第四十九幕!凍てつく世界
文字数 16,742文字
逃げ切ることさえ容易とは言えないのに誘導しなければならない。先生の作戦だから信頼はしているが、騎兵隊のあまりの勢いに時折勝利へ疑問を抱きそうになることもあった。
後ろからついてくる配下の兵隊が、1人、そしてまた1人と消えていく。はるか後方をたまに振り返ると、騎兵隊から残虐な方法で徹底的に壊される味方の姿が目に入る。龍二は、自分の無力さを痛感し、悔しくて涙が止まらなかった。
ある程度進み、また立ち止まると振り返り、そして騎兵隊に突撃をする。きっと兵士達も逃げたいと思っているはずだ。自分ですら怖くて逃げ出したいのに。しかし、AIMの兵隊は勇敢に戦った。トリカブトの毒が塗りたくられた槍で突き刺され、身体が瀕死に陥っても敵にしがみついていた。
龍二は、1人でも多くの兵隊を助け出そうと、自らも前線に出て戦う。戦場の後方では、敵将の北広島氷帝が兵隊を鼓舞する声が聞こえてくる。
「殺せ!殺せ!殺せ!」
最悪な野郎だ。龍二も負けじと叫ぶ。
「生きろ!生きろ!生きろ!」
味方の兵士達は、この鼓舞を色んな意味で捉えたのだという。ある兵士は、生きることを忘れるなと。ある兵士は、こんな時でも笑いをとる余裕を見せてくれたと。またある兵士は、敵を無闇に殺すなと。
捉え方はそれぞれではあったが、AIMの指揮は急激に高まりを見せた。逆に騎兵隊側は、その発言を聞いてゲラゲラ笑っていた。それ故に油断したのだろう。その直後に官軍の兵士は、AIMの兵士の手によって何人か討ち取られていた。
指揮が上がったあたりで撤退を命じる。騎兵隊に背中を向けることは、殺してくれと言っているようなものだ。撤退の時には、毎回かなりの死傷者を出していた。今回も例外ではない。何度も抗戦と撤退を繰り返すうちに兵の数は激減。サロマ湖近辺にたどり着く頃には、400人いた兵隊が150人にまで減っていた。
先生の手紙によれば、『佐呂間別川を越えろ』とのことである。騎兵隊を佐呂間別川の向こう側までおびき寄せれば何かが起こるのだろうか。それ以上のことは何も書かれていない。
そう、蒼が言っていた。
あとどれくらいあるのか定かではない。しかし、湖が確認できたのでそう遠くはないはずだ。彼は、先生の作戦を忠実に守りながら、騎兵隊の誘導を進めていくのである。
◇
佐呂間別川の川辺には、密かに網走を抜けてきた8万のAIM軍がいた。彼らは数が多いとはいえ、騎兵隊への恐怖が拭いきれぬままの着陣だ。軍を率いているアイトゥレが先生に相談する。
「兵士達は、やはり騎兵隊を怖がっておられる。どうすれば良いだろうか?」
先生は、相変わらず余裕のそぶりを崩さない。
「彼らは、騎兵隊に負けた時のことしか考えておりません。我々が勝てるということを証明すれば、きっと勇敢に戦うでしょう。」
「しかしどうやって...?」
「この大軍勢と龍二を活用します。」
アイトゥレは、先生の策謀がイマイチ頭に浮かんでこない。
「どういうことかな?」
「将軍。今から私の言う通りに軍を布陣させてください。それから例の兵器を狙撃兵に配ってください。」
アイトゥレは、先生の言う通りに軍を布陣させ、狙撃兵に先生が考案して作らせた兵器を所持させる。準備を終えると再び先生の元へ戻ってきた。
「本当にこれで上手く行くのか。」
先生は、自身に満ち溢れている。
「まあ見ていてください。夜が明ける頃には、AIM軍が日本最強の軍隊の座を奪い取るでしょう。」
アイトゥレは、まだ想像ができない。彼もまた、騎兵隊に勝てる絶対的な自信を持てていな人間のうちの1人であったからだ。先生は、そんな彼を天幕の外へと連れ出す。そして雪路に騎兵隊の着ている鎧とほぼ同じサンプルを持って来させる。
先生がアイトゥレの持つライフルに目を向けた。
「ライフルでその鎧を撃ってみてください。」
アイトゥレは、言われるがままに鎧を狙撃。銃弾が命中するも。傷一つつけられない。
「騎兵隊最恐の理由は、この鎧にもあるんだよな。」
「では、迫撃砲で撃ってみてください。」
今度は迫撃砲で試してみる。すると鎧は吹き飛んだが大した傷にはなっていない。
「兵士を吹き飛ばせても致命傷は与えられない。奴らはすぐに起き上がって、ゾンビの如く襲ってくるだろう。」
「ふふ。それならば、例の付着弾を撃ってみてください。」
またまたアイトゥレは、言われるがままに新兵器の付着玉を銃に入れて撃ってみた。弾が鎧に当たると破裂して、全体に油のようなものが撒き散らされる。
「これがどうしたと言うんだ?」
「火炎瓶を投げてください。」
アイトゥレが言われたとおりに火炎瓶を投げつける。すると瓶は、鎧に当たって火を放ち、損傷すらしないが火によって鎧が覆い尽くされた。
「おお、これではいくら強度な耐久性の鎧を着ていようと、肉体は焼き尽くされてしまうな。」
雪路も見解を述べる。
「焼かれるか、鎧を脱ぎ捨てるかと言ったところですね。」
そこでアイトゥレは、先生の意図に気付く。
