第四十八幕!二人の刃
文字数 14,373文字
神威が手を止めて周囲を見渡した。
「何事だ!!!」
血相を変えた寿言が部屋へと入ってきた。
「兄貴!侵入者だ!」
「AIMの連中か??」
「わからねえ!けどそれ以外考えられない!」
神威は、床を思いきり踏みつけた。
「クソが!これからが本番だって時に!」
「黒髪ロン毛の人相悪い男、ホストみたいな髪型の金髪野郎、坊主頭のごつい奴!AIMの特殊部隊かなんかかな?」
その特徴を聞いた時、神威の表情に不敵な笑みが浮かぶ。
「まさかここまで来るとは...。」
「なんか心当たりあるの?」
「小伏竜どもだ。」
「な、何だって!!」
「捕らえて俺の前に引きずり出せ。」
「おう!任せといて!」
彼は部屋を飛び出していった。
結夏は、カネスケたちが来てくれたと聞いて、顔色が思わず明るくなる。そんな結夏を見た神威は、彼女を引きずり起こし再び抱き寄せる。
そして耳元で囁いた。
「あいつらの前で辱めてやるよ。そして、小伏竜をお前の目の前で殺してやる。」
結夏は再び顔色を失った。なぜなら、神威の恐ろしさを北見の街、そしてこの紋別で見せられている。つい半年前まで、一介のサラリーマンであったカネスケや蒼が、果たしてこの歴戦の武闘派集団に勝てるのだろうか。
助けに来てくれて本当に嬉しかった。だけど、そのせいで3人が殺されるかもしれない。信じなければいけないのに不安に飲み込まれそうな自分がいた。
そんな中で神威が接吻をしてくる。彼女は、口を閉じて彼の強引な責めに抵抗した。
屋敷のどこかでは、激しい銃撃音と騎兵隊員の怒号が響く。そしてかすかにではあったが、聞き馴染みのある3人の声も聞こえる。あまりにも戦慄した状況に身を置かされてきたからだろうか。彼らの声が凄く懐かしく温かかった。その声は、俺たちのことを信じろと言っているような気がした。結夏は再び思いを固めると、神威の責めから身を守り抜こうと意地でも抵抗した。
あと少しだ。そう思った時、背中に何か鋭く細いものが刺さり、何か良からぬものが身体に流れ込んだ。全身が熱くなって力が抜けていく。まるで、命綱が切れて暗闇へ真っ逆さまに転落していくようだ。
光は遠のき、彼女は闇に包まれた。
◇
あの後、偶然出くわした住民に尋問をかけ、ようやく辿り着いた御堂尾邸。侵入するとそこそこの数の騎兵隊員が待ち構えていた。奴らは、相当な強者揃いで獰猛な戦士達だ。俺やカネスケが殴り合いで叶う筈もない。
そこで俺は考えた。典一が彼らを抑え込み、俺とカネスケが銃でとどめを刺していくフォーメーションだ。
これは見事に功を奏し、典一が元格闘家としての力を存分に発揮。彼に気を取られている敵は、いとも簡単に隙を見せる。そして、俺とカネスケの手によって撃ち殺された。
長廊下を進んでいると、奥の方から典一と同じくらい堅いの良いデブと数人の騎兵隊員が現れた。
デブは、配下の兵士に怒号をぶつける。
「おめえら、このゴミ3人を捕縛するんだ!」
騎兵隊員は、一斉に腰に刺していた警棒を抜いて襲いかかってきた。敵の何人かはスタンガンを持っていて、隙をついて動きを封じるつもりだろう。
典一は、スタンガンを意識しながら警棒隊に応戦する。俺とカネスケは、こちらへ向かってくる警棒隊に注意を払いながらも、スタンガン部隊を射殺していった。
1人倒しても湧くように出てくる敵。早くしなければ、結夏が何をされるかわからない。それに敵のボスが身を隠してしまう可能性だって考えられる。だが、敵はしぶとくてなかなか前へと進めない。
俺たちがなんとか抵抗していると、指示役であるデブがこちらへ向かってくる。奴は、腰に刺していたサーベルを抜いた。
狂気が迫り来る中で、典一がこちらを振り向く。
「リーダー、俺は1人で大丈夫です。カネスケとともに、そのデブをやっつけてください!」
「わかった!絶対に死ぬなよ!」
彼は、敵の1人を殴り殺すと俺の方を見てニッコリ笑った。すると、デブがサーベルで典一の腕を切り落とそうとしている。
俺は、デブの顔面目掛けて銃をぶっ放つ。デブはそれを際どくかわしたが、もう1発銃弾を放つと彼の肩に命中。デブが後退りをする。
「邪魔だデブ!道を開けろ!」
デブは、表情を曇らせている。
「デブって言ったな...。」
