第21話 小督の行方③

文字数 3,289文字

 小督の養生には刻を要した。その間、世の中は大きく動いた。太閤となった秀吉の途方もない大陸進出の夢。それに動員される人と財と才。海の彼方で失われる者のなんと多いことか。
「戦国は、未だ終わらぬか」
 信松尼は強く噛み締めた。
 その間にも、吉田御師の善意による調査は進んでいた。文禄の終わりに、茂原下永吉村にある林家の婿養子になっていることが、明確に判明した。生きていたのである。それを聞いて、小督は生気ある表情を取り戻した。
「生きてこそ」
 いつか、きっと会えるときがくる。小督は気鬱を克服したが、身体の弱さは生来のものゆえ、思うままではない。しかし強い心には信念が宿る。この信念が、兄の仁科家再興を強く祈った。
「叔母上、出家しとうござる」
 小督の言葉には、力が漲っていた。このことは旧臣たちを驚嘆させた。大久保長安は益々出世していた。できる寄進は惜しまないと申し出た。
「御所水の庵に近い横山に小さな庵を用意します」
 その申し出に、信松尼は礼を述べた。
 使いが帰ると、信松尼は小督の床を訪ねた。体調にはまだ波があり、月の障りのときはこうして動けないのだ。
「叔母上、それはそれで、私の望むものではございませぬ」
「はて」
「石見守(大久保長安)殿は賢しい。私を横山に置いて益々旧臣支配を強くしたいのでしょう。そんなこと、私は望みませぬ。兄上の為だけに祈りたいのです」
「まあ、あなたの気持はよく分かります」
 どうせ武田旧臣の精神的支柱にと、長安の考えそうなことだ。悪いことではないが、明け透けな魂胆はいい気分ではない。ならばと、信松尼は提案した。
「石見の建てた寺はあなたの開基です。しかし平素は人に任せればよろしい。何よりどこで、誰を導師に髪を下ろすか決めていないのでしょう?」
「はい」
「卜山和尚では駄目なのか」
「叔母上の妹弟子には」
「ならば、曹洞宗ではなく」
「別を求めたく」
「さてさて、この近在には何があったものか」
 信松尼は川島作左衛門元重を招くと、他言無用と念を押してから
「八王子に教導するのは卜山和尚の曹洞宗の他に何かあろうか」
「なにゆえ、それを」
「答えられぬ。知っているならば、教えて欲しい」
「さて」
「知らぬか?」
 信松尼はじっと川島作左衛門元重をみた。怒っているようにも、苛立つようにもみえる厳しい表情で、瞳は穏やかな信松尼の問い。委細を質さずとも結果は自ずと知れる。川島作左衛門元重は利口な男だ。抗わずに、さればと言葉を継いだ。
 高月城下の天台宗圓通寺。八王子城下の高野山別格真言宗明王院。滝山城下の浄土宗大善院。どれも戦さの余波で再興の途にあり、弟子を迎える余裕はない。
「あとは時宗かと」
「時宗とは」
「踊念仏の一編上人を開祖とするものにて」
 信松尼は仏門に帰して他宗の関心を持ったことがない。
「そういえば、古府中の一条小山にあった一蓮寺は」
「そうです、時宗です」
「一蓮寺なら武田家累代との縁が深かった」
「その宗派です」
 訊ねたのが川島作左衛門元重でよかった。甲州のことを引き合いに出せる。結果として、いい話を得た。この時宗の名刹は、恩方の北、山を二つほど越えた先の川口川流域にあるという。
「その住持に会いたい」
「心得ました」
 河口山宝池院法蓮寺、人は河口道場と呼び、信徒は熱心に通う。