「そうか、これならば鎧を無効化できる。それに脱がせて丸腰にしてしまえば、打撃も狙撃も通用して戦いやすくなると言うわけか。」
「その通りでございます。丸腰にしてしまえば、スナイパーなど特別技術のある人間以外の一般兵でも、十分に敵を撃ち取れると言うわけです。」
「自慢の毒矢部隊は龍二軍の奇襲によって壊滅。最恐の重騎兵ですら、この新兵器と火炎瓶によって弱体化。敵の強みである戦力を削ぎ、弱ったところを大軍で徹底的に叩く。そしてコールド勝ちに持っていくと言うことか。」
「いかにも、将軍の言う通りでございます。」
アイトゥレの顔は、徐々に自信が湧き出てきたような気がした。
「それにしても、龍二は無事にここまでたどり着けるのであろうか。」
「彼なら必ず成し遂げるでしょう。」
雪路も龍二を信じている。
「龍二さんなら、必ず生きて戻ってきますよ!!」
3人があれこれ話していると、時刻はとっくに日付を跨いでいた。今思えば、AIM軍は昨日の朝から誰一人として仮眠をとっていない。雪路は、ふとそのことを思い出し眠気に襲われる。
そんな彼に先生が言う。
「耳をすませなさい。龍二が戻ってきましたよ。」
それを聞いた雪路は、眠気を堪えながら耳をすませた。
アイトゥレは首を傾げている。
「何も聞こえないぞ。」
「風の音に混じった機械音が聞こえませんか?」
彼がもう一度音を聞くことに集中すると、確かに微かな機械音が聞こえてくる。アイトゥレの顔つきが変わると先生は言う。
「数が少ない。おそらく部隊の大半は殺されてしまったのでしょう。」
「無念だ。しかし、なぜこの機械音が龍二だと分かるのだ?」
「よく聞いてください。普段AIMの機動部隊が使っているスノーモービルと若干音が違うと思いませんか?」
「そうだな。なんとなく違和感はある。」
「典一に頼んでマフラーに細工を施しました。だから龍二だとわかったのです。」
アイトゥレが驚いている。
「この展開を最初から考えていたのか。」
先生は、笑みを浮かべながら謙遜した。
「いえ。たまたまです。」
「ならなぜ細工などしたのか?」
「今後の戦いにおいて、龍二が重要な役割を担うことになると考えておりました。だから、彼の動きを把握しやすくするために細工したのです。」
「彼の能力を買っているのだな。」
「ええ、もちろん。リーダーの言葉を借りて言うならば、『俺の仲間に無能は居ない。』と言ったところでしょう。」
「その信頼関係。感心いたす。」
先生が再び戦場へと目を向ける。
「さて、そろそろ本番ですね。道東の夜明けはすぐそこです。」
アイトゥレが拳を握りしめる。
「AIMの強さ、日本中に知らしめてやる!!」
こうしてアイトゥレが持ち場へ向かっていく。
先生と雪路は、戦場となるであろう雪原を見渡すし、遥か彼方から漂い始める雪煙を鋭い視線で見守るのであった。
◇
龍二が佐呂間別川にかかる橋を渡った頃。彼の配下は、イカシリを含めて10人にまで激減していた。約400人いた兵隊のほとんどが騎兵隊によって虐殺された。
生き残った兵士達も限界状態に近く、無惨に殺されていく仲間たちの姿を見続けたこともあり、精神肉体もろとも崩れ落ちそうだ。
イカシリは、彼らの姿を見て不安が積り、龍二に声をかける。
「川を渡ったが何も起こらない。このままでは無駄に逃げただけになる。」
「いや...、きっと何かが起こるはずだ...。」
雪原には、廃墟が所々寂しそうに立ち並んでいるだけだ。貼ってあるボロボロのポスターを見ると日付が2年前になっている。おそらく、戦争が本格化してから人々は逃避していったのだろう。
背後を振り向くと、橋の向こう側から雪煙が吹き荒れているのが確認できた。
「急げ!ここにいても殺されるだけだ!」
龍二は考えた。敵が橋さえ越えてしまえば、もう振り向いて戦う必要はないと。
しばらくして敵の先陣が橋を通過する。それを見た龍二は、生き残った兵士たちを鼓舞して、一直線に網走方面へと駆け抜けた。
◇
氷帝に率いられた騎兵隊は、龍二たちを徹底的に破壊するため猛進を続けたが、全軍が橋を渡りきったあたりで違和感を覚え始める。
「なぜ彼らは、あんな少人数で無謀な抵抗を繰り返すのだろうか。」
周囲を見渡したがこれといって変わりはない。だが、何故か嫌な予感が漂うのであった。
氷帝が配下に指示を出す。
「追撃をやめよ!」
騎兵隊の隊員が言う。
「隊長!何故辞めるのですか??」
「奴らの動き、どうみても我らを誘導しているとしか思えん。」
「しかし、敵はあと11人。絶滅の教えを貫く為にも虐殺しましょう。」
氷帝はギロりと睨みつけ、冷たい口調で言う。
「お前、俺の指示に従えないのか?」
隊員は、つい言いすぎたことを反省して、氷帝の意見に賛成した。
氷帝が3万の軍隊に撤退の命令を出す。騎兵隊の隊員たちは、少なからず不完全燃焼でその判断に不満があったが、隊長の命令は絶対である。各々が文句を胸に隠しながら撤退を開始し始めた。
しかし、彼の判断よりも、先生の判断の方が早かったようだ。
軍が撤退を始めようと橋まで戻ってくると、さっきまであったはずの橋がない。氷帝が慌てて川を覗き込むと、橋の残骸が無残な姿で川に沈んでいる。
