第三十五幕!雪降る町の女
文字数 7,016文字
俺たちはバイクを停めると、つい浮かれて我を忘れたようにイチャつきながら、自室までの道を進んだ。しかし、建物の正面入り口の前でサクとばったり遭遇してしまう。彼は俺たちと目が合うと、少し寂しそうな顔をした後、俺の顔を鋭い目つきで睨みつけた。俺はそんな彼になど目もくれずに、紗宙を部屋まで送り届ける。そして部屋へ戻ってから、さっきのことを少しばかり反省するのであった。
サクが紗宙に対して、恋愛感情を抱いているのかは定かではない。しかし、おそらくはあるのだろう、というくらいは感じ取っていた。だからつい強気になって、俺の女アピールと見える態度をとってしまったのだ。俺は、しばらくこのことで気落ちした。
◇
空は晴れてはいるが雲がかかり、パラパラと柔らかい雪が優しく舞い落ちていた。紗宙は、忘れ物に気付いてバイクまで戻る。その帰り際、建物に入ろうと正面入り口までやってくると、見知らぬ女が建物を見上げながら立ちすくんでいた。
その女は、色白で派手な銀髪、長身でモデル体系。戦時下の帯広では、あまり見かけない綺麗ないでたち。まるで、どこかの都会からここまできたのだろうか、という感じの雰囲気であった。女は事あるごとに、大きな声で建物に向かって叫んでいる。
「たのもー!たのもー!」
いつの時代の道場やぶりだよと、ツッコミを入れたくなる。紗宙は、そんな女に話しかける。
「あの、AIM本部に何かご用ですか?」
その女は、ハキハキと答えた。
「はい。AIM軍に志願したいのですが、どなたに言えばいいのかわからなくて...。AIMの方ですか?」
「ええ、そうです。」
その女は、笑みを浮かべる。
「へえ〜。AIMには、こんな綺麗な方もいるんですね!」
紗宙は、いきなり褒められて少し戸惑う。
「そんなことないですよ。でも、女性で活躍されてる方も沢山いますよ!」
「そうなんですね!あ、そうそう名前言うの忘れてた。私、羽幌雪愛です!」
「雪愛さんね!私は紗宙。よろしく!」
紗宙は、サクを呼びに司令部の中へ入っていく。雪愛は黙って、彼女の後ろ姿を凝視していた。
紗宙が早速サクへ伝えると、そんなよくわからない女は相手にしなくていいと突っぱねられる。
しかし、寒空の中せっかく志願しにきてくれた人を追い返すのは、あまりにもかわいそうだと彼を説得。サクは、紗宙に説得されてはしょうがないと話だけ聞くことに決めたのであった。
◇
出発の時刻になる。南富良野制圧軍は、旧西帯広駅近辺に集結。出陣の命を、今か今かと待ち構えていた。そんな中に、俺たち青の革命団の5人もいた。
俺は、サクから一部隊を預かり、100人を率いる部隊長となる。俺が紗宙と話していると、こちらへ1人の女が手を振りながら駆け寄ってきた。すると、紗宙も彼女に向かって手を振った。
「雪愛さん!ここにいるってことは??」
「うん!採用だって!」
紗宙は嬉しそうだ。
「良かった。配属は?」
「実は、紗宙と一緒!北生さんの部隊に入ることになったよ!」
それを聞いた紗宙の表情が輝いている。よくわからないが、とりあえず紗宙が嬉しそうにしていたので良かったのだと俺は思った。
「北生さん、雪愛です。よろしくお願いしまーす!」
俺は、北海道へ来てから、革命団を除いてほとんどアイヌとしか話していない。だから、彼女と会話していて、なんか不思議な感覚だった。
「あんたは、何でAIMで戦おうと思ったんだ?」
すると彼女の口から、とんでもない言葉が飛び出す。
「私、もともと札幌官軍で働いてたんです。」
驚愕して、つい睨みつけてしまう。
「何だって!官軍に...。」
雪愛は、まずいと思ったのだろうか。すかさず理由を語る。
「けど、あいつらの考えとかやり方に共感できなくて。それで北海道を変えたいって思いで志願したんです。」
「それはサクも知っているのか?」
「もちろん。それを知った上で、官軍について詳しい私を採用することに決めたそうです。」
彼女の表情をじっと見つめる。確かに彼女は、官軍に嫌気を覚えてこちらへ志願したと言っている。だが、そんな上部だけの話をするだけなら誰にだってできる。俺は、誰よりも人間不信な性格だ。こういう時、すぐに相手を疑ってしまうところがある。もし彼女が官軍の内通者だったら...。
