第十六話 豹変

文字数 2,483文字

 間もなくして、恭介が住むアパートの前に、マフラーを轟かせたバイクが止まった。
 カーテンを少し開けて確認すると、大型バイクから降りてこちらへ向かう一人の青年の姿。
 西岐智哉の兄、夏雅だ。
 その後、律儀に玄関の呼び鈴が鳴らされ、恭介は鍵と扉を開けた。
 見た目が完全にヤンキーの青年が、鋭い眼光で恭介を見つめる。
「どーも、お前が恭介?」
「えっと……夏雅、さん?」
 名を尋ねられたが、答えるより先に確認をしてしまった。
「その通り。早く行かねーと、アイツに犯されるかも知んねーぞ」
 肯定と共に歯に衣着せぬ言葉が返ってくると、恭介は息を飲んで頷いた。

 ​────────

 二人がいる浴室には、荒い息遣いだけが響いていた。
「……っ、は……ぁ……」
 相手の手によって強引に絶頂を迎えさせられた結羽の身体は、酸素を全身に取り込もうと、成長しきっていない胸元を大きく上下させている。
 働かない思考はそのままに、押し寄せる罪悪感が目尻から大粒の涙となって幾重にも伝う。

 ──恭介……。

「泣くほど気持ち良かったのかな?」
 そんな姿ですら、澪斗には愛しく映っていた。
「…………」
 しかし、結羽の右目は虚ろに天井を映したまま、澪斗の問い掛けに反応がない。
 澪斗は、今にも壊れてしまいそうな結羽に対して、更なる追い討ちを掛けようとしていた。
 耳元に唇を寄せて、囁き掛ける。
「結羽は、俺のモノだから……一緒になろうね」
 早い話が、交わりたいということだ。
 結羽の答えを待たずに、澪斗の身体が綺麗な脚の間に割り込まれる。
 続いて、両脇に結羽の脚を抱えようと澪斗の手の平が太腿を掴んだ。
 その時──。
「嫌だ! やめて!」
 浴室内に、結羽の悲鳴にも似た声が響いた。
「……結羽?」
「良い子にするから、ちゃんと言うこと聞くから……だから、それだけはやめて!」
 その言葉に、澪斗は目を丸くし、動きが止まっている。
「……っ……お願い、します……」
 恐怖と絶望に打ちひしがれながら、殺される覚悟で放った懇願だった。
 これまでの経緯から、相手が聞き入れてくれる可能性は低い。
 しかし、どんなに殴られても、罵倒されても、貞操だけは守りたかった。
「…………」
「……っ……」
 黙ったままの相手に、恐怖が増していく。
 結羽の呼吸は浅く震え、視線を合わせることが出来ずに瞼を伏せる。
 もう、出来ることは何もない。

 ──こんなことになるなら、俺も死ねばよかった……。

 澪斗が立ち上がる気配に、びくりと身体が震える。
「ふーん……それなら、左目見せて」
 素肌に突き刺さるような、酷く冷たい声が響いた。
 恐る恐る瞼を開けば、まるで汚れでも見るかのような無表情で見下ろされている。
 あの穏やかで優しい叔父の姿は、どこにもない。
「何でも言うこと聞くんだよね? 左目見せて」
 苛立っている。今度こそ、何をされるか分からない。
 あまりの豹変ぶりに結羽は言葉が出てこない。
「座りなさい」
 澪斗は、そんな結羽の左腕を掴み、半ば強引に上体を起こさせた。
 ぺたりと床に座り込む結羽と、立って見下ろす澪斗。
「……わ、わかった、から、怒らないで……」
 震える声で漸く発した言葉は、今にも消え入りそうな、とてもか細いものだった。
「言うこと聞けなきゃ、俺のモノ咥えて貰うから」
「っ……!」
 その言葉が意味することに血の気が引き、結羽は何度も頷いて左手で額から左頬にかけて巻かれた包帯をゆっくりと外し始める。
 音もなく床に落ちた白く長い布は、あっという間に水分が染み込んで使い物にならなくなった。
「…………」
 手術痕と義眼の左目が露になると、反射的に左手で隠してしまう。
「隠すなよ」
 目の前にしゃがみ込む相手の右手に左手首が掴まれ、強引に顔が晒される。
 それだけでは満足出来ないと言うように、左手で小さな顎を雑に掴まれ上を向かされた。
「…………」
 顔の左半分が凝視されている。
 瞼を伏せたいが、何をされるかわからない恐怖から伏せることが出来ない。
「へぇ、縫ったんだ……舐めていい?」
「……舐め、る?」
 まだ手術して日が浅い。
 清潔を保たなければならない手術痕は、些細なことでも感染症に掛かる可能性があるため、舐めていいはずがない。
「それ、は……っ……」
 しかし、恐怖心が上回り、声の出し方を忘れてしまったかのように『だめ』という言葉が喉に引っ掛かって出てこない。
「言うこと聞けないんだね。それなら──」