「図られた...。」
騎兵隊の隊員が恐ろしいものを見るような表情で声をかけてきた。
「た、隊長。あれをご覧になってください。」
氷帝がまた背後を振り返る。すると、騎兵隊の2倍以上の大軍がいつのまにか姿を表している。それもこちらを囲い込むように布陣しており、完全に包囲される形となってしまった。それに川の反対側にも、いつの間にかAIMの旗が悠々と並び立っているではないか。
「おのれ!騎兵隊を舐めおって!!!」
氷帝はすかさず円陣を作り上げると、外から迫ってくるであろうAIM軍に備える。
騎兵隊が円陣を組み終え万全の状態が完成した頃には、8万のAIM陣から一斉包囲射撃が始まる。銃弾の雨が騎兵隊を襲った。
しかし、氷帝はまだ余裕そうな顔つきであった。なぜなら、特殊装甲を着込んだ騎兵隊兵士による円陣によって、銃弾での攻撃はほぼ無意味に近いからである。氷帝はひとまず、銃弾が止むまでは待機の姿勢を貫いた。だが彼の余裕は、兵士たちの一言によって崩れ去るのだった。
「何か油臭くないか?」
他の兵士も口々に同じような話を始め、陣中がざわつきだした。
「おい!身体中に液体が付着している!」
氷帝が自らの鎧や馬も確認すると、気づかぬうちに鎧も馬の立て髪も油塗れになっていた。
彼はここで察しすることになる。諸葛真は、騎兵隊を焼死させる気だと。
「急いで鎧を脱いで馬から降りろ!早くするんだ!!!!!」
騎兵隊の兵士達は、急いで鎧を脱ごうとしたが、脱げばAIMの銃撃によって蜂の巣にされてしまう。脱がねば焼死、脱げば討死、選べない選択に陣中が狂乱に侵される。
そこへ、龍二率いる機動部隊が新手の兵隊を引き連れて突っ込んできた。彼らの手には、火炎瓶が握られている。
「円陣を崩せ!!」
騎兵隊兵士達はバラバラになろうと頑張ったが、あまりの混乱に意思疎通が上手く行かない。彼らは、これまで常に勝ち続けていたので緊急時の対策を怠っていたのだ。龍二達があっという間に円陣に近づく。そして、容赦無く火炎瓶を投げ込んだ。
炎は瞬く間に燃え広がり、3万の精鋭部隊をいとも簡単に焼き尽くしていく。氷帝を含む騎兵隊のほとんどに引火。彼らは鎧を脱いで丸腰になるか、焼死するか選ばざるを得ず、殆どの者が悩んでる間に焼かれていく。
先生は、その光景を高台の陣から見物していた。
彼は雪路に話す。
「日本最恐の殺戮部隊。大したことはなかったようだ。」
「いえ、先生が天才すぎたのかもしれません。」
先生は、穏やかに笑う。
「いや、そんなことはなかろう。私が策を考え、みんなが忠実に再現する。AIMと革命団と言う組織が天才なのだよ。」
雪路がなぜだかテンションが上がっている。先生は、戦場の果てにある明るくなり始めたオホーツク海を眺めた。
「さて、仕上げの時間が近づいてきたようだ。」
空模様が朝に向かって動き出しているような気がする。騎兵隊の円陣はすでに崩壊寸前だ。先生は、全軍に総攻撃の指令を出した。
◇
戦場では、龍二部隊が銃剣に武器を持ち替えて氷帝の本陣へ襲いかかる。それと同じくして、アイトゥレを筆頭に8万の軍勢が一斉に騎兵隊へ襲いかかった。もはや雪原が炎と血によって赤く染まり、騎兵隊という精鋭殺人部隊とAIM軍によってカオスな状態となる。
この時においても、先生は細かな指示を出している。歩兵部隊など打撃で戦う兵士には、騎兵隊の兵士1人に対して3人で戦わせる。どれだけ鍛え抜かれた殺し屋でも、丸腰にされた上に武器を持った複数の軍人に囲まれれば一溜まりもない。
騎兵隊の兵士は次々と討ち取られていく。 また、炎によって火傷をおい、真冬の川やサロマ湖に飛び込んだ兵士もいた。彼らは、あるものは凍死、あるものは溺死、そしてまたあるものは対岸にいたAIMの狙撃部隊によってこの世から消される。
隊員が次々と死んでいく中で、氷帝は死に物狂いで活路を見出そうとしていた。そこへ、かつて『奥州の龍』の異名で恐れられた、青の革命団メンバー関戸龍二が姿を表した。
「北広島氷帝。俺があの世へ送ってやるよ。」
氷帝が苦し紛れの負け惜しみを繰り返す。
「お前は1人じゃ何もできないようだな。」
龍二は、そんな彼を哀れみの目で見つめながらも煽り倒す。
「戦は1人でやるもんじゃねえよ!そんなに1人にこだわるならオナニーでもしとけ!!」
氷帝がサーベルを抜いて襲いかかってくる。龍二は、それに対して銃剣で応戦。決闘の火花が散った。
龍二の所持している銃剣は、鋭い刃物にも対応できるように鋼鉄の細工が施されている。彼らの決闘は、周囲で戦う双方の兵士達の目すらクギ付けにする激しいものであった。お互い一進一退の攻防を繰り返す。
30分くらい経った頃。ついに龍二の銃剣が氷帝の首を突き刺した。氷帝が最後までもがき倒そうとサーベルを振り回すが、龍二は臆することなく今度は心臓つく。それから極め付けに、腰に差していた拳銃を抜くと氷帝の頭を撃ち抜いた。
氷帝はその場に膝をつき、死ぬ間際まで1人で、
「絶滅は正義だ。」
などとほざき散らかしていた。