それから体勢を立て直し、こちらへ向かってサーベルを振り回してきた。俺は、銃を構えて狙いを定める。近づけば近づくほど的は大きくなり、ここぞとばかりに彼の顔面目掛けて銃弾を放つ。
しかし、それは顔面ではなく防弾チョッキに命中。弾が跳ね除けられ全く意味をなさない。勢い任せに突撃したが、殺意を纏った敵に突っ込んでこられるのはやはり怖いものだ。それで手元が狂ってしまった。
彼のサーベルが俺の腕に振り下ろされる。俺は、咄嗟に銃を引っ込めて交わす。たった一瞬の判断が、大惨事を生む世界である。前蹴りでデブとの距離を取ろうとするが、異常なまでの体重に圧倒され、押し倒されるように跳ね飛ばされた。
結果的に距離は取れたが、跳ね飛ばされて壁に頭を強打。意識が朦朧とする中で、デブは容赦なく迫ってくる。
「俺はデブじゃねえ!この紋別の支配者、紋別騎兵隊の御堂尾神威の弟、御堂尾寿言だ!!」
寿言がサーベルを振り回す。このままではまずい。すると、寿言の後ろから鈍い音が聞こえる。彼は、呻き声を上げながら頭を押さえている。そして、背後から誰かに蹴っ飛ばされてその場に倒れ込んだ。
その蹴っ飛ばした正体はカネスケだ。彼は警棒を構えると言い放った。
「どうだデブ!これが俺たちのコンビネーションだ!」
その言葉を聞いた時、俺は大学時代のことを思い出した。
◇
陰キャラだった俺とカネスケは、よく学生街にあるゲーセンへ遊びに行ったものだ。
その頃、俺はゲームが壊滅的に弱く、他のプレイヤーとオンライン対戦するといつも負けるのが定番。対戦相手や観戦していたキモオタからバカにされていた。
そんな時、ダブルバトルの対戦でカネスケとタッグを組むといつも勝利を収めていた。 カネスケは、ゲームに勝つと毎回チャットにこうメッセージするのである。
『ザコが!これが俺たちのコンビネーションだ!』
こう言う時、俺は毎回思うのだ。カネスケは、俺を使うのが上手いのだろうと。なぜなら、俺が囮となって敵を引きつけ、合図をするとカネスケが出てきて敵の背後を襲うという作戦が多かったからだ。
しかし、この事を彼に話すと、彼はいつもこう言うのである。
『お前の演技と、合図を出すタイミングの絶妙なセンスがなくては俺は生かされない。だからお前が俺を上手く利用してるんだよ。』
結局いつも、相性が良かったということで話は終わる。 しかし俺は、何もできない自分を毎回責めていた。
そのゲーセンは、俺が癇癪を起こしてキモオタにコーラをぶちまけたことで出禁になってしまった。 まあそんな結末は置いておき、あのコンビネーションを発揮できたのは、カネスケのおかげだ。
そう俺は、今でも思い続けている。
◇
感傷に浸っている場合ではなかった。鈍い銃声が響き渡り、カネスケの脇腹が赤く染まる。寿言の片手には、いつの間にか拳銃が握られていた。
拳銃は、ようやく出番が来たと言わんばかりに自慢げに銃口から煙を漂わせていた。
「兄貴に殺すなって言われたからサーベルで痛めつけるつもりだったけど、瀕死に追い込むくらい良いよねぇ。」
カネスケが脇腹を抑え膝をつく。どうやら、弾はかすっただけのようだが非常に痛そうだ。
寿言がカネスケに向かって発砲を繰り返す。彼は奇跡的にそれらを躱していた。しかし、ついに1発が肩に命中。肩を押さえながら警棒を握りしめる。
親友のピンチ。そんな時に俺は何をしていたのかというと、カネスケに気を取られている寿言の足元にまで忍び寄っていた。
寿言の足は、鋼鉄の装甲で固められていて射撃しても弾がはじき返されてしまう。 だが、装甲の接続部分はどうやら手薄のようである。だから、狙い撃ちが難しいその部分を破壊する為に、彼の背後から足元まで忍び寄ったのだ。カネスケという囮を使って。
ポケットからダガーを取り出す。そして、装甲の接続部分へ勢いよく突き刺した。寿言が悲鳴を上げて足を抱えると咄嗟に彼の足から離れる。
怒り狂った寿言は、俺の方へ銃口を向け勢いよく引き金を引いた。弾は俺の腹部に命中したが、防弾チョッキを着ていたので命に別状はない。
彼は、恐れおののく俺に向かって、また銃を撃とうとしてくる。俺の体勢は崩れていて、次の一発で下手すれば死ぬだろう。だけども死ぬ気は一切ない。なぜなら、これも作戦の内だからだ。
