第三十三幕!帯広の落日
文字数 10,969文字
気温は徐々に下がり続け、天気が崩れればすぐ雪が降りそうだ。先生の天候予知に対して、AIMの幹部たちの間で疑惑から期待へと空気の流れが変わっていた。
静内近辺で小競り合いは何度かあったものの、官軍とAIM軍のにらみ合いが以前と続いている。そんな中でAIMは、サクを総大将とした別働隊という名の本軍7万を、山脈の向こう側へ移動させることに成功。青の革命団メンバーは、先生とその護衛役に抜擢された典一だけが、静内に残ることになる。その他の6人は、サクと同行して山を越えた。登山などにほとんど無縁のメンバー達ではあった。しかし、AIMが作った秘密の軍道のおかげで車両での移動ができたので、その難題を逃れることができた。
この軍道は、AIMの中でも限られた部隊しか知らない秘密のルートである。敵に見つからないように、鬱蒼と茂った森の中に細々と作られていて、雪が降ればどこが道なのかすらわからなくなるような道だ。それ故に、官軍もAIM軍がいつの間にか山の向こうに出没したらさぞ驚くことだろう。
◇
美生湖に着いて2日目の朝を迎えていた。紗宙が焚き火の近くで寒さをしのいでいると、サクも同じ理由でそこへやってきた。紗宙は、焚き火を見つめながら何か考え事をしているようだった。
「こんな寒いところは初めてか?」
紗宙は小声で答えた。
「うん。北海道に来たことあるけど、夏だったから。」
「そっか。その時はどこへ行った??」
「函館。当時の彼氏と行った。」
「函館か。俺も大学生の頃によく行ったよ。」
「誰と言ったの?」
サクは遠くを見つめつつ、勿体振るように言う。
「誰だったかな。俺の人生で一番大切だった人。」
紗宙はサクの顔を覗き込む。
「元カノ?」
「まあそんなとこだ。本当は元になることなんてなかったのだが。」
「え、どういうこと?」
「もうこの世にはいないんだ。」
彼がもの悲しい表情を浮かべている。紗宙は、イソンノアシが言っていたサクの過去を思い出した。
「ごめん、ついうっかり。」
「いや、大丈夫だ。こっちから出した話題だからな。」
「けど...。」
サクは寒空を見上げた。
「気にすんな。みんな気を使ってあいつの話題を出さないようにしてくれている。ありがたいことでもあるが、思い出を重たいもののままにしておきたくないから、話たいと思える人には話たいと思ってた。あいつの...、ミナの話。」
紗宙は、心配になって尋ねる。
「それ、私が聞いていい話なの?」
サクが少し間を空けてから言う。
「お前なら話して良い気がする。」
「じゃあ、聞きたいな。ミナさんの話。」
サクは、北国の冷たい空気をゆっくりと吸い込むと、少しずつ言葉を選びながら語り始めた。
◇
俺とミナは幼馴染。共にアイヌの末裔として、家族ぐるみのような関係で幼少期を過ごした。
小学3年の時、彼女は隣町へ引越すことになり、一時的に関係が途絶えたが、高校で再会。高3の夏に俺が告白したことで交際が始まり、当時親父が作り上げたコタンで、半ば同棲のような生活をしていたこともある。
彼女は色白で、性格も明るく、コタンでも高校でも男性たちの憧れのような存在であった。だから返事を聞いた時は、まさかOKが貰えるとは思わなくて、凄く嬉しかったことを今でも覚えている。
彼女は北海道が大好きで、よく様々な場所へ連れまわされたものだ。函館の夜景、登別の温泉、オホーツク海の流氷、富良野のラベンダー、彼女とみた景色は今でも鮮明に思い出せる。彼女は、大学で民族学系の科目を専攻していて、自分らの祖先の文化について学びを深めていて、よく俺にこう言っていた。
