第15話 滅びゆく北条①

文字数 4,237文字

 滅びゆく北条


 天正一六年(1589)、徳川家康は小幡勘兵衛景憲に采配を命じ、武田勝頼の滅んだ地に菩提寺を設けさせた。小幡景憲の父・昌盛は武田二十四将に数えられる猛将だが、風土病に斃れた。勝頼死してのちは暫し野を彷徨い、ようやく徳川に仕えた景憲には、いつか軍学家として大成する野望が生まれた。そのためにも、先君の供養で名を挙げることは大事な合戦のようなものだ。
「四郎殿の最期に馳せ参じた忠臣・小宮山内膳の御身内こそ、菩提寺の住持に相応しい」
 そういって景憲が持ち上げたのは、広厳院住持の拈橋倀因である。拈橋は小宮山内膳友晴の弟だ。滅亡時は理慶尼とともに首のない丸裸の遺体を集めて供養している。適任者に違いない。
「だけど、小幡勘兵衛という男は、名将とされた父親と異なり誠実さが不足しているように感じるのだと、拈橋殿は仰せでした」
 信松尼に随身する小宮山民部の妻は、そう言葉にした。
「豊前(小幡昌盛)殿には会うたことがあるが、勘兵衛という子は知らぬ。どういう者かは知らぬが、拈橋殿がそういうのなら、そういう者なのだろう」
「こういうこと、余り口にしない方だったのですが」
 小宮山民部昌照は内膳友晴の弟で、彼からみて拈橋は兄にあたる。その妻の言葉は、この兄弟間のやりとりによるものだ。
「あんな兄上でも死ねば仏、俗世の者のいいようにされるだけのことじゃ。自然なことである」
 信松尼はふっと微笑んだ。
 そうですねと、小宮山民部の妻も頷いた。
 この菩提寺は、勝頼の果てた地から〈田野寺〉としたが、あまりにも適当すぎると、拈橋が唱えた。そこで勝頼の戒名より〈景徳院〉とあらためた。山号は〈天童山〉とされたが、どうせならばと、拈橋倀因は開山法要の無心を小幡景憲に詰め寄った。
「武田の旧臣を慰撫するならば安いこと」
 そう云われると、小幡景憲も苦しい。泣く泣く家康に訴え、微禄ながら捻出させた。
 勝頼の法要に参列した者は少なかった。当然である、いま徳川に属す大半は、勝頼を見捨てたから生きている。今更霊前に合わせる顔などない。
「あれは御館ではなく、陣代ゆえ」
などと詭弁でその場を凌ぐ者も多い。
 この様をのちほど耳にした信松尼は、甲州人の頑固さを思い知った心地だ。
「結局、四郎兄様も可哀想な御方じゃ」
 義信が家督を継いでいたなら、諏訪家柱石の猛将として武田の誰もが快く思ったことだろう。なまじ家督を継いだゆえの、被りし恨みは重い。
「我が随行家臣より誰かを見舞として差し向けたい。私は、修行の身で行けないのだ、誰か、代わりに頼む」
 信松尼の言葉に頷く者はいなかった。彼らとて勝頼を快く思っていなかった。霊前に顔を出せる心境ではない。
 何とか頼み込んで、金丸四郎兵衛重次が赴くことになった。
「兄上にこれを」
 小宮山民部昌照夫妻は、拈橋に手作りの数珠をと託した。木を削っただけの数珠だが、丸みを出す主玉を手で削った苦心が垣間見える。これほど苦労して作った想いは、きっと拈橋にも伝わるだろう。
「承る」
 金丸四郎兵衛重次は懐紙に包んで懐へ収めた。
 彼の足取りは郡内の踏破も含む。初狩までの道のりは、かつての小山田支配とは個性的に異なる空気だった。それでも甲州征伐のときに焼かれなかったことは、大きい。損なう物の少なさが、郡内の空気を大らかなものにしていた。
「あに、国中行くのか?あっちは殺伐としてるずら」
 農家の年寄りが呟いた。どういうことか、金丸四郎兵衛重次は首を傾げた。大鹿峠は初狩と件の田野寺を直接結ぶ峠だ。笹子峠よりもこちらの路こそ、地元民の往還主要幹線といってよい。それでも大規模の軍事行動の出来るものではない。
