10:出世払い
文字数 2,870文字
事態に驚いたのは死神王 だけではなかった。
「……どうしてあの子が……?」
杜若 がリリーの元へ行く間、紫陽花 と竹織 を見ていたアニスは、その信じがたい光景に呆然と呟いた。緑都 の、汗ひとつかいていない爽やかな立ち姿に疑念と違和感が交錯する。
光弾 が紫陽花と竹織に激突するまさにその瞬間、突然緑都が現れたのだ。まるで気配ごと湧いて出たように。
緑都は転がっていた二人を突き飛ばす格好ですくいあげると――その後はアニスでも追い切れず、爆音が鳴った時にはすでに杜若の背後に落ち着いていた。
杜若の言うとおり、リリーは戦 に不向きだ。それを象徴するように、本来ひとつしか持たないはずの神業 を彼女は二つ持っている。〝万鍵 〟と〝清歌 〟――アニスと同様に守りに秀でた力は持ち主の性格に左右されやすい。だが、そんな彼女でさえ長い経歴故に元々の能力が高いのだ。流れた光弾も桁外れの速度と威力を持っていたのは間違いない。
それを緑都はいとも簡単にかわしたのだ。両脇に人を抱えた、それも死神になりたての、武器すら持たない彼が。
あまりの身軽さに死神王が驚くのも無理はない。だがそれ以上の理由が男の顔には書いてあった。アニスも――おそらくこの場の全員が同じだったことだろう。
なぜ緑都の存在にまったく気が付かなかった――?
アニスはますます眉をひそめた。
考え込むあまり、隙だらけの背後から近づく人影に、彼女が気付くことはなかった。
「――――ッ!?」
肩から伸びてきた手にアニスは口を封じられた。
* * *
紫陽花は状況を飲み込めず、目を白黒させるばかりだった。四肢をだらりと垂らしたまま、あまりにも沈黙を決め込んでいたので、ついに緑都が苦笑交じりに口を開いた。
「やあ、栗栖 さん。また会ったね。怪我はないかい?」
「…………内原 ……? ……あー……えっと…………?」
「もう少しで二人とも五体不満足になるところだったんだよ?」
けろりと恐ろしい事を言っていたが、呆然としていた紫陽花にそれを処理する力がなかったのは幸いだった。
「……お前さん、随分と度胸がええのう。どうやってここに来た?」
杜若が呻くように訊く。緑都は参ったように肩をすくめた。
「どうと言われましても……。皆さんと一緒に入ってきてから、ずっとこの部屋にいましたよ――最初から、ね」
僅かに杜若が目を開いた。二人の間に挟まれた形の竹織が、合点がいったため息をついて疲れたように呟いた。
「……椿 か。一体あいつに何をされた?」
「別に何も。ちょっと足が速くなって、ちょっと気配が消せるようになっただけですよ」
「……スパイには最適だな」
苦々しく顔を歪める竹織に、緑都はうふふ、と笑って視線を落とした。
「――あの方が死神王様ですか……」
睨みあげてくる男は思っていたよりずっと小柄だった。美麗とも醜悪とも取らぬ顔立ちだが、きちんとした背筋は妙に印象に残る。清潔感のある身なりから見ても分かる几帳面さは、今までに出会った死神達となんら変わらない。煌びやかな装飾品の数々を身につけていなければ、王様だと分からなかったことだろう。
だが、この男から感じ取れる気は明らかに他から逸していた。ただ立っているだけだというのに、この場の誰よりも強大で、邪に満ちた禍々しさが伝わってくる。
あれこそ〝死をもたらす神〟そのものだ――――!!
