第四十七幕!偽りの神々
文字数 12,933文字
湧別から紋別までは、平坦な海岸線をただ北へ進むだけである。しかし、平坦であるが故に、騎兵隊にとっては有利な地形と言えるだろう。
それにしても、この日の天気はまるで女心のようであった。真夜中にオホーツク海から吹きすさぶ暴風雪が恐ろしいくらい冷たく、慣れていなければ恐怖そのものだろう。しかし、今まで幾度となく歩いてきた雪山に比べればまだマシである。
5時間程経った頃、遂に統制都市『紋別』を視界に捉える事ができた。こんな吹雪の夜であるのにも関わらず、街は眩い光を放っている。その光は、活気にあふれた暖かいものではなく、何か冷たい機械的な刺激を感じ取らせるものである。
俺たちは、ある程度近づいた辺りで茂みに身を潜めて様子を伺った。町の中からは、勇ましいラッパの音と、兵士の掛け声が響いている。恐らくは、出陣の準備なんかをしているのであろう。一足遅ければ、先生の作戦を台無しにするところであった。俺は、兵士達に迫撃砲を準備させ、瞬く間に紋別の街へ砲撃を開始させた。
激しい爆音と共に発せられた砲弾が次々と街に直撃。響いていたラッパの音、そして兵士の掛け声は、警報と怒号に変わっていった。
しばらく砲撃を続けていると、町から続々と騎兵隊の騎馬軍団が出てくる。俺は、指示に書いてあった通り龍二に全兵隊を率いさせ、騎兵隊の銃撃が届かない程度の所まで向かわせる。
龍二は、そこで兵士たちと共に騎兵隊を徹底的に煽る。
「日本最恐に臆病なチンピラなど、寄せ集めの軍隊でも勿体無いくらいだ!悔しかったら出てきて戦えよザコ!!」
兵士達も騎兵隊に対して、臆病、ザコ、日本の恥、人殺し、レイプ集団、成り上がりのイキリ軍団、などなど思いつく限りの悪口で、日本最恐の名前に泥をぶちまけるようにお高いそのプライドを煽った。
それに対して、騎兵隊は黙々と隊列を整え始めている。しかし、その中心で指揮を取る北広島氷帝は、苛立ちと焦りを彷彿させるような仕草が見受けられた。
龍二は、先生の指示通りに敵の準備が整う前に機動部隊を脇から突撃させる。そして、騎兵隊の主力部隊の一つである長弓部隊に大損害を与えることに成功する。だが機動部隊は、騎兵隊最強の重騎兵に取り囲まれ、100人中戻ってこれたのは龍二含めて5人だった。
俺は、こんな危険な戦いを龍二に任せてしまったことがすごく申し訳なかった。
龍二は、そのまま全軍を前に進めたかと思いきや、徐々に交代させるといった高度な戦術に着手する。以前彼と戦いについて話した時、こういった戦術を暴走族時代の抗争中に色々編み出していたのだと言う。先生も彼のこういう才能を見出して、この役を適任したのであろうか。
俺とカネスケ、そして典一がしばらく様子を伺っていると、目の前の戦場が動き始めた。そのきっかけを作ったのは、何と言ってもイカシリであろう。
彼は、得意の狙撃で敵の勇猛そうな戦士を着々と撃ち殺していく。それも敵が手を伸ばしても届かないような戦場の後方からだ。これにより、騎兵隊は軍を整える間も無く突撃を余儀なくされた。
龍二は、その動きを見逃さず素早く指示を出す。そして400人弱の龍二部隊は、騎兵隊との距離を保ちながらも網走方面へと退却を開始していくのある。
それに対して騎兵隊は、氷帝を筆頭に龍二部隊を絶滅させるべく追撃を開始。それから30分も経たない間に、両軍は網走方面へと消えていく。見えるのは、微かな雪煙だけである。俺たち3人は、日が昇る前に紋別へ潜入するべく、茂みを抜けて密かに歩き出した。
騎兵隊の主力がいなくなったところで、まだ留守番の騎兵隊員が多数残留していることであろう。彼らは、一人一人がプロの格闘家や殺し屋レベルの実力を持っていると言われている。俺は、恐怖で逃げ出したくなる気持ちをひたすら押し殺しながら、極寒の雪原を紋別に向かって静かに歩いていた。
◇
