第5話 男の屁理屈②
文字数 2,359文字
武田勝頼は打つ手もなく、途方に暮れていた。諏訪で支えられぬ以上は、善後策が必要だった。
「新府で評定じゃ」
二八日のことである。
陣を引き払い甲斐をめざす途中で、櫛の歯が抜けるように兵が消えていった。招集に応じる御親類衆も、重臣さえも少なかった。殆どが返事もなく、自領から動くことを拒んだ。新府城の評定は、寂しいものだった。
「いっそ上州へ退いて、しかるのちに甲斐を取り戻すべきかと」
進言したのは真田安房守昌幸だった。
意見はなかった。ただ不満の声だけが随所にこぼれた。文句ばかりで対案もない。これが戦国最強と恐れられた武田家の、なれの果てだった。勝頼は真田昌幸に代わる意見を求めたが、だれ一人口にする者はなかった。
「上州のどこだ、沼田か」
「沼田へ向かう途中の岩櫃城がよろしいかと。我らも小県の領を奪われるかも知れませぬが、さすがの織田勢も上州岩櫃までは来ぬと確信しております。また、山岳戦に不慣れな畿内の兵など、何することもございますまい。上州まで落ちれば、真田は全力で御館様を支えます。上杉との盟約もござれば、連携して反撃に転ずることも易いことかと」
真田昌幸の言には行き届いた策がある。きっと万が一を思い、あらゆる万全を講じ、平坦の延び切った敵に反撃する鋭ささえ有している。頼もしいものだと、勝頼は安堵の表情を浮かべた。
「されば、迎える支度を致しますゆえ、上州にてお待ちしております」
そういって真田昌幸は辞した。
上州行きの沙汰を発した勝頼は、重い足取りで新府城内を廻った。真新しい香りが漂う。ただの一戦も交えずに放棄するこの城のことを、勝頼は心から憐れんだ。古府中を捨て、新しい武田の首都として建てられた城は、まるで張り子の虎のようだと勝頼は思った。
「ここにおられたか」
と、長坂釣閑斎が勝頼をみつけ駆け寄ってきた。釣閑斎は勝頼が傍に重んじる者である。
「いかがしたか」
勝頼は怪訝そうにみた。
「上州は危のうござる」
きっと真田は北条に通じて、勝頼の身柄を引き渡すに違いない。釣閑斎はそう息巻いた。
「そのこと、なぜあの場で申さぬ。なぜ黙っていた」
「誰が敵か、知れたものではありませぬゆえ」
どういうことか、勝頼は声を荒げた。
「木曽も、下條も、武田の縁戚でありながら叛きました。いまも御親類衆で列席するのは梅雪入道様のみ。こんな有様で、家臣の誰が二心を抱くものか。信用しろというのが無理なこと。みてごらんなさい、じきに真田安房守と北条が結託することでしょう。いや、真田以外の誰かが上州行きを漏らす筈です」
「聞きたくない」
「いえ、上州行きはきっと筒抜けです。我らはその裏をかくべきかと」
「裏をかく?」
長坂釣閑斎は声をひそめながら
「古府中の要害山殿へ逃れて、籠城しましょう」
しかしと、勝頼は躊躇った。
「先代様生誕のときも要害山城は縁起の城でした。それに、やはり武田は古府中にあってこそです」
「う、うむ」
「このこと、大炊介(跡部勝資)殿にお知らせします。誰にも知られてはなりません。秘かに進めますぞ」
勝頼は迷ったが、断る理由がみつけられなかった。誰もが疑わしいのは、云われるまでもなく勝頼の本音だった。それに甲斐を捨てることの躊躇いもあった。上州へ行かぬ理由が成り立てば、それでよかったのかも知れない。
新府出立の日取りは宣言されたが、間際まで誰もが上州行きを疑わなかった。
三月一日。
高遠城は幾重にも包囲されていた。
「織田の倅か」
仁科盛信は諸将に笑みを溢して、これぞ武田武士なりと世に鳴らす戦さをするぞと号令した。籠城する誰もが、その号令に応えた。臆する者はただの一人もなかった。城攻めは寄せ手が守り手の三倍要するという定石だが、十数倍にも匹敵する織田勢に勝てる要因はひとつもない。
