第四十一幕!裏の裏の更に裏
文字数 11,080文字
AIM軍4万、官軍5万。官軍の方が数では上回っているが、実力はほぼ互角と言ったところだろうか。両軍は、昨晩からにらみ合いを続けていて、合図があればすぐにでも戦いを始められる状況下にあった。
カネスケは、作戦の確認をするために、早朝からアイトゥレの本陣へ足を運んだ。陣に到着すると、湖の対岸を双眼鏡で観察しているアイトゥレの姿があった。彼はコーヒーを焚きながら、無言で作業を続けている。
「徹夜で観察ですか?」
その一言にびっくりしたのか、彼は動揺しながら答える。
「お、おおカネスケか。大丈夫だ徹夜ではない。」
「どうやら官軍はまだ動きそうにないですね。」
「うむ。恐らくは、首長率いるAIM本軍の動きも警戒して、我々と迂闊に戦闘できないのだろうな。」
カネスケは、アイトゥレから許可をもらいマグカップを譲り受けると、そこに炊きたてのコーヒーを注いで飲んだ。
「そのようですね。蒼曰く、明日の昼前には本軍も北見へ突入するとのことです。そのタイミングで、こちらも仕掛けてはいかがですか?」
「そうだな。奴らも混乱して指揮が乱れるだろう。しかし、官軍の本陣は見晴らしの良い美幌峠の上。そして、その周囲には雪に覆われた森が立ちはだかっておる。」
「津別町へ移動しましょう。」
「峠をスルーしてそっちから美幌町へ出るのか?背後を突かれるぞ。」
「いいや、おびき出すんですよ。我々はゆっくりと進軍して敵の出方を観察する。そんで、上手く低地に誘い出して決戦を挑みます。」
「なるほど。 しかし官軍の実力を舐めたらいかん、奴らは決して弱くはない。万全の体制で臨まないと痛い目を見る。」
カネスケは、遠くに見える美幌峠を睨みつけた。
「そうですね。万全すぎる体制で臨みましょう。万全すぎる体制で...。」
彼は、作戦の全貌をアイトゥレに伝えると、マグカップを濯いでから自分の陣へ戻った。
◇
美幌峠の頂上からは、湖に浮かぶ中島と広大な冬の森、そして遠くに広がるAIMの陣が手に取るように見ることができた。大将の村中知九は、警戒を怠らずに見張りの兵にAIMの陣を監視させていた。
官軍にとって、この美幌峠を陥落させられると、網走から敵を遠ざけることが非常に困難となる。それに何と言ってもここが生き残れば、仮にAIM本軍が網走近辺まで進出した場合、紋別騎兵隊と南北からAIMを挟撃することも可能だ。
村中は緊迫した状況の中、落ち着いていられずに激しく貧乏ゆすりをしていた。そんな時、AIM軍が西へ進軍を開始したという一報が入り込んだ。彼は始めは耳を疑う。なぜなら、ここから西へ向かう道は、軍が進むには大変困難な旧588という古い間道しかない。まさかAIMは、そこを超えて峠を回避する形で、網走へ向かおうとしているのだろうか。自身の中で困惑が入り乱れる中、彼は将軍たちを集めて会議を開いた。
会議にて、多くの将軍たちの意見は、
『帯広の一件もあって、AIMは冬の山も難なく超えてくる。本当に背後へ回り込む気である。だから奴らを通り過ぎさせて、狭路へ入ったタイミングで背後から追い討ちをかけよう。』
というものであった。
村中も彼らの意見に同意。すぐに軍を動かそうとする。
そんな中で、唯一それに意を唱える者がいた。それはあの伝説の軍隊、紋別騎兵隊から派遣されてきた御堂尾神威というガタイの良い長身の男である。
「神威、なぜ反対なのだ?」
神威は淡々と言い切る。
「あれは我々をこの峠から誘導するための罠だ。でないとこんな朝から軍列の脇腹を晒しつつ移動するなんて、馬鹿な真似はしないだろう。」
「そうとも見えるがスパイの情報によれば、奴らには小伏竜と呼ばれる優れた参謀がいる。それに帯広の本軍には、かの有名な天才軍略家の諸葛真がいるそうだ。恐らく奴らは、きっと裏をかいてくるに違いない。」