「四郎殿は、どうしてこんなどん詰まりに逃げ込んだのだろう」
 誰にも理解の出来ぬ謎だった。
 森深き峠道だ。人の往来が顕著で踏み締められた路は、歩き易い。上へ、上へと、登っていく。その頂の稜線が左右に拡がる。ここは国中の盆地外枠のように、御坂や荻原路へと縁取る尾根道。ここから笹子峠方面に眺望が拡がる。あの笹子峠を軸として、外縁尾根の随所に狼煙の拠点が設けられている。笹子峠は岩殿城と勝沼を結ぶ中継拠点で、ずっと武田家直轄の狼煙師が交替赴任していた。その他の外縁狼煙台は御坂や郡内や穂坂路などへの連絡台である。
 金丸四郎兵衛重次は軍事機密に遠い立場にいた男だ。狼煙台から何が機密なのかを理解できない。ただ、眺望のいいところに据えられるのだなという、曖昧な発想しかない。
「急ごう」
 大鹿峠からは下りだ。沢の音が聞こえてくるまでは長い路だが、路肩のせせらぎを目にすると、深山から里山に匂いが変わる。
 田野寺は、満川に出るすぐの高台にあった。
「このようなところで」
 噂に聞く勝頼最期の地は、このような野の果てだったのかと、金丸四郎兵衛重次は俯いた。寺に上がると
「そなたは、たしか金丸四郎兵衛か?」
 拈橋倀因とは二度ほど顔を合わせただけで、覚えていることが意外だった。田野寺では持成しも出来ぬと、拈橋は大善寺へ案内した。勝沼大善寺まで来ると、懐かしい甲斐の盆地を一望に出来る。
「松姫様の従者か?」
 理慶尼も飛び出してきて、金丸四郎兵衛重次を労った。
「勿体ない」
 理慶尼は武田の係累である。世が世なら、金丸四郎兵衛重次が口を利くことも許されない高貴さを湛えていた。理慶尼はひれ伏す金丸四郎兵衛重次の前に膝をつき手を取り
「松姫様はご壮健か?聞けば仏門に帰依されたとか」
「卜山和尚に得度して頂き」
「卜山舜悦禅師か!」
「はい」
 なんと高潔なる方に導かれたものかと、理慶尼は呟いた。それほど偉そうに思えないのだと拈橋に呟くと
「罰が当たりますぞ」
 強い語尾で叱られた。実際のところ、松姫随行家臣団の殆どは、北条氏照の敬う学僧程度にしかみていない。そう答えたら、理慶尼の顔色が蒼くなった。
「ここは宗派が異なる故、この程度で済む。私は曹洞宗の門人ゆえ、禅師を仏のように想うものであります。松姫様の為を思うなら、今日よりは禅師への無礼をあらためることです。皆にも左様申されますように」
 口調は優しいが、きっと怒っているのだろうと、金丸四郎兵衛重次は詫びた。そのうえで、小宮山民部昌照夫妻より託された数珠を渡した。有難いことだと、拈橋は落涙した。
 滅亡の数日前、勝頼一行は大善寺に逗留した。そのときの有り様を、理慶尼は語って聞かせた。上州へ赴くべき筈の勝頼がどうして、どん詰まりの地を目指したものか。真に岩殿城や郡内を目指すなら、御坂峠より落ちるのが常識だ。道なき道を経て郡内をめざしたとは考え難い。ここにきたとき、勝頼も常軌を逸していたのだろう。あるいは死地を求めていたのかも知れない。
「哀れなことです」
 拈橋の言葉に、金丸四郎兵衛重次も落涙した。
「菩提寺に参じたい」
「陽が蔭る。今宵は大善寺に留まりあれ」
「しかし」
「非業の最期を遂げられた方々は、今も魂魄が彷徨うのだ。あの地が鎮まるまでは、まだ刻が要る」
「では、もののけが?」
「恥ずかしながら住持の儂とて、陽のある限りしか留まらぬ」
 あの日、満川は三日三晩の血の川になった。それほど凄惨な武田の最期、簡単に魂魄は成仏できぬ。近ごろは土地の者も、満川と呼ばない。武田の最期を思い、〈日川〉と呼ぶくらいだ。三日三晩の血の川、という意味だが、知らぬ者には伝わりにくいと金丸四郎兵衛重次は思った。