なぜ戦うか。
簡単だ。仁科五郎盛信は信玄の子だから、である。信濃の豪族ならまだしも、主君を選べぬ運命に逆らうような真似など、できなかった。男の屁理屈かもしれない。しかし、その屁理屈を背負った盛信に、誰もが従った。死して名を残す道を、彼らは選んだ。
死はいっときのこと。
覚悟を定めれば、なにが恐ろしいということか。その士気は、信玄健在の頃の武田武士そのものだ。兵は信玄への畏れ同様に盛信を仰いだ。その期待に盛信も応え、弱気をみせぬ堂々たる貫録で笑みを浮かべた。
大軍を前に怯えるは匹夫なり。
これぞ武田の御大将よと、兵は安心した。安心して、ともに城を枕に死する喜びに武者震いした。
「使途僧が参られたし」
降伏勧告を促す僧は、威を借る声高だ。手出しできぬという不遜な態度が、盛信の癇に障った。
「使者の鼻と耳を落せ」
盛信の命令に、途端、使途僧は泣き叫びながら鼻と耳をそぎ落とされて、城の外へと蹴り飛ばされた。
「おのれ、やる気か」
それを知った織田信忠は怒り、払暁、総攻撃を触れた。
三月二日の高遠城攻防戦は、壮絶な死闘だった。数の上で圧倒的に優位な織田勢は、高遠城の兵が一歩も引かず互角に渡り合う現実に目を見張った。これが、武田の本当の力かと、内心、怯え恐れた。死兵となった一騎当千の兵は、まるで化物のような力を発揮して、攻める織田勢を跳ねのけた。
「逃げれば殺す。死ぬなら戦って死ね」
織田信忠の残酷な言葉は、兵を泣かせた。逃げたら殺す、戦えば討たれる、お前はどちらを選ぶというのか。この踏み絵には、選択肢がない。
しかし、多勢に無勢。
長いの短かったのか、刻の感覚はなかった。ようやくの戦闘の末に、仁科盛信主従は揃って討ち果たされた。そのときになって、信忠は恐怖で全身が強張っていたことを自覚した。そう、信忠は恐怖と戦っていたのだ。
「武田の本当の恐ろしさ、はじめて知った」
信忠は蒼褪めた顔で、盛信の御級を見下ろしていた。
「新府で評定じゃ」
二八日のことである。
陣を引き払い甲斐をめざす途中で、櫛の歯が抜けるように兵が消えていった。招集に応じる御親類衆も、重臣さえも少なかった。殆どが返事もなく、自領から動くことを拒んだ。新府城の評定は、寂しいものだった。
「いっそ上州へ退いて、しかるのちに甲斐を取り戻すべきかと」
進言したのは真田安房守昌幸だった。
意見はなかった。ただ不満の声だけが随所にこぼれた。文句ばかりで対案もない。これが戦国最強と恐れられた武田家の、なれの果てだった。勝頼は真田昌幸に代わる意見を求めたが、だれ一人口にする者はなかった。
「上州のどこだ、沼田か」
「沼田へ向かう途中の岩櫃城がよろしいかと。我らも小県の領を奪われるかも知れませぬが、さすがの織田勢も上州岩櫃までは来ぬと確信しております。また、山岳戦に不慣れな畿内の兵など、何することもございますまい。上州まで落ちれば、真田は全力で御館様を支えます。上杉との盟約もござれば、連携して反撃に転ずることも易いことかと」
真田昌幸の言には行き届いた策がある。きっと万が一を思い、あらゆる万全を講じ、平坦の延び切った敵に反撃する鋭ささえ有している。頼もしいものだと、勝頼は安堵の表情を浮かべた。
「されば、迎える支度を致しますゆえ、上州にてお待ちしております」
そういって真田昌幸は辞した。
上州行きの沙汰を発した勝頼は、重い足取りで新府城内を廻った。真新しい香りが漂う。ただの一戦も交えずに放棄するこの城のことを、勝頼は心から憐れんだ。古府中を捨て、新しい武田の首都として建てられた城は、まるで張り子の虎のようだと勝頼は思った。
「ここにおられたか」
と、長坂釣閑斎が勝頼をみつけ駆け寄ってきた。釣閑斎は勝頼が傍に重んじる者である。
「いかがしたか」