「我々が罠と考え動いてこないことを想定して、悠々と背後へ回り込もうと考えていると言いたいのだな。」
「そうだ。だから我らは万全の態勢で背後を追いかけ、奴らが狭路へ入ったのを機に追撃戦を叩きつけてやるのだ。裏の裏をかいてな。」
「果たしてそう上手くいくかな。俺は断固としてここを動く気はない。」
「紋別騎兵隊の副隊長でもあるお前がひよったか?情けない話だ。」
神威は、村中を蔑んだ。
「その言葉、後悔するなよ。」
彼は、鋭い刃のように殺意を研ぎ澄ました眼差しで村中を睨みつけた。村中は、神威、そして紋別騎兵隊の恐ろしさをまじかで見てきた経験がある。だから、彼の鋭い狂気に怖じけずいていた。しかしながら、AIMを倒さねば網走が窮地に陥ってしまう。
「なら、貴様は本陣の留守でもしていればよい。官軍は、これよりAIMの追撃を開始する。」
神威がもう一言だけ忠告する。
「最後に一度だけ注告しておいてやる。これは罠だ。そしてもしも敗北するようなことがあれば、役立たずのお前は騎兵隊の手によって惨殺されるだろう。」
それを聞いて身震いを隠しきれない村中であったが、彼も負けてはいない。
「そうかいそうかい。じゃあ俺が勝ったら、貴様や騎兵隊は腰抜け部隊だと世間の笑い者になるだろうな。」
そう言い切って自分で心に背水の陣を敷くと、全軍に指令を出して陣を後にした。彼に引き連れられた4万5千の官軍は、風を切るようにAIMの部隊の追撃を開始した。
◇
湖畔に広がる森の真ん前を横切るかのように、AIMの軍勢は西へ西へと進軍をしていた。その数、総勢2万5千。その中心には、馬に跨ったアイトゥレ。そして、スノーモービルを操縦するカネスケと、その後ろに跨る結夏の姿があった。
「なんだ、小伏竜は戦場すらもデートコースなのか?」
カネスケは清々しく答える。
「ええ、その通りです。」
結夏がカネスケの背中にくっつきながら風を感じている。
「戦場でデートするくらいの余裕が心にないと、最高のパフォーマンスはできませんよ。」
カネスケは、かつて商社に勤めていた時に、先輩から言われた言葉をそのまま使ってみた。一度言って見たかった一言である。確かその人も社内恋愛をしていて、交際していた部下の女性と一緒に営業へ行って、ちゃんとに成果を上げていた。
「カッコつけやがって。まあお前のことだから、なんとかなると思ってるけど。」
すると結夏もカネスケに言う。
「できる男の言うことは違うなあ。」
するとカネスケが調子に乗る。
「だろ!見とけよ!必ず官軍を倒してやるから!」
結夏とアイトゥレは、バカな会話を楽しみながらも、お調子者な一面もあるがやる時はやるカネスケに尊敬の眼差しを向けていた。
「だが、このおびき出し方は、まるで三方ヶ原のようだな。」
カネスケが答える。
「よくご存知ですね。かの有名な三方ヶ原の戦いを現代に蘇らせます。少々アレンジも加えて。」
結夏はよくわからないような表情を浮かべる。
「三方ヶ原の戦いってなんなの?」
カネスケは、知らねーのかよといった感じで答えた。
「戦国時代の有名な戦いだ。」
「あー、勉強苦手だったからよくわからない。」
「知ってたら引いたわ。」
「なんでよ?」
「なんでも!」
そんなたわいもないやり取りをしていると、後方の見張り部隊から、官軍が動いたと言う知らせが入ってきた。アイトゥレのテンションが上がる。
「ついに徳川が動いたようだ。」
カネスケもニヤリと笑う。
「我ら、武田騎馬軍団の恐ろしさを見せてやらないといけませんな。」
そんな2人に結夏は文句を言う。
「ふざけてないでよ。」
「わかってるよ。」