騎兵隊屯所の隔離部屋。ここは主に、捕虜の監禁と拷問に使われるスペースだ。
紗宙が目を覚まして初めに目に入ってきた光景は、自分が捕らえられている反対側の檻で、傷だらけになって磔にされているサクの姿だ。彼の周りには、屈強な騎兵隊の兵隊と、鉄の棒を片手に所持するいかにも悪そうな人相の大男がいた。その男は、紗宙が目覚めたことに気づいた。
「ようやく目覚めたか。 青の革命団の袖ノ海紗宙。」
紗宙は、目の中に飛び込んできた多量の情報に戸惑ったが、ある程度は状況を把握できた。
「俺は札幌官軍三将の松前大坊。お前らのことは全て調べさせてもらった。」
松前は、サクの腹部を鉄の棒の先端で叩きつけた。サクは痛みに耐えきれず悲鳴をあげる。紗宙はとっさに叫ぶ。
「サク!!!」
松前は、君の悪い笑顔で笑い、淡々と語る。
「この男は、北海道の治安を乱し、多くの死者を出すことになったこの戦争の主犯格。痛めつけられて当然なのだ。」
それから彼は、何度も鉄の棒でサクの全身を叩き続ける。サクはその度に苦しそうに唸るのだった。
紗宙は、そんな光景を見続けられるはずもない。ダメ元でも松前へ懇願する。
「お願い!もう辞めて!!」
松前は、冷徹な目つきを崩さない。
「なぜお前のような犯罪者に、指図されねばならぬのだ。」
彼は、ポケットからペンチを取り出すと、それでサクの前歯を摘んだ。サクの顔が恐怖で真っ青になっていく。
「お願い!なんでもするからサクを苦しめないで!!」
松前がニヤリと笑う。
「なんでもするだと?」
「その言葉通りよ!なんでもするから拷問なんて辞めて!」
しかし、松前は容赦無くペンチを力一杯握る。それによりサクの前歯は砕け散り、口の中から血液が流れ出た。人間の凄まじい悲痛の叫びが紗宙の鼓膜を痛めつける。あまりにも残酷な光景に、彼女の全身が恐怖で支配された。
紗宙は、鉄格子を掴み、必死に叫んだ。
「お願いします!もう辞めてください!!」
すると松前は、ペンチを胸ポケットにしまいこみこちらへと近づいてくる。
「紗宙。お前はAIM参謀の諸葛真と親しい間柄のようだな?」
紗宙が震える気持ちを抑えながらハイと答えた。
「俺は知っている。あの男さえ居なければ、AIMが崩壊することを。」
紗宙は、松前の残虐性を目の前になかなか言葉が出てこない。
「俺が何を言いたいかわかるだろう?」
紗宙が尋ねる。
「先生を説き伏せろということ?」
「その通りだ。お前直筆の書面で奴に降伏を促すのだ。 」
紗宙は、何も言えず言葉に詰まる。すると松前が畳み掛けるように詰める。
「何を躊躇している。何でもするんだろ?それとも拷問の続きが見たくなったか?」
紗宙は、冷静を必死に保つ。
「書状を書いたところで、先生は降伏なんてしないと思う。」
「果たしてそうかな。降伏しなければサクを殺し、お前は日本政府へと売り飛ばす。この事実を突きつけたとき、諸葛真は冷徹に対処するかもしれない。だが、その周りはどうだろうな?」
「何が言いたいの??」
「お前の恋人である北生蒼、そしてサクの父親であるイソンノアシは、酷く動揺するだろうな。」
紗宙は、それを聞いてまた言葉に詰まる。蒼はともかく、息子思いのイソンノアシはどう判断するのだろうか。もしかしたら本当に降伏してしまうかもしれない。
それから、もし仮に自分の書いた文章のせいでAIMが降伏するようなことがあれば、もうみんなに合わせる顔がない。無事に解放されたとしても、きっと裏切り者だと噂され、恨まれて誰かに殺されるかもしれない。けども書かなければ、サクが更なる酷い拷問を受けることになる。
紗宙が考えていると、松前が再びペンチを握りながらサクの方へ歩み寄っていく。彼は、サクに言い聞かせた。
「あの女はサディストのようだ。お前の無様な姿を見物することに快感を覚えている。」
するとサクが叫ぶ。
