3:再会

文字数 5,542文字

「……私、あの人苦手」
 眉間に深いシワを寄せて造花を眺めながら、紫陽花(しょうか)が言った。
 幅の広い廊下の真ん中を二人は歩いていた。十メートルはあろうかという幅の廊下の両側からはいつものように遠巻きに好奇の目を向けられていたが、それに混じって今日は黄色い声が多い気がする。
「得意な奴はいないだろうなあ。俺もちょっと苦手だもん。まあ、美人さんだし許してあげてよ」
 豪快に笑う「黄色い声生成源」を、横目で見ながら紫陽花は呟いた。
「カイってさ……プレイボーイでしょ」
「よく言われる」
 清々しい笑顔のまま、カイは気にもとめずに言った。こうして並んで歩いている間にも、すれ違う女死神に声をかけられっぱなしだ。その度に屈託のない笑顔を振り撒いている。油売り呼ばわりするアニスの気持ちが分かる気がした。
「でも、椿(つばき)姉さんは顔が広いし約束事は絶対守る、信頼出来るいい人さ。知り合いになっておいて損はないぜ」
「そう……」気のない返事をして紫陽花は造花をポケットにしまった。
「ありゃ……、説得力ないか? ま、仕方ないか……」
 カイは少し寂しそうに頬を掻いた。紫陽花はその様子を横目で盗み見ると、周囲の死神達に視線を走らせた。そう言えば、声はかけられるものの、カイ自身が声をかけるところを見ていない。プレイボーイと言った時も否定はしなかったが肯定もしていない……。
 紫陽花は急にむず痒くなって話題を変えた。
「死神試験ってどんなことするの? 想像つかないんだけど」
「んー、そうだなあ。椿姉さんは公務員って言ったけど、どっちかっていうと大学受験だな。筆記と実技が主だよ」
 そう言いながら、カイはまたすれ違った相手に最上の笑顔を届けたところだった。
「筆記なんてあるの!?」紫陽花は絶句した。
「あるぜ。〝死法(しほう)〟っていう死者界の法律を覚えなきゃいけないからな。これが数は多いしややこしいのなんの……」
 苦い記憶を思い返して顔を歪めるカイに、紫陽花は素直に言った。
「……カイ、よく合格出来たよね」
 悪気はない。悪気はないのだ。
 巨大な落石に見舞われたようにカイはうなだれた。ガバッと跳ね起きるとうっすら涙を浮かべつつ全力で弁明した。
「あ、あのなあっ! 俺は計算が苦手なだけで、覚えはいいのっ! もうっ、アジにまでそんな風に思われるなんて俺超ヘコむ……」
「ご、ごめんなさい……」
 今度は紫陽花が気まずい表情を浮かべた。さすがに失言だったと反省していると、当人はまたも声をかけられ笑顔を振り撒いていた。紫陽花に振り向くと「これじゃ仕方ねえよな」と苦笑した。
 エレベーターの前に着くと、すでに十人近くが待っていた。カイが待つか訊ねたが、紫陽花は階段を希望した。もう少し話を聞きたかったし、動くことで気まずさを紛らわせたかった。
 エレベーターの周りを囲む螺旋階段をのぼっていく。カイは紫陽花に歩調を合わせて半歩先を行った。鉄の冷たさが伝わる空間に軽い靴音が響いた。
 カイは死神界のことを快く話してくれた。死法のこと、死神界に金融は存在しないこと、鎌の形が人それぞれであること……。聞く事すべてがおとぎ話のようでどこか現実染みている。紫陽花の好奇心をくすぐるには充分だった。
 死神にも主動部隊と補助部隊があり、マントの色で区別される。臙脂マントの主動部隊と違い、濃紺マントの補助部隊は鎌を持たず、新しく来た霊体の受け入れなどの事務要員として働いているそうだ。
「どっちも試験内容は一緒なんだけどな。ちなみに、受験資格は三つ。一つは死んでこの世界に来た奴――まあ当然だよな。二つ目は享年が六十歳以下の霊体であること――ここも定年制……っていうとなんか違う気もするけどまあいいや。もう一つは推薦状が揃っていること。――結構単純っしょ?」
「推薦状?」
「うん。推薦には二種類あって、死神から直接推薦状を書いて貰える場合と、自己推薦があるんだ。この世界じゃ働かなくても生活出来るし、自己推薦は特に飛び抜けた技能がないと合格は難しいらしいから、そこまでして死神になる奴はあんまりいないんだってさ」
 紫陽花はふと竹織(たけおり)桃葉(ももは)の会話を思い出した。なるほど。あれはそういうことだったのか。