カネスケの声がすでに仕事モードに切り替わっていた。アイトゥレは、彼の作戦どうり全軍に例の陣形を作るように指示を出した。AIMは、すでに狭路へ入り込んでいる。敵に囲まれれば身動きは取れないが、正面から突っ込んでくるのであれば話は変わってくる。サイドから回り込むことのできない狭路は、逆に守りに適していて有利だったりもするのだ。
陣形が整うと、アイトゥレはカネスケの方を見た。
「魚鱗の陣とは。まさに武田をリスペクトしているな。」
「狭路で魚鱗の陣。弱点を克服した無敵の陣形です。」
アイトゥレが官軍を指差す。
「どうやら官軍がお出ましのようだ。だが見てみろ、これは何かの偶然か?」
カネスケが官軍の布陣を見ると、偶然にも彼らは鶴翼の陣形を敷いていた。
「まさか、本当に三方ヶ原が再現されそうですね。」
「これは勝てるぞ。」
そしてアイトゥレは、全軍に攻撃開始の合図を送る。どうやら敵は、罠だと気づいて急いで陣を敷いたようで、まだ戦いを始める心構えができていなかったようだ。
こうして、北の三方ヶ原とでも呼べるような戦いがAIMの先制から始まった。
◇
屈斜路湖近辺は、かつて広大な森に覆われた自然の聖地のような場所であった。しかし、数年前のAIMと官軍の紛争によって所々伐採が進められた。そのせいか、一部荒地のような平原が広がりを見せていた。
官軍が狭路に蓋をするように鶴翼の陣を敷く。AIMは、それを打ち破ろうとする形で魚鱗の陣を敷いて対峙。そして、龍二が率いるスノーモービル部隊の突撃を皮切りに戦いが始まった。
激しい銃撃戦が繰り広げられ、次々と互いの兵隊が平原の土となっていく。官軍はAIMを包み込むように、徐々に両翼から攻め上がってくる。龍二は、カネスケの指示に従い、敵の中央に穴を開けるべく背後を気にせず突撃を繰り返す。官軍は、AIM先鋒隊を抑え込むために激しい攻撃を展開。しばらくは、一進一退の攻防が続くことになった。
日が少しずつ傾き始めた頃。官軍の中央が徐々にもたれ始めた。ここぞとばかりに先鋒隊を鼓舞した龍二は、一気に敵中を貫いて村中率いる本陣に刃を突きつける。村中も負けじと徹底抗戦をする一方で、両翼の予備部隊に指示を出してサイドから猛攻撃を展開した。先鋒隊に続くAIM本体は、両翼から攻め入る官軍を抑えながらも狙いを中央に定めて攻撃。村中率いる本隊を、壊滅寸前まで追い込むことに成功。
混戦の中でアイトゥレはカネスケに尋ねる。
「本当に上手くいくんだろうな。」
カネスケは強く答える。
「ウラジーミルならやってくれますよ。」
そう言うと彼は、遠く湖の方角を見渡した。
◇
その頃。美幌峠の東側では、ウラジーミル率いる別働隊が着岸。官軍の拠点がある峠への突撃が始まった。若きロシア人傭兵に率いられた5千人の兵隊は、真昼間なのに薄暗い北の森を抜けて、雪で覆われた峠を駆け上がった。
美幌峠に布陣していた官軍兵士達は予想外の奇襲攻撃にてんやわんやで、ロクな抵抗もできずにウラジーミルたちの峠登頂を許してしまう。ウラジーミルたちは、一斉に拠点へ総攻撃をかけた。
だが、もうAIMの勝利は確実だろうと思われていた時に予想外のことが起こる。500人も残っているかどうかわからない小規模な官軍拠点は、AIM別働隊がいくら攻撃しても、一向に攻略できる兆しが見えない。むしろ味方の兵隊が、どんどん死体となって山のように積まれていくばかりだ。
ウラジーミルはヤケになり、自ら先頭に拠点へ侵入。するとそこには、全く無傷と言えるような一糸乱れぬ立ち振る舞いで、配下の兵隊を蹴散らしている官軍部隊の姿があった。そして、その部隊の戦い方は、今まで見てきた普通の軍隊とは違う。相手を徹底的に殺す残虐な方法で、AIMの兵士を殺すことを楽しんでいるようだった。
ウラジーミルは自ら銃剣を構えて、配下の精鋭と一緒にその部隊へ攻撃を仕掛けた。その官軍部隊のリーダーらしき男は、ウラジーミルの姿を見つけると持っていた散弾銃を引っ込め、遠くからでも明らかにわかる凶悪な輝きを放つ槍に武器を持ち替える。
