第五十二話 『ただいま』と『おかえり』

文字数 2,295文字

「……おはよう」
 ダンススクールの扉をゆっくりと開き、結羽が小さな声で挨拶をした。
 今まで連絡の一つも寄越さず、久しぶりに訪れたことに皆はどんな反応をするだろうか。
 普段から他人に対して興味を示さない結羽だが、数年という月日の中で一緒にレッスンを受けてきた仲間に対しては、多少なりとも思うところがある。
「…………」
 視線を足元へ落としながら、扉を開いていく。
「園原くん、おかえり!」
 先生の、朗らかな声が出迎えてくれた。
 恐る恐る視線を上げると、そこには、以前と変わらぬメンバーたちの姿が──。
「園原おかえり!」
「結羽くんおかえり!」
 皆、それぞれ出迎えの言葉を掛けながら、待ち侘びていたと言うように結羽へと歩み寄った。
 十数人のメンバーに囲まれて、同じ歳の女性メンバーに髪を撫でられたり、年上の男性メンバーに抱き締められたり、揉みくちゃになりながら歓迎されている。
「……た、ただいま……」
 結構激しいスキンシップに照れ笑いながら再度呟いた。
「来れるようになって良かったね」
「また一緒にダンスしようね」
 嬉しい言葉を次々と掛けて貰い、結羽は恥ずかしくなってどんな反応をしたら良いのかわからず、チラッと恭介に視線を向ける。
 入口付近の壁に背を凭れて様子を眺めていた恭介は、良かったな、というように穏やかな笑みを浮かべて頷いた。
 そんな折、誰かが注目を促すように手を叩き、結羽を含む皆の視線がそちらへと向いた。
 その誰か──先生が、両腕を大きく振っている。
「ほらほら、みんな、そんな押し寄せたら園原くん動けない。そろそろ離れて、レッスン始めるよ」
 声を掛けられると、生徒たちは結羽の頭を撫でたり肩をポンポンと叩いたりしながら素直に退いて行った。
「あれ? 先生、園原の再来会は?」
 一人の男子が声を上げて先生に問い掛けると、周りの生徒たちが揃って口元に人差し指を当てて『シーッ』と圧を掛けた。
 しかし、時既に遅し。
「……さいらいかい?」
 結羽が首を傾げて疑問符を洩らした。
「あー、ほら、お前のせいだぞ」
「やっべ、すまん!」

 何やら口を滑らせたらしい男子生徒と、彼をからかうように責めている男子生徒のやり取りを聞いて、恭介はスマートフォンを取り出し、時間を確認する。
 未だ、七時前だ。

 ──そういや、ここって確か九時からだったな。

 以前訪れた際に、レッスン時間を確認したのを思い出した。
 結羽は全く気にしていなかったところを見ると、気持ちが昂っていたことを加味しても、普段から九時前に開けていることが多いのかも知れないと予想がつく。
 同居する前は、恭介自身も部活で早くから活動していた。
 それを考えると納得出来なくもないが、その分先生が早くから顧問する必要がある。
 事故後に我を忘れてしまった結羽への対応といい、この先生には頭が上がらない。
「園原くんにバレちゃったら仕方ないよねー。早速、再来会始めよっか! レッスンは予定通り九時から。それまで節度を持ってワイワイやろう!」
 先生の溌剌とした言葉を合図に、生徒たちは『はーい!』と返事をし、それぞれテーブルや椅子を用意し始めた。
 何とも仲良くて頼もしい仲間たちだろうか。
 結羽は、メンバーたちに促されるまま誕生日席に座らされ、赤や黄色で彩られた派手なハット帽を被らされている。

