第14話 姫たちの思惟③

文字数 2,645文字

 小督だけを近くに残した信松尼は、身体の弱い姫に何かと心を配った。兄が遠くで頑張っている。それだけが励みだった。
「叔母上のように、得度したい」
 小督の要望に、応えるつもりはなかった。人並みの知識と教養を与え、武田家再興に足る戦国大名との懸け橋になればと、信松尼は願った。
身勝手は承知である。
 そのようにならないかも知れない。しかし、微かな希望であったことは、間違いのない心情であった。
 心源院にいると、武州からの情報が思う以上に入手できる。北条領に逃げ込んだ武田旧臣は多い。彼らは松姫生存の事実を、あとになって知った。挨拶のため遥々と訪れる者もいる。その殆どは武田信玄の妹・眞行尼を頼り、いまは河越にいるのだと語った。
「いつか、御家再興を」
 そう呟く信松尼の言葉に、彼らは如何ほどの勇気を抱いたことか。
 ある日、郡内より小田原へ逃れて氏政の直属となった小山田弾正茂誠が訪れた。四長老家として郡内で小山田信茂を支えた有誠の嫡男だ。かつて郡内の軍勢は武田家最強といわれたが、それも信茂ありきのこと。いいように氏政の駒とされながらも、生きていくためには仕方がない。
 松姫のもとに香具がいる。縁者が生きていたことこそ、有誠の驚きだった。
「谷村様の縁戚、弾正家で身請けしたい」
 有誠の懇願も、徳川に先んじられて一足遅れだった。
「いつか、武田家が再興されたなら、そのときはお助け下され」
 信松尼が云えるのは、それだけだった。

 天正の混沌が治まりに傾くまでは、随分と時間を要した。織田信長の後継者として台頭したのは羽柴筑前守秀吉という人物だ。その秀吉は地下埒外の出自である。信玄もそうだったが、人物の出自に関係なく信長は能力に応じ採用し地位も与えた。が、それは仕えていてのことであり、独立を果たした者に、出自は終生つきまとう。そのため秀吉は実力で他者を凌駕しても、武家の棟梁となることが適わなかった。
 そのために策を弄した。関白家の養子となり、一家を興した公家のひとりとなる手段である。これは武家の長でなく、公家の長すなわち人臣の長をめざすものだった。
 その秀吉と雌雄を争うのが、徳川家康だ。家康は多くの武田旧臣を召し抱えた。従来の一徹な三河武士と、合戦巧者の武田武士。
「我は武田の武辺にあやかりたし」
と、井伊直政は赤い甲冑に身を包み、荒くれの武田旧臣を支配に置いた。井伊の赤鬼と後世まで伝えられるように、井伊直政の粗っぽさは徳川家中で知らぬ者はない。が、その猛る水の中こそ、武田旧臣の居心地よい棲み処でもあった。
 小牧長久手合戦は、秀吉と家康が直接武力に及んだ唯一の合戦だ。この戦いで、井伊の赤備え隊は、旧織田帷幕屈指の勇将・池田恒興と森長可を討ち取った。この合戦は徳川の軍略と、武田の経験値を生かした、必至の勝利であった。
 しかし武で制した家康は、智で秀吉に屈した。刃を交わすことで秀吉の真の恐ろしさを知ったのだ。北条家は家康を支援したが、呆気ないことだと落胆した。こののち家康との縁を維持しながらも、北条氏政は秀吉への臣従を拒み続ける。
 さて。
 このとき徳川に臣従した武田旧臣は、井伊に付けられる武辺者と甲州へ送り込まれる者とに大別された。甲州の再開発は、出身の者がいちばんだ。とりわけ甲府尊体寺で家康と拝謁した龍芳の遺児・顕了道快の身は甲州に置かれた。
「法性院(武田信玄)様の御孫様は甲斐におられる。それだけで、心強いずら」
 この貢献を一身に負った大蔵藤十郎は、金山や産業の再開発に追われた。既に黒川金山の再生は絶望的だった。安倍金山の算出だけが見込める。治水の匠を配し、暴れ龍と例えられる河川の対応は盤石だ。大蔵藤十郎の実務能力はこのとき発揮され、大いに家康を喜ばせた。
 武田旧臣で大いに揺れたのが、真田昌幸だった。織田信長が死したのちは北条氏邦に属し、天正壬午の乱ののちは徳川家康に属した。沼田問題を発端として徳川とも不和になり、越後の上杉景勝と結んで武力で圧した。家康は真田を侮った。とりわけ武田旧臣のなかでも別して扱わねばならぬ真田を軽んじたのは、偏に過信だった。
「あれは信玄入道様のような者にて」
 扱いを誤るなという声を無視したのは、その領国の少なさゆえだ。家康の侮りは、武田の旧臣を得たという大いなる過信だ。彼ら武田旧臣の声にもっと耳を傾ければ、真田に対する対応を誤らずに済んだ。が、家康は真田を敵とした。結果として、上田城下の合戦で惨敗を期した。
「真田安房守は信玄公の両眼のひとつ、折れてでも抱えるべきでしたな」
 大蔵藤十郎は大久保忠隣へ告げ、忠隣もそのままを家康に伝えた。
「ならば眼のもう一方もいるのか」
 家康は身を乗り出した。
「殿は曽根内匠助(昌世)を追放されましたな」
「あいつか」
「あいつです」
 信玄の両眼を抱えたのに、その両方を自らの浅慮で手放した。これは大きい痛手だ。雄飛した家康は、どこかで謙虚な部分を忘れたのだろう。慌ただしいからこその大失態だ。
「まだまだ、人間を磨かねばいかぬな」
 家康は自虐の苦笑を浮かべた。
 真田昌幸は、結果的に秀吉と結んだ。これにより一武将から大名への脱皮を図った。武田旧臣でこれほどの立身をした者は、まだない。

 心源院の修行中、信松尼は城下を自在に出歩くことを卜山より戒められた。ひとつ処でじっくりと禅に向き合うべし。己を見つめ、己を悟り、己を生かして人を生かすという厳しい公案だった。
「姫様の裁縫手習い、私が代わりに」
 小宮山民部の妻が申し出た。八王子城下に至るまで、心源院の尼の裁縫指図は達者であると、たいそうな評判だった。行儀作法を学ぶ若い娘が、挙って信松尼に教えを請い足を運んだ。彼女たちは若い。ゆえに信松尼こそ、かつて戦国の魔物と恐れられた武田信玄の姫であることなど知らない。だからだろうか、自然に接する若い娘との応対は、信松尼の心を安んじた。
「教えること、嫌いではないのです」
「しかし、卜山和尚の仰ることは、絶対ですゆえ」
 小宮山民部の妻は、そういって諫めた。
 裁縫指導の場には、小督の姿がある。彼女は大人の中で育つ窮屈さを、じっと我慢していた。貞と香具がいたなら、まだよかったかも知れない。それも詮無き事。小督は子供であることのつまらなさを刻んでいた。はやく大人になれば、思う通りに生きられるだろう。そういう幻想に縛られていた。
 信松尼も随行家臣団も、子供の心に寄り添える余裕がない。誰もが精いっぱいだ。小督の心は、孤独だった。
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登場人物紹介

信松尼

武田信玄の息女。松姫と呼ばれる。

織田信忠の許嫁とされるが、武田家と織田家の盟約が決裂し有名無実の状態となる。

そして武田家を滅ぼす総大将がかつての許嫁という事実を知ることなく、幼い姫たちを伴い武蔵国へと逃れる。やがて姫や旧臣の支えとなるため、得度して仏門に帰す。

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