AIMの兵士達は、龍二の勝利に歓声をあげ、氷帝は間も無く息をひきとる。残された騎兵隊兵士は次々と殺され、3万いた軍隊で生き残る者はたったの5人くらいしかいなかった。紋別騎兵隊は、天才軍師の諸葛真によって見事に因果応報されたのである。
一方AIM軍も約5000人の死者を出した。だが、あの日本最恐の軍隊に対して圧倒的な勝利をもたらしたのだ。このサロマ湖畔の戦いは、先生と龍二、アイトゥレの名前を広く世間に知らしめることとなった。
戦いの後、アイトゥレは龍二と共に3万の軍勢を引き連れて紋別へと侵攻を開始。先生は、残りの軍隊を率いて再び網走へと引き返す。
凍てつく世界の果てから日が上るのには、もう少し時間がかかりそうだ。先生は、薄明るい水平線を眺めながら、次の戦いについての思いを巡らせるのであった。
◇
敗戦の報はすぐに紋別へと届く。仮眠を取っていた松前大坊は、すぐに幹部を集めて会議を開いく。まさかAIMが騎兵隊を打ち破るとは誰もが予想していない。だから紋別にいた官軍将校は、誰1人として冷静を保つ者はいなかった。
松前は、改めて無条件降伏の件が黙殺されたことを受けて、サクの処刑を決定した。
◇
その頃、牢獄には、やつれ果てたサクと紗宙の姿があった。牢屋には、身体を温めるものなど何一つなく、寒過ぎて睡眠をとることすら難しい。
サクは、壁に横たわる紗宙に声をかける。
「なんで書いたんだよ。」
「サクが痛めつけられるのを見たくなかった。」
紗宙の声が疲れ果てていた。サクは、自分の為にあんな文章を書いてくれた彼女への申し訳なさでいっぱいになる。
「俺のことなんてどうでもいいだろ。それよりも、あんな文章を親父やAIMの人間が見たら大変なことになる。」
「どうでも良くない。サクが苦しむくらいなら、裏切り者にされて殺されたほうがマシ。」
サクの口調が強まる。
「バカなこと言うなよ!」
すると彼女の言葉にも熱がおびる。
「本音だから!」
「だって俺のこと嫌いなんじゃ...。」
「嫌いなんて、一言も言ってない。」
「じゃあなんであの時...。」
紗宙は、振られたことを引きずるサクに苛立つ。
「そんなこと自分で考えなよ。」
サクが何も言い返してこない。紗宙は、鈍感で不器用な彼に思いをぶつけた。
「けど、私はサクがいなくなって良いなんて思ったこと一度もない。」
サクがしばらく黙ったあと口を開く。
「ごめん。俺もわかってたんだ。でも、どうしても諦められなくてこんなはめに...。」
紗宙がため息をつく。
「手紙、読んだよ。」
サクは、恥ずかしくて紗宙から顔を背ける。そんな彼に対して、紗宙が包み隠さず気持ちを吐き出す。
「あれを読んで思った。私がいなければこんなことにならなかったのかなって。」
サクは、全ての責任を彼女に背負わせてしまったと焦り、慌てて弁明しようとする。
「いや、悪いの全部俺なんだ。俺がカッコつけたくてつい。」
紗宙が首を横に振った。
「サクに見栄を張らせてしまった。蒼とのいざこざの原因を作ってしまった。AIMの結束に少なからず水をさしてしまった。だから私にも責任があると思う。」
「紗宙は悪くない !俺が間違っていたんだ!」
紗宙は、サクの方を見た。サクは申し訳なさそうな顔をしている。
「俺はミナのことが本当に大好きだった。彼女が松前に殺されてからも、彼女のことを一度たりとも忘れたことなんてなかった。だから、ミナに瓜二つの紗宙と親しい蒼が羨ましかった。そして憎かった。思えばそれはただの逆恨み。本当に情けない男だよな。」
紗宙は、そんな彼の話を真剣な眼差しで聞いている。
「でも、私や街の人を守る為に騎兵隊へ立ち向かってくれた。本当に情けない男ならそんなことしないと思う。」
「いや、あの時の俺は頭がラリってたんだ。きっと紗宙の前でカッコつけて、ミナの元へ向かう為に死に場所を探していたんだ。」
その発言に対して、紗宙は苛立ちが溢れ出す。
「そんなこと言うのやめて!サクが死んでもミナさんは悲しむだけでしょ!」
彼女が明らかに怒っている。サクは、自信なさげに彼女を見た。
「なんでそんな怒るんだよ...。」
紗宙は俯くと、喉に溜まっていた思いを再び吐き出した。
「生きたくても生きれなかった人...、たくさん見てきたから...。そんなくだらない理由で死に場を探してるサクが気に食わなかった。」
サクは、返す言葉を失い黙り込む。
「ミナさんもそう。AIMの兵士たちもそう。教団に殺された私の両親もそうだった。みんな誰かの身勝手な都合で殺された...。」
サクは、彼女の話を聞いてから、死に急ごうとした自分の愚かさに気付かされる。それだけではなく、本気で怒ってくれた彼女に対しての申し訳なさで心がはち切れそうになる。
「ごめん...。」
紗宙は、自分の手のひらを見つめていた。
「この話、もう辞めよ。」
サクも首を縦に振る。冷静になって考えると、今はそれどころではないのだ。時間は待ってくれない。早くここを出る作戦を考えねば、どんな酷い目に合わされるかわからない。
話題を切りやめてから時間が経てど、牢獄は相変わらず冷凍庫みたいに寒かった。