俺の目が、異常に鋭くなっていくのが伝わったのだろうか。
雪愛は、仕方ないとばかりにため息をつく。
「もしよければ、サク将軍に話した、官軍の機密情報全部話しましょうか?」
俺は、彼女の本心を探るため、あえて難しい質問をした。
「では聞こう。官軍はアイヌですら手なずけられないヒグマをいとも簡単に手なずけて戦闘で活用しているそうだな。あれはどういうことだ?」
すると雪愛がすんなりと答える。
「あー、あれは薬の力です。」
「ヒグマを意のままに操る薬?」
「そう。その名もドグマ。ヒトリエっていう宇宙の砂とトリカブトの毒、シンナー、それから獣の肉片なんかを混ぜて作る、中毒性の強い新型の薬物。」
「飲ませるだけで、言うことを聞かせられるとでも?」
彼女は首を振る。
「いいえ。薬の効力は、本来持っていた記憶・思考力・感情、そう言ったものを全て消し去って、薬のことしか考えられない無の状態を作り出すだけです。その無の状態へ戻した脳に、どうやったら薬をもらうことができるのか、ってことを刷り込んでいきます。」
「生き物を生まれたての状態へ戻して、そこから薬の手に入れ方を教えていく。つまり、官軍の言うことを聞けば、薬がもらえると言う思考を刻み込んでいくと言うことか?」
「ええその通りです。だから官軍の狩猟部隊が子熊を捕獲してきて、それを薬漬けにして育て上げるのです。」
紗宙が苦い顔をしながら会話を聞いている。
「酷すぎる...。」
「札幌官軍は、北海道を制圧したら本州にも侵攻を考えています。だから軍部への力のかけ方が異常なのです。」
俺は話題を変える。
「なるほどな。では、あんたはどんな部隊に所属していた?」
「札幌近衛部隊という、札幌の最後の防衛戦って言われている部隊にいました。平時は主に町の警備とか、知事の護衛とかを担当していたんです。」
「ほお。ならば知事の京本について知りたい。相当な切れ者と聞くが実際はどんな人間だ?」
「うーん、一言で言うなら熱さを胸に秘めた男って感じですね!日本政府にへこへこしながらも、いつかは見返してやるとか考えてるところとか。」
「そうか。いずれ京本と刃を交える時が来るだろうな。」
雪愛は、話題を流すと質問をぶつけてくる。
「そういえばお二人は、アイヌ民族でも道産子でもないようですが、どちらから来たんですか?」
「東京だ。訳あってAIMで戦っている。」
雪愛は何かを考えているようだった。
「東京からわざわざこんな辺境まで来るには、相当な理由がありそうですね。もし良ければ、聞いても良いですか?」
俺は躊躇ったが、言うことに決める。
「俺たちは、『青の革命団』という団体で新しい国を作るための活動をしている。その一環で、この北海道まで来て、AIMと共闘させてもらっているのだ。」
彼女は、『青の革命団』という言葉を聞いた瞬間、表情が少し変化したように感じた。しかし、一瞬のことであったので、俺は怪しむ暇もなかった。
「へえ、革命家なんですね。確かに今の日本は無法地帯みたいなものですから、誰かが立ち上がって変えていかないとですよね。実は私もそういうこと、なまら興味があるんです。良ければ色々聞かせてくださいな。」
紗宙が話に割って入る。
「なまら?」
雪愛は、ハッとして恥ずかしそうにした。
「あ、北海道弁で『とても』っていう意味。ついつい出ちゃうなあ。」
こう長々と雑談をしていると、サクがやってきて全軍に進撃開始の命令を出した。本当はもう少し探りを入れ、湧いた疑念を晴らしたかったが、そうも言っている時間はなさそうである。俺は典一と共にスノーモービルにまたがる。先生は馬、女性3人は軍用車へ乗り込んだ。
◇
南富良野制圧部隊は、白銀の平原を迅速に西へ移動。その日の午後には、前線基地である新得砦に到着。砦には先発隊が先に到着していて、食料や雪山対策セットを用意しておいてくれた。
これからの戦いは、雪中戦の中でも難易度が高い、雪山での戦がメインとなってくる。戦場というものに出てから、まだ半年も満たない俺たち革命団メンバーにとっては、まるで殺してくださいと言っているようなものだった。