「紗宙!俺のことなんてどうでもいい!そいつの言いなりになんてなるな! 」
松前は、眉間に皺を寄せながら、サクの全身を舐め回すように見る。
「さてと、次はどこを握りつぶしてやろうかな。」
彼がサクの指にペンチを向ける。その時、紗宙の口が開いた。
「わかった!書くから、書くからサクにこれ以上手を出さないで!」
松前は、それでも辞めずにサクの小指をペンチで挟み、少しずつ力を加えていく。サクの顔が苦痛で歪み始めた。
「書かせてください松前様、だろ?」
紗宙は悔しかったが、今は彼のいう通りにするしかない。
「か、書かせてください。松前様。」
サクが叫ぶ。
「辞めろ紗宙!書くな!!」
それを聞いた松前は、満足げな顔で容赦無くサクの小指をへし折った。 サクがまた酷い声をあげる。
松前は、平然と彼への暴行を続けようとしている。すると紗宙は、松前にすがるように言う。
「お願いします!降伏の書状を私に書かせてください!お願いします!!」
松前は、ようやく気が収まったのか彼女の方を振り返る。
「そこまで言うなら書かせてやろう。」
彼は、配下の兵士に紙とペンを持って来させると、それを紗宙に渡した。それから、考えた内容をそのまま紗宙の言葉で紙に書かせたのだ。
その内容は、サクの命と引き換えにAIMに無条件降伏を要求する内容である。そして、取引の内容以上に胸糞悪かったのは、紗宙自らが松前に心酔してAIMを降伏させたいと思いこれを書いている、と言う設定であった。
これでは彼女がAIMを見限って、保身のために札幌官軍に寝返ったと受け取られても仕方がない。
書き終えた紗宙は、悔しさで胸が締め付けられていた。
松前が紙を取り上げ、彼女の髪を引っ張りながら耳元で囁く。
「これでお前は、裏切り者確定だな。」
逆らえない紗宙は、ただ小声でハイと返事をするだけであった。
松前が去っていく。紗宙は、抜け殻のようになりながら、ぐったりと壁に寄りかかった。
サクと彼女の間には、半開きになった扉から入り込む北国の冷たい風が吹き込んでいた。まるで、2人の関係をズタズタに切り裂こうとするかのように。
◇
人工的なのに非人工的だ。これは、俺がこの街に潜入して一番初めに感じた感想である。
戦時中で道東にある街のほとんどが荒廃の一途を辿っているが、この街は一切それらを垣間見させない。綺麗に舗装された道路。隅々まで行き渡る清掃。迫撃砲で爆破した地域以外は、もはや戦争とは無縁の街だ。
だがそれだけなら、ここまでこの街に対して嫌悪感を抱くことはなかっただろう。
日本政府の衰退によりインフラが縮小。主要都市以外は、ほとんど電気が通らなくなってしまったこの世界。そんな中でこの街は、真夜中で人っ子1人いないのにも関わらず、街中の蛍光灯が眩く光を放ち続けている。まるで、街の隅々まで監視するかのように。
そして、こんなにも光を放っていて煌びやかなのに、飲み屋やゲームセンターなどの大衆向けの建物が一切目に入ってこない。もちろん、スーパーも郵便局も病院も理容室も、そしてラブホテルも。
俺たちは、暗がりが少ないこの街で影を見つけながら探索を続けていた。すると、ビルの影に男がいることが確認できた。こんな真冬の夜中に、1人口をポカンと開けながら夜空を仰いでいる。
俺は、懐に忍ばせていたナイフを手に握る。
「やるぞ。」
「リーダー。彼は一般市民ですぞ。」
「尋問にかけるだけだ。殺す気はない。」
カネスケがボソッと言う。
「気を付けろよ。あいつ、手に何か持ってるからな。」
よくよく観察すると、確かに何か手榴弾のような丸い物を所持している。
「腕を切り落とすくらい許せ。」
カネスケは、そんな残忍な俺を止めることはなかった。きっと今は、それすらも坐せない時なのだと判断したのだろうか。典一も心のスイッチが入ったのか戦士の目つきに変わっていた。