   旅ごろも木の根かやの根いづくにか 
      身の捨られぬ処あるべき

 一生不住の旅を続け捨て聖と讃えられた一遍上人の教導は、鎌倉時代より下人から貴族にいたるまで踊り念仏として広がった。乱世に苦しむ人々の間で大流行した宗旨である。住持はいるようだが、総本山の遊行上人が回向し諸国の道場で説くという。遊行上人とは時宗の指導者が代々冠するものである。いまの遊行上人は、三二代普光という。
 次の川口回向が二年後くらいだと、川島作左衛門元重は調べてきた。この誠意に、信松尼も委細を打ち明けた。大久保長安の思惑を疎ましく思いながらも、意図は理解した上での得度のことだ。驚きこそしたが、その反骨こそ我らが松姫様だと、川島作左衛門元重は愉快そうに笑った。
「遊行上人が河口道場へ参るときに、得度を求め仏弟子となるのがよろしいかと」
「手間を取らせた」
「いえ、こういうことなら、いつでも」
 近頃の大久保長安は、武田のことよりも徳川が大事だ。そのために、何かと武田のことを利用したがる。その見返りは一己の栄達でしかない。
 旧臣の端くれとして、川島作左衛門元重にも反骨心はある。信松尼に加担することは本心の忠義といってよい。横山に庵を設けても、小督は移らなかった。だれを導師に、何宗かと、長安は気を揉んだ。やがて、小督の侍女が庵に入った。留守居といい、出家する者ではない。やがて遊行上人の到来したときに法連寺にて、小督は得度出家した。生弌尼と号し、そのまま法連寺で修業の身となった。
「横山の庵に姫がおらぬとは、どういうことか」
 長安は思惑の食い違いに目を丸くして、川島作左衛門元重を怒鳴りつけた。
「姫の庵に間違いなし。いまは修行を終えて戻られることを待つだけにて」
 理屈には合う。しかし、天下は動いている。秀吉は病で、もう先はないと囁かれた。次に天下を睨むのは、前田利家か徳川家康か。武田旧臣の士気を高める必要があった。小督に庵を設け横山に置くことは、大久保長安なりの政治だ。その目論見が、あっさりと崩れた心地だ。
(このようなことをするのは)
 信松尼の先回りだろうと、長安は思った。
 嫌われたものだなと、怒るより苦笑いさえ込み上げた。長安には、このとき野心があった。徳川の〈ぢ方〉を掌握しつつある長安は、家康が天下を握れば全国の金山銀山を総奉行することになるだろう。つまり財力を掌握する。そのときこそ家康を害し、己が傀儡を立てて天下を奪おうという算段だった。
 途方もない野心である。
 が、これが夢物語で済まぬところまで、長安は立身していた。この真意は誰にも語っていない。誰にも悟らせていない。それゆえ地固めは綿密に行う必要があった。小督のこともそうだった。こうなったからには、代わりの措置が必要だった。台町に寺領を用意すると
「信松尼様には不自由させませぬゆえ、ここに御移りませ」
と促した。これには逆らう理由がない。しかも陣屋とは目と鼻の先で、悪く云えば監視されるような格好だった。それでも今の庵の敷地の倍以上はある広さがある。
「文句は云ぬ」
 堂宇竣工の際は、卜山和尚も足を運んだ。
「石見を動かすとは、禅尼もたいそうな物に化けましたのう」
 卜山は意地悪そうに呟いたが、決して嫌味ではない。むしろ権力に違わず、己の筋を通すこと、このことを褒めていた。
「公案のこと、思い出します」
「ん?」
「不思善不思悪話」
「ああ」
 卜山は微笑んだ。
 松姫出家にあたり卜山の課した公案、不思善不思悪話。不思善、不思悪とは善にも悪にも囚われないこと。
 故事逸話にあるこの公案に対し、松姫の答えは独特だった。
「聖俗汚濁」
 戦国にあって綺麗事などで人も己も救えぬものか。武田信玄は僧籍でありながら女氾に酒食を忘れなかった。が、それは戦国の世に身を置き家臣とともに罪を率先して担う強い意志によるもの。
 人の願いを叶える術は、経文のみにあらずと体現した。
 さすがは信玄の素養色濃い姫であると、卜山は舌を巻いた。綺麗事など役に立たぬ、ゆえに仏弟子になり綺麗事を思い知る。その答えに満足し、得度を与えたのだ。
 今度のことも、一種、それだろう。
 長安に利用されながら、違うものを目的とするという反骨。このことを汲み取る者は卜山をおいてほかに無し。だから卜山とて宗関寺や心源院の再興に加え、興岳寺開基に手を貸した。
やっていることは信松尼と変わる物ではない。
「買い被られては困ります」
「ん?」
「小督は純粋な娘です。不浄なことを忘れて御仏にお仕えして欲しいだけ」
「うむ」
 卜山は頷いた。
 法連寺の小督あらため生弌尼は、虚弱ゆえ苦労したと思う。しかし、純粋な心は、少しずつ身体と心を鍛えていった。

 文禄三年(1598)八月一八日、太閤豊臣秀吉がこの世を去った。

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登場人物紹介

信松尼

武田信玄の息女。松姫と呼ばれる。

織田信忠の許嫁とされるが、武田家と織田家の盟約が決裂し有名無実の状態となる。

そして武田家を滅ぼす総大将がかつての許嫁という事実を知ることなく、幼い姫たちを伴い武蔵国へと逃れる。やがて姫や旧臣の支えとなるため、得度して仏門に帰す。

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