ウラジーミルがその男へ叫んだ。
「お前がこの部隊の指揮官か??」
その男は、全くもって動じない。
「そうだ。だとしたらどうした?」
「この国の未来のために死んでもらうぞ。」
「小伏竜は、どうやら一つ見落としていたようだな。」
ウラジーミルが銃剣を振りかざす。
「負け惜しみを言ってる暇があるなら、命乞いくらいするがいい。」
「その必要はない。この拠点は、俺がいる限り陥落することはないのだからな。」
そう言うと神威は、まるで獲物を見つけた獣のようにウラジーミルへ襲いかかる。ウラジーミルは身長190もある大柄なロシア人だが、それに負けず劣らずの神威は、ひるむことなく向かってくる。
ウラジーミルは、神威の攻撃を避けながらも銃剣で対抗する。足場は雪が積もっていて動きにくいが、散々雪中戦を繰り返してきた彼にとっては簡単なものだ。しかし、神威はそれ以上に殺し合いを繰り返してきたのであろうか。素早い動きと判断で、槍を振り回してウラジーミルに攻撃の隙を与えない。
しばらくやりあっている間に、周囲の状況は一変していた。AIMの兵隊は、ほとんど神威の配下によって打ち倒され、残るはウラジーミルとその他数人となっていた。そして、ウラジーミルの身体にも異変が生じ始める。手足に激しい痛みが走り、立っていることすら困難な状態だ。彼は急いで身体を見渡すと、神威の槍による無数の切り傷が目立っている。そして痛みは、その部分を中心に激しく全身に駆け巡っていた。まさかと思ったがその時にはすでに遅かった。彼は吐血してその場にしゃがみ込む。それを好機とばかりに神威が彼の肩を槍で貫き、そのまま勢いよく槍を振り回してウラジーミルの右腕を粉砕した。
ウラジーミルは、強烈な痛みの走る右腕を抑えながら雪の上に倒れ込み、さらに吐血を繰り返した。彼の配下の兵士は、彼を助けようと駆け寄ろうとする。しかし、神威の手によって1人残らず殺される。
神威は、今にも死にそうなウラジーミルを見下す。
「小伏竜の策は見事だが、ここへ寄越す人選を間違えたようだな。」
ウラジーミルは、虫の息のような声で言った。
「刃に毒を塗っていたのか。」
神威は、彼の肩を思い切り踏みつけ、悲鳴をあげるウラジーミルに言い放つ。
「当たり前のことだ。そんなことも考えずに喧嘩を売ってくるとはバカな奴よ。」
神威は配下に命じて、ウラジーミルの両足を縄で縛り上げさせた。それから彼を全裸にすると、AIMが攻め上ってくるであろう山道へと投げ捨てた。
神威に対して、彼の配下の兵士が尋ねた。
「奴を始末しないのですか?」
神威は極悪な笑みを浮かべる。
「数十分もしたらどうせ死ぬさ。そしてAIMもおそらくここへ到達するだろう。仲間の目の前で無様に死んでいく姿を見物するのだ。」
それを聞いた配下の兵隊たちは、ニタニタと笑みを浮かべながら陣地の中へ戻っていった。
◇
カネスケ達のいるAIM軍は、村中の本陣を貫く形で鶴翼の陣を突破。そのまま森林地帯を駆け上って、美幌峠の中腹まで進行していた。後ろを振り返ると、ぐしゃぐしゃになった官軍部隊が、徐々に態勢を整えて追撃を開始しようとしていた。
カネスケは、高台から余裕に満ちた顔でその哀れな軍隊を見下ろす。そんな彼に雪路が尋ねる。
「敵は鬼気迫る勢いで追撃してきてます。どうしたら、そんなに余裕を保っていられるのですか?」
「勝算があるからだよ。まあ見ておけ。」
カネスケは部下に対して、空砲を南の上空へ向かって放つように指示を出した。大きな怒号が5回鳴り響き渡る。耳を塞ぎこむ雪路にカネスケは言う。
「俺たちが初めに陣を敷いていた辺りをよく見ておけ。」
雪路は何のことだかわからないが、言われた通りの場所を見渡した。すると、いつの間にかそこには、大量のAIMの旗が立っているではないか。雪路がカネスケの方を見ると、彼はにっこりと笑う。