 ──……ここは、一旦帰るか。

 寂しいとか、孤独感があるとかでは決してなく、ただ単にダンススクールのメンバーたちの中で恭介自身は完全にアウェイ状態になるだろうという考えの下、入ってきた扉のノブに手を掛けてはゆっくりと開いて出て行こうとした。
「──恭介!!
 ガタンッと椅子が倒れる音が響くと同時に、結羽に名を叫ばれて足を止める。
「何で帰るの? 居てよ」
 何も言わずに出ようとしたことが酷く焦らせてしまったようで、結羽は本心を表情に顕していた。
 眉尻を垂れて、下唇を噛み、寂しさのオーラを漂わせて恭介を見つめている。
 慌てて弁解しようと思考をフル回転させた。
「あぁ、いや……水入らずの邪魔してたら悪いと思ってよ……」
「だとしても、黙って出て行こうとした!」
 許せないと訴えるように声を張っては、むっすりと片頬を膨らませて不貞腐れの表情を作っている。
「……いや、悪かったよ」
 出て行こうとした踵を戻しながら、開けかけた扉を閉め、忙しなく準備を進めているメンバーの邪魔にならないように立ったまま、こちらを睨み付けている相手の元へと歩み寄った。
「恭介は、俺の隣ね。よくわからないけど」
「ん、あぁ」
 勝手にどこからか持ってきた椅子を自分の席と並べて座るよう促され、恭介は頷いて相手と並んで腰を下ろす。
「……いや、やっぱり俺が居たら浮くだろ。主役お前なんだからさ」
 恭介以外は皆知り合いで、恭介だけが殆どの生徒と面識がない。
 出来るだけ影薄く居ようかと考えているところに、結羽が言葉を返してきた。
「主役の俺を立ててね」
 要するに、影薄く居ろということだろう。
 恭介の考えていたことと被る辺り、やはり二人は目に見えない絆で繋がっているらしい。
 相手の言葉に、恭介はフッと余裕の笑みを浮かべた。
「安心しろ。俺が何もしなくたってお前は目立つよ」
「どういう意味?」
 何故? どうして? と、疑問符を浮かべながら怪訝そうに眉を寄せている。
「誰よりも綺麗で美人だからな。誰もが振り向く華のような存在だ」
「…………」
 恭介が褒め言葉の応酬を送れば、相手は頬を赤く染めて唇を尖らせ、俯いた。
「……ばか」
 弱々しい悪態も、今ではすっかり可愛い恋人の姿。
 穏やかに口角を上げながら優しく髪を撫でてあげた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

一乃瀬 恭介

本作主人公

高校2年生/180cm

剣道部に所属している。

文武両道で寡黙な部分がある。

親は海外に出ていてほとんど帰ってこない。

あまり他人と関わりたがらない性格。

園原 結羽

高校2年生/176cm

女性顔負けの中性的で美しい顔立ち。

感情の起伏が乏しい。

全体的に色素が薄く、儚い印象を受けるが捻くれ者。

将来は『歌って踊れるモデル』になるのが夢。

西岐 智哉

高校2年生/180cm

恭介と結羽のクラスメイト。

明るく軽快な性格。

誰とでも分け隔てなく接する陽キャ。

結羽を除き、唯一恭介の頬を抓られる男。

将来は幸せな家庭に恵まれることが夢。

西岐 夏雅

大学3年生/184cm

智哉の兄。

心理学部専攻の大学3年生。

乱暴な性格で言葉遣いが荒い。

極度のブラコンで、頻繁に智哉を襲って泣かす。

瞳や仕草、声色から人の心を見透かす。

かなりのキレ者で、裏方としての役回りが多い。

暴力的な部分が玉に瑕。

24歳/167cm

結羽が通うダンススクールの先生。

事故当時、唯一結羽を助けた勇敢な女性。

作者の怠惰により名前がない。

既婚済み。わけあって子どもは居ない。

梓川 澪斗

33歳/179cm

結羽の親戚(母の弟)。

長野県在住の民俗学者。

元々は趣味で調べ始めた民俗学に関しての講演や、新聞のコーナーを担当している。

文献を漁るのが好きで、自宅の書斎にも所有している。

結羽に対して非常に可愛がっており、過剰な愛情を持っている。

月雲 暁

25歳/182cm

夏雅の知り合い。

格闘術や剣術に秀でた青年。

丁寧な口調で好印象。

かなり冷徹な一面も兼ねる。

反社会的な勢力を撲滅するための裏組織を纏める。

(※裏組織は警察庁との繋がりもある公認組織)

とある事件の際に夏雅が弟を匿ったことで信頼関係が築かれた。


月雲 花耶

享年20歳/172cm

暁の実弟。

無邪気で可愛らしい青年。

夏雅と同じ大学、同じ学科、同じ学年。

大学2年に上がった際に夏雅と知り合い、好意を持つ。

闇組織の放った銃弾によって命を落とした。

地下公安部隊の敷地内にて弔われた。


ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み