『私たちの祖先は、この土地を愛して、この素晴らしい文化を受け継ぎ、それを守る為に時には戦った。私は、アイヌの末裔に生まれたことをずっと誇りに思ってる。』
俺は、彼女と付き合うまで、自分の実家とかそういうものに対して少なからずコンプレックスを持っていた。ガキの頃、アイヌということが同級生に知られて、クラスの和人系の道産子からいじめを受けた経験もあった。
でも彼女と一緒にいる時間が続くにつれ、そのコンプレックスは誇りへと変わっていった。
彼女と交際を初めて3年がたったある日。彼女は俺の婚約者となる。もちろん、プロポーズは俺からだった。藻岩山から見える札幌の夜景をバックに花束を渡したことは、一度たりとも忘れたことはない。
あの頃は、俺にとって幸せの絶頂期だった。時には喧嘩をすることもあったが、毎日たくさんの愛をもらっていて、笑顔の絶えない日々が続いていた。
そう、あの事件が起こるまでは...。
その当時、AIMと日本政府および札幌官軍の関係性は、もはや破綻寸前まで持ち込まれていた。いつ戦争になってもおかしくない状況である。
俺は彼女の婚約者として、そしてAIMの代表であるイソンノアシの息子として、多忙な日々を過ごしていた。そんな時、占冠村の役所爆発事件が起こる。
それをAIMの仕業と断定した官軍が攻撃を仕掛けたことにより、戦争の幕が上がった。
札幌官軍は、自衛隊から引き継いだ最新兵器を所持していたり、優秀な将軍を配下に置いていたりと、素人が多いAIM軍に対して優勢な戦いを続けた。
しかし、AIMもやられてばかりではない。
俺が率いた第一戦闘部隊は、海外から密輸した兵器や、アイヌの伝統的な毒を使用した新兵器、そして土地勘を活かしたゲリラ戦なんかを展開して、彼らと五分五分の戦いを見せることも多々あった。そのせいか、官軍にとって第一戦闘部隊やそれを指揮していた俺は、目障りな存在としてマークされることになった。
官軍陣営は、様々な方法で俺を消そうとしてきた。しかし、俺は咄嗟の機転と判断によって、なんとか危機をかいくぐり続けていた。だけども、一瞬の気の許しが命取りとなってしまった。
ミナと交際を初めてから4年目の記念日。
俺は親父から余暇をもらい、ミナと2人でハイキングをしようと山へ向かった。
そこはAIMの領内で、アイヌ民族しか来ないような山だった。手付かずの自然が残り、とても美しくて純粋な蝦夷の自然を楽しめるような場所。
久しぶりの余暇を、俺もミナものびのびと過ごしていた。本来であれば最高の日になる予定だった。だけども、そのハッピーエンドは突如崩れ去ることになる。
昼食を済ませて木陰で昼寝をしていると、数人のアイヌの男たちがこちらへ向かって来ることがわかった。それからその男たちが、俺の叔父に当たるエシャラの配下の兵士であることもわかった。
エシャラはイソンノアシが遠征で留守の間、帯広を守護する役職についていた。その為、帯広で何か異変があったからそれを報告しに来たのではないか。そう俺は不安に思った。
ところが、彼らの使命は、そんな不安をかき消すほど予想外で残酷な物であった。
彼らは俺たちを取り囲むと、拳銃を突きつけてきた。
「サク!エシャラ様より、お前たちを国家転覆罪の罪で逮捕せよとのご命令だ。潔く我々についてこい!」
正直、俺たちは一体何が起こっているのかわからず、混乱で頭が無茶苦茶になった。ただ、拳銃を突きつけられているこの状況で、下手に抵抗すればその場で殺されるということだけは明らかだ。
俺は事情を確かめようと、彼らに問いかけた。
「どういうことなんだ?