俺は絶対に死なないと覚悟を決めた反面、時々死んだらどうしようかという恐怖に駆られることがあった。これは紗宙や灯恵も同じなのだろうが、彼女らはそれを全く顔に出すことはなかった。
雪山で戦う備えを十分にしてから砦の櫓へと登り、目の前にそびえる雪化粧で染まった山々を見渡した。今日は風も弱く、その雄大な姿をはっきりと見ることができる。しかし、所々で雪崩が起きており、不安が喉の奥から込み上げてくる。
先生の戦略によれば、まずトマムという南富良野一帯を見渡せる山を占領。そこから、一気に官軍の拠点である幾寅を襲撃する。この戦いは、どれだけ早くトマムを奪い取れるかによって、勝敗が別れてくる。
あまりにも長引けば、札幌から官軍の主力部隊が到着してしまう。それに、補給線を確保しにくい雪山での泥沼長期戦は、大きなリスクを伴う。だからこそ、迅速に攻略しなくてはならないのだ。
トマムの山は、かつて広大なスキーリゾートが存在したそうだが、今はその施設を官軍が改築して、道東遠征の拠点としている。山を守るように、至る所に兵士の詰所が設置されていて、なかなか山頂の本部へたどり着けない堅牢な山陣となっているようだ。
俺はこのトマム攻略戦において、山の西側から回り込み、背後から山を襲撃する役割を担っている。もちろん俺の部隊だけではなく、サクの側近ユワレの部隊、そしてAIMの老将アイヒカンの部隊も一緒にだ。
アイヒカンとユワレは、ともに南富良野出身。このトマム近辺の雪山を知り尽くしている。彼らが一緒にいてくれることは、とても心強いことだ。
俺が考えることをやめ、櫓を降りようとした時、サクがハシゴを登ってやってきた。彼は俺を見つけると、強引に引き止めてくる。
「少し時間をもらうぞ。」
俺は頷いた。同じくサクと話したいことがあったからだ。
「お前が俺に時間をくれとは珍しいな。」
サクは、そっぽを向いてボソッ言う。
「紗宙のことだ。」
俺は、予想外の話題で呆気に取られる。
「紗宙?」
サクが冷静に言葉を発する。
「紗宙に告白しようか悩んでいる。」
きっと彼は、今朝の俺の態度を見て焦り、先手を打ったつもりなのあろう。その言葉を聞いた瞬間に、なぜだか自分の心のどこかで激しい焦りが生じたことに気づいた。
「いいんじゃないか?」
「お前、紗宙の幼馴染なんだろ。何か彼女の好きなものとか知らないか?」
「うーん、花とか化粧品とか肉料理とかも好きって言ってたな。それから綺麗な景色とかかな。」
「綺麗な景色か...。」
「まあ紗宙は優しいから、何あげても嫌な顔はしないと思うけど。」
「そうか、ありがとな。とっておきのプレゼントを思いついた。」
珍しく意気揚々としているサク。そんな彼に、今度はこちらから質問をぶつける。
「お前は、あの雪愛という女をどう思う?」
「変わったやつだが美しい女だ。俺のタイプではないけどな。」
「そんなことではない。あいつは何か隠しているんじゃないかとかそういうことだ。」
「ふむ、確かに最初は疑った。だが、あのくもりのないハキハキとした声と笑顔に偽りはなさそうだと俺は判断した。そして彼女の知っている官軍の情報は、俺がスパイを使って探った情報と一致している。嘘をついているようには思えん。だから俺は、彼女を信頼して採用したのだ。」
俺がまだ不安そうな表情をしていると、サクは意地悪く言う。
「北海道の地理に疎いお前に土地勘のある雪愛をつけてやったのだ。感謝してほしいものだ。」
俺は、彼の皮肉な言い方に軽く苛立ちつつも、これ以上言及することはなかった。
◇
サクは、少し1人になりたいからあっちへ行けと言ってきた。俺は、ムカつきつつも櫓を降りる。そして1人、砦内にある射撃演習場へと足を運んだ。すると、どうやら先着者がいるらしく、銃声が場内に響き渡っている。顔を出すと、そこには紗宙と灯恵、そして雪愛の姿があった。
俺は、タイミングを見計らいつつ声をかける。
「銃というものが、こんなに身近なものになるなんてな。」
こちらに気づいた灯恵が振り向いた。
