5:連盟

文字数 4,284文字

 廊下の長椅子に仰向けに寝そべって、カイはこの事態をどう説明すべきかと悩んでいた。
 忙しなく動き回るいくつもの足音や緊迫した声が壁から漏れてくる。少し首を擡げると、扉上の赤い蛍光板にいかにもおどろおどろしく「診療中」の文字が浮かび上がっていた。
 今しがたまであの中に居たのだと思うと吐き気がぶり返した。
 竹織(たけおり)の〝堕落(だらく)〟は間一髪食い止めることが出来た。だが、竹織は完全に魔力を失って今尚昏睡状態。カイ自身もまた、巻き込まれた反動で力を随分と消されてしまった。なんとか竹織を引き上げた時には、めまいの嵐で立っているのがやっとだった。朦朧とする意識の中、人っ子一人担いで川を上ってこられたのは、日頃の鍛錬で培った体力のおかげだろう。
「まさかこんなところで役に立つとはなぁ……」
 カイは額に腕を乗せると静かに目を閉じた。
 船着場に着いてからは、待ち構えていた救護隊に揃って搬送された。緊急治療室に入るとすぐさま体の隅々まで検査が行われた。幸いカイのほうは程度が軽く、魔力補填の点滴を打っただけで終わった。それでもめまいは治まらず、慌ただしい空気に吐き気すら覚えたので、許可をもらってこうして廊下で寝ているのだった。
 カイがちょうど点滴を打ち終えた頃に、アニスが治療室に飛び込んできた。息を弾ませ、蒼白な顔をした彼女は、二人の姿を確認するや少しばかり目を潤ませたが、ケロリとしたカイと目が合うと一瞬で眉間にシワを寄せた。口には出さなかったが「きっちり説明してもらうから覚悟しろ」と鬼のような目が語っていた。気まずくなって部屋を抜け出した――というのも間違ってはいない。
 カイは声にしたため息を吐いて口を尖らせた。
「ちぇ。折角ちょっと可愛かったのに……」
「へえ。好みの女医でも居たのかい?」
 目を開けると、腕を組んだアニスが覗き込んでいた。カイは奇声をあげて飛び起きたが、すぐにそれは呻きに変わり、痛む頭を抱えて縮こまった。アニスは呆れたとばかりに冷ややかな視線を投げた。
「まったくあんたって奴は……。こんな時まで女の品定めなんて、一体どういう神経してるんだろうねぇ?」
「ち、違……」
 弁明よりも先に、アニスがぼそりと続けた。
「私の魔力じゃ適合しないそうだ」
 途端にカイは口を噤んだ。逃げるようにアニスから視線を外し、曖昧な返事を口元でまごつかせる。
 アニスは目の前であからさまにうろたえる相方をじっと睨んでいたが、やがて組んでいた腕を下ろすと、半ば強引にカイの二の腕を掴んで引っ張り立たせた。
「竹織はしばらく安静だとさ。話は中で聞かせてもらおうかね。ここは寒いだろう」
 そう言うとアニスは大股で治療室に戻って行った。