事情を聞かせてくれ。」
しかし彼らは、同じことを繰り返し言っては、引き金に手を掛けるばかりであった。
俺は質問を諦め、ミナとともに彼らについていくこととなった。
◇
帯広市街の中心にあるAIMの本拠地。ここは戦争用に基地として改築されており、世間からは帯広城という名で呼ばれている。
俺は縄で縛られ、帯広城の中庭にある軍律違反者を裁く広場へ連れてこられた。中庭に飾られていたAIMの旗はすでになくなっていて、代わりに札幌官軍の軍旗と日の丸の国旗が掲げられている。
俺は将兵らに引きずり倒され、抵抗できないように殴る蹴るの暴行を受けた。そんなことをしていると、目の前に身に覚えのある男が姿を現した。エシャラである。
エシャラは、ボコボコになった俺を見下した。
「どうだ、これで目が覚めたか?」
俺はブチギレた。
「てめえ!なんで裏切った!?」
エシャラが冷静に答える。
「悪いなサク。方向性の違いというやつだ。」
「方向性?どういうことだ?」
「お前や兄貴は、犠牲を払ってまでアイヌの独立国を作らんとしている。だけども、俺はそんなことを望んではいなかった。北海道で平和に暮らせればそれでよかった。だから戦争を早期終結へ導くために、札幌官軍へこの帯広を明け渡すことに決めたのだ。」
「ふざけんじゃねえぞ。お前には民族の誇りとかそういうものがないのか?」
「俺は文化とか伝統とか誇りとか、そんなものよりも平和が大事だと考えている。みんなが安らかに暮らせるのであれば、伝統、そして民族なんて消滅してしまっても良いではないか。」
「自分らのアイデンティティがかき消されてできた平和なんて平和じゃない!お前こそ目を覚ますんだ!」
「それは俺のセリフだ!お前こそ兄貴のくだらない思想に振り回されるな!」
そんな口論をしていると、エシャラの背後から、十数人の部下を引き連れた官軍の将軍らしき人物が姿を現した。
エシャラは、その男の方を振り返ると頭を下げる。
「松前将軍、お待ちしておりました。」
その男、松前大坊は、汚い笑みを浮かべる。
「エシャラ。お前の懸命な判断のおかげで、戦争の終結はあと少しだ。大義である。」
エシャラが松前に深々と礼をした。松前は、次に俺へ目を向ける。
「お前がサクか。小賢しい虫ケラめ。」
「エシャラに何をしたんだ!!」
「あいつは、本心でお前たちを見限ったのだ。俺は最後にその後押しをしただけだ。」
「なんだって...、じゃあ本当にエシャラは、本心でアイヌの誇りを捨てて貴様らの手先に落ちたというのか。」
「言葉が汚いな。手先ではない、利口な英傑だ。」
俺は気が抜けたように俯いた。松前が馬鹿にしたように言葉を発する。
「どうだサク。お前もくだらん誇りなど捨てて、俺の軍門に下る気はないか?」
「誇りを捨てるくらいなら、テロリストの汚名をかぶって死んだほうがマシだ。」
「そうか。お前はAIMの中でも優秀な軍人だ。利口な決断をするのかと思っておったが、期待外れだったようだ。」
「官軍なんかに期待されても嬉しくもなんともない。」
「あいわかった。こやつと一緒に行動していた女をここへ引っ張り出せ。」
俺は動揺して叫んだ。
「待て!何をするつもりだ!」
松前は冷酷過ぎた。
「もちろん死刑だ。お前らが無駄なプライドにしがみつくことがどれほど愚かなことか、目の前で見せつけてくれるわ。」
「おい、ミナは戦争に関係ない。殺すなら俺を殺せ。」
「いいや関係ある。お前たちの運動に少しでも加担した者は皆同罪だ。平和なこの北海道を混沌の地に陥れた運動に関わった罪は、如何せん許されるものではない。」
「頼む。ミナを殺さないでくれ。」
「ふーむ。ならば条件を提示しよう。」
「わかった、どんな条件でも飲む。」
松前は顔をニヤつかせる。
「条件は3つ。
1、お前も我が軍門に下ること。