サクは、隣でずっと考え込んでいる彼女に対して、どう話を切り出して良いのか迷い、また適当な話を振ってしまう。
「なんか、アイツとのエピソード聞かせてくれよ。」
「アイツって誰?」
「アイツはアイツだよ。」
紗宙は分かっている。サクがそんなこと言う相手なんて、知り合いには蒼しかいないのだから。
「えー照れくさい。そんなの『アイツ』に聞いてみたら?」
「アイツは、俺のこと嫌ってるから無理だよ。」
「そんなことないと思うよ。彼、感情表現が苦手なタイプだから、冷たく感じるだけだよ。」
「そうかな...。」
すると彼女が呟いた。
「早く会いたいな...。」
サクが嫉妬まじりにネガティブなことを言ってみる。
「無理だよ。騎兵隊から逃げ出すことなんて。」
紗宙は、その諦めた態度にカチンと来たようだ。
「そんなのわかってる。北見で散々あいつらの狂気を見せられたから。でも諦めたくない。」
サクは、それを聞いて深いため息をついた。
「わかったよ。とにかく考えよう。」
こうして2人は、作戦を立て始めようとしていた。しかし、牢の外へ出られる機会は突如として訪れたのだ。悪い意味で出られる機会が。
◇
紗宙の頭に冷たい何かが触れた。サクは、恐怖で何も言えない。2人が作戦の立案に夢中になっている間、いつのまにか松前達が部屋へ入っていたのである。
銃口を突きつけられた紗宙は、目の前が真っ白になった。いくら場数を踏んだところでこればかりは緊張が走る。なんたって、相手の気分次第で自分の運命が決まってしまうのだから。
松前が紗宙の頭を銃口でどつく。
「AIMが書状を黙殺した。」
紗宙の顔が少し上向く。それを見た松前は、また銃口を突きつける
「使えん女だ。生きてる価値あるのか?」
紗宙は、身体の震えを抑えつつ、抵抗の姿勢を崩さない。
「いくら説得したところで、先生の意思を揺るがせることはできない。」
「お前、何か仕組んだな?」
「言われた通りに書いただけ。 」
松前が紗宙の胸ぐらを掴む。
「クハハハ、だが残念だったな。サクは死刑だ。」
そう言うと彼は、兵士に命じて紗宙とサクを処刑場まで連行させるのであった。
◇
処刑場は凍てつくオホーツク海に突き出した岬にある。刃物のように鋭い寒風が、薄着の紗宙とサクの身体を切り刻むように痛めつける。風も強く、頰に当たる雪が銃弾のように感じられた。
サクは、手足を縄で縛られ、岬の先端に連れていかれる。処刑場には、簡易的な奉行所のような建物があり、時代劇に出てくるお白州のようなところもあって、松前が上座に偉そうにふんずりかえっている。
周囲には、松前の親衛隊と呼ぶべき官軍の幹部や屈強な騎兵隊の兵士が多数見守っていた。紗宙は、彼らの前に引きずり出され、地べたに這い蹲らされる。騎兵隊の兵士たちは、集団で彼女を何度も踏みつけた。地面は氷のような雪で覆われていて、すぐにでも低温火傷になりそうだ。
松前は、力尽きそうなサクに向かって声をかける。
「サク。2年前のことを覚えているかな?」
サクは顔色を失う。彼の言っている2年前のこと。それは、紛れもなくミナのことだった。きっと彼は、ミナに対してやった仕打ちと同じことを紗宙にしようとしているに違いない。
「頼む、紗宙を殺さないでくれ。頼む。」
松前は、噴き出すように笑う。
「プハハハ、安心しろ。死ぬのはお前だけだ。」
サクは、そんな彼を疑心の目で睨んでいた。だが、松前は残忍な男である。そう簡単にもいかないようだ。2年前を超える最悪な方向へと動いていく。
「紗宙。お前がサクを殺すのだ。」
サクの顔から血の気が引く。それは紗宙も同じである。
「そんなことできない!どんな残酷な拷問を受けてもそんなことはしない!」
松前は、彼女が抵抗する姿を微笑ましく見つめていた。そして兵士に命じる。
「ゴミどもを連れてこい。」
兵士達はすぐに奉行所内へ向かうと、縄でつながれた数人の人間を紗宙とサクの前へ引きずり倒す。その人達の中には、女性や老人、まだ幼い子供、それに赤子も含まれている。
サクは、松前に怒鳴り散らす。
「何の真似だ!!!!」
松前は、それをガン無視して紗宙に目を向けた。
「こいつらが誰だかわかるかな?」
明らかに戦争とは無関係の一般人だと言うことくらいはわかる。紗宙は黙っていた。すると松前は、彼女に命じる。
「サクを凍てつくオホーツク海に突き落とすのだ。」
だが、彼女は意地でも首を縦に振らない。
「絶対にしない。私はサクを殺さない。」
松前がニヤけるながら指を鳴らす。兵士達は、銃を縄で縛られている一般人達に向けた。紗宙が咄嗟に叫ぶ。
「やめて!その人達は関係ないでしょ!」
松前が冷酷に命じる。
「サクを殺せ。」
紗宙は首を横に振る。すると、松前はまた指で合図をした。銃声が響き、老人が1人死んだ。その血しぶきが紗宙の身体にもかかる。彼女は目の色を失い、寒さも相まって全身の寒気と震えも止まらない。
「何を黙っている。早くサクを殺すと言え!!」
彼女がサクの方を見た。サクは何も言わずに目を閉じている。