勝頼は怪訝そうにみた。
「上州は危のうござる」
きっと真田は北条に通じて、勝頼の身柄を引き渡すに違いない。釣閑斎はそう息巻いた。
「そのこと、なぜあの場で申さぬ。なぜ黙っていた」
「誰が敵か、知れたものではありませぬゆえ」
どういうことか、勝頼は声を荒げた。
「木曽も、下條も、武田の縁戚でありながら叛きました。いまも御親類衆で列席するのは梅雪入道様のみ。こんな有様で、家臣の誰が二心を抱くものか。信用しろというのが無理なこと。みてごらんなさい、じきに真田安房守と北条が結託することでしょう。いや、真田以外の誰かが上州行きを漏らす筈です」
「聞きたくない」
「いえ、上州行きはきっと筒抜けです。我らはその裏をかくべきかと」
「裏をかく?」
長坂釣閑斎は声をひそめながら
「古府中の要害山殿へ逃れて、籠城しましょう」
しかしと、勝頼は躊躇った。
「先代様生誕のときも要害山城は縁起の城でした。それに、やはり武田は古府中にあってこそです」
「う、うむ」
「このこと、大炊介(跡部勝資)殿にお知らせします。誰にも知られてはなりません。秘かに進めますぞ」
勝頼は迷ったが、断る理由がみつけられなかった。誰もが疑わしいのは、云われるまでもなく勝頼の本音だった。それに甲斐を捨てることの躊躇いもあった。上州へ行かぬ理由が成り立てば、それでよかったのかも知れない。
新府出立の日取りは宣言されたが、間際まで誰もが上州行きを疑わなかった。
三月一日。
高遠城は幾重にも包囲されていた。
「織田の倅か」
仁科盛信は諸将に笑みを溢して、これぞ武田武士なりと世に鳴らす戦さをするぞと号令した。籠城する誰もが、その号令に応えた。臆する者はただの一人もなかった。城攻めは寄せ手が守り手の三倍要するという定石だが、十数倍にも匹敵する織田勢に勝てる要因はひとつもない。
なぜ戦うか。
簡単だ。仁科五郎盛信は信玄の子だから、である。信濃の豪族ならまだしも、主君を選べぬ運命に逆らうような真似など、できなかった。男の屁理屈かもしれない。しかし、その屁理屈を背負った盛信に、誰もが従った。死して名を残す道を、彼らは選んだ。
死はいっときのこと。
覚悟を定めれば、なにが恐ろしいということか。その士気は、信玄健在の頃の武田武士そのものだ。兵は信玄への畏れ同様に盛信を仰いだ。その期待に盛信も応え、弱気をみせぬ堂々たる貫録で笑みを浮かべた。
大軍を前に怯えるは匹夫なり。
これぞ武田の御大将よと、兵は安心した。安心して、ともに城を枕に死する喜びに武者震いした。
「使途僧が参られたし」
降伏勧告を促す僧は、威を借る声高だ。手出しできぬという不遜な態度が、盛信の癇に障った。
「使者の鼻と耳を落せ」
盛信の命令に、途端、使途僧は泣き叫びながら鼻と耳をそぎ落とされて、城の外へと蹴り飛ばされた。
「おのれ、やる気か」
それを知った織田信忠は怒り、払暁、総攻撃を触れた。
三月二日の高遠城攻防戦は、壮絶な死闘だった。数の上で圧倒的に優位な織田勢は、高遠城の兵が一歩も引かず互角に渡り合う現実に目を見張った。これが、武田の本当の力かと、内心、怯え恐れた。死兵となった一騎当千の兵は、まるで化物のような力を発揮して、攻める織田勢を跳ねのけた。
「逃げれば殺す。死ぬなら戦って死ね」
織田信忠の残酷な言葉は、兵を泣かせた。逃げたら殺す、戦えば討たれる、お前はどちらを選ぶというのか。この踏み絵には、選択肢がない。
しかし、多勢に無勢。
長いの短かったのか、刻の感覚はなかった。ようやくの戦闘の末に、仁科盛信主従は揃って討ち果たされた。そのときになって、信忠は恐怖で全身が強張っていたことを自覚した。そう、信忠は恐怖と戦っていたのだ。
「武田の本当の恐ろしさ、はじめて知った」
信忠は蒼褪めた顔で、盛信の御級を見下ろしていた。