寿言の真後ろに目を向ける。するといつの間にか、カネスケが立っていた。寿言が俺を殺すことに集中しているから、彼は寿言が気がつく前に、騎兵隊員から奪い取ったスタンガンを彼に突きかざしたのだ。電流が全身を駆け抜け、気持ち悪い声をあげながら巨大な肉の塊は地面に崩れ落ちた。
俺はすかさず立ち上がると、彼が動けないうちに両足を射撃。足を粉砕された寿言は、もう動くことができない。
それから俺とカネスケは、彼の身ぐるみを剥がして、サーベルと拳銃、それから隠し持っていた武器を全て奪い取った。そして俺は、容赦無く彼の両腕を射撃。完全に動きを封じ込めたのである。
苦しそうな声を上げる寿言。カネスケが彼に尋ねる。
「結夏はどこだ???」
寿言は、苦し間際に笑みを浮かべた。
「誰が言うかよ。」
強がる寿言。俺は、銃のグリップを思い切り彼の手の指に振り下ろす。
「ううぉああああ!!!」
また彼が悲鳴を上げる。俺は、さらに彼の口をぶん殴った。
「黙って言うこと聞けねえのか!?」
寿言は口をひん曲げる。
「クソ、舐めやがって。あの女は、既に兄貴の子供でも孕んでるかもな。」
カネスケの顔が青ざめた。俺は、そんなカネスケに言う。
「ダイエットもろくにできないバカの戯言に耳を傾けるな。結夏ならきっと上手く切り抜けてるはずだ。」
カネスケは、俺の言葉を聞いて頷いた。
「悪い、少し動揺しちまった。」
俺は、彼に一括入れる。
「結夏を信じろ!!」
カネスケの顔色は徐々に戻る。
「わかってるさ。結夏は、こんな奴らに負けねえ。そして俺は、絶対に彼女を助け出してやる!」
俺は、カネスケの背中を押した。
「なら早く行け!結夏が堕ちる前に!」
「蒼は行かないのか?」
俺は、冷めた目で寿言を見下す。
「このデブと話をつけてから追いかける。 」
カネスケは、心配そうな顔をする。
「あんまりやりすぎるなよ。」
そして彼は、屋敷の奥へと向かっていった。典一も激しい抗争の中でどこかへと行ってしまう。廊下に取り残されたのは、俺と床に横たわるダルマのような寿言だけである。
「あの男、死んだな。」
俺は、床に横たわるデブを睨みつけた。
「あいつは死なない。」
「なぜそう言い切れる。」
「根拠なんてない。俺の親友だからだ。」
寿言は、バカにしたように鼻で笑う。
「いい歳こいて、気持ち悪いこと言うぜ。」
俺は、有無を言わさず彼の頭を蹴り飛ばした。
「雑談はもういい。紗宙とサクの居場所を吐け。」
寿言がもがき苦しみながら抵抗している。
「知らねえよ。」
彼が負けを認めようとしない。俺は苛立ち、寿言の顔がブロッコリーみたいになるまで殴り続けた。それから、彼の顔面に銃を向ける。
あまりの暴力性に、さすがの寿言も恐れおののいていた。俺は、更に寿言の首を踏みつける。
「もうお前は、自分の舌を噛み千切る力すら残っていないだろ。このまま破壊されるのが嫌なら吐け。」
「こ、こんな常軌を逸してる奴。兄貴とお前くらいだ。」
「ゴミと一緒にするな。」
「わ、わかった。命だけでも見逃してくれるなら話す。」
俺は、拳銃を彼の額に押しつける。
「つべこべうるさい!必要なことだけ言え!」
彼がいじけたような顔でこちらを見上げる。
「きっと処刑場にいる。だが、もう手遅れかもな。」
そして、うすら笑みを浮かべるのであった。俺は怒りに任せて叫んだ。
「クソが!!!!!」
そして、銃の引き金に手をかける。寿言が慌てて叫ぶ。
「約束が違うぞ!!」
必死に抗議してくる彼に対して、淡々と判決を言い渡す。
「お前ら兄弟は、自分らを神と称して人々から生きる権利を奪った。」
「だからなんだ!雑魚は強者に支配されて当然だ!」
「ならば、今の強者はお前ではない。この意味はわかるな?」
寿言が問いに答えない。俺は、じっくりと言い聞かせるように伝える。
「俺は、お前から生きる権利を剥奪する。」
寿言がすがるように懇願してきた。
「辞めてくれ!死にたくない!俺はまだ生きたい!」
そのあと廊下に響き渡った音は、たった一発の冷たい銃声だけだ。俺は、死体に唾を吐きつけると、カネスケを追いかけて奥の部屋へと向かった。
◇
誰もいなくなった廊下に、1人の男がやってくる。彼は、残虐な男を残虐に殺す男のことを残虐な目をして見物していた。そして舌なめずりをしながら、蒼のことを目で追った。
この男、甚平はボヤく。
「見つけたぞ。北生蒼。」
甚平は、狂気に満ちた無表情を崩さず、俺の向かった方へと歩み出す。
◇