それから、俺たちは男の背後へ回り込み、3人で一斉に襲い掛かった。男は抵抗するも、俺が彼の首に刃物を突きつける方が早かった。
「死にたくなければ、捕虜の居場所を吐け!」
「別に死んでもいい。俺は、侵入者の存在を神々に報告するだけである。」
彼の口調はまるでロボットだ。感情や抑揚を全く感じられず、ただ定型文を読み上げるかのように言葉を発している。そして、手に握っている何かを使おうとする。
カネスケが咄嗟に彼の手から武器みたいな何かを奪いとると、男はそれ以上何も言うことはなく、だんまりを貫くだけであった。
そんな男に俺は聞く。
「お前はなぜ、そこまで神を崇拝しているのだ?」
「俺が生きていられるのは、神々から生きる権利を頂いているからだ。そんな尊い存在を崇拝しないわけがない。」
「なぜお前は生きる権利を与えられた?」
「従順だからだ。」
「生きる権利を剥奪された人間は、神々に従順ではなかったからだと言いたいのか?」
「そうだ。生きる権利を頂いているにもかかわらず、その恩を仇で返そうと意見する奴など生きる価値がないだろう。」
「お前の崇拝する神とはどんな人間か?」
男は、長考してから答える。
「不敗の強さを持つ英雄だ。」
「その英雄は、どこへ行けば会えるか?」
「屯所へ行けば、偉大な英雄とお目にかかれるだろう。」
「神へ貢物はするのか?」
「する。しないと天罰が下るからな。」
「何を貢ぐのだ?」
「女。そして、時には命を捧げることもある。」
「その貢いだ物は、その後どうなる?」
「神が満足するまで奉仕することになるだろうな。」
「そうか。どこで奉仕しているのだ?」
「屯所だ。しかし、神威様のお気に入りになれば、御堂尾邸で奉仕することになる。」
「それらはどこにあるのだ?」
そこまで言うと男が我に返る。そして、誘導尋問により情報を吐いていたことに気づき、再び何も喋らなくなった。
「口を割ったかと思えば黙り込む。めんどくさい野郎だな。」
どうやらカネスケは、用意されていたような言葉しか喋らない男にイラついているようだ。
俺は、男のクビからナイフを遠ざけると容赦なく彼の腕をぶっ刺した。彼の血液が俺の腕に付着する。カネスケと典一は何も言わず、ただこちらを見ないようにしている。
「俺は、刺すと言ったら本当に刺す男だ。御堂尾邸と屯所はどこだ?」
しかし男は、刃物を突き刺されたと言うのにも関わらず、ただ無言で反応一つ見せてはくれない。
俺は頭にきたので、ナイフを引き抜いてもう一度突き刺そうと構える。するとカネスケが俺の手を止めた。
「もう死んでるぞ。」
男の顔を確認すると確かに死んでいた。それにしても驚いたことだ。彼は、自ら舌を噛み千切って死に絶えているではないか。
典一が呆然としていた。
「リーダーが言っていた通り、この街に住む人間はロボットなのか。」
俺は、死んだ男を見下した。
「恐怖支配というものは、人を生きた死人に変えてしまう。恐ろしいことだ。」
その時、カネスケが叫ぶ。
「おい!この死体から離れるんだ!!」
俺と典一は、何のことだかわからなかったが、とりあえずその死体から距離をとった。カネスケは、死体を思い切り蹴り飛ばして自らも距離を取る。そして次の瞬間、死体は大きな爆音を発しながら破裂した。
爆発が収まった後、その場所を改めて見てみたが、半径5メートルが焦土と化している。そしてひき肉のように粉々になった男の残骸と、彼の体内に仕込まれていたであろう爆発物が無残に散らばっているだけであった。
カネスケは、呆気にとられていた。
「どうりで口を割らないわけだ。」
典一は、粉々になった男を見て、騎兵隊への怒りにあふれている。
「運命が支配されている。酷すぎるぜ騎兵隊。」
俺は、疑問に思いカネスケに尋ねる。
「どうしてわかった?」
「聞こえなかったのか。こいつの鼓動。」