躊躇していると松前がまた指を鳴らす。今度は、幼い男の子が銃声と共に血を撒き散らした。男の子はおそらく、10歳にも満たない小学生くらいだろうか。松前大坊というクソみたいな大人の手で、若くして紋別の土となった。
紗宙は、あまりの残忍さに絶望して、常軌を逸した恐怖に心が支配される。
「もう...、やめて。」
松前は、その崩れ落ちそうな表情を見て興奮したのか、満足そうにニヤける。
「サクを殺害する気になったかな?」
それでも彼女は、首を縦にふることなんてできなかった。すると、松前がまた指を鳴らして合図をする。やせ細った男性の首に穴が空いた。男性はうめき声をあげながらしばらく踠いて抜け殻になった。
「紗宙。お前のせいで人が3人死んだのだぞ。お前のせいで。」
彼女は、あまりの恐怖で泣くことすらできない。松前や官軍の幹部がヘラヘラ笑っているのがわかる。
するとサクの声が聞こえてくる。
「紗宙!もう俺を殺してくれ!」
彼女は、か細い震えた声で答える。
「そ...んな、そんなこと...できない。」
松前がまた指を鳴らす。今度は男性が2人、女性が1人、紋別の土になった。紗宙の周りは血の池地獄だ。
「早くしないのか。それとも人が死んでいくのを見るのが楽しいのか?」
彼女は目を瞑る。松前がまた指を鳴らす。騎兵隊の隊員が縄を持ってきて、まだ生後まもない赤子の首にくくりつけた。隊員はそれを少しずつ締め上げていき、赤子の泣き声が岬に響き渡る。その母親らしき女は、紗宙に怒号を浴びせた。
「早くしなさいよ!!早くあの男を殺しなさいよ!!」
目を開けて前を見ると、赤子が顔を真っ赤にして泣き声をあげていた。紗宙は、再びサクの方を見た。
「早く俺を殺せ!!!」
躊躇していると、赤子の声が徐々に弱まっているような気がした。母親は泣き叫んで発狂。紗宙に対して、人殺しと叫んでいる。
サクは、追い詰められる彼女を見ていられず、必死に訴えかける。
「紗宙!もういい!お前の気持ちはわかったから!早く俺を殺せ!!」
紗宙は、赤子を見た。今にも息を引き取りそうだ。隣に目を移すと、松前が冷徹な目でこちらを見てくる。
「どうだ、サクを殺す気になったか?」
彼女は、感情を奪われたかのように、無言で首を縦に振った。
松前が手を叩く。すると、紗宙を踏みつけていた足が引いていく。そして無理やり起き上がらされて、サクのところまで連れて行かれた。
サクの前まで来ると3人の兵士が彼女の退路を塞ぐ。目の前には力尽きた顔のサク。その後ろには、季節外れの流氷で凍りついた極寒のオホーツク海が広がっている。サクの足に巻きついた縄には、がっしりとした重りがついていて、海に落ちたら2度と上がって来れないだろう。
紗宙は、サクの前で俯いて黙っていた。すると松前がまた指を鳴らし、赤子の泣き声が響きだす。
全身を震わせたまま動けない彼女に向かってサクは言う。
「ごめんな。こんなことに巻き込んで。」
彼女は、下を向きながら首を横に振る。
「サクは、何も悪くない...。」
「きっとこれは、愚かな俺にミナが与えてくれた罰なんだ。あの時、民族の誇りを捨てただけでなく、己の淡い欲望のためにお前達を窮地に追いやってしまったことへの。」
紗宙は、この期に及んでまだうじうじしている彼に向かい叫ぶ。
「だから馬鹿なこと言わないでよ!!!」
だが、サクは冷静だった。
「もういいんだ。最後に本気で叱ってくれてありがとう。」
彼女は泣いている。指を弾く音が聞こえると、また1人、今度は女性が雪の上に散った。
松前が、楽しそうに煽ってくる。
「どうした!早くせんか!」
紗宙の頭の中はめちゃくちゃになり、いつ発狂してもおかしくはない。
するとサクは、自ら後ずさりをしだす。
「手を添えろ。添えるだけでいい。少しでも動かねえと人が死ぬ。」
紗宙が震える手をサクの胸に当てる。サクがまた自ら少し後ろに下がる。彼の足元の雪がかすかに海に落ちた。
「いいか、蒼に伝えてくれ。今まで悪かった、俺の負けだと。」
彼女は何も言わずただただ頷いた。サクは、言葉を詰まらせながらも伝えたいことを話す。
「そして灯恵には、手料理食べさせる約束守れなくてごめんって。」
紗宙は、サクの目を見ることができない。
「そんで親父にはこう伝えてくれ。俺は親父の息子であったことを誇りに思っている。アイヌに生まれて良かったって。」
雪の上に水滴が流れ落ちた。紗宙が顔をあげると、サクの目から溢れるように涙が出ていた。
背後では、松前が人を殺させたのか悲鳴が再び響く。
「もう終わりにしよう。俺は、ミナの元へ行ってくる。」
紗宙は、手を押し出すことなんてできない。もうどうしたら良いかわからなかった。
松前が容赦無く赤子の殺害を命じる。するとそれを見たサクは、身体をあえて前のめりに倒した。そして、彼の身体が紗宙の腕に押される形で後ろに仰け反る。彼女は、突然のことに慌てて彼の服を掴もうとする。しかし、間に合わなかった。
サクは、最後にこう言った。
「お前と会えてよかったよ。またどこかで会ったら...。」
