2:相方

文字数 7,913文字

 簡単なものとは、一体どこまでを指すのだろうか。
 ベッド脇の机に置かれたのは、手のひらよりも大きなベーグルサンド二つに、ベーコンエッグ、どんぶり並のガラス器いっぱいのフルーツヨーグルト、そして色鮮やかなオレンジジュースが溢れんばかりにグラスの中で波打っていた。典型的な洋風朝食セットは紫陽花(しょうか)のお腹を程良く満たした。次々と机に並べられた時は「何の大食い大会だ」と言ってしまったが、結果的には何ひとつ残さず完食した。
 黙々と頬張る紫陽花をアニスは暖かい眼差しで眺めていた。子供を見るように優しく、この先の運命を哀れむような眼差し……。
「ふぅ、ごちそうさま」
 グラスをことりと置くと、きちんと両手を合わせて一礼した。
「はい、お粗末さまでした」
 アニスは食料を乗せてきたカートを引き寄せ、手際よく食器を積み重ねた。
「調子はどうだい? 看た限りは怪我もなさそうだけど、なにかあったら遠慮なく言っておくれ――あとこれ、勝手だけど着替えさせてもらったんだ」
 差し出された制服を受け取ると、ふわと石けんの香りがした。
「ありがとう、アニスさん」
「呼び捨てで構わないよ。さっきはカイの奴が騒がせてしまってすまなかったね」
 最初に部屋に来た男のことらしい。紫陽花は「全然」とふごふご呟いて、制服からポンと頭を出した。
「私なら大丈夫だから、アニスも相方さんのところ行ってきていいよ」
 人数が多ければ人探しも楽だろうと思っての申し出だったが、アニスは首を横に振った。
「子供じゃあるまいし、そのうち戻ってくるさ。それに、こっちにも色々事情があって、あんたを一人きりにするわけにいかなくてね……。息苦しいだろうけど勘忍しておくれ」
「そっかあ。ま、私もどこだか分からないところに投げ出されても困るだけだし、話し相手になってくれるなら嬉しいなー」
 再びベッドの端へ腰かけた紫陽花は、満腹になったのもあって緊張がすっかり解けたようだった。社交的な性格ゆえに正直、一人にされるほうが心細い。その反応がよほど意外だったのか、アニスはしばらく呆然と紫陽花を見つめていた。
「……随分のんびりした子だねぇ。私が言うのもなんだけど、普通はもっとパニックになるものなんじゃないのかい?」
 アニスは呆れたように言う。紫陽花は足をぶらぶらさせながら、うーんと唸った。
「まあ、焦っても仕方ないし――自分で見たもの信じろ――みたいなのがうちの訓えなんだよねー」
 もうちょっと古臭い言い回しだった気もするけど――というのは呑みこんだ。
「――まったく、気の強いお嬢さんだこと」
紫陽花(しょうか)よ。アジサイって書くから、アジって呼んでくれればいいよ」
「わかった。よろしくね、アジ」アニスは微笑み、そして独り言のようにぽつりと呟いた。「それじゃ、もう自覚しているのかもしれないね――」
 そう言って近くの椅子を持ち出すと、紫陽花と向かい合うようにして腰かけた。その表情は腹をくくったようにどことなくぎこちなくも見える。キョトンと見つめ返す紫陽花を前に深呼吸をひとつすると、少し言いにくそうに声を落とした。
「――どうか落ち着いて聞いて欲しい。ここは、人間が言うところの天国――死者の世界だ。……アジ。あんたは死神に狩られたためにここへ来たんだよ」
 アニスは膝の上の拳を握り、唇を噛んだ。
 死の宣告――それが死神の務めであるとはいえ、現実を突きつけるということはやはり酷なことだ。大人でさえ受け止めきれずに暴れだす者がほとんどなのだ。この若い娘も例外では――
「あー、やっぱり! なんかそんな気がしたんだよねー。ってことはアニスって本物の死神!? 本当に黒い服着ているんだねー!!