2、アイヌは、革命を起こそうとした危険な集団ということを、世界に発信すること。
3、イソンノアシを捕らえたあかつきにはお前の手で奴を痛めつけ殺すこと。
貴様にこの条件が飲めるかな?」
俺は何も言えなくなった。大切な婚約者の命か。今まで守り続けた誇りと仲間たちを否定するか。決して選べる選択ではない。
そうこうしているうちに、ミナが中庭に引きずり出された。両手を縄で縛られた彼女は、兵隊に背中を思い切り蹴り飛ばされて前のめりに倒れこむ。地面に叩きつけられた彼女の顔は、血と砂利で赤黒く染まっていた。 松前は小銃を片手に、彼女へ近づいていく。俺は、それを阻止しようと必死にもがいた。だが、屈強な兵士たちに抑え込まれて何もできない。
松前はミナの頭に小銃を突きつける。そして俺に言い放つ。
「おら。早く決断しないと、お前はこの女の死を選んだことになる。自分の愚かなプライドを守るためにな。」
俺は、もはやどうすることもできずに慌てて答えた。
「わ、わかった。誇りもプライドも捨てて条件も飲むからミナを殺さないでくれ。」
松前は、爆笑した。
「はははははは。お前たちテロリストの掲げている誇りなんて、女1人に左右される薄っぺらいものなんだなあ。」
俺は悔しくて。目に涙を浮かべる。そんな時、ミナが憤慨した。
「サクの馬鹿!あんたはもう、私の好きだったサクじゃない!」
俺は、急に怒鳴られて何が何だかわからなくなる。
「ミナを失うくらいなら、誇りなんて売った方がマシだ!」
「そう。なら誇りを簡単に捨てるような人にはもう興味ない。」
「なんだよその言い方。」
松前は、俺とミナの口論を満足げな顔で見物している。
そんな彼にミナが言う。
「サクが折れても、私は折れる気はないわ。」
「ほう、じゃあどうするとでも言うのかな?」
ミナは、隙をついて立ち上がると、松前の股間を蹴り飛ばした。すると松前の悲鳴が響き渡る。
「ぎょええええ!!!」
彼はその場にうずくまり、鬼畜の目つきでミナを睨んだ。周囲の官軍将校がミナを押さえ込み、松前が怒鳴り散らした。
「エシャラ!この女を撃ち殺せ!こいつは反逆分子だ!」
だが、エシャラは躊躇してしまう。
「し、しかしサクとの約束が。」
松前はエシャラを詰める。
「早くしろ!平和のためだ!それともなんだ?お前の日本国への忠誠は嘘なのか?」
俺はエシャラを止めようと叫んだ。
「エシャラ止めろ!!!」
しかし、エシャラは迷った挙句に引き金を引いた。激しい音とともに発せられた鉛の弾は、ミナの腹部を貫通させ、ミナの断末魔が中庭に響く。
その場に倒れこむミナを指差して、松前は官軍将校らに指示を出した。
「このテロリストに国家反逆の罰を下せ!!!」
するとミナに駆け寄った将校たちは、彼女に対して殴る蹴るの激しいリンチを行う。俺は抑え込まれて助けることができぬまま、目の前でミナが朽ち果てていく姿を永遠と見せつけられた。
俺は必死に叫び続けたが、将校らの耳には届くはずもない。数分後。サクの目の前には、原型を留めないくらいボコボコになったミナが横たわっていた。
「ミナ!!ミナ!!」
ミナは、半分空気のようなかすれた声で俺に言う。
「サク..誇りを捨ててまで私を選んでくれたこと、実はすごい嬉しかった。だけど私なんかのために大切な気持ちを捨てないで欲しかった。最後の最後が喧嘩になってごめんね...。」
「最後なんて言うんじゃねえよ!俺が!俺がなんとかするから!」
ミナの目から涙がこぼれ落ちていた。
「ありがとう...。サクと一緒にいた時間は、人生で一番輝いてたな。」
俺がミナに再び声をかけようとした時、突如として振り下ろされた足によって、ミナの顔面は踏み潰された。飛び散った血と目玉と脳みそが、俺の周囲に散乱する。
振り下ろされた足の主は、もちろん松前である。彼は、残骸を踏みにじりながら、冷たく言い放つ。