 竹織が次期死神王(ししんのう)候補と言われるならば、アニスは次期死神王補佐候補と言えるだろう。死神としての経歴は折り紙つきだった。縦社会の死神界において位の高い者の命令は絶対だ。「あとはまかせろ」「誰も入れるな」「他言するな」――アニスの三言であっという間に部屋は貸し切り状態になった。
 すごい人と相方になったのだと、カイは改めて思った。
 アニスは客人用の丸椅子にカイと対峙するように腰かけた。いつもならすぐにでも用意する煎茶も一切手をつけず、竹織に負けないほどの深いシワを眉間にこしらえている。
「――竹織の申し出で魔力連盟を結んだ、と」
「ああ。少しだけど、俺の中には竹織の魔力が流れてる」
 魔力には血液と同じく〝型〟がある。一致する者同士を見つける事は決して難しくはないが、連盟を結んでいれば間違いなく適合する。自身の魔力そのものが他人の中に流れているのだから当然といえばそうなのだが。
 カイから竹織への魔力移動はあっさりと終わった。譲渡したのは全体の二十分の一程度だったが、それでもしばらくは頭痛や吐き気、めまいに悩まされる羽目になった。
 機械の類は無くなり、部屋は必要最低限の点滴を残して静けさを取り戻した。二つあるベッドの片方では竹織が点滴につながれたまま昏々と眠り続け、もう片方のベッドではカイがどっかりと腰かけていた。
「――竹織の魔力が底を尽きかけて、あんたの体にも影響が出た、と」
「そういうこと。まあ、一種の一心同体ってこったな」
 アニスは疲れたように頭を押さえた。魔力連盟を知らないわけではなかったが、関連した文献は無く、医療関係の書物に研究途中だの未知数だの、将来的希望の象徴のように書かれているのを何度か目にしただけだ。それが実用化されているなど、まして、その術を施されたのが自分の相方だなんて、信じられないし、信じたくもない。
「――なんでそんな話、承諾したんだ。力に釣られるようなあんたじゃないだろう?」
 いつも通り冷静な物言いだったが、隠しきれない苛立ちが節々に出ていた。何度も足を組み変えては落ち着きなくため息を繰り返す。
 カイは一心同体と一言で済ませたが、要するに片方の身に起きた事はもう片方にも影響するという事だ。竹織が万一の事態となればカイ自身も無事では済まされない。
「――いや。力が欲しかったから連盟を組んだ。それだけだ」
「――ッふざけるな!!
 アニスは有らん限りの声を張り上げて立ち上がった。
「ふざけてなんかいねえよ。本当のことだ」
 カイにしては珍しい淡々とした口ぶりだった。逃げるつもりはないという意志の表れだったが、この場においてはアニスの苛立ちを逆なでするだけだった。
「あんたの望みに力なんて要らないだろう!? 一体、竹織に何を言われた? あんたが断れないの分かってて無理矢理――」
「やめろ。竹織は関係ない。俺が決めたんだ」
「どうして自分から危ないことに突っ込みに行くんだ!? ヒーロー気取りもいい加減にしな! 何かあってからじゃ遅いって子供でも分かるだろう!」
「少し静かにしろ。竹織の体に障る――」
「なにかにつけちゃ竹織竹織って、そんなに私じゃ頼りな――!!
「アニス!!
 振りかぶられた手に、アニスは思わず目を瞑る。
 そして褐色の大きな手は、ぽすんと彼女の頭に座った。
「――だからちゃんと、帰ってきたんじゃねえか」
 静かに告げられた言葉に、アニスはゆっくりと目を開ける。
 淀みのない優しい眼差しが、真っ直ぐに彼女を捉えていた。
「俺がこうして死神やっていられるのも竹織のおかげだ。俺はそれに出来る限り応えたい――お前が頼りないわけじゃないんだ。ただ、守られっぱなしは性に合わないんだよ」
「……守ることは私の役目だ。散々人を振り回しておいて勝手なことばかり言うな」
「分かってる。けど、俺だって力になりたいし守ってやりたいんだ」
「そのためなら命はどうってことないって言うのかい? 冗談じゃない!」
「そうじゃない。この世界じゃ力の差なんて埋められやしないんだ。だから俺は長所を生かしただけ――言っとくけど、お前をひとりにする気も泣かせる気もないからな?」
 最後におどけてウインクしてみせると、そっとアニスの頭を撫でてやった。
 普段の陽気さとまるで違う、時折見せる大人ぶった顔は、どれだけはねつけようとも宥められてしまう力があった。この男の見えない包容力こそが、万人を惹きつける源なのかもしれない。
 反論すべく口を開きかけたが、その勢力はため息と一緒にするりと抜け落ちた。
「……あんたが頑丈なのはよく知っているさ」
 そう言ってカイの手を払いのけると、ベッドで眠る竹織に視線を移した。
 救護隊の話によれば、竹織ほどの死神が魔力を尽かすことは、自ら外に出す以外に考えにくいという。紫陽花の体を魔力で保たせていた、というのがアニスの見解だった。
「そんなこと出来んのかよ。生身の体相手だぞ?」
「あくまで憶測だ。私だってこんな状況じゃなかったら信じていないさ。――それにしても、竹織はどうやってこんな術式を作ったんだ……?」
「それは無いと思うぜ。連盟組んだ時も誰かに教わったふうな言い方だったし、もし本当に竹織が何らかの術式を自分で作ったんなら、維持なんて遠回しなことしないでアジをすぐに生き返らせたはずだろ――」
 言い終えてから、カイは驚いた顔で自分を見つめてくるアニスに気付いた。
「……教わった? 誰に?」
「え? あ、いや……、直接聞いたわけじゃなくて、そんな言い回しだったっつーか……」
「おい、まさか、あんたら以外にも連盟組んでいる奴がいるのか!?
 凄まじい剣幕で詰め寄ってくるアニスに圧され、カイはたじろいで体を仰け反らせた。
「いや、俺もそこまでは……。竹織には誰にも言うなって言われたし――俺はてっきり救護隊かどこかから教わってたんだと……」
「いつの話だ!?
「た、確か、五、六十年くらい前……かな?」
 アニスの顔が急速に青ざめた――なんてこった。それじゃ、この二人は――!!
 魔力連盟などとたいそうな名前が付いているが、つまるところ一般に周知されていない秘術だ。もとをただせば相互輸血、それも、一部的な精神共有を伴う人体実験にほかならない。術式に関する文献が無いところをみると、未だ研究途中か、表に出てこられないような組織の手中にあるのだろう。確実に言えるのは、救護隊が扱うような代物ではないということだ。
 つまり、彼らは被検体なのだ。野放しにされているはずがない。術式を施されてから今日までずっと、本人の知らないうちに監視され続けているのだ――。
「それがいったいどうしたってい――……」
「しっ!!
 突然、人差し指をカイの口元に押し当て噤ませると、アニスは静まり返る部屋に視線を走らせた。そして部屋の入口に目を止めるや、整った彼女の表情は一瞬で硬くなった。
「そこに居る者、出て来なさい!」
 扉に向かってアニスは吠えた。カイが「え?」と呟いてその視線を追う。一時の間を置いて、白い扉の向こう側からカチャリと軽い音が聞こえた。
 遠慮がちな足取りで小柄な女死神が一人、部屋へ入ってきた。女は音を立てぬようそっと扉を閉めると、胸元に手を当て、二人の前で深々と頭を下げた。
「申し訳御座いません。立ち聞きするつもりでは……」
「あれ……、門番さん……?」
 女は頭を上げて小さく頷いた。動揺を必死に抑え込もうと口元が震えていたが、おっとりとしたそのふくよかな顔立ちは二人ともよく知っていた。
「中央門番の白蓮(びゃくれん)と申します」
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