 例外では……
「いやー、神様ともなると造りが全然違うのね。こんな美人な死神なんて聞いたことなかったわ。これは、骸骨だなんて言ってる本を片っ端から燃やしてやらないと――」
 大はしゃぎする紫陽花を前に、またもアニスの目が点になった。
「えっと…………アジ……?」
「へ? なに?」
「いや、なにって……」思わぬ事態に、戸惑ったのはアニスのほうだった。「普通はなかなか信じられないだろう? こんな話……」
「だってここは天国で、アニスは死神で――ってことは私、死んじゃったってことでしょ? 確かに早すぎる気はするし、もう少し色々やりたかったなんてのはあるけどさ。私がどうにか出来るものでもないじゃない」
 あっけらかんとした紫陽花を前に、アニスはついに頭を押さえた。
「……なんてこったい。アジ、その年で悟りを開くもんじゃないよ」
「いやいやいや。別に自棄(やけ)になってるとかじゃなくて、私はただ――」
 その言葉を遮るように「あのね」と鋭い声が飛んだ。アニスがその凛々しい深紅の瞳を指差して真っ直ぐに紫陽花を見つめ、はっきりと告げた。
「死んだら誰でも赤目になるのさ。死神でなくとも、誰でも」
 気圧(けお)されたように身をすくめた紫陽花の口から「えっ?」と悲鳴に似た声が漏れた。アニスはゆっくりと息を吐き出して、真剣な面持ちで続ける。
「死んだ直後から、遅くとも一日で瞳の色は真っ赤になる。……けど、アジの瞳は五日以上経った今でも青いままなんだ」
「それって、つまり……?」
「これは私の推測だけど――」
 アニスは自分の瞳を差していた指を紫陽花へと向けた。
「アジ。あんたはまだ死んじゃいない。魂の状態で今現在確かにここにいるけど、生者界で身体は生きている――つまり、生き返る術が少なからずあるということだ」
 バサバサと鳥が飛び去る音が異様に耳についた。
 ごくりと唾を飲み込んだ紫陽花の顔に、初めてはっきりとした狼狽の色が窺えた。
「……そんな都合のいいことが……」
「私も驚いているさ。魂が抜けてもなお生きているなんて、自然の摂理を無視している。普通はね、人が死んで死後硬直が始まって、魂が体から離れると――死神が狩ると、死後硬直が完全に終わるんだ。それが生き物の完全なる【死】なんだよ」
 生きていればいつかは誰しも迎える【死】。漠然としたその一文字に紫陽花も自分なりの解釈は持っている。……いや、持っていたと言うべきか。
 漫画でも山ほどある死神の話。姿がドクロだの鎌で魂を狩るだの、実は幽霊を慰めるだけだの色々あるが、大体のところ死んだ人間の元にやってくるということだろう。
 その時、ふとなにかが引っかかる感覚を覚えた。
「……ちょっと待って。今の話からすると、死神は人間の死に際に立ち会って、そこで魂を取るんじゃないの? あんないきなりザックリって……。それに――」
 自分は【死の電話(デスコール)】を受けていない――!!