 翌朝、田野寺へは拈橋と赴いた。土地の百姓だろうか、幾人かが神妙に寺域を掃き清めていた。彼らの表情には、畏れが浮かんでいる。棲む者にとっては、言語を絶する夜の帳なのだろう。
「小幡勘兵衛が采配したというが」
「容れ物さえ作ればいいという浅慮。かの父祖とは大違いよ」
 拈橋の言葉には怒気さえ滲んでいた。小幡景憲の父・昌盛は上杉謙信に備えた名将、祖父・虎盛は信虎信玄二代を支えた戦さの達人。両名は誰からも尊敬された。景憲は戦場で学ぶことが足りぬのだろう。人の死を古典のように軽く受け止める傾向があった。実際、器を作ったのだからと、それきり二度と顔も見せようとしない。
 勝頼一行のための読経を行ない、金丸四郎兵衛重次も供に手を合わせた。生まれも育ちも不服であろうが、死して仏となったからには、勝頼と信玄になんの隔たりがあろうか。仏門の輩が説く、その想いには同感するものがある。金丸四郎兵衛重次は心から勝頼の冥福を祈った。
「松姫様は姫たちをお連れと聞いたが?」
 拈橋の問いに、貞と香具は徳川家臣に引き取られたことを金丸四郎兵衛重次は告げた。
「ならば、仁科五郎殿の姫だけが」
「生来お身体が弱く、松姫様もご苦労が多いのです」
「何もして差し上げられぬのが、口惜しい」
 陽の高くなったころ、金丸四郎兵衛重次は満川を少し登った崖道に案内された。土屋惣蔵千人斬りの場と、地元では伝わる。
「土屋家とは、叔父たちが信玄公より名家の名跡を与えられたもの。惣蔵叔父の武辺ならば、この場で千人を斬り伏せても不思議はない」
 そういって金丸四郎兵衛重次は手を合わせた。
 もう一夜、大善寺で過ごし、翌早朝、金丸四郎兵衛重次は大鹿峠を指して田野寺を辞した。久方ぶりの甲斐の空気は、懐かしさよりも余所余所しかった。武州に逃れて六年、金丸四郎兵衛重次はすっかり他国の人になったのだろう。それが悔しくもあり、悲しくもあった。どう足掻いても、いまの甲斐は武田の国ではない。
懐かしき故郷は、他国なのだ。
 強いて初狩に宿を望んだのは、急く旅よりも郷愁が勝ったゆえだった。
 瑞龍庵を訪ねたのは、理由がある。織田信忠に騙し討ちされた小山田信茂の御級を、従者が奪いここまで逃げたのだ。ゆえにここに埋葬された小山田信茂の御級は、手厚く葬られ毎日経を上げられる。
「国中のことは知らぬが、郡内で谷村様を悪く云う者はいねえ」
 住職は穏やかな口調で微笑んだ。
 金丸四郎兵衛重次はこの旅を通じて、本当に武田が終わったことを肌身に刻んだ。
 帰国後、信松尼に報告する金丸四郎兵衛重次の心中は複雑だった。例えようもない想いは上手にまとめられず、ただ辛い胸中だけを明瞭な言葉で告げた。
「そうか」
 信松尼は怒ることなく、静かな口調で、辛いことをさせたと呟いた。姫とて、再興は夢のまた夢であることくらい、十分に承知なのだ。そう云わなければ、随行家臣団の希望が奪われる。口に出せぬことだった。
 信松尼の背負う辛い重荷を、金丸四郎兵衛重次は初めて知った心地だった。
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登場人物紹介

信松尼

武田信玄の息女。松姫と呼ばれる。

織田信忠の許嫁とされるが、武田家と織田家の盟約が決裂し有名無実の状態となる。

そして武田家を滅ぼす総大将がかつての許嫁という事実を知ることなく、幼い姫たちを伴い武蔵国へと逃れる。やがて姫や旧臣の支えとなるため、得度して仏門に帰す。

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