霊殖

文字数 1,747文字

「これは……ッ!?
 手にした薄い紅色の短冊に釘付けになった紫苑(しおん)の瞳が震える。そこにはたった一言、『貴殿の首を頂戴致す』と記されていた。
「驚いたろう? 久方ぶりだというのに、随分と品の無い便りが来たものだね」
 死神王(ししんのう)は苦笑して、手にした分厚い本を閉じた。棚から入れ替わり取り出した緑色の表紙本もまた、厚ぼったい一冊だった。
 短冊の入っていた味気ない封筒に差出人が書かれているはずもない。だが、ひどく達筆で素っ気ない筆跡は紛れもなく〝白銀(はくぎん)虎狼(ころう)〟――杜若(もりわか)のものだった。
 まったく危機感の無い死神王に、紫苑は眉をひそめて訊ねた。
「………………まさか、お受けになる気ですか?」
「勿論だ。せっかくの誘いを断るわけにはいかないよ」
 迷いの無い返事に、たまらず紫苑は金切り声をあげた。
「これは宣戦布告です! 敵陣に乗り込むも同然ですよ!?
「おやおや。君は、私が負けると思うのかい?」
「……っ。そういうわけでは……」
 口籠った紫苑に死神王はやんわりと微笑むと、また本を取り替えた。今度は紫色の薄い本だった。
「これでも私はいっぱしの王だ。世界を守る義務がある。反乱を起こすというなら相手が誰であろうと立ち向かわなくてはならない……心苦しいが、私の同志ばかりではないのもまた事実だ」
 目当ての項目が無かったのか、ぱらぱらと流し読んで早々にパタリと閉じると、死神王は短く息をついた。
「……先程から、何をお探しなのです?」
「なに。いい機会だし、研究の成果を試してみようかと思ってね――」次の本へ目を通しながらつらつらと答え、やがてそれはフェードアウトするように独り言へと変わった。「おかしい……。定義は間違っていないはずだ。何故持続が叶わない……? そもそも……」
 紫苑の表情がたちまち強張った。
 研究とは霊殖(れいしょく)のことだ。先代王が秘密裏に進めていた研究で、関連した文献も資料もなにひとつ残っていない。にもかかわらず、死神王はたった数十年で魔力の移殖そのものを成功させた。そこはこの男の才と執着が成した業だろう。
 だがそこから先、移した魔力を留めることが出来ないでいる。個体の遺伝子に移した魔力が結びつかず、肉体劣化をもたらして腐敗していくのだ。その速度は個体の大きさに比例するが、実験の段階で一番大きかった馬は半日後に朽ち果てた。
 その原因が紫苑には解っていた。本を貪る必要など最初から無い。
 魔力を移し過ぎて体が耐え切れていないのだ。実に単純明快なことだが、強大な力に目が眩んだ死神王には、彼らの体から無残に溢れだしている己の欲望が見えるはずもない。
 まあいいや、と死神王は本を閉じた。「データを取れば分かることだ。紫苑。北に通達を出してくれ。五人ほど集めたい」
 紫苑が一瞬、身を震わせた。そして、唇を軽くなめてから意を決したように口を開く。
「……お言葉ですが、人体への移殖は危険過ぎます。元より相互の均衡を図る術……戦力とするには不向きです。それにもし、このことが知れたら――」
 直後、鈍い音を立てて壁に叩きつけられた。反動で抱えていた書類が深紅の絨毯に雪のように降り積もり、死神王の骨ばった手は、杭のごとく紫苑のほっそりとした首を捉えていた。
「いつの時代も戦は革命をもたらす。新時代を築くために武力は絶対的な価値がある。その欠落は反逆を招き、ひいては世界の滅亡へと繋がっていくのだ――!」
 蛇のような眼が蒼白な紫苑の顔を抉る。喉の奥が急に萎れたように声が出ない。紫苑は瞬きもせずただ男を見つめ返すことしか出来なかった。
「私の理想郷は壊させない……邪魔者は消し去ってくれる!!
 唸るように吐き捨て、死神王は紫苑を放して銀絹のマントを翻した。
「決戦は今夜だ。支度を急げ!」
 バタンと派手に扉を閉めて部屋を去っていく足音を聞きながら、紫苑はずるずると力なく座り込んだ。彼女の周りに広がる資料の雪に交じって、薄紅の短冊が異彩を放つ。
 まるで四面楚歌であるかのように。
「……………………杜若…………様………………」
 虚空を見つめ、零れた言葉は、彼女自身にも聞こえていなかった。
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