『私は松前将軍の考えに賛同しました。』
こんな内容の書状が先生の元へ届いた。夜が深くなっていく頃だ。先生は、扇子を仰ぎながら書状と向き合う。
『北海道の平和のため、サクの命のため、戦争で犠牲になった人々のためにも、一刻も早く白旗を上げて無条件降伏をしてください。』
先生は考えた。確かに紗宙が言いそうなことではあるが、果たして本心で書いているのであろうか。まあそれが本心であれ、戦いを辞める気はないのだが...。
書状を確認してからアイトゥレを誘い、急ぎイソンノアシの陣まで足を運んだ。
イソンノアシは、陣の中で従者と将棋を打ちながら、網走監獄の降伏を待ちわびていた。一見冷静に見える彼ではあるがその表情は険しく、サクのことがよほど心配なのだろう。
先生は、彼の前に姿を現す。
「先程、紋別から書状が届きました。」
「どんな内容じゃ?」
「無条件降伏せよと申しております。」
イソンノアシは、その馬鹿にしているかのような内容に怒りをあらわにした。
「なんじゃと!AIMを舐めているのか!」
先生が冷静に彼を見る。
「しかし、降伏せねばサクは殺されます。」
イソンノアシは、我に返ったよう黙りこむ。彼にとって、1人息子のサクは命と同じくらい大事な存在である。
「何を悩んでおられます。答えは1つでしょう。」
「降伏せよと言っているのか?」
「いえ、降伏は絶対にあり得ないと申しております。」
「サクを見捨てろと言うか!」
すると先生は、素っ気なく言い放つ。
「ええ、そう申しております。ここまで戦ってきた皆の思いをサク1人の為に踏みにじるわけにはいきません。」
イソンノアシは、なんとも言えない顔をしていた。
「その気持ちはわかる。しかし、サクは一人息子。そう簡単に決断はできん。」
迷う彼に先生が詰め寄る。
「彼らは待ってくれません。今、ご決断をお願いします。」
イソンノアシが恨むように先生を見る。
先生は毅然として態度を変えず、イソンノアシの目を真っ直ぐ見ていた。
「真、何か策はないのか。サクを助け、なおかつ札幌官軍に降伏せずに済む方法。」
先生は、彼のその言葉を待っていた。
「ありますよ。良い策が。」
「先にそれを言ってくれ!」
「網走を包囲している兵士の8割とアイトゥレ将軍を私にお預けください。」
イソンノアシは、目を見開いた。
「なんだと!網走包囲網はどうするのだ?」
「残りの兵でやってもらいます。」
「相手は軍隊。泥棒を包囲するのとはわけが違うのだぞ?」
「2万入れば充分です。敵の監獄兵は先の戦で疲弊しております。それにどうやら、札幌官軍の中に私の存在が噂になってるとのこと。罠にかけられることを恐れ、動きは慎重になるはずです。」
「なるほど。しかし8万の軍勢とアイトゥレで何をするのじゃ?」
「奴らの切り札、紋別騎兵隊を叩き潰します。」
「なんと、騎兵隊を潰すか。それは我軍にとっては素晴らしい功績ではある。じゃが、戦闘を続ければサクが殺されるのではないか?」
「サクのもとには、私の信頼するリーダーとその仲間を派遣しております。彼らが活動しやすい状況を作ることこそ、サクの命を救うことにつながるのです。」
イソンノアシは、申し訳なさそうに小声で話す。
「大変失礼な話だが、北生殿は戦闘に関して素人だ。そんな人間を信頼して戦えというのか?」
「ええ、そうです。彼は、目的の為になら貪欲なまでに行動する男。きっとサクを助け出してくれるでしょう。」
「彼とサクは、仲が悪い。そこまでしてくれるか?」
「サクと一緒に紗宙も捕虜になっております。彼女を助けるためなら、彼は死をも厭いません。」
イソンノアシは、今までの蒼の戦いぶりやエピソードを思い出す。
「わかった。北生殿を信じるとしよう。」
「ありがたきお言葉でございます。」
「網走包囲に関してはワシが全てなんとかする。じゃがな、あの日本最恐の騎兵隊との戦いに勝算はあるのか?」
先生は扇子で顔を仰ぎながら言う。
「勝つことしか考えてません。」
その余裕のある自信に満ちた顔に、イソンノアシも納得する以外なかった。
イソンノアシと話をつけてから、先生とアイトゥレはすぐさま陣を出て兵を整える。それから夜陰に紛れ、音を立てないように静かに網走を出発した。
そして2人に率いられた8万の軍勢は、静かに決戦の地へ向かい進み始める。
◇