 十一桁すべてが四の番号で埋められた【死の電話】――それがかかってきた者は四日以内に必ず死ぬというオカルト現象は、近年の新たな社会問題となりつつある。
 そのことを話すと、アニスの険しい表情は春の雪のように消え去った。
 そうして次に紡がれた言葉は、意外にも身近なものだった。
「――アジは、内原緑都(うちはらろくと)とクラスメイトだったんだろう?」
「……内原を知ってるの?」
 アニスは頷いて、遠い思い出話をするようなゆったりとした口調で続けた。
「【死の電話】はね、私ら死神がかけているものなんだ。内原緑都に電話をかけたのは――この私さ」
 紫陽花の青い瞳がみるみる見開かれた。人は本当に驚いた時、声を発しない。
「生者界の問題は死者界の問題でもあるんだ。ここ数十年で人間は圧倒的に長生きするようになってきている。長生きするということは、つまりは年老いた霊がこの世界に来ることが多くなったってこと。当然、死神として活動するためには身体能力が必要でね、若い霊体が求められる。でもその数は減る一方だ。結果的に、死神一人の仕事量が増えて追いつかなくなってきているのさ」
「……だから電話をかけて死ぬことを促してるっていうの?」紫陽花の声色が変わった。
「当たらずとも遠からずってところかな……まあ最後まで聞きなよ。死神全員が現状を快く思っている訳じゃないんだ」
 アニスは力なく微笑んだ。先刻、起きたばかりの紫陽花に向けたのと同じ、敵意の無いやわらかく悲しい眼差し。
 胸がキュッと締めつけられる感覚に、紫陽花はアニスから視線を外した。
「別に、若いうちに死ぬ人間が増えたわけでも減ったわけでもないんだよ。ただ、ストレスだの人間関係だの、若い連中には自殺や殺人でやってくる霊が多いんだ。そういう場合、未練が残っている奴が結構いてね。死神は未練を無くして成仏出来るまで憑いていなくちゃならない。そうすると次の仕事に手が回せなくなって人手不足って結果になる。そこで、お偉いさんが打ち出したのが『死期を教えて、未練なく死を迎えられる為の猶予を与えよう』っていう馬鹿げた政策なのさ」
 少子高齢化対策のひとつとして打ち出された〝携帯電話所持の義務化〟――今思えば【死の電話】が知られ始めたのも同じ頃だ。よもや世間を騒がすオカルト現象の根幹がこんなところにあろうとは思ってもみなかった。
「――それで、その政策がうまくいったのね?」
「……うまくいってりゃ、こうしてアジと話なんかしていないさ」
「……どういうこと?」
 紫陽花は眉間にシワを寄せた。てっきり【死の電話】なしで狩られたが為に、死に切らず、生き返る可能性を持っているという異例の事態になったのだと思っていたのだが。
「【死の電話】で確かに仕事は捗るようになった。けど、人手不足が解消したわけじゃない。結局のところ効果はあまり出なかったのさ。そこで次に発案されたのが、死ぬ予定じゃない若い人間を狩って死神として活動させようっていう【生き狩り】制度――アジ。あんたはその最初の標的になってしまったんだよ――!」
 ようやくアニスの眼差しの理由が繙けた。生きたまま狩られた紫陽花は正規の死期よりも早く命をもぎ取られたうえ、死神の仕事をするしか道が用意されていないのだ。ずっと看病してくれていた目の前の死神はそれを知っていた――紫陽花はふつふつと湧き上がる感情に身を震わせた。
「そんな事が許されると思うの……?」
「もちろん犯罪さ。でも、それを変えようとする動きが起きている。発案した本人は『法として決めてしまえば問題ない』と言ったんだ」
「冗談じゃないわよ。死神だからって好き放題していいわけないじゃない!」
「その通りだよ」
「だったら――!!
 憤慨する紫陽花の肩にアニスは力なく手を添えた。小刻みに震えたその手は、彼女の思いをすべて代弁していた。
「決めたのが王様じゃ、家来はそれに従うしかないのさ……」
 俯いた大きな背中は、もう紫陽花を哀れんでなどいなかった。歪まされた運命に巻き込まれた少女を前に、無力さの刃を突きつけられた悔しさが滲み出ている。
 何も無い部屋が急速に小さくなっていく気がした。