「挟み撃ち成功だ。」
新たに出現した味方の伏兵は、そのまま一気に官軍の背後を急襲。すると追撃をしていた官軍の足が鈍くなっていく。カネスケがそこを見逃すはずがない。全軍に指示を出し、軍を急展開させて一斉に官軍めがけて突撃させた。
この挟撃作戦によって、村中率いる官軍は壊滅。カネスケは見事にAIM軍を勝利へ導いた。それから、村中率いる官軍本体の後始末をアイトゥレに任せると、カネスケは直属の兵隊とともに美幌峠を駆け上がる。
雪路が舞い上がるように喜びながらカネスケに言う。
「この度の作戦本当に素晴らしかったです。あとは峠の敵を一掃するだけですね。」
「その必要はない。きっと今頃、ウラジーミルが峠の頂上で待ってるさ。」
雪路は驚いていた。
「そ、そこまで手を回していたんですか。」
「気づかなかったのか?」
「確かに、ウラジーミルはおりませんでしたが...。てっきり、龍二さんと一緒に戦っているのかと思ってました。」
「ウラジーミルは、俺たちが目覚めるずっと前に屈斜路湖の対岸へ向かったのさ。」
「敵に我らが津別へ向かうものだと勘違いさせ峠からおびき寄せる。そして、圧倒的に不利な状況から戦い始め、奴らを油断させる。敵中突破して本拠地を攻略するだろうと思わせといて、伏兵を使って挟撃する。それから、戦いのかなり前から仕掛けていた罠で敵の心臓部を貫く。一月前に戦場へ初めて立った人とは思えないです。」
「裏の裏の裏をかく。これは仕事や恋愛、そしてゲームにおいても、相手を出し抜くには必要なことだ。俺はそれを戦にも応用しただけさ。」
「いや。もう流石としかいいように無いです。」
「まあそんなことより、早くウラジーミルに会って功を労わないとな。」
そんな話をしながら、カネスケ部隊は急ぎ峠を駆け上がる。
◇
カネスケは、作戦が成功したことに満足を覚えながら、意気揚々と峠の頂上へと近づいていく。けども、そこで目の当たりにした光景は、拠点になびく官軍の旗と片腕がもげて朽ち果て倒れこむ人間の瀕死体であった。
彼は、その朽ち果てた何かを見つけた瞬間、それに駆け寄った。
「おい、ウラジーミルなのか?しっかりしろ!」
その朽ち果てた男の唇は真っ青で、もう生きた人間のようには思えなかった。カネスケが必死に揺すると、ウラジーミルの意識が一瞬戻る。
「カネスケさん...、任務失敗の件...どうかお許しください...。」
「そんなことどうだっていいんだ!一体どうして?」
「あ...の場所...には...近づいたら...危険...です...。」
ウラジーミルの声は徐々に小さくなり、聞き取りずらくなっていく。
「一体何があるというんだ!」
その瞬間、大量の銃弾が降り注いできてウラジーミルの身体を貫く。カネスケは、弾の雨が収まったあとにウラジーミルの元へ駆け寄ったが、彼はすでにこの世にはいなかった。彼の名前を必死で叫ぶも、返ってくるのは風の音だけだ。雪路と結夏は、目の前で仲間が殺された恐怖から何も言葉を発せずにいた。
カネスケが、弾の飛んできた方向に顔を向けると、そこには馬に乗って残忍な笑みを浮かべた男と、官軍の騎兵たちが立ちはだかっていた。その残忍な笑みを浮かべた男は、カネスケに話しかける。
「ほお、お前が例の小伏竜とやらか?」
「俺は直江鐘ノ助。人からは小伏竜と呼ばれている。」
その残忍な顔をした男は、不敵な笑みを浮かべる。
「お前の策は見事だった。だが、お前がいくら頭で官軍を追い詰めたところで官軍には勝てない。なぜだかわかるか?」
カネスケは、黙ったまま奴の顔を睨んだ。残忍な顔の男は言い放つ。
「いくら小細工をしようとも、最恐の武勇がこちらに有る限り、お前たちは倒されるからだ。」
「お前は一体何者なんだ?」