「――初見で気あたりしないとは流石だな」竹織が皮肉めいた口調で小さく笑う。「怖いもの知らずの貴様ならこの程度、わけないか」
「……御冗談を。今にも卒倒しそうですよ」
緑都は死神王を凝視したまま、乾いた唇を少しなめた。その頬を静かに汗が流れおちていく。「貴方の抱き心地、最悪ですからね」
人型の水枕を抱えているような感触が緑都の鳥肌を否応なく立たせた。いかに緑都が感情を押し殺し繕うことに長けていても、所詮は絶命してひと月程度だ。非現実的な現実を受け入れることはそう容易ではない。密着することでようやく気付く程度の震えは、紛れもない恐怖心の表れだった。
竹織はしばし無言で緑都を見つめ、やがてその先をゆっくりと死神王へ移した。
怒りが頂点に達した死神王は間違いなく自分の手で仕留めにかかってくる。鎌を抜いたことが何よりの証拠。もう愉快にいたぶる余裕は無いはずだ。こんな骨抜きの体では一分と命がもたないだろう。
たまには人を頼れ、か。
こんな時に思い出すとは、いよいよ俺も末期ということか……。
瞑目して二、三。言葉を転がす。そして――
「小僧――取引だ」
小さな体には似合わぬ威厳を纏った声で、竹織は言い放った。
「貴公に実地試験免除及び正規死神の認可、そして第二等権威を与えることを決定する」
「――――――!?」
全員が驚愕の表情で竹織に振り向いた。杜若が何か言いたげに眉間にシワを寄せたのも無理はない。
それは前代未聞のことだった。現状仮死神の緑都が、生者界の実地訓練無しに正規の死神になるだけではなく、第二等権威――王に対して自由に謁見・進言が出来る、一般死神の中の最高権威を与えられるというのだ。
「……ま、出世払いだがな」ぽつりと付け加えて竹織はそっぽを向いた。
しばし唖然としていた緑都は、我に返るとやれやれと小さく笑った。
「……たかが小僧 相手に随分な待遇じゃないですか。まるで『俺の物になれ』と言われているみたいだ」
「そう言っているんだがな?」淀みない響きがその意思を真っ直ぐに告げた。「俺の足となれ、小僧――いや、内原緑都」
緑都の顔に明らかな動揺の色が浮かぶ。が、すぐに笑みを繕いなおすと静かに呟いた。
「――喜んで。大王様」
「いい返事だ」竹織の口元が微かに上がった。「退屈などとほざく暇は与えんぞ」
「相変わらずスパルタですねぇ」
緑都はフィールドへ降り立つと紫陽花を解放し、竹織をその肩に担いだ。続いて降りてきた杜若とリリーが紫陽花を守るようにその両隣へ立って身構える。
「――私を前に随分好き勝手言ってくれるね。予行練習とは気が早いじゃないか」
集団からあぶれた子供みたいに死神王が冷ややかに言う。竹織は鼻で笑うと無人の玉座をちらと睨んだ。
「貴様が自分から下りてきたからな。ついに譲る気になったと思ったが?」
「笑止千万だ。私はまだまだ現役だよ」
「そうか……安心した。ぬけぬけと譲られては、ぶつけどころが無くなるからな」
直後、爆発的な殺気と威圧が少年の身体から溢れ出した。共鳴するかのように、杜若とリリーからも凍てつくような力が爆ぜた。
「覚悟しろ。貴様は必ず地獄へ引きずり下ろす!」
「……身の程を知れ。罪人共!!」
禍々しい邪気を暴発させて、死神王は双鎌 を振るいあげた。
「……どうしてあの子が……?」
緑都は転がっていた二人を突き飛ばす格好ですくいあげると――その後はアニスでも追い切れず、爆音が鳴った時にはすでに杜若の背後に落ち着いていた。
杜若の言うとおり、リリーは
それを緑都はいとも簡単にかわしたのだ。両脇に人を抱えた、それも死神になりたての、武器すら持たない彼が。
あまりの身軽さに死神王が驚くのも無理はない。だがそれ以上の理由が男の顔には書いてあった。アニスも――おそらくこの場の全員が同じだったことだろう。
なぜ緑都の存在にまったく気が付かなかった――?
アニスはますます眉をひそめた。
考え込むあまり、隙だらけの背後から近づく人影に、彼女が気付くことはなかった。
「――――ッ!?」
肩から伸びてきた手にアニスは口を封じられた。
* * *
紫陽花は状況を飲み込めず、目を白黒させるばかりだった。四肢をだらりと垂らしたまま、あまりにも沈黙を決め込んでいたので、ついに緑都が苦笑交じりに口を開いた。
「やあ、
「…………
「もう少しで二人とも五体不満足になるところだったんだよ?」
けろりと恐ろしい事を言っていたが、呆然としていた紫陽花にそれを処理する力がなかったのは幸いだった。
「……お前さん、随分と度胸がええのう。どうやってここに来た?」
杜若が呻くように訊く。緑都は参ったように肩をすくめた。
「どうと言われましても……。皆さんと一緒に入ってきてから、ずっとこの部屋にいましたよ――最初から、ね」
僅かに杜若が目を開いた。二人の間に挟まれた形の竹織が、合点がいったため息をついて疲れたように呟いた。
「……
「別に何も。ちょっと足が速くなって、ちょっと気配が消せるようになっただけですよ」
「……スパイには最適だな」
苦々しく顔を歪める竹織に、緑都はうふふ、と笑って視線を落とした。
「――あの方が死神王様ですか……」
睨みあげてくる男は思っていたよりずっと小柄だった。美麗とも醜悪とも取らぬ顔立ちだが、きちんとした背筋は妙に印象に残る。清潔感のある身なりから見ても分かる几帳面さは、今までに出会った死神達となんら変わらない。煌びやかな装飾品の数々を身につけていなければ、王様だと分からなかったことだろう。
だが、この男から感じ取れる気は明らかに他から逸していた。ただ立っているだけだというのに、この場の誰よりも強大で、邪に満ちた禍々しさが伝わってくる。
あれこそ〝死をもたらす神〟そのものだ――――!!