俺は、思った以上に冷静ではなかったようだ。カネスケ曰く、この男の鼓動が耳を近づけずともわかるくらい響いていたそうだ。それに違和感を覚えた彼は、自分の中で仮説を立てて実行。そして的中した。
彼の頭の回転の速さには、常々助けられる。カネスケ、見事なり。
そうこうしている間に、街に再び警報が鳴り響き出す。俺は、2人を連れて、とにかく影を探しては飛び込む。そして、騎兵隊の屯所らしき場所を探しながら紋別の中心地へと向かった。
途中に建物の陰から、騎兵隊とそれに媚びへつらい共に俺たちを捜索する紋別市民の姿を見た。その光景は、まるでラジコンとそれを操る人間のようであった。
◇
御堂尾兄弟の屋敷。
ここでは、先日拉致した1人の女性を陵辱するために戦をサボった鬼畜。そして、兄が戦をサボったから自分もサボるというクズの極みのデブ鬼畜。2人の鬼畜が、手錠をかけられて動けなくなった女性を、獣のような残酷な眼差しで舐め回すように見つめたいた。
怯える結夏に向かって神威は言う。
「お前の仲間がどうやら、この紋別まで迫ってきたようだ。」
結夏は、キツイ目で彼を睨んだ。
「当然ね。あの人たちは、お前ら鬼畜ごときに潰されるほどヤワじゃない。」
「それはどうかな。たとえ夜討ちに成功したところで圧倒的力の差に変わりはない。明日には、お前の大切な仲間の死体を拝めることだろうな。」
「私には、あなたがAIMに頭を下げている姿しか想像できないけど。」
それを聞いた神威は、結夏の腹を思い切り殴った。そして、苦しみ悶えながら倒れ込む彼女の顔を踏みつける。
「黙れクズが!AIMは滅び、小伏竜は死ぬ!そしてお前は俺の虜になる!これは決められた運命だ!」
結夏は、顔を圧迫されて何も言えない。そんな彼女に神威は言う。
「俺は忘れてはいないぞ。あの夏のこと。」
結夏はさっぱり何のことかわからない。
「何それ、あんたなんかと関わった記憶なんてない。」
すると神威は、彼女の上半身を何度も蹴り飛ばす。そして上着を脱いで半裸になった。鍛え上げられた身体に刻まれた、1910のタトゥー。それを見た時、結夏の過去の記憶が蘇った。
神威は、絶望に支配された顔をしている結夏を嘲笑うかのように見る。
「忘れたとは言わせないぜ。結夏ちゃん。」
そのあまりの恐ろしさに、忘れ去れたかに思っていた負の記憶が再び脳裏に浮かび上がり、あの時のことが鮮明に思い出された。
◇
あれは、とある夏のことだ。結夏は、地元の友人たちと海水浴をするために湘南へ出かけていた。
その日は、久しぶりの再会ということもあって大いに騒ぎつくし、夕方になる頃には海の家で呑んだくれた。彼女らのグループが盛り上がっていると、そこに声をかけてくる一団がいた。いかにもチャラそうな男4人のオラついたグループだ。すでに酔いが回っていたこともあり、自然な流れで一緒に呑んだ。
彼らもオラついた雰囲気を出していたが、こちらも負けじとギラギラした雰囲気が出ていたのだと思う。両グループはすぐに打ち解け、特に彼らの1人と結夏の友人の瑠奈が仲良くなったことで、そのグループと結夏たちは行動を共にすることとなる。
その日は、真夜中まで海辺のクラブで遊んでいた。爆音で流れる洋楽に身を任せながら我を忘れて楽しんでいると、いつの間にか友人たちは悪酔いして踊り狂っている。一緒にいた瑠奈は、トイレに行くと言ったきり帰ってこない。
ふらふらになった結夏は、酔いを醒まそうと1人で野外のラウンジへとやって来る。夜風が気持ちよく、何と言ってもここのロケーションは最高だ。相模湾沿いの町の夜景が一望できた。
景色を眺めていると2人組の男が話しかけてくる。そのうちの1人は、色黒でガタイが良くて身長が高く、髪は結夏に負けないくらい派手な金髪のギャル男。さっき話しかけられて仲良くなった4人組の1人だった。彼は、水内武と名乗っていた。結夏は、見た目の割に話しやすくノリも合う彼にいつの間にか心を許してしまう。しかし、この時はまだ、彼の本性を知る由もなかったのだ。