結夏は、生暖かく全身がまるでとろけるような感覚に覆われていた。力という力が抜け、まるで人格とか、思考とか、意志とか、気持ちとか、そんなものが奪われていくような。そう、脳が飴玉のごとく溶かされていく感じだ。
彼女は、神威という邪神に身も心もされるがままになってしまった。拒絶したいのに抵抗できない。これが、彼の言っていた媚薬という名の麻薬の効力なのだろうか。自分でも状況がよくわからない。きっとラリってしまっているのだろう。耳には神威の声しか入ってこない。気持ち悪いはずなのに心地が良い。あんなに好きだった直江鐘ノ介との記憶も頭の片隅に追い払われていた。
結夏は、神威によってベッドに押し倒され、そこに神威の温もりが覆いかぶさる。ここまでくると、もうどうなっても良いと思わざるを得ない。
神威が彼女の首を絞めた。ケラケラと、悪魔のような引き笑いをしている。だんだん呼吸が苦しくなってきた時、彼の刀が目に入ってくる。
その時に本能というか本心が頭に過り、目の前を光が多う。過剰摂取させられた薬物によって、幻覚でも見ているのだろうか。今まで生きてきた過去、華々しい思い出、辛いこと、革命団での思い出。そしてカネスケとの記憶が、まるで目の前で起きているかのごとく鮮明に映し出された。
結夏の目から再び涙がこぼれ出す。もしかしたら、無意識の中で理性を取り戻そうと必死でもがいていたのかもしれない。その結果がこの幻覚なのだろうか。
恐怖とヤバい薬のせいで、何もできずただ神威の思うがままにされる。それをいいことに、神威は無理やり様々なことを繰り返した。
彼女の心身がボロボロになり倒れ込むと、とどめを刺すかのように彼が鞘を抜いた。神威は、どこか悔しそうな顔をする彼女を残忍な支配者の目で嘲笑う。そして彼は、鞘を抜いた自らの日本刀を彼女へ突き刺そうとする。
彼女は、一瞬だけ理性が戻ってくる。
「いや!やめて!!!」
神威がゲラゲラ笑っている。そして、彼の日本刀が少しずつ接近する。結夏の心から、今までの記憶が消されつつあった。
その時、部屋の扉が勢いよく開く。神威の動きが止まった。結夏は状況がわからず、重い首を傾けて扉の方を見た。
すると、そこにはカネスケが立っていた。
彼は、鬼のような形相で神威を見る。
「俺の女から離れろ!!」
神威の口角が不気味に上がる。そして気持ち悪い笑みを浮かべて高らかに笑った。
「本当にここまでくるとは思わなかったぜ。」
神威は、すかさず腰に差していた短刀を抜くと結夏の心臓に押し付けた。
結夏の顔から血の気が引く。
「小伏竜。お前が少しでも余計なことをすれば、こいつの命はない。」
カネスケは、仕方なく拳銃と警棒を捨てた。すると神威が指笛を吹く。カネスケの後ろから、隠れていた騎兵隊の兵士が2人が出てきて彼を取り押さえる。彼は、結夏を人質に取られてしまったので何もできない。騎兵隊の兵士は、床に落ちた警棒と拳銃を奪い取った。カネスケが反撃できなくなると、神威は結夏から短刀を遠ざけて立ち上がり、ズボンを履きながら戦いの体勢を整えた。
そして結夏の顎を手で撫でる。
「この男が苦しむ姿をそこで見ているといい。」
神威は、武器を短刀から鉄の棒に持ち替える。その棒には鋭い凹凸が付いていて、殴られたらひとたまりもないだろう。
彼がカネスケに近づいていく。
「命乞いをするなら今のうちだぜ。」
カネスケは、1ミリたりとも後退りせず、堂々とした姿勢を崩さない。
「俺は負けない。」
神威は、そんな強気のカネスケに苛立ちを覚え、間髪を入れずに彼の顔面をその棒でフルスイングした。彼は、大量の血を流しながらその場に倒れこんだ。神威と騎兵隊の兵士は、彼に激しい暴行を加え続ける。
カネスケは、全身がアザと血で覆われた。
神威が振り返り結夏を見下ろす。
「これでクライマックスだ。」
「辞めて!私は愛人にでもなんでもなるから、カネちゃんを殺さないで!」
神威が気持ち悪い笑みを浮かべる。それからカネスケに言う。
「ついにお前は愛想つかされたな。これが実力の違いだ。」
彼が鉄の棒を掲げるとカネスケを見下した。カネスケは、どんなにボコボコにされても神威に泣きつくような真似だけはしない。
「お前は、恐怖に頼らなくちゃ、女1人振り向かせられねえんだな。」
それを聞くと、神威の顔色がみるみると曇っていく。
「殺してやるよ。」