その男は、こう言った。
「紋別騎兵隊副隊長、御堂尾神威。」
カネスケの表情が若干強張る。
「紋別騎兵隊...。」
「俺たちがここにいる限り、お前たちが網走へたどり着くことは無い。弱小軍隊などいくら束でかかってこようが負ける気はしないからな。」
「舐めやがって。ウラジーミルの仇として全員ぶっ殺してやるよ。」
そして、彼は配下の部隊に突撃を命じようとした。だけども結夏は、その指示に待ったをかけた。
「真に受けたら奴らの思う壺。気にしちゃダメ。」
「しかしどうすれば...。」
困惑するカネスケを見て神威は笑った。
「ははは、確かにその女の助言は賢明だぞ。雑魚は粋がらずに尻尾を巻いて逃げたほうがいい。そのほうが少しは長生きできるだろう。」
カネスケの拳に力が入る。しかし冷静ならなくては良案も浮かんでこない。だが、早く決めなくては敵に先手を打たれてしまう。自分のことを信じてついてきた結夏や雪路、それに信頼して参謀に選んでくれたアイトゥレや先生の為、この困難を乗り越える答えを導き出さないとダメだ。彼は、神威の煽りに動じずに目を閉じて策をねった。神威が退屈そうに目線を隣の結夏へと移した。そして彼女を見つめると一言ボヤく。
「あの女...。」
配下の兵士が言う。
「拉致して松前将軍に献上しますか?」
神威は、憎しみのこもった笑顔を見せた。
「いや...。必ず俺が可愛がってやる。もう、逃がさねえぞ...。」
すると兵士たちは、ニヤニヤしながら結夏の方を見た。結夏は、気味の悪い騎兵隊一行から目をそらしてカネスケの腕を掴む。そんな彼女に神威が言う。
「おい女。そんな腰抜けと一緒にいるよりも、俺のところへ来ないか?毎晩楽しませてやるからよ。」
結夏が不快な表情になると、神威と騎兵隊員はゲラゲラと笑っていた。そして、神威は騎兵隊に武器を構えさせる。騎兵隊の兵士たちは、切れ味が異常に良くて殺傷能力の高い槍や猛毒の塗ってある毒矢、それに散弾銃など、殺傷力が異常に高い武器を装備しているのが特徴である。そんな最恐の部隊の気迫の前に、雪路を筆頭にAIM兵士らは恐れおののいている。神威は、標的をカネスケと結夏に絞り、部隊を戦闘態勢に整えた。
カネスケは決断の時を迫られる。きっと、このまま配下の兵士だけで戦っても勝ち目はなさそうだ。仮に退却したところで、奴らは異常な執念で追撃してきて、こちらは圧倒的に不利になる。
それにアイトゥレらと合流しても、果たしてこの最恐の軍隊に勝てるのだろうか...。
そんな時に雪路がカネスケに声をかけた。
「カネスケさん、聞いてください!本軍からメールが届きました!」
「何事だ?」
「つい先程、サク将軍率いる本軍が北見を攻略。明日には美幌町に侵攻して、そこから網走へ向かうと。それに網走では、各地に散らせていた官軍部隊を大空町に随時招集しているそうです。」
「大空町からここまでは、結構距離があるな。」
「ええ。そこそこ距離があります。」
「雪路、答えが出たぞ。」
雪路と結夏が彼の方を見た。カネスケは、決断を下す。
「急ぎ退却だ!アイトゥレ将軍と合流して体勢を整えるぞ!」
すると彼は、急いで結夏を後ろに乗せてスノーモービルのエンジンを掛けた。そして、いきり立つ神威に向かって言い放つ。
「悪いなアホども!!急用ができちまった!!仕方ないからお情けで勝ちをくれてやる!!」
カネスケは、配下に指示を出して峠を下山し始める。雪路もウラジーミルの死体を担ぎ上げて荷台に乗っけると、カネスケを追いかけるように山を下った。煽られた神威が怒りを露わにする。
「奴を追いかけろ!小伏竜を殺してあの女を捕らえろ!」
騎兵隊一行は、神威を筆頭にカネスケたちの追撃を開始した。追撃戦は、追うほうが圧倒的に有利である。それに戦場の高低差も相まって、カネスケ一行はいつ追いつかれて虐殺されてもおかしくはない状況だ。