 噎せ返りそうな静けさだけが、二人を包みこんでいた。
「……ひとつだけ、教えて」
 芯のある響き。我に返ったアニスがハッとして頭をあげた。
「鎌に鈴を付けている死神がいるんでしょう? 私、気を失う前に聞いたの。小さな鈴の音。きっとそいつが――」
 言葉を遮るように、アニスは静かに首を横に振った。
「死神の鎌には皆、呪鈴(じゅりん)という鈴が付いている。死神の鎌である証であり、(かせ)のようなものなんだ。『存在に気づかれないように行動しろ』という暗示の掛かった呪鈴が鳴るってことは、死神の存在を暴露する――つまり職務遂行不可能も同然なのさ。人によってその大きさも音も違うそうだけど、それを特定するのは難しいだろう」
「どうして? ハッキリと覚えているのよ?」
 少し語気を強めたが、アニスの口調は変わらなかった。代わりにまた首を振った。
「聞いたことがないからさ。他人の呪鈴はもちろん、自分の音でさえ私らは知らない。鳴らそうと思って鳴らせるものじゃないんだ。――呪鈴が鳴る時っていうのは、職務放棄、能力欠損、犯罪行為のどれかに該当する時だと聞いている。アジが音を聞いたのはそのせいだろう。【生き狩り】は現状、犯罪だからね」
 肩を落とす紫陽花に、アニスは力になれなくてすまないと謝罪した。
「やっぱりそう簡単にはいかないか……。ま、過ぎた事は仕方ないよね。嘘か本当か知らないけど、赤目にならないうちは生きているっていうんなら、帰れるってことなんでしょ。こんな一生に一度の経験、他にないんだし、こうなったら死神業務でもなんでもやってやるわ。思いっきり満喫してから帰ってやろうじゃないの!」
 鼻を鳴らしてガッツポーズを決める紫陽花をアニスは唖然と見つめていたが、やがてふわりと頬を緩めて苦笑した。
「――アジはずっと強い子だね。恐れ入ったよ」
 ぽんぽんと頭を撫でられ、紫陽花は顔が火照るのを感じた。逃げるようにアニスから視線を外すと、がらんとした部屋の入口が目に入った。
「……戻ってこないね」思い出したように紫陽花は首を伸ばした。「探しに行ったって……一体誰を?」
「ああ。アジの相方だよ」
 素っ頓狂な声を発した紫陽花を見て、苦笑交じりに補足する。「仕事上の連れをそう言ってるのさ。私らは二人一組で動くのが普通なんだ」
 なんだそっか、と急に全身の力が抜けた。日本語は色々意味があって難しい。
 そう思うと、率直に聞いてみたくなるのは人の性だと思う。
「――アニスの相方さんは、どういう人なの?」
 アニスは少し驚いたように目を丸めたが、渋々と顔をしかめるとため息をついた。
「見たまんまだよ。じっとしていられないし、賑やかしい奴さ」そう大仰に手を上げ、肩をすくめると、冷たく言い放った。「どうせ今もどこかで油売ってるんだろ――」
「変なこと吹き込むんじゃねぇ! 油なんか売ってないっつーの!」
 息の混じった聞き覚えのある声が部屋に響いた。
 入口に朝日色の短い髪を掻きながら冷めた視線を注ぐ人物がいた。捲くしあげたコートの袖から覗く鍛えられた腕は中々に美しい。褐色肌のおかげで一層健康的に見えた。
「おや、遅かったな、カイ。女を待たせるとはなってないぞ?」
 冗談めかされた口調に、カイと呼ばれた男はムッとしたように口を尖らせて、ずんずんと部屋に入ってきた。
「お前な……。あいつがメール無視するの知ってんだろ? この広い塔の中、あちこち探し回ったんだぞ? わざわざ階段使ってまで! そしたら玄関でばったり会って『何してる』って……マジで勘弁して欲しいぜ」
 カイはアニスの隣で足を止めた。腰に手を当ててうなだれるその額にはうっすらと汗が浮かんでいた。
「それは大変だったねぇ。お疲れ様」
「…………おぅ」
 アニスは立ち上がって椅子をすすめたが、カイはそれを断った。
「待たせてごめんなー。お嬢ちゃん、もう体は平気か――って、わお!」
 紫陽花と目が合うと同時に、カイは驚嘆の声をあげた。アニスから話を聞いていた手前、その反応に紫陽花はどうしたらいいやら曖昧に笑ってみたが、対面した男からはその何倍も眩しい笑顔が返ってきた。
