すると瞬く間に追い抜き、光の粉を漂わせながら瀕死の状態で横たわるカイの前へ回り込んだ。
「――悪いけど、こんな奴でもそっちに渡すわけにはいかないんでね!」
 フォン、と薙刀が軌跡を描く。
 アニスの鼻先まで迫った地獄手がビタリと止まった。その後ろから増援の手が間髪入れずに襲いかかる。
「同じ手が通じると思うなよ!」
 アニスは素早く薙刀を持ち替えると地獄手の束の中心を思いきり突いた。直後、まばゆい光と共に、切っ先から爆発するように地獄手が吹き飛んだ。光を浴びた手が唸りをあげて蒸発していく。
「すごい……」客席に逃れた紫陽花が眩しさに目を細めながら呟いた。「でもどうして……? アニスの鎌は斬れないんじゃ……?」
「あれは一種の結界だ」紫陽花の隣で、ぱっちり両目を開けた竹織が言った。「平たく言えば拒否反応を起こしたに過ぎん。あいつの鎌は典型的な守護の力。護る対象が明確なほどその力が強まるだけだ」
 縮こまる紫陽花に身を被せて影を作りながら淡々と語る一方で、その表情は深刻さを増していた――絶え間なく襲いくる地獄手に苦戦していくアニスの様子が、誰の目から見ても明らかだった。
「なんて数だ……! これじゃキリがない……」
 アニスは奥歯を噛みしめた。魔力を奪われたせいで視界が霞む。そんなことはお構いなしに、背後に横たわるカイから流れ出る光の粉がエサとなって地獄手はどんどんやってくる。息があがり鎌を振るうのもやっとだった。一振りが大ぶりになっていく。一向に勢いの衰えない相手に突きを繰り出すこと十数回、ついに膝からガクンと折れた。
 見計らった地獄手が千手観音のように二人を取り囲んだ。
「ちっ……!」
 薙刀を盾に構えた時だった。
「――守るな!! 振れえっ!!
 怒号と共に背後からがっつり手首を掴まれた。アニスは一瞬ひるんだが、すぐに我に返ると思い切り鎌を振り抜いた。
 ひときわ強い光が生まれ、四方に迫った地獄手が一瞬で塵と化した。
 晴れた視界と引き換えに、アニスの全身に疲労がどっしりとのしかかった。脂汗が幾筋も顔を流れ落ち、足は笑い続けて言うことをきかない。もたもたしていたら敵はまたすぐに襲ってくるだろう。
 アニスは足元に薙刀を突きたてた。薙刀を中心にドーム型の結界が生成される。
 だが気力はもう限界だった。体がぐらりと後ろへ傾ぎ、かろうじて薙刀を握っていた手が離れる、直前。
 手首を掴んでいたしわがれた手がそれを阻止した。
 輪郭が揺らいでいた結界はたちまち強度を取り戻した。
「――成程。旦那の気持ちがよう分かるのう。こんな聡明な別嬪、そりゃあ命懸けで守りとうなるわい」
「…………御冗談を」
 アニスの体を抱きとめた杜若(もりわか)が悪戯っぽくニヤリと歯を見せた。横たわるカイの傍らに、活力を感じなくなった五人の屍蝋兵がまとめられていた。
「――鞭打たすようで悪いが、今お前さんに倒れられては困るのでな。もうちぃと頼むぞ」
 そう真剣な顔で見つめた先には、唸りをあげる白い柱があった。獄門から溢れた地獄手が束となり、巨木のようにぐんぐんと枝を広げて闘技場を埋め尽くしていく。
 アニスは深く息をつくと、その端麗な顔をきりりと引き締めた。
「勿論です。我が名において傷ひとつ赦しません!」
「良い返事じゃ〝守彩(しゅいろ)〟。(わし)も手を貸そうぞ」
 地獄手の束が花開き、視界を覆い尽くす。
 アニスは両手でしっかりと薙刀を握りなおした。その体を支えながら杜若も手を添える。
 薙刀に触れた者の魔力を仲介して補填しあう〝魔動(まどう)〟――それがアニスの神業(かみわざ)だ。
 流れ込んでくる杜若の魔力が憔悴しきっていた体を温め、再び奮い起こしてくれる。顔色ひとつ変わらぬ杜若に改めて感じる絶対的な力の差――だがそれはもう、今までに抱いていた「恐怖」の象徴ではなく、完全な「信頼」だった。
 薄い虹色を帯びた結界はひとまわり大きくなった。
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