しばらく話したあと、水内が自分らの別荘でパーティーをするから来ないかと誘ってきた。結夏はノリで承諾しかけたが、ふと冷静になって考えた時に何か悪い予感を感じる。故に念のため、友達にその話をしてくると彼に伝える。すると水内は、瑠奈がすでに別荘へ向かったと話した。そこで、彼女の中に改めて疑問が生じる。
瑠奈は、確かにノリが良くてナンパにも着いて行きがちだと思われている。しかし、実際のところ知る限りでは、一度も悪い誘いに乗ったことはない。それに彼女が席を立ったのは2時間前。いつもならこういう時、彼女は必ず連絡をくれていた。また、なぜ彼らは個別にパーティーに誘うのだろうか。みんな一緒に誘った方が効率も良いのに。
少し不思議に感じた結夏は、とりあえずクラブの中にいる友達の元へ行こうとその場を離れようとする。だが水内は、結夏の腕を掴んで離さない。
「お友達は、潰れて話にならないよ。それにこういう誘い方の方がテンション上がるだろ?」
友達が潰れているのなら、尚更様子を見に行かねばならない。掴まれた腕を振りほどこうと、彼の説得を試みた。だがしかし、こちらの考えを察しているのかのように、上手い口調で言いくるめようとしてくる。そうこうやりとりをしている間に、彼の仲間たちがやってきた。彼ら曰く、パーティーは大盛り上がりなのだという。
結夏は、彼らの押しに負けてつい参加を承諾してしまう。それから益々不安になり、友達に一応このことを連絡しようとするが、水内が彼女のスマホを勝手に奪い取る。
「俺の仲間が伝えてるから大丈夫!」
彼女は、さすがにこの状況は危ないと思ったが時すでに遅く、乗せられるがままについていかざるを得ない流れになってしまった。 けども、本当に瑠奈がそのパーティーに行ってしまったのであれば、なんとしても連れ戻さねばならない。 もしこの男達が本気でヤバい連中だとしたら瑠奈の身が危険だ。
男達が仕切りにショットを進めてくる。彼女は、それを飲んだフリをしては、隙を見ては吐き出した。先日買ったばかりのショート丈のTシャツが台無しである。
それから彼女は、泥酔した演技をしながら彼らに言われるがまま車へ乗り込む。 そこで何かされるのではと思いきや、車内は特に変わったことはなく、平然と盛り上がっていただけだった。 水内が冗談で抱き寄せたりしてきたが、怪しい雰囲気は一切ない。結夏も少し油断をしてしまっていた。
だが、気が緩んだ頃に身体に違和感を感じ始める。痺れるような感覚、鈍る身体の動き、口の中が謎にピリピリした感覚に支配される。ヤバい、そう思った時だろう。いつの間にか、別荘らしき場所へとたどり着いていた。
駐車場に降ろされるが、自分の力で立つことができない。彼女は、水内の仲間の男たちに両腕を掴まれ、別荘の中へと連れ込まれる。
水内曰く、この別荘は、夏になると彼らサークルメンバーの溜まり場となるのだという。彼の入っているサークルは『1910(ワンナイト)』というサークルで、都内の複数の大学の学生から成るインカレサークルだ。会員は500人を超えていて、そこそこ大きな団体らしい。
結夏は、ふとその名を何処かで聞いたことある気がしたが、思い出す間も無く部屋に連れて行かれる。
パーティーが行われているというリビングの扉の前まで来た。中から瑠奈の声が聞こえてくる。どうやら本当に彼女は来ていたようだ。結夏を支えていた男が扉に手をかける。その時、中で騒いでいる瑠奈の声に異変を感じた。扉が開き、部屋へと連れ込まれる。そして、そこで見た光景は今でも忘れることはない。集団レイプの犯行現場だ。男8人、女2人、計10人のサークルメンバーは、瑠奈を気が狂うまで犯したり、彼女に無理やりシンナーを吸わせたり、はたまたは全裸でダンスを踊らせて楽しんでいた。