彼の身体が極寒の闇に落ちていく。その姿は小さくなっていき、一瞬にして凍てつく世界に消えていった。
紗宙は、その場に膝から崩れ落ち、大切な人間の命を奪ってしまったことに絶望して泣き叫んだ。
「いやあああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!」
彼女の視界が真っ黒に染まる。そして脳裏に響きわたるのは、松前の気持ち悪い笑い声だけであった。
◇
俺、カネスケ、結夏、典一は、処刑場まで走った。もうすぐ夜明けも近づいているようだ。
俺は、寒風吹き荒れる中で、紗宙とサクのことだけを考えていた。
自分の世界に入っていると、典一が尋ねてくる。
「リーダー。紗宙さんを助ける為に必死なのはわかるのですが、あのサクの為に必死になれるのはどうしてなのですか?」
結夏も同じく気になるようだ。
「灯恵から聞いたけど、散々嫌味を言われてたんでしょ?」
「あいつが灯恵の命を救った恩人だからだ。」
2人が目をまん丸くしている。
「そうか、2人には話してなかったな。北見の街で結夏と別れた後、騎兵隊に殺されかけた彼女をあいつは助けたんだ。自分の身を犠牲にしてな。それに、灯恵が命をかけて守った少女を助け出したのもサクだ。」
2人の顔が神妙な表情になっている。
「まだ俺は、サクのことを好きにはなれない。それに時たま殺したくなることもある。だけど、仲間の命の恩人を見殺しになんてできない。」
すると、隣で聞いていたカネスケが調子に乗って煽ってくる。
「冷酷なリーダーも人間だってことよ!」
その発言に対して、結夏は苛ついた。
「ねえ?ウケを狙うタイミング違くない?」
「ご、ごめんなさい。」
カネスケは、大切な人の為なら命をかけられるカッコいい男だが、自分の彼女に対しては弱いところがあるのだ。
俺がチラリと結夏を見ると、彼女は真剣な眼差しで前を向いている。その姿から、きっとサクに対する考えを改めてくれたのだろう。そしてその横を走る典一も同じようである。
「リーダー。必ずサクも助け出しましょう。あいつがそんな男らしい奴だとは知らなかったです。」
「灯恵の恩人なら、死んでも助けださないと頭があがらない!」
「2人ともわかってくれてありがとう。」
そんな話をしていると、処刑台のある岬が姿を現した。その先端を見てカネスケが声を上げる。
「おい、あれ見ろよ!急げ!」
カネスケの指差した場所を見る。するとそこには、サクを海へ突き落とそうとしている紗宙の姿があった。
「紗宙!辞めろ!!!」
しかし、彼女に声が届くはずもない。
俺たち4人は、雪と氷で何回も転びかけたが、それでもめげずに走り続ける。岬が近づくにつれて敵の兵士とも遭遇するようになる。敵は屈強な騎兵隊の兵士だ。しかし、誰かの為に必死の俺たちには、そんな奴らなど道端に落ちているゴミでしかなかった。
結夏の投げナイフ、典一の拳、カネスケの警棒、そして俺の拳銃。敵は、毒の塗られた槍やショットガンを所持しているのにも関わらず、俺たちの前でことごとく討死していった。
◇
ついに処刑場へたどり着くと、松前の親衛隊が襲いかかってくる。親衛隊だけではなく、死刑を見物に来ていたであろうこの街の市民もだ。カネスケが市民を気絶させ、俺と2人は親衛隊と戦った。
処刑場内で戦っていると、ついにこの戦争を先導してきた張本人の松前大坊が姿を現した。
「貴様ら!!なぜこんなところに!」
「お前が松前か??」
「おう!俺が札幌官軍3将の1人、松前大坊だ!!」
「2人を返してもらうぞ!」
松前が不敵な笑みを浮かべた。
「フハハハハ、遅かったな。あのアイヌの若造は死んだ。お前の大切なガールフレンドの手によってな!!!」
それを聞いた俺は、有無を言わさずに激昂した。この時の俺の顔つきは、殺人鬼そのものだっただろう。すぐさま銃を向けて松前を撃つ。何発か撃ってから、怯んでいる松前との距離を詰めると、奴の足を刃物で滅多刺しにした。
動けなくなる松前。そこに騎兵隊の兵士達が乗り込んできた。彼らは所持していた毒槍で俺を突き殺そうと襲ってくる。
俺は、松前から離れると間一髪で毒槍を交わす。だが、兵隊達はしつこく、なかなか前へ出られない。その間に松前は、足を引きずりながら逃げ出した。
俺が毒槍に苦戦していると典一がやってきて、兵士達をあっさりと地面に沈める。
「リーダー!ここは俺に任せてください!」
彼に感謝を述べるとすぐさまその場を離れ、紗宙のいる岬の先端まで向かった。彼女の元へ向かう途中、やけくそになって市民を殺戮している兵士を見つけた。
俺は、足を止めてその場へ駆け寄り、兵士の首に短刀を突き刺してノコギリのようにキリキリと首を切断。それを見たまわりにいた人々が悲鳴を上げる。どうやら彼らは、騎兵隊に自分の親族や仲間が殺されても、悲しむ反面で神々がやることなら仕方がないと黙認している節があったそうだ。
俺はそんな市民を怒鳴りつける。
「神々は死んだ!この世に絶対など存在しないんだ!」
それから、落っこちた首を銃で撃ち抜いて粉々に破壊。残骸となった頭部の破片を足で踏みつけた。
