第75話 ひなたのついてない1日

文字数 2,104文字

 体育のときにひなちゃんが転んで保健室に行ったみたいだった。あたしは転ぶ瞬間を見ていなかったので何とも言えないけど、あの運動神経のいいひなちゃんが転ぶなんて驚いた。体育後の休み時間にひなちゃんにあたしと佐藤さんは聞いた。
「ひなちゃん、こけたみたいやけど大丈夫?」
「ああ、大丈夫やで」
「…け、け、怪我してない?」
「ちょっと膝を擦りむいただけやで。この通り動くし」とひなちゃんは膝を曲げ伸ばしして見せたけど、佐藤さんは心配そうな顔をしている。
「ひなちゃんが転ぶなんて、珍しいこともあるんやね」
「今日からスニーカーを新しくしてな。ひもが解けてるのに気がつかんかったんや」
「気を付けや」としかあたしに言う言葉はなかった。

 お弁当の時間になってひなちゃんがお弁当をリックから取り出し開けると「うわー、箸がない」と叫んだ。「新太はある?」と西野君に言う。西野君は「あるで」と箸を見せた。「母さん、俺の分だけ入れ忘れたんやな」と途方に暮れているひなちゃんにあたしは「これ使う?」と割り箸を差し出した。
「なんで、割り箸なんか持ってるん?」
「あたし作る側の人間やから、うっかり箸を入れ忘れる可能性も考えて常に割り箸リックに入れてるねん」
「ありがとう、鹿渡。これで昼めし食えるわ」とひなちゃんは言った。佐藤さんは「…よ、よかったね、ひ、ひ、ひなちゃん」と笑って、西野君は「鹿渡はやっぱりお母さんやな」と言った。あたしは「お母さんはやめて」と西野君に抗議する。すると西野君が「いや、悪い意味で言ってないで。すごく準備がええなって褒めてるんやから」と慌てて答えた。西野君の中のあたしのイメージはお母さんか。なんかそれは嫌やなと思いながらも、西野君にお母さんがいないことを思い出す。そしたらまぁええかって気持ちになった。西野君、お母さんの具体的なイメージがわかないんやからね。

 学校も終わり、あたしたち3人はいつも通り帰路に就いた。するとひなちゃんが言う。
「今日は缶コーラが飲みたい気分やねん。鹿渡、ダイエーよってもええ?」
「もちろんええけど、なんで缶コーラなん」
「ジョッキコーラでもええんやけど、ペットボトルは違うなって気分やねん。なんか一気に飲み干したいねん」
「確かにな、ジョッキコーラ飲んで以来、あたしも入れ物でなんか雰囲気がかわるって実感したわ」
「ジョ、ジョ、ジョッキ、コ、コ、コーラって何?」
「ああ、以前鹿渡と串カツ食べに行ってな。そこで出してもらったコーラや。ホンマジョッキに入ってるだけやのになんか味が違う気がするから不思議やわ」
「…う、う、器も、た、た、大切なんやね」
そんな話をしながら佐藤さんと別れて、あたしたちはダイエーに向かう。ダイエーでひなちゃんは缶コーラを取り、お菓子売り場のうまい棒の前にしゃがんだ。
「鹿渡はうまい棒、何味が好き」と聞いてきたのであたしは「チーズかな」と答えて「ひなちゃんは何味が好きなん」と聞いた。
「俺は明太子やな。でも今日はコーンポタージュにするわ」と言いチーズとコーンポタージュ味を取りレジで精算して、おりいぶ公園に向かう。最近ひなちゃんは油断しているのか喫茶ララの後ろを通ることがたまにある。でもひなちゃんのお母さんは1度もいないからあたしも気にしなくなっていた。おりいぶ公園のベンチに座るとひなちゃんはうまい棒のチーズをあたしに渡して、缶コーラの蓋を開けてベンチに置いた。「ありがとう」と言うあたしに「今日はなんかついてないから、コーラ一気飲みしてのどを痛めつけたい気分やねん」と言った。そしてうまい棒を開けて食べようとするとあたしたちのベンチに1匹の鳩がやって来た。「こうよってこられるとかわいいねんな~」とひなちゃんはうまい棒をちょっとかじり、かじった残りを手で割って鳩にあげた。
「鳩にうまい棒って大丈夫かな?」と聞くので「雑食やからええんちゃう?」とあたしが答えるとひなちゃんはそうかと答えてうまい棒をベンチに置いた。すると風が吹きうまい棒が地面に落ちたのでひなちゃんは「これはもうお前のやで」と言って落ちたうまい棒を取ろうとかがむと、今度はコーラにリックが当たり缶コーラも落としてしまった。缶コーラなので一気に中身があふれ出し、ひなちゃんは「俺、一口も飲んでないのに…」と呆然としていた。それでもひなちゃんは缶コーラを拾い中身をすべて捨ててうまい棒の袋と缶コーラをごみ箱に捨てに行った。鳩は必死にうまい棒をつついている。するとひなちゃんはゴミ箱付近の地面に靴をこすりつけていた。「どうしたん?」とあたしが聞くと「犬の糞ふんだ」と答えたひなちゃんは必死になって地面に靴をこすりつけている。この公園、ボランティアの人たちが清掃してくれるからいつもきれいなのに、犬の糞を放置していく人がいるなんてとあたしは思った。それにしても新しい靴やのにとひなちゃんが不憫に思えた。でも目の前で必死にうまい棒をつつく鳩とゴミ箱前で必死に靴を地面にこすりつけるひなちゃんを見ていたら、なんだか可笑しくなってきてあたしは声を出さずにこっそり笑った。ひなちゃん、今日は本当についてない1日やったね。
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