「――初見で気あたりしないとは流石だな」竹織が皮肉めいた口調で小さく笑う。「怖いもの知らずの貴様ならこの程度、わけないか」
「……御冗談を。今にも卒倒しそうですよ」
緑都は死神王を凝視したまま、乾いた唇を少しなめた。その頬を静かに汗が流れおちていく。「貴方の抱き心地、最悪ですからね」
人型の水枕を抱えているような感触が緑都の鳥肌を否応なく立たせた。いかに緑都が感情を押し殺し繕うことに長けていても、所詮は絶命してひと月程度だ。非現実的な現実を受け入れることはそう容易ではない。密着することでようやく気付く程度の震えは、紛れもない恐怖心の表れだった。
竹織はしばし無言で緑都を見つめ、やがてその先をゆっくりと死神王へ移した。
怒りが頂点に達した死神王は間違いなく自分の手で仕留めにかかってくる。鎌を抜いたことが何よりの証拠。もう愉快にいたぶる余裕は無いはずだ。こんな骨抜きの体では一分と命がもたないだろう。
たまには人を頼れ、か。
こんな時に思い出すとは、いよいよ俺も末期ということか……。
瞑目して二、三。言葉を転がす。そして――
「小僧――取引だ」
小さな体には似合わぬ威厳を纏った声で、竹織は言い放った。
「貴公に実地試験免除及び正規死神の認可、そして第二等権威を与えることを決定する」
「――――――!?」
全員が驚愕の表情で竹織に振り向いた。杜若が何か言いたげに眉間にシワを寄せたのも無理はない。
それは前代未聞のことだった。現状仮死神の緑都が、生者界の実地訓練無しに正規の死神になるだけではなく、第二等権威――王に対して自由に謁見・進言が出来る、一般死神の中の最高権威を与えられるというのだ。
「……ま、出世払いだがな」ぽつりと付け加えて竹織はそっぽを向いた。
しばし唖然としていた緑都は、我に返るとやれやれと小さく笑った。
「……
「そう言っているんだがな?」淀みない響きがその意思を真っ直ぐに告げた。「俺の足となれ、小僧――いや、内原緑都」
緑都の顔に明らかな動揺の色が浮かぶ。が、すぐに笑みを繕いなおすと静かに呟いた。
「――喜んで。大王様」
「いい返事だ」竹織の口元が微かに上がった。「退屈などとほざく暇は与えんぞ」
「相変わらずスパルタですねぇ」
緑都はフィールドへ降り立つと紫陽花を解放し、竹織をその肩に担いだ。続いて降りてきた杜若とリリーが紫陽花を守るようにその両隣へ立って身構える。
「――私を前に随分好き勝手言ってくれるね。予行練習とは気が早いじゃないか」
集団からあぶれた子供みたいに死神王が冷ややかに言う。竹織は鼻で笑うと無人の玉座をちらと睨んだ。
「貴様が自分から下りてきたからな。ついに譲る気になったと思ったが?」
「笑止千万だ。私はまだまだ現役だよ」
「そうか……安心した。ぬけぬけと譲られては、ぶつけどころが無くなるからな」
直後、爆発的な殺気と威圧が少年の身体から溢れ出した。共鳴するかのように、杜若とリリーからも凍てつくような力が爆ぜた。
「覚悟しろ。貴様は必ず地獄へ引きずり下ろす!」
「……身の程を知れ。罪人共!!」
禍々しい邪気を暴発させて、死神王は