「お前たちはもう自由だ!自分のために、大切な何かのために生きていけ!」
こうして彼らの前から立ち去る。市民らはまだ動揺を隠しきれず発狂しているものもいたが、中には洗脳が解け始めたのかこちらをボケっと眺めている者もいた。
俺はすぐに駆け出す。そして、岬の先端へと辿り着いたのだ。先端には紗宙が膝をつき、死んだような顔で真下に広がる灰色の海を眺めていた。
「紗宙!!!」
彼女は何も反応しない。聞こえてないのだろうか、俺は彼女のそばへ行く。
「紗宙、まさかお前...。」
彼女は、ゆっくりとこちらを向く。涙が乾き切ったその表情は、絶望そのものであった。
「私...、サクを...殺した...。」
彼女がすっと立ち上がると、サクと同じくオホーツク海へ飛び込もうとする。俺はそれを止めようとするが、彼女は強引にでも前へ進もうとする。
「私も死ななきゃ。」
彼女は、死霊にでも取り憑かれたかのように発狂していた。俺は彼女を力づくで押さえつけ、強く腕の中へ抱き込んだ。
彼女は、まだじたばたしている。
「離してよ!!私は死んで当然なことをした!!もう生きてられない!!」
俺は何も言わず、薄明るい極寒のオホーツク海を眺めていた。そして決意を固めてから結夏を呼んだ。
彼女は急いで駆けつけてくれた。
「紗宙を頼んだ...。」
「頼んだって...。何をする気?」
「連れ戻しに行くんだよ。あんたの娘の命の恩人をね。」
彼女が驚いていた。
「馬鹿なの?こんな極寒の海に飛び込んだら、助けるどころか一緒に死ぬだけだよ!」
「だからなんだよ??」
「は?蒼が死んだらみんな悲しむんだよ?」
「サクを見殺しにしろって言うのかよ?」
「そう言うことじゃないけど。でもこんな海に飛び込んだら...。」
「結夏。俺さ、もう覚悟できてんだよ。」
彼女は、それ以上何も言わなかっあ。俺は紗宙を結夏に預けると、極寒のオホーツク海と向き合った。あんなにカッコつけたが、実はめちゃくちゃ怖い。怖くて震えていることを隠すために、あえて寒そうな素振りをした。もうやるしかない。やらないとカッコがつかない上に、今まで心を鬼にして行ってきたこと全てが無になるような気がした。
俺は、飛び込むまで一切下を見ないと決め、いっせーので跳ぼうとした。すると、後ろから誰かの腕が俺を強く包み込んだ。白くて細い、紗宙の腕である。
「行かないで!お願いだから行かないで!」
彼女の声は震え、そしてかすれていた。白くて細い綺麗な腕は、目一杯の力で俺を押さえつけていた。紗宙は、結夏ほどではないがしっかりしていて頼りがいのある女だ。それにクールで、冷静に物事を判断できるタイプである。だからこそ、プライドを捨てて俺を止めようとしてくれている彼女から愛を感じた。
彼女が俺から腕を離してくれる気配はない。結夏は、その光景を何も言わずに見つめている。きっと、自分が踏み込んでいい場面じゃないと察しているのだろう。
俺は紗宙と向き合う。そして彼女の後頭部に手を回すと、自分の額を彼女の額にくっつけた。
「俺を信じてくれ。必ず生きて帰ってくるから。」
「信じてるけど...。」
「この世に紗宙が生きてる限り、絶対に死ぬことなんてないさ。だから行かせてくれ。」
「うん、とは言えない...。」
「どうして?」
「ずっと側にいて欲しいから。それに...。」
「それに?」
「それにこれ以上、自分のせいで人が死ぬところを見たくない。」
俺は、強く言い切る。
「俺は死なない。」
「なんでそんなこと言い切れるの??」
「紗宙を絶対に1人にさせない。そう心に誓ってるから。」
俺は、真っ直ぐ彼女の目を見た。彼女も俺の目を見つめている。俺の揺るがない気持ちが伝わったのか彼女は言う。
「わかった。」
「わかってくれてありがとう。」
俺が彼女にキスをすると、彼女もそれに答える。数秒の間、俺たちはそのままだった。水平線から漏れる明かりが、2人を照らしている。深いキスの後、また彼女の目を見つめる。
「この続きは帰ってからだ。」
「約束だよ。」
「約束だ。」
「死んだら許さないから。」
「待ってろよ。」
俺は、彼女を結夏に託す。それから極寒のオホーツク海と向き合った。
必ずサクを連れ戻して紗宙の元へ帰る。そして、俺は俺の野望を叶えるまでは絶対に死なない。そう心に刻み込み、大きく深呼吸をする。
ここまで付いてきてくれた革命団のメンバーや関係者の顔が頭によぎる。絶対に死んでたまるものか。俺は生き抜いてやる。自分自身に何度も暗示をかけて恐怖心を紛らわす。
1、2、3、俺は意を決して、凍てつく世界へ飛び込んだ。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」
そして勢いよく、極寒の海の中へと姿を消したのだった。
◇
凍てつく世界を朝日が照らす。紗宙が目を閉じて手を合わせた。結夏は、震える彼女の肩に手を置いて、氷が浮かぶ灰色の海を見つめている。
俺とサクの運命は神しか知らない。彼女ら2人は、無事を祈ることしかできなかった。
(第四十九幕.完)