神威が持っていた棒をカネスケの首めがけて思い切り振り下ろす。カネスケは、それでも瞬き一つすることなく神威を睨み続ける。
結夏が叫ぶ。カネスケは、それでも表情一つ変えずに恐怖に飲まれることはなかった。彼は心のどこかで信じていたのだろう。次の瞬間、奇跡が起こることを。
◇
激しい音が鳴り響いた。結夏の頭の中が真っ白になる。カネスケは、静かに瞼を閉じる。そしてポツリと言葉を発した。
「これが、俺たちのコンビネーションだ。」
神威の指が鉛玉によって吹っ飛び、鉄の棒も血しぶきとともにどこかへ消えた。神威が苦痛の声をあげながら後ろを振り返る。騎兵隊兵士2人も合わせて同じ方向を向いた。しかし、1人は頭、もう1人は首を撃ち抜かれてその場に散り、汚い血液が横たわっていたカネスケを汚した。
手元の銃口は、なんとか間に合ったとばかりに安堵のため息のような煙を吹いている。
俺は、神威へ殺意の形相を向けた。
「死ぬのはてめえだ!!」
神威が苦し紛れに笑う。
「それで勝ったつもりか?」
俺は、容赦なく彼の頭を目掛けて弾丸を撃つ。だが、神威はそれを払いのけ、指が健在の方の手にメリケンを付けた。そして、襲いかかってくる。
引きつけつつ狙い打ちを続けたが、奴の着ている防具には全く持って効き目がない。あっという間に距離を詰められる。
俺は、拳銃を床に置き、股を潜らせるようにカネスケめがけて滑らせる。今までにこんな連携プレーなどしたことがない。昔見た映画のワンシーンが咄嗟に頭に浮かんだだけだ。現に、拳銃がカネスケの手に渡ったところまで見ている余裕もなかった。
神威の拳が俺の顔面にめり込む。強烈な痛みが顔を焼き尽くし、そのまま吹っ飛ばされた。彼の腕力は計り知れず、一歩間違えたら死んでいただろう。運良く骨は砕かれなかったが、頭がおかしくなるほど痛かった。数メートル床を転がったが、典一との訓練の成果もあり、すぐさま戦闘態勢に立ち直ることができた。
神威がすぐに後ろを振り向く。そして、立ち上がろうとするカネスケに向かって飛び蹴りをする。
カネスケは、その俊敏な動きに間に合うはずもなく、彼の蹴りをもろに食らって壁に衝突。叩きつけられた衝撃で、壁の絵画が落下してその下敷きとなる。
神威が彼に近づく。カネスケは、急いで絵画を押しのけて立ち上がる。そんな不安定な彼に対して、神威が殴りかかった。カネスケも負けじとそれに応戦。アウトロー出身の凶悪な軍人と陰キャラ上がり社会人デビューの陽キャラのあまりにも一方的な打撃戦が展開。
カネスケはボロボロだ。時たま骨が砕けるような音も聞こえた。彼はやられてばかりで、反撃しようにも手が出せない。その隙をつき、俺は神威の背後から短刀で襲いかかる。しかし、神威の後ろ蹴りによって再び押し返されてれてしまう。
奴には背後にも目があるのだろうか。強すぎて近づけない。それに蹴りが腹にクリンヒットしたので、しばらく動けなくなった。
それからも、神威、カネスケの殴り合いは続いた。しかし、俺はこの辺りであることに気がつく。神威は指の無い拳を酷使しているからなのか、動きが鈍くなり攻撃に惰性と隙が見え隠れしているような気がした。
そしてついに、その時はやってくる。指の無い拳が繰り出された時、カネスケが持てる限りの力でそれを交わす。神威の拳は壁に衝突して砕け散る。彼は怒号をあげながら唸った。
倒れこんだカネスケは、すかさず背中に隠し持っていた銃を抜く。その銃は、さっき俺が床を滑らせて彼に託した物だった。
そして、神威が着ている騎兵隊防具のつなぎめを目がけて引き金を引く。最後の一発であった。鉛の弾は神威の肩を貫き、指を失った方の片腕はどこかへと消え去った。
神威が肩を抑えながら膠着する。カネスケは、すかさず横たわる兵士の死体から警棒を奪い取ると、神威の顔面を叩き割るかの如くぶん殴って討ち倒した。
神威がよろめくように倒れ込み、壁にぐったりもたれこむとそのまま動かなくなった。きっと死んだのだろうか。室内を一気に静寂が包み込んだ。
俺は、安堵のあまりにその場で座り込んでしまった。
「俺たち、騎兵隊に勝てたんだ...。」
するとボロボロのカネスケは、掠れた声でつよがった。
「俺たちコンビが負けるわけねえよ。」
「脆い素人の刃も、二つ合わせれば最強の刃となるのだな。」
「わかりきってること言わないの。」