「じゃあ、ほとんどの死神は直々に推薦されている、と」
「そ! アニスや竹織は当時の死神から推薦されてるってワケだ」
 そういえばチコにも初々しい時代はあるんだよなあ。今のあいつを見ているとまるで想像できない。その頃からつんけんしていたのだろうか? だとしたら相当な問題児だったに違いない。
 思い巡らしていると、引っかかるところに行きついた。
「……カイもでしょ?」
「へ? 俺は自己推薦!」
 今度は紫陽花に落石が起きた。
「あ……あんまりいないって自分で言ったじゃん!」
「いやー、後からその話聞いて驚いたぜ」
 当然の如く不思議がるカイを紫陽花は唖然として見つめた。マイペースだとは思っていたが、こいつは中々ド級だ。
 階段を抜け、試験場へ続く廊下に出た。一本道の廊下は、床も壁も臙脂色で、顔の高さほどにある小窓からは申し訳程度の光が差し込んでいる。反対側の壁には綺麗な刺繍のタペストリーが飾られていた。
「どうして……死神に?」
 合格基準の厳しい自己推薦をしてまで死神になったならば相当の理由があるに違いない。紫陽花は知りたい好奇心を出来る限り抑えて訊ねた。
 返事を貰えなくても仕方ないだろうと思っていたが、カイの口からはあっさりと、それも、思いもよらない答えが返ってきた。
「俺? 俺はね。ヒーローになりたいんだ!」
「ひ、ヒーロー?」
 呆気にとられた紫陽花には、少しはにかみながらも夢に満ち輝いたカイの顔しか映らない。カイは大きく頷いて機嫌よく鼻歌を歌いながら語り始めた。
「昔から戦隊もの好きでさ。憧れてたんだ。だからなのかなあ。体鍛えるの趣味みたいになっちゃったんだけど――いつかは危険を顧みないくらい颯爽と登場して、みーんなを守ってやるんだぜ!」
 おー! と拳を突き上げて、カイの機嫌は最高潮になった。
 天晴れなほどの子供思考だったが、なぜか応援したくなった。カイなら本当になれてしまう気がしたからだ。子供のように真っ直ぐで、逞しくて、優しいヒーローが。
 でも死神でヒーローってどうなんだろう? 紫陽花は温かい苦笑を漏らした。
「さあ、着いたぜ」
 思いに浸っていた紫陽花は、突然立ち止まり振り向いたカイに気付かず、彼の胸元に激突してしまった。
 鼻の頭を撫でる紫陽花に、カイは親指を立てて目の前の大きな扉を差した。
「ここが試験場だ。死神の実技試験をやってるんだよ」
 両開きの石扉には左右対称に鎌が交差した十字架のレリーフが彫られ、小窓からの僅かな光で浮かび上がり、荘厳な空気を作り出していた。
 息を呑んで魅入る紫陽花の前で、ギイと音を立てて内側から重々しく扉が開いた。ゆっくりと自動的に開くその扉の中心に、見慣れた死神が一人立っている。死神は、普通に考えれば居るはずのない二人を黙認すると、冷ややかな口調で呟いた。
「……ここで何をしている?」
「施設案内ですよ。試験官長殿」
 愛想良い笑顔で答えるカイをギロリと睨みつけてため息を吐くその銀髪少年は、紛れもない我が相方。
「……チコ?」
 いつもの銀縁黒コートではなく、金縁に白のコートを着込み、艶のある黒マントを羽織っている。白の学士帽を被り、縁無しのメガネをかけた姿は、服こそ着られているように見えたが中々様になっていた。
「アジがさ、生きてるか実感ないって言うから連れてきてみたんだけど……もしかしてとっくに終わっちゃった?」
「今終わった」竹織が素っ気なく答えた。
「おお! グットタイミン! それじゃあアジ――」
 紫陽花の背中を叩いて促した時、背後から悲鳴に近い声がした。
「ああああっ! 居た!!
 カイがビクッと肩を震わせ、恐る恐る振り返った。茶髪の大柄な女死神が大股で歩み寄ってくる。アニスだ。相当動きまわったようで肩で息をしている。綺麗な顔にいくつもの汗が光っていた。
「まったく、あんたって奴は! いっつもフラフラして! ほら行くよ!」
「……あれ。今日何かあったっけ?」純粋にカイはすっとぼけた。
 プチン。と音が聞こえた。
「今日が四日目の案件があるだろう! 一桁の計算くらい、いい加減出来るようになれ!」
 むんずとカイの首根っこを掴むと、ずるずると引きずって足早に彼方へ消えていった。
「だから俺は数学が苦手なんだってばあああああっ!!
