4:椿の要請

文字数 1,378文字

 煙草をふかし、椿(つばき)は造花を手に、机に置いた水晶玉を眺めていた。
 大ぶりの透き通る玉には紫陽花(しょうか)の姿が映し出されている。椿はクツクツ笑って成り行きをじっと見つめていた。
 自身の香水とは対照的に、強烈な花々の香りが充満した部屋は、赤紫色の家具や小物で統一され、暖かみのある色合いの照明が妖艶な雰囲気を作り上げていた。床一面に散らされた椿の花弁は、彼女が動く度サラサラと音を立てた。
 シルク張りのロココ調ソファーに腰掛け、少し肌蹴た黒コートには気にも留めず、取り付かれたように水晶玉を凝視している。やがてゆったりとした手付きで携帯を取り出すと、長い爪を器用に使って電話をかけた。
 六回目のコールが鳴り始めた頃、相手が出た。
「やだわあ。嫌われちゃったかと思った。もう少し付き合い良くしてくれたっていいんじゃなあい?」
 大仰にそういうと、椿はまたクツクツ笑った。電話の相手は、鬱陶しいハエに集られたと言わんばかりの長い息を吐いた。
「そんなに嫌そうにしないで。今日は真面目なお話――ホントよ。この御時世、いいスパイスになると思うわ」
 山盛りの灰皿に煙草を押し付けると、すぐさま新しい煙草に火を灯した。口の中で転がした煙を水晶玉に細く吹きかける。渦巻く煙は怯えた顔の紫陽花を覆い隠し、じわりじわりと霧散していく。次に露になった玉の中では怒り顔の紫陽花が明々と映し出された。
『……盗聴ごっこに付き合うつもりは無いがのう』
 相手が重々しく口を開いた。低くしゃがれた男の声は雑音と聞き分けるのが至難なほどザラザラとしていた。語尾が伸び、尻すぼんでいくのは相当やつれているようにも取れる。
「相変わらず人聞きの悪いこと言ってくれるのね。退屈なのよ。わかるでしょ? あれこれ言う前にイイ男でも紹介して頂戴よ。いつまでも独り身なんてやってられないわあ」
『愚痴を聞くつもりもないがのう』
 その一言で、椿は一気に上機嫌になった。
「つれないわねぇ。でも、そんなところも好きよ。安心して」
 電話口で咳ばらいが聞こえた。
「ちょっとアナタに訊きたいことがあるの。かつて王の首を取った〝白銀(はくぎん)虎狼(ころう)″のアナタにね……」
 椿は髪を弄びながら歌うように言った。
「【生き狩り】のお嬢さん、御存じかしら? 彼女は不運にも制度の実験体にされて狩られた……にもかかわらず今も体は生き続けているの。もう十日以上経つのに不思議よねえ? 変化を持たない死の世界に紛れこんだ彼女ほどワクワクするものは無いわあ。まずは彼女と、その相方クンの情報を集めたいのだけど、協力してくださらなあい?」
 返ってきたのは沈黙だった。椿は営業用の極上スマイルを浮かべ、最後の切り札を投じた。
「彼女の名前は栗栖(くりす)紫陽花(しょうか)。洒落た名前よねぇ?」
『――――!!
 男が息を呑むのが聞こえた。しばしの無言の後、低く小さい笑い声を漏らした。地の底から這い上がるような笑い声だ。
『……その話、乗った』
「そうこなくちゃ」
 椿はニヤリと笑って指を鳴らした。ソファーから飛び起きると、煙草の残り火で造花を燃やした。花は一気に燃え上がると灰も残さず消えた。
「そうと決まれば商談といきましょうか」
 水晶玉をかかげ、映る少女をうっとりと見つめた。
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