騎兵隊は、毒の弓やショットガンなど飛び道具を駆使して背後から攻撃を仕掛けてくる。カネスケの部下たちは、次々と犠牲になっていった。
◇
ある程度逃げ続けた頃だろうか。先ほどまで騒がしかった背後がやけに静かになっていった。結夏が背後を振り返ると、鬼のような執念で追いかけてきていた鬼畜どもの姿はもう見当たらない。カネスケにそのことを伝えると、彼は部隊をその場に止めた。
「奴らはもう追ってこないだろう。」
結夏が目をまん丸くする。
「え、どうしてわかるの??」
「奴らも恐らく網走本部から召集令が出されているはずだ。となると、俺たちを深追いしている暇はない。それに、サクや蒼が美幌町を制圧してしまえば、補給路を断たれて完全に孤立することになる。たとえ最恐の軍隊でも中身は人の子。極寒の峠に閉じ込められたら、いずれは自滅することぐらい把握しているはずだ。だから奴らは追撃を諦めた。そして、もう美幌峠からも撤退しているだろう。」
結夏が恐る恐る聞く。
「じゃあ、私たち勝てたってこと?」
雪路も今だに恐怖で声が震えている。
「や、やりましたね!!」
結夏は内心相当怖かったらしく、カネスケに後ろから抱きついて震えていた。雪路も緊張が解けたのか手足を震わせていた。他の兵士たちも尻餅をついてため息をつく者もいれば、あまりの恐怖から嘔吐していた者もいた。
そんな時、前方から多数の兵隊が向かってくるのが見えた。みんなの間に緊張が走るが、カネスケは言う。
「味方だ。安心しろ。」
こちらに迫っていたのは、紋別騎兵隊ではなくアイトゥレ率いるAIM軍であった。
「カネスケ、無事だったか!」
「将軍こそ無事で何よりです。」
結夏は、安堵のため息をついた。
「驚かせないでくださいよー!!」
アイトゥレが笑いながら結夏に軽く謝った。カネスケは、彼に尋ねた。
「村中は討ち取れましたか?」
「取り逃がした。恐らくは旧588を伝って津別方面に逃走した。追撃するか?」
「いや、辞めておきましょう。今は軍を立て直して、本軍の待つ美幌町へ向かうのが先決です。」
「あいわかった!それと先に放っておいた斥候が戻ってきたが、どうやら美幌峠にはもう軍隊の姿はなかったそうだ。」
結夏は、更に安堵したからか声色が明るい。
「カネちゃんの言ったとおりになったね!」
カネスケは、騎兵隊のことを思い出す。
「紋別騎兵隊...、恐ろしい奴らだ...。」
気分が上がらないカネスケにアイトゥレは言う。
「何はともあれ、この戦いは君の策略のおかげで勝てたのだ。あとでたんまり労うぞ!」
「しかし、俺の作戦があったから部下を多く死なせてしまった...。それに、動かずじっとしていれば、奴らと戦わずに済んだのかもしれない。俺の早とちりでした。」
「勝つためには犠牲はつきものだ。過ぎたことを悔やんでも仕方ないだろう。」
カネスケは俯いていた。するとアイトゥレは言う。
「それよりも、今生きている自分。そして、仲間をどう導いていくかを考えた方が良いんじゃないか。」
結夏も同じく励ましてくれる。
「カネちゃんの気持ちは凄くわかるけど、確かに将軍の言うこともわからなくもない。」
2人の話を聞いたカネスケは、静かに顔を上げた。
「ウラジーミルを丁重に葬ってあげてください...。」
そういうと彼は、みんなと少し距離をおいた場所で1人夜空を見上げながらタバコを吸った。
◇
翌朝。アイトゥレとカネスケ率いる軍は、ついに峠と森を超えて美幌町近くの福住というところに陣を構えた。町を挟んだ反対側を見渡すと、大量のAIMの旗が悠々と風でなびいているのが確認できた。
死んでいった部下のためにも、必ずや網走を攻略して紋別騎兵隊を滅亡させる。カネスケはそう心に誓いながら、今日の朝を迎えたのであった。
(第四十一幕.完)