第七十四話 冷たい声

文字数 3,111文字

 朝のニューヨーク街を、一台の黒いリムジンが静かに走り抜ける。
 目的地は、恭介の母親が社長を務めるブランド『Noble(ヌーブル) Déesse(ディース)』の店舗兼事務所。
「…………」
 車内は誰もが口を閉じたままの沈黙が続いている。
 話すことも、恭介にかける言葉もなかった。
 ただ、恭介が無事に母親へ気持ちを伝えられることを信じるのみ。
 ファストフード店を出てから三十分ほどで、朝方の人が少ない通りの向こうにブランド名を示す金色の文字が見えてきた。
 やがて、ゆっくりとリムジンが停車する。
 そこは店舗から十メートル以上離れた営業時間外の飲食店に隣接する駐車場。
 母親に気付かれないようにと、光輝の父親が運転手へ指示を出してくれたためだった。
「さて、俺と光輝は夏雅くんからの連絡を待てば良いかな?」
「あぁ、その通りだ。宜しく頼む」
「わかった」
「よし……恭介、結羽、行くぞ」
「……はい」
 夏雅の声掛けに恭介は息を飲んでから返事をし、結羽も頷いた。
「智哉と俺は、恭介が来たことを伝えてから店の近くで待機してるからな」
「わかりました」
 緊張を顕にしつつ、夏雅と智哉の後ろを、恭介と結羽が並んで歩く。
 十メートルという距離は、遠いようであっという間に近付いてきてしまった。
 ガラス張りの店舗。
 真ん中には自動扉の入口。
 その両側にはオシャレに着飾ったマネキンが三体ずつショーウィンドウに立っている。
 まだ営業前の店舗入口を夏雅が覗き込むと、開店準備をしている女性従業員が三人働いていた。
 気付いて貰うには、従業員の意識が仕事に向き過ぎている。

 ──……仕方ねーなァ。

 静かな溜め息を吐いて、夏雅がガラス製の自動扉を優しくノックした。
 その音に、従業員が三人とも気付いて夏雅へと視線を向ける。
 軽く会釈をすると、日本人らしき黒髪ボブヘアーの女性が近付き、解錠しては手で扉を開けてくれた。
 まだ営業前のため、自動のセンサーは無反応。
 少し重そうにガラス扉を開けた女性に向けて、夏雅が声を掛ける。
「アンタ、日本語分かるか?」
「ええ、分かります」
 ガラの悪い見た目と声色に怪訝な視線を向けられるが、夏雅は返ってきた答えに微かに口角を上げて恭介の肩を引き寄せ、身体を相手の方へ向かせて自分との間へ強引に立たせた。
「アンタんとこの社長に、息子が会いに来たんだが、話は聞いてねーか? 一ノ瀬恭介っつーんだが、この顔に見覚えは?」
「えっ、社長のご子息様!? わ、分かりました!」
 夏雅の言葉を聞きながら恭介の顔を一目見て、女性従業員は慌てた様子で四人全員を招き入れては店舗の奥へと足早に去って行く。
 なるべく店内を見渡すことをせず、四人は入口付近で纏まって立っていた。
 少しの間黙っていたが、女性従業員が戻ってくる前に、と、夏雅が小声で最終確認を口にする。
「あの反応からすると、どうやら恭介の母親は居るみてーだな。恭介と結羽が案内されたら、俺と智哉は外に出る。良いな?」
 問われた三人は、揃って小さく頷いた。
 やがて、先程の従業員が戻ってくると、彼女は『此方へどうぞ』と言うように相槌を打つ。
 恭介が一度不安そうに夏雅へ視線を向けると、彼は口角を上げて頷いた。
「待ってるぞ」
 自信に溢れたその言葉に恭介は大きく頷いて、結羽としっかり手を繋いで女性従業員の後について行く。
 店舗の奥は、関係者以外立ち入り禁止となっていた。
 廊下に出てすぐ脇に上へと向かう階段が静かに佇んでいる。
 ヒールの音を響かせながら上がっていく女性従業員の後を、二人は黙ってついていき、そのまま三階へと辿り着いた。
 廊下の一番奥、突き当たり。
 そこに、一乃瀬愛璃が居る。
 従業員は足を止めることなく進んで行く。
 歩を進める度に近付く社長室の扉。
 結羽と繋ぐ手のひらが、じんわりと汗ばんでいく。
 緊張感が痛いほど伝わる結羽は、『大丈夫だよ』というように、恭介の手を握る手に少し力を込めた。
 間もなくして辿り着いた、高貴にも見える社長室の扉の前。
 女性従業員が丁寧にノックする。
「社長、お連れ致しました」
 ドア越しに声を掛けると女性従業員は恭介に一礼し、来た廊下を足早に戻り、階段を降りて行ってしまった。
「…………」
 これまでにない緊張感が恭介を襲う。
 暫く動けずにいたが、扉の向こうからの声掛けもなければ、扉を開く気配もない。
 歓迎されていないのが嫌でもわかる。
「……はぁ」
 自分を落ち着けるように溜め息をついて、恭介はドアノブを掴んでゆっくりと開いた。
「…………」
 真っ先に、紺色の上質そうなカーペットが目に入る。
 静かに踏み込んだ恭介は、思い切って扉を開いた。
「『失礼します』も言えないのかしら?」
 冷たい女性の声に、恭介の鼓膜が嫌でも震える。
「……失礼します」
 呼吸を震わせ、相手の言う通りに言葉を紡いで視線を上げた。
 自分と似ている母親の顔。
 社長用のデスク前に脚を交差させて寄り掛かる姿勢で立っている。
 手を拱いて堂々とした態度の相手は、酷く冷たい視線で恭介を睨み付けていた。
「本当に出来の悪い子。私に似てるのは顔だけね」
「……」
 我が子と久しぶりに再会した母親とは思えないような言葉が、恭介の心を容赦なく傷付ける。
 そんな相手を見つめて居られず、ゆっくりと足元へ視線を落とした。
「……すみません」
 恭介の呟いた詫びの言葉に、目を見開いたのは結羽だった。
 