「しぶとい害虫だったわい。どうだサク。お前のやっている活動は、時に大切なものまで失う愚かな行為だということがわかっただろう。きっと独立運動なんてしてなければ、この女も死ぬことはなかったのになあ。」
俺は、目の前が真っ白になり、何も考えられなくなっていた。
◇
その後。俺は、捕虜として札幌へ輸送されることになる。しかし、その道中で脱出。その際に敵から奪い取った小銃で、輸送隊の役人を全員皆殺しにした。
この事件以降、AIMは帯広の拠点を失い、えりも方面に追いやられることとなる。
叔父に裏切られ、恋人を酷い方法で殺され、任されていた本拠地も陥落させられた俺は、和人を深く恨むようになり、酷いうつ病にしばらく犯されることになった。
俺は、ミナを殺した札幌官軍および裏切ったアイヌらを抹殺するべく、また帯広の地へ再び立とうとしている。
あの落日から2年1ヶ月後のこの日に。
◇
静内城では、川の対岸に迫る札幌官軍総勢15万の大軍を鋭い視線で眺めている先生の姿があった。
札幌官軍大将の松前大坊は、度重なるゲリラ戦や夜襲、森に仕掛けられた地雷や毒矢、陣中に撒かれたデマ情報、そして静内城に掲げられた大量の軍旗と兵たちの歓声により、かなりこちらを警戒しているように見えた。
相手がこの城へ注意を向け、慎重になりすぎていることは、先生の思う壺だ。だけど、こちらも帯広を取るまでは、一瞬たりとも相手の動きを見逃すことができない。スパイ、ドローン、揺さぶり、様々な方法でこちらの情報を得ようとしてくる動きを、逐一追求して潰していかねばならない。なぜなら、城内には兵士が1万しかおらず、作戦がバレれば、窮地に陥ることとなるからだ。
帯広奇襲戦までの残り1日は、緊迫のあまり枕を高くして寝れることはないだろう。
どこかでまた敵の悲鳴が聞こえてくる。
静内城周辺には、地雷や毒矢以外にも、落とし穴や捕獲ネットなど原始的なものから、電気柵や睡眠ガスなど近代的なものまで、様々な罠を張り巡らせている。故に、それにかかった敵のスパイや夜襲部隊の死骸が、朝になると目撃されることが頻繁に起こった。
雲が夜空を覆い始め、濡れたタオルを振り回せば凍るくらいの寒気が、この地を支配し始めた。
先生が、物見台から降りて篝火で暖をとっていると、イソンノアシがやってきた。
「そういえば、帯広が陥落したのも2年前の今頃じゃった。」
先生は、一呼吸おくと言う。
「この戦も何かの因縁ですかな。」
「まあ、それを一番感じているのは、サクじゃろうな。」
「感情を利用したと言ってしまえば感じが悪いですが、彼を帯広攻略部隊の隊長に抜擢したことは正解だったでしょう。」
イソンノアシが心配そうな表情を浮かべる。
「ただ勢い余って、敵の罠に引っかかったりしなければ良いのだが。お主も知っている通り、サクは感情的になると、周りが見えなくなるところがあるから。」
先生が穏やかな顔で言う。
「心配には及びません。私も彼の性格は重々知っております。もしものことがあれば、それを阻止するように信頼できる仲間に伝えてございます。」
「そうか。彼らとも仲良くなってくれると良いのだがな。」
先生は深呼吸をすると、戦場へ目を向け直した。
「それにしても、札幌官軍はヒグマを戦闘に駆り出しているのですね。」
「うむ、どう手懐けたかはワシらアイヌにもわからん。だがあいつらは、ヒグマにまたがって戦う訓練も行なっているようじゃ。」
「本来であれば、熊は冬眠につき始める季節。そういった生態系の問題も克服してくるというのか。」
「実のところ、ワシもあれを実戦で目にするのは初めてじゃ。札幌官軍の内部では、おぞましい生物実験が行われていてもおかしくはないな。」
「とりあえず、AIM全体に注意喚起はしておいてください。官軍はヒグマを手懐けていると。」
「AIMには、マタギ部隊という特殊部隊が存在する。彼らは陣をヒグマから守る駆除隊のような役割であったが、戦闘に加わるよう指示しよう。」