瑠奈は、頭がおかしくなったように笑みを浮かべながら狂っている。だけどもその笑みは、明らかにやらされている表情だ。サークルのメンバーが、彼女の動画を撮影していた。きっと、写真や動画を撮られて脅されているに違いない。そして床には、使い捨てられたコンドームがいくつも落っこちていた。
結夏の前身から血の気が引いていき、計り知れない怒りの感情が湧き上がる。しかし、呆然と立ち尽くす彼女を男が後ろから押し倒す。それは、紛れもなく水内である。
彼は、倒れこんだ結夏に馬乗りすると、気持ち悪い声で話しかけてきた。
「ゆ〜な〜ちゃん、あっそびっましょ。」
周りの鬼畜たちがゲラゲラ笑っている。結夏は、あまりの恐怖に、この時に見た水内の胸筋に刻まれた『1910』のタトゥーを鮮明に覚えていた。全身が痺れて動けない彼女の身体を男たちが汚い手で触る。痺れる身体を必死に動かしながら抵抗する。しかし、押さえつけられて何もできない。
水内は、結夏の首を思い切り締め、苦しそうにしている彼女を見てヨダレを垂らした。
「どうだ、楽しいだろ?」
結夏は、窒息しそうになりながらもできる限りの抵抗を試みる。しかし水内は、御構い無しに気持ち悪い笑みを浮かべた顔を近づける。それからまた、薄汚い一言を吐いた。
「お前を俺の所有物にしてやるよ。」
彼が結夏の首元に顔を埋めて来る。
だが結夏は、この時くらいから徐々に身体の痺れが和らいでいることに気づく。そして、決死の覚悟で水内の耳へ噛み付いた。水内の様子がさっきとは一変して、悲鳴をあげながら結夏から離れ、耳をずっと抑えながら唸っていた。周囲のサークルメンバー達が水内を心配そうな目つきで見ている。
奴らの気がそちらへ向いている隙に結夏は立ち上がる。痺れはだいぶ引いてきて思うように身体は動いたので、急いで瑠奈の元へ駆け寄った。瑠奈の目は虚ろで、まるで魂が抜き取られているかのようである。しかし、今は一刻も早くここを出ないといけない。そのため、彼女の腕を無理やり引っ張って部屋を抜け出す。
そんな2人を、水内の仲間達が追いかける。水内も体勢を立て直すと、後から鬼のような形相で追いかけてきた。彼の手には、スタンガンが握られている。追いつかれたら最後だ。玄関の扉を蹴り開けて外へ出た。見張りのサークルメンバーらが、こちらに気づいて襲いかかってくる。結夏は、瑠奈の手を引いて全力で走った。
道もわからない峠道。度々後ろを振り返りながら駆け抜ける。体力も限界に達しそうな時、瑠奈が地面に倒れこんだ。どうやら、彼女はまだ十分に走れる状態ではなかったらしい。身体の痺れを堪えながら走っていたのであろう。だが、無理をしてでも逃げなくては危険だ。
結夏は、心を鬼にして瑠奈の腕を引っ張る。しかし、彼女は頑として動こうとしなかった。そんな中、後方から車が走ってくる音が聞こえる。振り返るとこちらへ向かってくるのは奴らの車であった。
結夏は、瑠奈を引きずって茂みに身を潜めようとした。しかし手遅れであった。2人は、車のハイライトに照らされて特定されてしまう。
もう終わりだと思ったのだろうか。瑠奈が言う。
「素直に犯された方が楽だよ。」
結夏は、彼女の言動に対して苛立ちが収まらない。そんな中、いつの間にか奴らの車が近くに止まり、中から水内とサークルメンバーの屈強な男達が降りてくる。逃げ出したい気持ちでいっぱいだが、瑠奈が動かないことにはそうもいかない。
男たちは、結夏と瑠奈を押さえ込んだ。そして水内がゆっくりと近付いて来る。
「このアマが。俺から逃げられると思うなよ。」
彼が結夏の腹へ蹴りをヒットさせる。彼女は、あまりの苦しさで、その場に膝をついて倒れこんだ。
水内がサークルメンバーに指示を出すと、メンバー達が一斉に彼女に襲いかかり暴行をくわえた。5、6人の男達に身体を踏みつけられまるで生きた心地がしない。そんな結夏の苦痛で歪んだ顔を、水内は笑みを浮かべながら眺めている。それから暴力が収まったかと思うと、今度はこいつらお得意のレイプが始まろうとしていた。