「お、銃と言ったら蒼だね。」
何のことだかと思っていると、紗宙が声をかけてくる。
「射撃を雪愛に教わってた。」
俺は、楽しそうな彼女へ冗談混じりの言葉を返す。
「何だ、2人も前線で戦う気か?」
紗宙は、何を今更と言った顔でこちらを見てくる。
「だって次のトマム攻略戦。灯恵は先生と本陣に残るけど、私は蒼と一緒に前線に立つでしょ。」
「そうだった。すっかり忘れてた。」
「山寺で一緒に訓練受けたけど、それ以降なかなか前線でる機会なかったから。いわゆるペーパー講習受けてたの。」
すると雪愛も会話に混じってくる。
「紗宙はセンスあるさ。だから心配しなくても大丈夫だよ!」
紗宙が少し照れている。
「そんなんじゃないけど。でも感覚は戻ってきたみたい。」
灯恵は、自慢げに雪愛のことを俺に話す。
「それにしても、雪愛は教えるの上手いんだよな。紗宙もすぐに感覚戻ったし。私もちょっとできるようになった。」
俺は微笑を浮かべた。
「前線に出る気満々だな。」
雪愛も灯恵を褒める。
「15歳なのによくやるよ。」
灯恵は、こんなの余裕だと強がっているが、内心褒められて上機嫌なことはなんとなくわかった。
そして、俺も灯恵の運動神経の良さは、目を見張るものがあると思っていたが、やはりみんなそれを感じているのだろう。血は繋がっていないとはいえ、さすが結夏の娘なだけある。
そんなことを考えていると、雪愛が無理強いをしてくる。
「蒼さんの腕前も見てみたいな!!」
「そんな上手くないぞ。」
「謙遜しないで、見せてください!」
結夏みたいな騒がしい女がもう1人増えたなと内心思い、嬉しさとめんどくささが入り混じる気分になったが、別に悪い気は一切しない。灯恵から拳銃を譲り受けると、遠く離れた的の中央に位置する、赤い小さな点に気持ちを集中させた。
その時、雪愛が要らぬ煽りを入れてくる。北海道の女はデリカシーがない奴が多いと、昔とあるドラマのワンシーンを見てから思い続けていた。彼女は、それを具現化したような会話を時たま挟んだ。そういうデリカシーのない煽りをされると、昔の嫌な思い出が頭をぐるりと駆け巡る。するとなぜか、殺したいほど嫌いだった会社のゴミクソ上司や、カスみてえな同期と後輩の顔が脳裏に浮かんだ。その瞬間、頭の中が真っ白になり、思い切り引き金を握り絞めたのである。
銃弾は、一直線に的の中央を貫いただけでなく、その衝撃で的自体をも粉砕。俺は、エネルギーを使い果たしたかのように肩の力が降りて、呆然と壊れた的を見つめていた。紗宙と灯恵は、流石だと言って大いに持てはやしてくれる。しかし雪愛だけは、なぜか据わった目でこちらを見つめつつ、まるで独り言のように呟いた。
「人殺しの顔。まるで、黒の系譜を見ているようだわ...。」
その言葉だけが強く頭を貫いた。
『黒の系譜』
あの女が言っていた言葉と一緒だ。一体何なのだろうか。俺はとっさに、雪愛にそのことを聞こうとしたが、タイミング悪くトマムへの出陣合図が砦に鳴り響いた。
雪愛は最後に笑顔で、
「蒼さんさすがですね!一緒に戦えるのほんと楽しみです!一足先に行きますね!」
とか言って、逃げるようにその場を後にした。
まだ心に衝撃が残り、放心状態だ。そんな俺に、紗宙が声をかける。
「蒼、大丈夫?」
俺は我に返り、大丈夫だと答えると、2人とともに訓練所を出ようとした。すると、灯恵が俺にささやいた。
「雪愛ってさ、只者じゃあないよな。」
その鋭い15歳の勘に感心してしまった。灯恵も気づいているのだ。雪愛の中に潜むただならぬ何かに。しかし俺たちは、まだそれが何なのか、そもそも彼女が一体何者なのか知る由はなかった。
◇
AIM軍は工作部隊の先行で、未開の雪山を悠々と進撃。敵のトマム基地の真正面に位置する、山間部にあるトマム学校を占領。そこを本陣として、トマム基地および南富良野町を攻略することを決定した。
俺は、雪愛に言われた一言が頭に残り、中々眠りにつけなかったが何とか体調を整える。そして翌日、総勢100人の部下を従え、ユワレ、アイヒカンとともに軍の前線に立った。俺の後ろには紗宙、典一、それから雪愛の姿もあった。
(第三十五幕.完)