先生は、様々な駒を持っている札幌官軍に対して、どのような戦いをすれば良いか考えながら雪が降るのを待った。
◇
先生が予測した日の丑三つ時。美生湖周辺は酷い寒気に包まれた。AIM奇襲部隊は、予定通り帯広へ向けて進軍を開始。美生川に沿うようにして帯広へ向かう9万の軍勢の中心には、俺と総大将サクの姿があった。
「帯広の落日。」
「2年前の今頃か。」
サクはため息をつく。
「俺にとっては、一生忘れることができない季節だ。」
「報復することに気をとられて、冷静さを見失うなよ。」
「そんなことわかっている。しかしあの街を守っている敵将はエシャラ。いくら冷静でいようにもそうはいられないかも知れん。その時は俺を止めてくれ。」
「言わずともそのつもりだ。しかし、相手は仮にもお前の叔父だ、討ち取ることに躊躇はないのか?」
「あいつのせいで、ミナが死んだということに変わりはない。俺が死ぬほどあの裏切り者を憎んでいること、紗宙から聞かなかったか?」
「聞いてない。紗宙は口が堅いから、お前が心を開いて話してくれたこと、そうやすやす他人に言ったりはしない。」
それを聞いたサクは少し嬉しそうだ。彼は窓の外を見ながら言う。
「性格までも綺麗な女なんだな。」
俺は彼をチラリと見る。
「惚れているのか?」
「どうかな。ただ、あいつは死んだミナと瓜二つだ。どこか懐かしさを感じて親近感が湧いてしまったのだ。」
俺は、そんなサクの思いを聞いていると、ますます付き合っていることを公にしにくくなっていた。
するとサクは、純粋に疑問をぶつけてくる。
「そういえば、お前たちのことを俺はあまり聞いていなかったな。お前と紗宙は、どういうつながりなんだ?」
「ただの幼馴染だ。縁あって一緒に旅をしているけど、それまでは特に深い関係はなかった。」
サクは、ざっくりしすぎている説明に、不満そうな顔をしていた。
「何でも良いから、紗宙のエピソードとかないのか?」
俺は、ただ一言答える。
「昔からみんなに愛される人だった。俺が言えるのはこんくらいだ。」
サクは、素っ気ない俺の返答から何を感じたかわからない。しかし、それ以上深くは突っ込んでこなかった。彼の期待しているようなエピソードを語れるほど、旅が始まる前は彼女と深い繋がりはなかった。
停滞していた空気に嫌気がさした俺は、気分を紛らわす為に軍用車の窓から外を見た。街灯もほとんどない田舎道は、深い闇に覆われていた。ホワイトアウトなんて起こる以前に視界が悪い。それに、敵に見つからないように照明もほとんどつけていない。こんな道を土地勘だけで進むこの軍隊は、本当に恐ろしいと思わされてしまう。
そんな時だった。外にいた歩兵が車に駆け寄ってきた。
何事かと思い窓を開ける。
「雪です!雪が降ってきました!!!」
窓から手を出して確認すると、冷たくて白い粒が手のひらに降り注いぐ。その瞬間、先生の予想は確信へと変わった。
それを見たサクが唖然としている。
「まさか、本当に降ってくるとはな...。諸葛真、見事である。」
先生が天気を当てたという事実は、すぐにAIM内で広がり彼の作戦への信頼が増した。それにより軍の団結は深まり、士気は大いに上がることになった。
◇
雪は徐々に激しさを増していく。帯広市の郊外へ来た頃には大雪となり、あっという間に大地を白銀に染め上げた。
それだけではない。暴風によって、ブリザードのような状態となり、 市街地の明かりさえ見えるか見えないかである。これを好機と見たサクは、すぐさま部隊長たちを集めて布陣の支持を出した。
偵察隊の情報によれば、官軍側はこちらの動きに全く気づいていない。簡単な守備隊が、市街地入り口付近に駐在しているだけとのことであった。AIMの部隊長たちは、本来であれば地獄と言っても過言ではない極寒ブリザードの中、手際よく広大な陣形を築き上げていった。