結夏は、羽交い締めにされ、水内が彼女に近づき髪を掴む。
「俺の愛人になれ。そうしたら今回のことは許してやる。」
結夏は、恐怖に負けてつい言いなりになりそうだった。しかし、負けず嫌いの彼女である。唾を彼の顔に吹きかけ、その持ちかけを拒絶した。
顔を曇らせた水内は、ドスの聞いた声で怒る。
「孕ませてでも俺の支配下に置いてやる。」
そう言い終えると、彼は結夏の服を引き裂いた。
もうダメかもしれない。そう感じた時、サイレンの音が鳴り響く。峠の下の方からパトカーが数台こちらへ向かって来るのが確認できた。誰かが通報してくれたのだろうか。水内らは、結夏と瑠奈から手を引いて一斉に車へと逃げていく。
水内は最後に一言、結夏へ向かって言い放った。
「お前の顔だけは、忘れねえからな。」
彼の顔は、まるで獲物を奪われた執念深いヒグマのようであった。水内らグループが逃走してから、結夏と瑠奈は警察によって保護された。中高生の頃、夜遊びでよく補導されていた結夏にとって、この日ほど警察に恩を感じた日はなかった。
◇
後日、ニュースで水内ら1910の関係者が続々と逮捕されたことを知った。彼らは以前から、湘南の海や都内のクラブで集団レイプや恐喝を繰り返していたのだという。結夏らの一件をきっかけに、サークルの一斉検挙が行われてインカレサークル1910は解散。この時に彼女は、昔聞いた噂を思い出して後悔していた。
1910は、都内では有名なヤリサーであったという噂だ。
それから、ニュース番組で主犯格の水内について語られた。彼は、様々な偽名を使っていたらしく、水内武もそのうちの一つ。
本名は『御堂尾神威』だったそうだ。
仲間内からは、その統率力故に神と崇められ、サークルの幹部は末端から神々と呼ばれていたのだとか。
しかし、そんな事件があってからも結夏や瑠奈は海を嫌いになることはなく、毎年のように遊びに行った。もちろん、ナンパについていくような軽い真似はもうしていない。彼女は、この嫌な記憶を消そうとするかのように、毎年海で思い出を作った。
◇
あの後、御園生神威がどうなったかなんて知ることもなかった。でも今、目の前にその忌々しい男が立っている。顔を整形したのか昔とは微妙に変わっているが、目つき、そして声は確かにあの水内である。これは何かの因縁なのであろうか。彼女は、腹をくくって目の前にいる偽りの神を睨みつけた。
神威は、不敵な笑みを浮かべながら暖房の温度を上げる。部屋の温度はじわじわと上がり、やがては熱帯夜のようになる。まるで、あの日の夜に戻ってしまったのかのような感じで非常に不快だ。
それと同時に恐ろしさが更にこみ上げる。結夏は、縄を切ろうと試行錯誤を繰り返すが、縄は硬くてなかなか上手くいかない。
顔を上げると、いつのまにか神威がすぐそばまで来ていた。
「さぁ、あの日のパーティーの続きをしようぜ。」
神威が結夏の縄を解く。手足が自由になったと思いきや彼がすぐさま押さえ込む。そして抵抗するも空く、いくらジタバタしようと彼の強靭な筋肉の前には全く歯が立たない。神威は、結夏の服を両腕でさらに引き裂いた。それから、声を上げて抵抗する彼女の首を締めると、ポッケから注射を取り出して結夏の胸に突きつける。
「この媚薬が注入されれば、お前は俺しか求めなくなる。」
結夏がその手を抑えようとするが、彼の力は強くて全く無意味だ。神威は、死に物狂いで抵抗する彼女を見て興奮している。
「壊れろ!そして俺にすがりつけ!」
彼は、注射針を突き刺そうとする。結夏は、絶望に支配されて何もすることができない。彼女に跨りながら、紋別を支配する偽りの神々の1人が高らかに笑う。
針と結夏の距離は紙一重。
彼女は静かに目を閉じ、そして心の中で呟いた。
『カネちゃん...。ごめんね...。』
(第四十七幕.完)