カネスケがニッコリ笑う。俺もつられて笑みがこぼれた。結夏は、そんな2人を見つめながら、静かに微笑んだ。
◇
カネスケは、すぐに結夏の元へと向かう。全身傷だらけで今にも死にそうなのが目に見えてわかるのに、彼女の前では相変わらず強がっていたいのだろうか。足を引きずりながらも、辛そうな表情を一切顔に出さなかった。
カネスケが目の前に座り込むと、結夏はズタボロの彼に言った。
「来るの遅い!あと少し遅かったら私...。」
カネスケは、目を充血させながら我慢していた感情を漏らす彼女を優しく腕に包み込んだ。
「ごめん。怖い思いさせて。」
結夏は、カネスケの腕の中で泣いていた。よほど神威が怖かったのだろう。そして、カネスケが助けに来てくれたことが、本当に嬉しかったのだろう。普段は気が強くて勝気な彼女が、凄く小さく見える。
カネスケは、神威につけられた汚れを拭い取るかのように、彼女を撫でている。よくもまあこんなところでイチャイチャできるな。俺がそう思っていた時、恐怖が再び蘇る。
死んだと思っていた神威が息を吹き返した。彼は、頭蓋骨が損傷して頭から血を垂れ流している。
「お前らだけは、絶対に許さねえ...。」
彼の声は、どこか無機質でまるで寝言のようだ。頭をかち割られておかしくなっているのだろうか。俺はカネスケから銃を奪い取る。
そして、すぐさま弾を詰め替えるとそれを神威に突きつけた。
「ゴキブリめ!さっさと死ね!」
神威が向けられた銃口を見て叫んだ。
「クソがああああああああああああああああああああああ!!!!!!」
結夏が再来した恐怖に怯える。カネスケは、彼女の前に出て手を広げて守ろうとする。俺は、すかさず引き金を引こうとした。
だがここで、全く予期せぬ展開が起こった。
俺の背後から、包丁を持った見知らぬ青年が急に襲いかかってきたのだ。
「僕の名前は甚兵!北生蒼、死ね!!!」
俺は、襲いくる刃を振り払う。
「騎兵隊か??」
甚平は、無表情のくせにベロをペロリと出す。
「君を殺して食べたいだけだよ!」
甚平が包丁を振り回す。反撃をしたいところだが、あまりの狂気に中々手を出せない。そうこうしている間に神威も立ち上がり、結夏とカネスケへゆっくりと近づく。
カネスケは、怯える結夏を庇いながら、警棒を両手で構えて立ち上がろうとする。しかしながら、先の戦いの影響で身体が思うように動かない。だが、片膝をつきながらも戦う姿勢も崩さない。
俺は、彼の加勢に向かいたかったが、甚平が容赦無く襲いかかってくる。
甚平は気が狂ったように叫ぶ。
「死ね死ね死ね死ね死ね!!」
俺は、数カ所刺されて動きが鈍る。少しのけぞったところで、手元に花瓶が置いてあることに気がついた。そして、無我夢中で刃物を振りかざす甚平の顔面にそれを投げつける。
花瓶は見事に甚平の顔面にヒット。割れた破片が顔中に突き刺さっている。しかし彼は、それでも怯むことなく迫ってくる。そんなしぶとい男に俺は苛立つ。
「どこの誰だか知らないが、俺の邪魔する奴は殺す!」
すると甚平が一層狂気じみていく。
「リンちゃんの一番のお気に入りは僕なんだ!!」
リンという名前を聞いた時、嫌な寒気に見舞われた。まさかと思い、俺は尋ねる。
「教団の関係者か??」
「あんな胡散臭い連中と一緒にしないで欲しいなあ。」
彼が包丁を俺の顔面目掛けて突き立てる。俺は、それを交わして彼の腹に拳をぶち込んだ。甚平がうずくまりながら仰け反る。それから俺は、咄嗟の回し蹴りで彼を吹っ飛ばした。
こういう時だからこそわかったことがある。それは、日々の訓練の大切さだ。山寺で修行をして以来、暇さえあれば典一や龍二と戦闘訓練を行っていた。その成果が存分に発揮されてきたのだろう。
だが、甚平はすぐに立ち上がる。そして包丁を放棄すると、背中から首を切りおとせそうな斧を抜き、両腕でそれを握り混むと振り回しながら迫ってくる。
きっとあれに当たれば、腕も首も一振りで消えていくだろう。しかし、あれを受け止められるような武器もガードも所持していない。殺されるかもしれない。そんなことが頭によぎる。
カネスケも神威との距離が縮まっている。2人してやばい状況だ。
しかし、天は俺たちを見捨てていなかった。外から典一が入ってきて、すかさず甚平を蹴り飛ばす。甚平が吹っ飛ばされて壁に衝突。その衝撃で壁が崩れ堕ちた。