 ──ガチャリ。

!?
 少し離れたところから、解錠の音が聞こえてきた。
 それにすぐさま気付いたのは澪斗だった。
 結羽を強引に立たせて、無言で首から下にシャワーを浴びさせると、左腕を引っ張って脱衣所へと足を運ぶ。
「……?」
 盗み見た横顔に、焦りが滲んでいるのがわかった。
 バスタオルで身体を拭われることには羞恥を感じたが、嫌なことはされなかった。
 パジャマ代わりに、スウェットを着させられる。
 それも上半身のみで、下半身は着せてもらえない。
 相手は上下共にスウェット姿だ。
 辱めでもするつもりなのだろうか。
 しかし、浴室でされたことを考えれば、何とも軽いものだと感じられてしまう。
 もう、十分過ぎるほど辱められた。

 会話もなく左手を掴まれ、連れて行かれたのは寝室だった。
 その間にも、侵入者は廊下を歩いて近付いてくる。
「うっ!」
 スプリングが軋む音が響くと同時に、結羽の呻き声が上がった。
 澪斗が、ベッドの上へと結羽を押し倒したのだ。
「っ……く……」
 容赦ない衝撃で右腕に痛みが走り、表情を歪めて歯を食いしばった。
 声を上げてはいけない。本能がそう叫んでいる。
「誰を呼んだ?」
「……だ、誰も……呼んで、ません」
 身を縮こませながら恐る恐る潔白を訴えようとした。
 しかし──。
「嘘をつくな!!」
 大声で怒鳴りつけられ、足を掴まれた。
「っ……やめて……」
 
 ──もう、無理……。

 心の崩壊が進む。
 諦めの文字が、思考を鈍らせていった。

 ──恭介……ごめんね……。
 
 ゆっくりと意識が遠退いていく。
「結羽……!」
 辿り着いた恭介の声を最後に、結羽は意識を失った。
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登場人物紹介

一乃瀬 恭介

本作主人公

高校2年生/180cm

剣道部に所属している。

文武両道で寡黙な部分がある。

親は海外に出ていてほとんど帰ってこない。

あまり他人と関わりたがらない性格。

園原 結羽

高校2年生/176cm

女性顔負けの中性的で美しい顔立ち。

感情の起伏が乏しい。

全体的に色素が薄く、儚い印象を受けるが捻くれ者。

将来は『歌って踊れるモデル』になるのが夢。

西岐 智哉

高校2年生/180cm

恭介と結羽のクラスメイト。

明るく軽快な性格。

誰とでも分け隔てなく接する陽キャ。

結羽を除き、唯一恭介の頬を抓られる男。

将来は幸せな家庭に恵まれることが夢。

西岐 夏雅

大学3年生/184cm

智哉の兄。

心理学部専攻の大学3年生。

乱暴な性格で言葉遣いが荒い。

極度のブラコンで、頻繁に智哉を襲って泣かす。

瞳や仕草、声色から人の心を見透かす。

かなりのキレ者で、裏方としての役回りが多い。

暴力的な部分が玉に瑕。

24歳/167cm

結羽が通うダンススクールの先生。

事故当時、唯一結羽を助けた勇敢な女性。

作者の怠惰により名前がない。

既婚済み。わけあって子どもは居ない。

梓川 澪斗

33歳/179cm

結羽の親戚(母の弟)。

長野県在住の民俗学者。

元々は趣味で調べ始めた民俗学に関しての講演や、新聞のコーナーを担当している。

文献を漁るのが好きで、自宅の書斎にも所有している。

結羽に対して非常に可愛がっており、過剰な愛情を持っている。

月雲 暁

25歳/182cm

夏雅の知り合い。

格闘術や剣術に秀でた青年。

丁寧な口調で好印象。

かなり冷徹な一面も兼ねる。

反社会的な勢力を撲滅するための裏組織を纏める。

(※裏組織は警察庁との繋がりもある公認組織)

とある事件の際に夏雅が弟を匿ったことで信頼関係が築かれた。


月雲 花耶

享年20歳/172cm

暁の実弟。

無邪気で可愛らしい青年。

夏雅と同じ大学、同じ学科、同じ学年。

大学2年に上がった際に夏雅と知り合い、好意を持つ。

闇組織の放った銃弾によって命を落とした。

地下公安部隊の敷地内にて弔われた。


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