「おっどろいた! まだ生体の可能性があるのかあ。良かったなあ!」
「……え?」
「いやあ、なんだかんだ言って『気づいたらこんな所に来てましたー』なんて、理不尽過ぎる話じゃん? 帰れるかもしれないってのは大きい事だぜ! ――あ、俺はカイってんだ。よろしくなー」
 白い歯を見せて笑いかけるその姿は少年のようだった。差し出された大きな手を取ると、ことさら嬉しそうにぶんぶん振った。大柄にもかかわらず、ずっと若々しく見えるのは、そんな純粋さがあるからなのかもしれない。
「――ところで、ちゃんと連れてきたんだろうな?」
 血相を変えて二人を引き離しながらアニスが訊ねた。縄跳びのようにしなるほど振られた所為で紫陽花が失神しかけていたのだ。我に返った紫陽花は、腕が繋がっていたことに心底ホッとした。
「ああ、今は角の掲示板読んでるぜ。しばらく動かなそうだったから先に来たけど」
「あの死法改訂決議討論会の途中経過通信を? なんで今なんだい。あんなにびっしりした字面じゃますますシワが増えるだけだろうに――」
「余計なお世話だ」
 気だるげで冷ややかな声が、ピシャリと言い放った。アニスが不満そうに眉間にシワを寄せて振り返ると、入口脇の壁に腕組みをしてもたれかかっている一人の少年が、より一層深いシワを寄せて睨みつけていた。
「冷たいじゃないか。もう少し愛想よくしてもいいだろう?」
「お前の趣味に合わす気など無い」
 少年はスッパリ切り捨てると、自然な流れでベッドの少女へ目を留めた。
 その瞬間、紫陽花はビクリと身を震わせた。せっかく落ち着いた腕がまた笑いだす。
 小柄な少年からは到底想像出来ないほどの威圧感。
 そして、恐怖。
「……お前がそうか」
 ゆっくりと室内に入ってくるその足取りは、どこか威厳じみたものがあった。
「神隠しなんて洒落にならないぞ。可愛い相方待たせて、今まで何していたんだい?」
「別に大したことじゃない。それを喋る方が時間の無駄だ」
 茶化すアニスをまたも切り捨てて、少年は一定の距離を取って歩みを止めた。
 綺麗に切りそろえられた銀色の髪。ほとんど唇を動かさず喋っているというのに、その声は部屋中に響きわたるほどよく通っている。カイの肩にも満たない背丈に似合わず、変声仕切った声と、もはや型となってしまっている眉間のシワが幼さを打ち消していた。
「こいつがお嬢ちゃんの相方だ。享年は十六でちょっと気難しい奴だけど、俺やアニスなんかよりもずっと長く死神やってるんだ。歴代最速で最終昇級試験に合格して、今では次期死神王候補さ」
 肩を持ち揚々と頭を撫でてくるカイに、少年はさも迷惑そうな目つきを向けた。
「まあ、カイよりは断然頼りになるから安心していいよ」
「お前なあっ!」
 喧々囂々と言い合いを始めるカイとアニス。腕からするりと抜け出した少年は、その様子を退屈そうに眺めていた。

 突然やってきた死神の世界。年下の相方――。

 この非現実的世界を目の前に紫陽花の心は決まっていた。すっと立ち上がり少年の元へと歩み寄る。
 静かに隣に立った紫陽花を、少年は横目で一瞥しただけだった。
 実際に並んでみるとやはり少年は小さかった。紫陽花の身長が平均より高めとはいえ、見ただけでも二十センチ近く差があるのが分かる。
「……何だ?」
 睨むような鋭い視線を向けたまま、少年は低く呟いた。
「いや、やっぱりさ。挨拶くらいはちゃんとしないとね」
 紫陽花はスッと右手を出す。少年の目に、ほんの一瞬の戸惑いが見えた。
「私は栗栖(くりす)紫陽花。まあ何がなんだかよく分からないけど、そうすぐに帰れるもんでもなさそうだしね。お世話になります」
 紫陽花と差し出された手に代わる代わる視線を送ると、少年はため息をひとつ吐いた。
竹織(たけおり)だ」
 素っ気なくそれだけ言い残し、踵を返してさっさと部屋を出ていく。
 ぽつんと残された紫陽花。その無駄になった右手が、じわりじわりと拳を握った。
 ちょっと気難しい……ね。

「…………上等。面白いことになりそうじゃん……!!
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