総大将のサクは、あらかた指示を出し終えた後、軍用車ではなく馬に乗り換える。そして、軍の先発隊のさらに前まで行くと、帯広の方角を見ながら、1人瞑想をしているようだった。
俺は馬に乗れず、サクを追いかけることができない。
そんな俺を見つけた中年のアイヌが声をかけてくる。
「移動手段なら、こいつを使うといいさ。」
彼が指し示したものは、雪土両用の新型スノーモービルであった。俺は、すぐにカネスケと龍二を呼び出すと、3人で彼から簡単な説明を受けた。
実際に試乗したところ、感覚的にはビックスクーターのようなものだ。通常のバイクや車の運転には慣れっこな俺たちは、易々と乗りこなすことができた。
そうこうしている間に、日の出の時間が訪れる。薄っすらと太陽が確認できているが、いまだに猛吹雪が視界を遮り、なかなか前方を把握することが難しい状況だ。
スノーモービルに乗り慣れた俺たち3人は、サクのいる本陣へと足を運んだ。
サクは陣中で、AIM幹部のアヘヌワシとユワレとともに、作戦資料とにらみ合いを続けていた。
俺たちが入ってくると、サクはこちらを見た。
「準備は済んだのか?」
「もちろんだ。移動手段も手に入れたから、これで縦横無尽に駆けめぐれる。」
「あと30分もすればこの吹雪は止むだろう。その時が我が軍の勝利の時だ。 作戦はわかっているだろうな?」
「わかってるさ。 俺たち中央部隊の目標はただ1つ。エシャラ追討および帯広司令部の制圧。」
「その通りだ。この十勝平野には、帯広以外にも奴らの砦が点在している。そこは他の部隊長らがなんとかするから、俺たちはただ敵の本拠地を一点集中するだけだ。そうだろカネスケ?」
カネスケは、急に振られて少し戸惑いながらも答える。
「まさか俺の作戦が採用されるなんて。だけど勝算はある。」
「帯広の弱点は、まさに数少ない軍を分散させてこの平野を守らせているところ。そして他の地域と距離がある為、援軍を呼んで来にくいところ。つまり、この分散された平野各地の軍を結集させなければ、官軍に勝機はない。弱点を見抜いた良い策である。」
カネスケは、前の戦いに2日酔いで参加できなかった失敗がある。だから、少しでも貢献できたことを非常に嬉しく感じていた。そして日に日に思うようになったことは、俺もカネスケもその他革命団メンバー全員が、この北海道の戦争において何かしら経験値を稼ごうと必死になっていたことだ。
俺は革命団のリーダーとして、みんなに引けを取らないためにも頑張ろうと心に決めて陣を出た。
◇
サクとともに陣営の最前に立った時、ついに吹雪が収まり、前方の街を視界に捉えることができた。遠くからでもわかる人の動き。どうやら相手は、我々がここに来るはずがないと本気で思っていたのであろう。守備兵らの動揺が手に取るように伝わってきた。
サクは天に祈りを捧げると、AIM軍全体に聞こえるくらい大きな声で言った。
「アイヌの戦士たちよ聞け!!!あの城には、気高き民族の誇りを悪魔へ売った裏切り者が、薄汚い蜜を吸いながら足を組んでふんずりかえっている!奴の行為は、決して許されるものではない!よってこれから、我々がアイヌラックルの代理として、奴に正義の制裁を叩きつけるのだ!
良いか!この晴れ渡る美しき白銀の大地を見ろ!これはカムイが我らAIMに味方してくれた証拠である!これより、悪しき和人とウェンカムイに取り憑かれた裏切り者から、この神聖な大地を取り戻す戦いが始まるのだ!
皆心して突き進め!!!!!」
そう言い終えると、7万人の歓声が十勝平野を震わせた。眩い太陽と雪で反射した光を浴びたサクは、とても神々しかった。
最後に彼は、小声でこう呟いた。
「ミナ。必ずお前の仇を討つ。」
そしてサクが全軍に指令を出した時、帯広奪還戦の幕は開けられた。
(第三十三幕.完)