第16話 滅びゆく北条②

文字数 954文字

 滅亡の悲哀を知る者は、強い。知らぬ者は弱いものだと、卜山は説く。信松尼はその心構えが既にあった。日々の説法で、その心を卜山は知った。
しかし、北条氏照にはそれがない。ゆえに教える必要があった。
「戦さが近くはないか?」
 卜山に呼び出された氏照は、その問いの返答を考え、口にすべきか躊躇った。それこそが、十分な答えだった。卜山ほどの人物は人脈も多い。京からの宗門を通じた情報、朝廷を介した情報、それらは忖度のない立場ゆえ真実を伝える。
「陸奥守殿に公案を与えたい」
「はい」
「弓と人と、重んじるは何処か」
「はて」
「聡明な陸奥守殿ならば、小田原殿にこの公案を答えたし」
 卜山は何かを見越している。総じて、北条家の大事だろう。何となくそう感じたところで、氏照は言葉に窮した。
「敵が攻めても戦わぬことは、武者の愚なり」
「攻める前に矛をおさめる技こそ、武に勝るものなり」
 云いたいことは分かる。
 しかし、北条氏政は秀吉に屈せぬ。これは重ねた評定で導き出した方針だ。今となっては、これを覆すことはできない。そのために会津の伊達政宗と通じ連合を形成した。徳川家康も機をみて背信する。秀吉など、武田信玄や上杉謙信に勝るとは思えない。伝説となったの戦国最強の二者を、小田原城は籠城で圧した。その自信が氏政にはある。
 ゆえに、氏照には云えない。
勝てる相手に頭を下げるなど、あってはならないことだった。戦国とは、そういう時代だ。そうやって関東に版図を拡げてきた北条家である。今更、だった。
「弓で人を守る」
 それが全てだ。
氏照もそう断ずるしかない。
 卜山の望む答えを知っていても、異なる答えに縋らなければいけない。
「あわれなり」
 卜山の言葉は深い。氏照の心と北条家の心、板挟みの心情を汲めば、たとえそうであっても北条の総意を支える氏照に言葉を強いるのは残酷だった。卜山は北条家の運命をこのとき洞察した。
 この日、卜山は信松尼にこう諭した。
「暫く金照庵より出ることなし、尼も従者ともども金照庵に戻り、沙汰あるまでは表に出ぬこと」
と断じた。心源院の修行は暫し休み、自分たちで学ぶようにと、強く指図した。
「どういうことでしょうか」
「そういうことだ」
 理由はわからないが、随行家臣団は卜山に従い信松尼を中心に、下恩方へ籠り自営を務めることとした。
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登場人物紹介

信松尼

武田信玄の息女。松姫と呼ばれる。

織田信忠の許嫁とされるが、武田家と織田家の盟約が決裂し有名無実の状態となる。

そして武田家を滅ぼす総大将がかつての許嫁という事実を知ることなく、幼い姫たちを伴い武蔵国へと逃れる。やがて姫や旧臣の支えとなるため、得度して仏門に帰す。

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