 何もない廊下にその声が虚しくこだました。情けない去り際を眺めながら、認められるにはまだまだかかりそうだと紫陽花は思った。
「……それで? お前は何がしたいんだ?」
 呆れ顔で二人を見送りながら竹織がぼそりと訊いた。紫陽花はムッとして竹織を見たが、目が合った途端、怯みきってしまった。
「な、何がって……私はただ、生きてるなんて言われたって分からないって言っただけで、なんでここに連れてこられたのかこっちが訊きたいくらい……」
 言葉は尻すぼんだ。いつもと違う装いもそうだが、竹織の纏う雰囲気が落ち着かない。普段通りの態度の竹織とは裏腹に、紫陽花はやたらそわそわしていた。半ば強引に連れて来られたようなものだ。どうしたらいいのかさっぱり分からない。
「……そんな服もあるのね」
 おどおどした挙句、出てきた言葉はそれだった。なんで今コレを訊いているんだ私は! 心中叫びながら後悔していると、竹織は案外素直に答えてくれた。
「試験官の仕事も請け負っているからな。長いこと居るとあれこれ任されて面倒だ」
「そ、そう……」
 作り笑顔で紫陽花は会話を成り立たせようと必死だった。
 一刻も早くこの気まずい状況を打破したい……!
 口元を引きつらせた紫陽花の心を見透かしたように、一瞥投げた竹織が小さく言った。
「遅かれ早かれ、お前が自分の生死の疑問を投げてくることは予想していた」
 紫陽花はとりあえず鬱陶しがられていないことに胸を撫で下ろした。
 竹織は試験場の扉を顎でしゃくった。
「ちょうど合格者が一人、中にいる。入ってみるがいい。百聞は一見にしかず、だ――案ずるな。俺の許可だ。文句は言われん」
 それだけ言い残すと、竹織はマントを翻して試験場を後にした。
「え、ちょっと……どこ行くのよ!?
 返事は無かった。竹織はさっさと廊下の奥へ姿を消した。取り残された紫陽花は、事態に追いつかずしばらく呆然と立ち尽くしていたが、竹織の気配が完全に無くなってから、どいつもこいつもと悪態を吐いた。
 静かだった。臙脂色の絨毯が、吹き込む風の音でさえ吸収し、無を作り出している。体の先端からじわりじわりと上ってくる緊張感に震えながら、紫陽花はレリーフの石扉に触れた。ひんやりした鈍色の石は心を読まれそうなほど、触れるだけで体の中に風が駆け込むようだった。
 押し開けようと力を込める前に、扉はギイと重厚な音を立てて開いた。境界線でもあるように、扉の先からはひんやりとした空気を感じる。紫陽花は唇をきゅっと結んでゆっくりと足を踏み入れた。
 数歩も行かないうちに、紫陽花はその光景に目を奪われた。
 コロッセオをそのまま持ってきたような巨大な闘技場がそこにあった。三階建ての客席がただっ広いフィールドを囲み、アーチ型が幾重にも並んだ外壁にはびっしりと細かなレリーフが彫られている。客席三階の四方から梁のように伸びる弓なりのランウェーは、入口正面のものだけバルコニー型になっていた。部屋の入口以外の三方にひとつずつ、客席の一、二階を割るようにして作られたアーチの奥からフィールドへ続く通路が伸びているようだが、今はどれも鉄柵に閉ざされていた。
 この部屋自体は入口の扉と同じ鈍色の石材で出来た壁が高く伸びる筒型をしていた。天井いっぱいの大きさの丸い天窓から見える青空は鮮明で、文字通りそのまま外へ筒抜けているようだった。差し込む光で縁が虹色に色づいていなかったら、窓の存在に気付かなかったかもしれない。
 何もないフィールドの中心に一人、銀縁黒コートを着こんだ人物が、入口に背を向けて立っていた。臙脂のマントは無く、コート越しでも分かるスラリと細長い体躯をピシリとした背筋で立たせ天井を見上げている。紫陽花もつられて上を見たが、鳶が悠然と窓を横切るだけで特別なものは見当たらない。紫陽花は頭を振ると、恐る恐る闘技場の中心へ歩み寄った。
 カツン。とローファーの音が響き、中央にいた人物が背後の人気(ひとけ)を察した。紫陽花が暗がりから日の当たるフィールドに進み出る。佇んでいたその人はおもむろに首を戻すと、半歩ひくように体ごと紫陽花へ振り返った。
 突然の来客に驚きと喜びの入り混じった表情が、紫陽花と向かい合った。
「…………ッ!?
 紫陽花はその場に凍りついた。
 爽やかな印象を受ける端正な顔立ち。髪型。仕草。身なり。どれを取っても完璧だったその人は、まるで感謝を述べるかのように語りかけた。
「ああ……信じられない……! なんという神のいたずらだろう……。君とまた会えるなんて感激だ! 僕の運命も捨てたものじゃ無いな!」
 歓喜に満ちた青年は、両手を大きく広げて紫陽花を迎えた。
「…………内原…………」
 掠れた声を絞り出す紫陽花に、内原(うちはら)緑都(ろくと)は「久しぶり」と微笑んだ。
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