 ──恭介は、何も悪くない。

 恭介に向けた赤い視線と想いに、冷たい声が突き刺さる。
「おかしいわね。搭乗券は一枚しか送っていないはずだけど?」
 その問い掛けに、恭介は母親の標的が自分から移ったことを感じた。
 冷めた視線と言葉が、今度は結羽へ向けられる。
「貴方、確か園原さん宅の子よね? まだウチの子と仲良くしてたの? この子はこれからお金持ちのお嬢さんと結婚するためにここで暮らすの。わざわざ来て貰って悪いけど、貴方は帰って頂戴」
「……嫌だ」
 何も言えない恭介の隣で、結羽は小さな声で勇気を振り絞って拒否を示した。
「は?」
 返ってきた疑問符が、鋭く、痛い。
「…………」
 結羽は、眉を寄せて嫌悪を示しながら声を詰まらせる。
 相手の冷めた言葉は止まらない。
「貴方の意見なんか聞いてないの。さっさと帰りなさい」
「……嫌、だ」
 必死に訴え、食い下がる結羽に対し、愛璃は奥歯を噛んだ。
「帰りなさいッ!!
 部屋に反響するほどの金切り声に、結羽はついに萎縮して恭介の後ろに隠れてしまう。
 愛しい相手を、傷付けられたくない。
 恭介は、意を決して口を開いた
「……母さん……待って」
「お前は黙って私の言うことを聞いていれば良いの。私に苦労を掛けさせないで」
 溜め息混じりの冷ややかな声色だが、急に落ち着きを払った口調。
 何故なのか、背筋が凍りつく感覚に襲われる。
「……お、俺は、母さんとは暮らせない。勝手な縁談も、断る……俺は、結羽と、一緒に……」
 思い切って紡いでいた言葉は次第に震え、やがて途切れてしまった。
 カーペットの上を愛璃の履いているヒールがコツコツと音を立てる。
 ゆっくりと近付く相手に、恭介は蛇に睨まれた蛙のように動けない。
 遂に、母親が目の前まで歩み寄って冷たく見つめる。
「……母、さん」
 恭介が震える声で呟いた直後、バチンッ!! と音を立てて愛璃の平手が恭介の左頬へ飛んだ。
 余りに強く、勢い良く頬を叩かれ、恭介は右によろけてそのまま崩れて座り込み、両手を後ろについて俯いた。
「恭介……!」
 結羽が慌てて膝をつき恭介の両肩に手を添え、敵意剥き出しの視線を愛璃に向ける。
 相手は結羽に目をくれることもなく、怒りを顕に恭介を睨み付けていた。
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登場人物紹介

一乃瀬 恭介

本作主人公

高校2年生/180cm

剣道部に所属している。

文武両道で寡黙な部分がある。

親は海外に出ていてほとんど帰ってこない。

あまり他人と関わりたがらない性格。

園原 結羽

高校2年生/176cm

女性顔負けの中性的で美しい顔立ち。

感情の起伏が乏しい。

全体的に色素が薄く、儚い印象を受けるが捻くれ者。

将来は『歌って踊れるモデル』になるのが夢。

西岐 智哉

高校2年生/180cm

恭介と結羽のクラスメイト。

明るく軽快な性格。

誰とでも分け隔てなく接する陽キャ。

結羽を除き、唯一恭介の頬を抓られる男。

将来は幸せな家庭に恵まれることが夢。

西岐 夏雅

大学3年生/184cm

智哉の兄。

心理学部専攻の大学3年生。

乱暴な性格で言葉遣いが荒い。

極度のブラコンで、頻繁に智哉を襲って泣かす。

瞳や仕草、声色から人の心を見透かす。

かなりのキレ者で、裏方としての役回りが多い。

暴力的な部分が玉に瑕。

24歳/167cm

結羽が通うダンススクールの先生。

事故当時、唯一結羽を助けた勇敢な女性。

作者の怠惰により名前がない。

既婚済み。わけあって子どもは居ない。

梓川 澪斗

33歳/179cm

結羽の親戚(母の弟)。

長野県在住の民俗学者。

元々は趣味で調べ始めた民俗学に関しての講演や、新聞のコーナーを担当している。

文献を漁るのが好きで、自宅の書斎にも所有している。

結羽に対して非常に可愛がっており、過剰な愛情を持っている。

月雲 暁

25歳/182cm

夏雅の知り合い。

格闘術や剣術に秀でた青年。

丁寧な口調で好印象。

かなり冷徹な一面も兼ねる。

反社会的な勢力を撲滅するための裏組織を纏める。

(※裏組織は警察庁との繋がりもある公認組織)

とある事件の際に夏雅が弟を匿ったことで信頼関係が築かれた。


月雲 花耶

享年20歳/172cm

暁の実弟。

無邪気で可愛らしい青年。

夏雅と同じ大学、同じ学科、同じ学年。

大学2年に上がった際に夏雅と知り合い、好意を持つ。

闇組織の放った銃弾によって命を落とした。

地下公安部隊の敷地内にて弔われた。


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