第25話 貞と香具④

文字数 1,556文字

 小督こと生弌尼は、横山の庵へ赴いた日にその場で倒れた。病弱である体質は大きく変わるものではなく、修行さえ障ることもあった。信松尼は庵へ駆けつけ見舞ったが、その顔色は真っ青だった。
「出家させたことは過ちだったのだろうか」
 信松尼は迷った。
 こればかりは答えが見つけられなかった。生弌尼は納得していれば、それで納得するしかない。困ったことだが、仕方なかった。

 慶長一一年(1606)、年寄衆・本多佐渡守正信と大久保相模守忠隣を通じ、大久保長安へ成木の石灰を江戸へ運ぶ沙汰書が発せられた。成木は古くから石灰の産地である。このための江戸まで真っ直ぐ続く江戸海道が整備された。これは長安の采配である。
 江戸海道に接続する荻原路は、かつて武田信玄支配の黒川金山南方の大菩薩峠を経て小菅・小河内に達する古道だ。長安の抜かりなさは、このとき、この古道もちゃっかりと整備した点だろう。のちの裏甲州街道として用いられるこの路の価値観を知るのは、幕府創成期において、武田旧臣だけだった。
 横山に近い本郷村。ここに日蓮宗の寺がある。善龍寺。八王子城炎上でここに移ったもので、五世日毫上人の尽力による。この日毫上人は慶長一一年に遷化された。宗門の大きな差異を気にもしない卜山は人をやり弔問させたが、この頃になると戦乱の色もかなり失せて穏やかな営みだった。
 こういう世がいい。
 卜山はそう思う。
 その卜山のもとへは生弌尼の病状が噂で伝わった。信松尼へ事実を問うと、おおよそは真実であった。世俗に縁薄い娘である。これも運命かと、卜山は世の無常を嘆いた。このことは強いて貞や香具に知らされることはなかった。知らせがないのは無事のしるし。安堵させてあげたいという信松尼の老婆心からだった。
 横山の庵へは、暇さえあれば信松尼は通った。叔母姪と、血のつながる肉親の平癒を願うのは当然のことだった。
 信松尼は遠い昔、甲斐の日々を思い出しては語って聞かせた。信玄存命中は楽しいことが沢山あった。他国の変わった品も沢山届けられ、驚いたこともあった。勝頼の代になるとそれもなくなり、退屈だから仁科盛信の高遠城に身を寄せた。
「高遠には城山があってね、今は五郎山と呼ばれているの」
「五郎山?」
「あなたの父上の名をつけたそうよ」
 高遠城攻防戦の激しさと天晴武者ぶり、土地の農民が仁科の殿様を慕い城山へ遺体を運んで祠を立て、そう呼ぶようになった。このこと、大久保長安から聞いたことは生弌尼には内緒だ。
(この子は、石見が嫌いだ)
 生理的なことゆえ、どうしようもないし、どうでもいいことだった。
「父上は偉かったのですね」
「生きてこそ」
「生きて?」
「卜山和尚が口にすること、この言葉、実は高遠を発つ日に兄上も申されておったのじゃ」
「父上が」
「すまぬ、長いこと忘れていた」
 生きるためになりふり構わなかった。結果的に、生きることにつながった。生きることは戦いだ。自分との戦いだった。
「兄上の分まで、お前が生きなければ」
「生きてこそ……」
「のう!」
 信松尼は生弌尼の細い手を強く握りしめ、この床を出ることが出来たら、貞か香具のところに一度は顔を出そうと囁いた。生弌尼の頬が赤らんだ。どうしておられるか、会いたい二人の姫。きっと床を出て本復してみせると、生弌尼は生きる希望を胸に宿した。
 辞するとき、信松尼は二人の家臣を招いた。法蓮寺修行の世話を任された志村大膳と馬場刑部である。川口で生弌尼の世話を続けた二人は、いまは横山で供している。
「小督のこと、よろしく頼むぞ」
「姫の仰せのとおりに」
 馬場刑部は法蓮寺近くに庵を構えて終生仕える覚悟を決めていた。何としても法蓮寺へ一緒に戻れるよう、世話をしている。
「お前たちには感謝している」
 信松尼の言葉に、二人は感極まり涙を流した。
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登場人物紹介

信松尼

武田信玄の息女。松姫と呼ばれる。

織田信忠の許嫁とされるが、武田家と織田家の盟約が決裂し有名無実の状態となる。

そして武田家を滅ぼす総大将がかつての許嫁という事実を知ることなく、幼い姫たちを伴い武蔵国へと逃れる。やがて姫や旧臣の支えとなるため、得度して仏門に帰す。

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