典一の凄まじいパワーに、その場にいた全員が驚愕していた。もちろん神威も含めて。
「リーダー!お待たせしやした!!」
典一は、全身傷だらけであったが、そんなこと微塵も感じさせない。
「よく来てくれた!助かったぞ!」
「リーダーあるところに典一有りですぜ!」
甚平が立ち上がり、再び俺の方へ襲いかかってくる。典一は、彼を抑え込むべく殴りかかり、甚平の両腕を掴み捻る。
甚平は悲鳴をあげるが諦めてはいない。典一の意識が腕へ向いている隙に、鉄板を仕込んでいた靴で思い切り脛を蹴り飛ばす。そして、怯んだ時を見計らい腕を払いのけ、武器を包丁に持ち替えると、典一を滅多刺しにして血祭りにあげた。だが流石の典一である。出血多量で死にそうなのにも関わらず、それまで以上に激しい打撃を甚平に加えた。甚平は、身体中の骨が折られ、顔もわたあめの如く膨れ上がっている。
典一は、拳を思いっきり引いて彼の顔面に正拳突きを決め込もうとした。だが甚平も相当他人とやり合ってきたのであろう。典一の攻撃が止んだ一瞬を見逃さなかった。包丁で彼の顔面を切りつける。典一は避けようとしたが間に合わず、額に切り傷を追うことになった。
甚平は、彼が頭を押さえている間にその場を逃走。俺は、銃を片手に彼を追撃しようと考えたが、逃げ足が速くて追いつけそうにもなかった。
カネスケと結夏も、2人の抗争に意識が向いてしまい神威から目をそらしてしまった。その隙をついて神威も館から逃亡。
こうして敵を取り逃がしてしまったが、俺たちは結夏を助け出すことに成功したのだ。
◇
俺と典一は、奴らの気配が消えた途端、身体の力が抜け落ちるかの如くその場に尻餅をついた。
カネスケは、震える結夏を再び抱き込んで愛し合っている。
典一は、床に大の字に寝転がる。
「生き残れたことが、まるで夢のようですな。」
俺は、ポケットに仕込んでいた包帯を彼に投げた。
「早く止血しないと死ぬぞ。」
「包帯、感謝いたします。」
彼が早速応急措置を行う。大した効果もなさそうだが、やらないよりはマシだろう。
典一は、俺と並んで手先が不器用である。俺は、器用な紗宙によく止血や治療をしてもらっていたので、彼の不器用さがより際立ってわかった。
「神威はともかく、さっきの甚平とか言う男。狙いは俺だったようだ。」
「ヒドゥラ教団の刺客ですか?」
「わからん。だが、あいつはリンのことを知っている。」
「土龍金友と一緒にいたというあの女ですよね?」
「そうだ。詳しいことはわからないが、どうやら俺たちのことを嗅ぎ回っている連中がいることは明らかだ。この北海道でも、敵は官軍だけではないと言うことだ。」
「そのようですね。私もつい官軍に意識がいきすぎて、教団やその他のことに対して警戒が疎かでございました。」
「俺たちの戦いはまだ始まったばかりだ。一寸たりとも気を抜くなよ。」
典一が深々と頷いた。
神威や甚平との戦いで体力も気力も使い果たしていたが、まだ戦い続けなくてはいけない。
俺は、カネスケたちの方を見る。するとさっきまで熱いキスをしていた2人は、いつの間にか準備を整えていた。
結夏は、破かれた服の上にカネスケの着ていたコートを羽織っている。カネスケは、騎兵隊員の死体から服を追い剥ぎしてそれを着込んでいた。
結夏がら俺に頭を下げる。
「リーダー、心配かけてごめんなさい。」
「いいよ。無事で何よりだ。それよりも、カネスケと一緒にここで休んでな。」
「いや、私も行く。」
するとカネスケも言う。
「結夏がそう言ってんだ。4人で力合わせて紗宙とサクを助け出そうぜ!」
「お前戦えるのか?」
カネスケは、ボコボコにされて引きつった顔に笑みを浮かべる。
「それはお互い様だ。俺も戦うぜ。」
俺は、彼のアグレッシブな精神を呆れたような顔で見ていた。
「死に急ぐなよ。」
重傷にも関わらず、そう言ってくれたことは凄く心強かった。会話を聞いていた典一が話に入る。
「リーダー、さっき隣の部屋でこんな物を見つけました。」
彼の手に握られていた一枚の紙。それは、この紋別のマップであった。それによると2人がいるであろう処刑場は、ここからさほど遠くはなかった。
「でかしたぞ、典一!!」
こうして俺は、3人を引き連れて館を出る。外は、相変わらず雪がしんしんと降り注いでいた。俺たちは、足場の悪い雪道をひた走り、2人の待つ場所へ向かっていく。
(第四十八幕.完)